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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
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「『歎異抄』に聞く」を聞く
TANNISHO

2019年10月4日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第二章」-

うっかり投稿が遅れました。影分身の術が使いたい今日この頃なのです。

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第14回目です。8月28日(水)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区19組明誓寺(新潟市南区庄瀬)の田澤友生氏に、『歎異抄』「第二章」を主題にご法話頂きました。

明誓寺当院の田澤友生氏。 現在三条別院の列座としても働かれております。同僚!


【本文】

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々


【私訳】

あなたがた一人一人が、はるばる長い道のりを、大切な身体と生命を危険にさらしてまで、たずね求めてこられた志は、真実の生活が実現する道理を体得したいということにある。しかし、念仏以外に真実の生活が実現する道理を知っているとか、経典等を知っているのだろうとお考えならば、根本的な間違いである。もしそういうことなら、奈良や比叡山にはすぐれた学僧たちがたくさんおられるのだから、そういう方々にでもお会いになって、真実への目覚めがどのように実現されるかをよくよくお尋ねになるがよい。この私《親鸞》においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信ずるのみである。念仏は、本当に浄土という世界へいくための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。もしかりに、法然上人にだまされて念仏して地獄に堕ちたとしても、決して後悔はしない。というのは、念仏以外のさまざまな努力を積みかさねることによって、仏になることのできる身が、念仏という行為で地獄へ堕ちたのならば、「だまされた」という後悔もあるであろう。しかし本来、どのような努力によっても、仏になることのできない身であるから、どうもがいても地獄は私の必然的な居場所なのである。弥陀の本願が真実であるならば、釈尊の教えが嘘であるはずがない。また、釈尊の教えが真実であるならば、善導の解釈も虚構であろうはずがない。また、善導の解釈が本当であるならば、法然の言葉が虚しいはずがあろうか。また、法然の言葉が本当であるならば、私《親鸞》がお話する趣旨も、また無内容ではないといえるのではなかろうか。要するに、我が信心はこのようなものである。このうえは、念仏を信じようとも、また捨てようとも、あなた方ひとりひとりが決断することである。


○今回、講師の田澤氏より『歎異抄』「第二章」の語句の意味、あらすじ、要旨などをまとめていただきました。

下記に掲載。

『歎異抄』「第二章」

・『歎異抄』の第二章は、内容を大きく三段に分けることができる。

≪一段 衆生の志願≫

「おのおの十余ヶ国のさかいをこえて~往生の要(よう)きかるべきなり。」

≪二段 ただ念仏す≫

「親鸞におきては、ただ念仏して~とても地獄は一定すみかぞかし。」

≪三段 本願念仏の伝統≫

「弥陀の本願まことにおわしまさば~面々の御はからひなりと、云々。」

 

【語句の意味】

〈一段 衆生の志願〉

十余ヶ国・・・関東の弟子たちが親鸞聖人を訪ねるさいに通った国々。常(ひ)陸(たち)・下総(しもうさ)・武(む)蔵(さし)・相(さが)模(み)・伊豆(いず)・駿(する)河(が)・遠(とおと)江(うみ)・三(み)河(かわ)・尾(お)張(わり)・伊勢(いせ)・近(おう)江(み)・山城(やましろ)の国々を指す。常陸から山城までは歩いて1ヶ月かかったとされている。

身命をかえりみずして・・・命がけで。命よりも大切なことがあることを示す言葉。

法文・・・経典やその注釈書。

こころにくい・・・疑わしい。どうも怪しい。

南都北嶺・・・奈良や比叡山の方々。奈良は奈良の興福寺・東大寺などを指し、北嶺は比叡山延暦寺・三井寺などを指す。

極楽・・・阿弥陀仏の本願成就の浄土。生きとし生けるすべてのものの生命を貫通する、至(し)奥(おう)の志願であるとされている。

 

〈二段 ただ念仏す〉

ただ念仏・・・阿弥陀仏の本願が選び取られた一切衆生平等往生の行。念仏以外の一切の行を廃して専ら念仏一行を修すること。専修念仏を指す。

よきひと・・・ここでは法然上人を表す。諸仏・善知識とも言う。諸仏とはすでに阿弥陀仏の本願に目覚め、念仏申して阿弥陀仏の不可思議なるはたらきをほめたたえている人。それによって本願のいわれを衆生に説き聞かせ、念仏の道を歩む機縁を開いてくださる方。

かぶりて・・・こうむって。受けて。よき人の教えを全身・全生活で受けたことを示す。

別の子細・・・特別な理由。

浄土・・・阿弥陀仏の本願によって建立された清浄なる国土。

地獄・・・罪悪を犯した者がそのむくいとして感ずる苦しみの最も激しい世界。三(さん)悪(まく)道(どう)の一つで餓鬼・畜生とともに迷いの世界をあらわす。

法然聖人・・・親鸞聖人の師。如来の選択本願の行としての称名念仏の一行を明らかにし、浄土宗を独立させた。

さらに・・・ず。決して・・・ではない。まったく・・・ではない。

自余の行・・・念仏以外の行。

とても・・・いずれにしても。どうしても。

一(いち)定(じょう)・・・唯一定まった。決定的な。疑いのない。

 

〈三段 本願念仏の伝統〉

釈尊・・・釈迦牟尼世尊の略で、釈迦族より誕生した仏陀に対する尊称。教主としての諸仏としての代表とされる仏。教主・阿弥陀仏の本願に目覚め、一切衆生が仏に成る教えを世に示した。釈尊の聖教とは、釈尊が阿弥陀仏の本願を説いた『浄土三部経』を示す。

仏説・・・釈尊の説法・説教。

善導・・・中国浄土教における称名念仏の大成者。当時中国の仏教界において、それまでの諸師による『観無量寿経』の解釈を批判して仏の真意を明らかにし、その主著『観経四(し)帖(じょう)疏(しょ)』において称名念仏一行を廃(はい)立(りゅう)し、凡夫のための仏教を明らかにした。

善導の御釈・・・『観経四帖疏』に示された二種深信を指す。

そらごと(=虚言)・・・うそ、いつわり。

栓ずるところ・・・つまるところ。結局。所詮。

愚身の信心・・・無明煩悩の身に開かれた真実の信心。

面々の御はからい・・・弟子たちに阿弥陀仏の本願と向き合い、自ら決断することを促す言葉。

 

【あらすじ】

『歎異抄』第二章には、親鸞聖人が念仏を信ずるに至るまでの経緯が示されている。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

ここには、親鸞聖人が法然上人と出会ったからこそ、浄土の教えに入り、伝えることとなったと示されている。そしてそこには三つの出会いがある。

・本願の真実に生き、本願の真実を教え示している教主としての法然上人との出会い。

・法然上人を生み出し、十方の衆生の救いを誓う救い主としての阿弥陀仏との出会い。

・いずれの行も及びがたき地獄一定の、煩悩具足の凡夫としての我が身との出会い。

浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人の縁について書かれているのが『歎異抄』第二章であると言えるだろう。今こそ、伝わった御縁に感謝しつつ読んでいきたいと考える。

 

【要旨】

『歎異抄』第二章は、関東の地で親鸞聖人と出会った人々が京都に住んでいる親鸞聖人のもとを訪ねる物語となっています。人々は親鸞聖人と生活する中で念仏の教えを受け、そして出会ってきました。しかし浄土真宗のほかにも新しい教えが多く生み出された鎌倉時代、自分たちの出会った教えが果たして正しいものであるのかどうか苦悩します。そうした現代社会にも通じる内容となっているのが、『歎異抄』第二章ということができるでしょう。

『歎異抄』第二章は、文字通り『歎異抄』第一章の内容を受け継いだものとなっています。どのような方々も平等に救われることを説いた親鸞聖人。そのためには「ただ念仏する」ということを繰り返し説かれていました。

平安時代までの仏教は天皇や貴族が中心であり、地位が高い人を中心に伝えられた教えでした。それが鎌倉時代に入ってから、庶民にも分かりやすいさまざまな仏教の宗派が誕生することになります。当時は度重なる戦乱に巻き込まれ簡単に命を落とす庶民も多く、また天変地異などによって作物がうまく育たず、時には生まれた子供を殺してしまうなどということもあったとされています。そんな絶望の中で、何かにすがりたいと思ってしまうのは人間として当然の気持ちであると言えるでしょう。その中で生み出されたのが念仏を中心とした浄土真宗の教えです。

浄土真宗は南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば極楽浄土に行けるといった教えであり、読み書きもできず自分の名前さえ書けない庶民にとっても念仏を唱えるだけで良い。その点で親鸞聖人の教えは非常に分かりやすいものであったということが言えるでしょう。

ですが、そうした動きに厳しい目が注がれていたのも事実です。後鳥羽上皇によって法然上人・親鸞聖人ら7人が流罪となった事件がありました。南都北嶺の寺院から批判を受けていたこともあり、専修念仏の教えは苦難にさらされることとなりました。そのため親鸞聖人も、庶民の方々に眼差しを向けて教えを開いていきました。

そんな中、親鸞聖人の息子である善鸞は「私はある夜中、父から秘密の法文を授かった。これを聞かないと、絶対極楽には行けない。」と言い専修賢善の教えを説きました。一方で、「往生のため」としてあえて悪いことをするという造悪無碍の動きも出てくるようになりました。また鎌倉時代には日蓮上人を中心に、「念仏無間」といって南無阿弥陀仏と称えると地獄に落ちるという考えも存在していました。

ですから関東で親鸞聖人の教えを聞いていた人々は動揺し、どうすれば極楽に往生できるのか悩み途方に暮れていました。そんな中、京都で親鸞聖人から直に教えを聞こうという人々が出てきました。そして、徒歩で一ヶ月もかけてはるばる親鸞聖人のもとを訪ねることになります。

しかし、親鸞聖人は弟子たちに自らが伝えた念仏の教えを強制することはありませんでした。これは弟子たちを冷たく見放したわけではなく、どのようなときでも人々を受け入れていくという愛情が感じ取れます。決して他の教えと比べることもなく、念仏の教えを通じて出会った人々を互いに信頼と尊敬の念をもって「御同朋、御同行」と言って大切にされていました。

しかしその一方で、「唯除五逆 誹謗正法」という言葉も親鸞聖人は残しています。これは、「ただし、五逆を犯すものと謗法のものとは除かれる」という意味で、『仏説無量寿経』の第十八願に記されています。また、『観無量寿経』においては下品下生という言葉のもと、五逆・十悪の凡夫の十念往生との会通も行ってきました。これは、一見すると例外を設けるといった冷たい態度に見えるかもしれません。しかし、この「唯除」は人々に問いかける言葉であり、回心させて、あらゆるものを往生させようとする意味がこめられていました。なお五逆とは

の5つになります。

そして謗法とは仏の教えをそしり、正しい真理をないがしろにすることとなっています。

ですが、私たちの中で仏様の教えを謗ることなく聞くことができる方はどれだけいらっしゃるでしょうか。今回の講義の後の座談会でもそのことが議題になりました。

前述したとおり、「唯除」は決して人々を分断するような言葉ではありません。教えが本当に正しいものなのか、そう言って時には疑いのまなざしを向ける人々に親鸞聖人が投げかけた一節であるということができるでしょう。

前述した五逆・誹謗正法も、決して他人事の話ではありません。私自身、両親に反抗していた時期もありますし、浄土真宗の教えを信じたところでどんないいことがあるのか・・・。そのように思っていた時期もありました。今でこそ、真宗大谷派の僧侶として法務に携わらせていただいていますが、親鸞聖人の教えに御利益があると考えているわけではありません。

しかし、だからといって念仏や浄土真宗の教えに意味がないというのは当たらないと思います。親鸞聖人も決して自分だけで念仏の教えを開いたわけではなく、そこに至るまでには法然上人や善導大師そして阿弥陀様といった数多くの繋がりがあるということを言われていました。ですから弟子たちが教えと出会ったことも本当にありがたいことであり、かけがえのない尊い繋がりであることを親鸞聖人は言っていたように思います。その尊い繋がりを決して捨てないでほしい、親鸞聖人はそう訴えかけました。いかに優れた教えであっても、人々を結ぶはたらきがあってはじめて生きたものとなることを表しているのではないかと思います。

いつでも確かにそこにある、万人に開かれた繋がりであるのが念仏の教えであり、浄土真宗の持つ光です。それは決して高度に経済が発展した現代社会においても変わることはありません。何十億人という人々が住むこの地球。その中でここに生まれ、念仏と出会いそして繋がっている。一見厳しい内容とも取れる『歎異抄』第二章は、尊さを伝え、私たちを照らす大きな光ではないか・・・。今回のご命日の法話を通じて私はそのように感じました。


9月28日(土)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第三章」をテーマに第20組光圓寺(新潟市江南区沢海)の村手淳史氏よりお話頂きま した!鋭意執筆中です!!

その次は10月28日(月)、『歎異抄』「第三章」をテーマに第17組淨福寺(新潟市西蒲区)の八田裕治氏よりお話頂く予定です。どうぞお誘い合わせてお参りください。

2019年8月27日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第一章」-

今年の酷暑もひどいもんでしたが、みなさんいかがでしたでしょうか。廣河もさすがに身体にこたえました…。下旬になって気温もようやく朝晩落ち着いてきた感じですが、うっかりしてるとすぐ秋、そして冬ですからね。過ごしやすい気候というのは過ぎ去りやすい、そんな気がします。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第13回目です。7月28日(日)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区17組妙音寺(新潟市西区五十嵐)の富樫大樹氏に、『歎異抄』「第一章」を主題にご法話頂きました。

妙音寺住職の富樫大樹氏。氏は三条教区教化センタ―の副主幹も務められております。

【本文】

一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々

【私訳】

人間の思慮を超えた阿弥陀の本願の大いなるはたらきにまるごと救われて、新しい生活を獲得できると自覚して、本願に従おうというこころが湧きおこる時、迷い多きこの身のままに、阿弥陀の無限なる慈悲に包まれて、不動の精神的大地が与えられるのである。

阿弥陀の本願は、人間のいかなる条件によっても分け隔てや選びをしない。ただ、如来の本願に目覚めるこころひとつが肝心なのである。

なぜなら、生活状況に振り回されて、欲から抜け出せずに悩み苦しんでいる私たちをこそ救おうとする願いだからである。

そうであるから、本願の救いに目覚めるならば、どのような善であっても肝心なことではなくなる。それは念仏がどのような善をも超えている。また、悪も救いを妨げると恐れることはない。なぜならば、阿弥陀の本願はどのような悪にも妨げられないからである。

【語註】

誓願不思議…阿弥陀如来の本願の、清浄にして真実をめぐむはたらき。

この「不思議」については、誓願が、人間の思議・分別を超越したものであることを表していると一般に理解されている。しかし親鸞聖人の著作に親しむとき、これが単に本願の超越性を表す言葉ではなく、仏道を歩もうとする私たちの上に、本願のはたらきによって、如来の世界が開示されることが示されていると考えられる。そのことは、和讃(天親讃)に「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」と、端的にうたわれるとおりである。ひとたび本願に値遇するという体験を得た人は、そこに、煩悩の身であることを知らされながら、その煩悩の身にさまたげられることのない、光に満ちた広やかな世界を実感し、如来のまことがその身に恵まれることを知るのである。この感動を親鸞聖人は「不思議」という言葉で繰り返し語り、また浄土真宗が、「誓願不思議」という道理に立って実現する仏道であると、示しておられることを思い合わすべきである。

往生…阿弥陀如来の世界(浄土)に生まれていくこと。

『歎異抄』においては、念仏と信心に大きな関心が向けられ、仏道を念仏往生の道として語り告げている。したがって、『歎異抄』を一貫する主題は「往生」であると言ってよいだろう。この往生については、一般に「未来往生」、つまり、往生を死後に実現するものと理解してきた伝統があり、『歎異抄』においても、肉体の命が終わる際に遂げるものとして語られてもいる。しかしながら、『歎異抄』の主眼が、自力の諸行を往生の行としないで、念仏こそ本願に裏付けられた往生の行であると確かめていることを思うとき、「臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき、往生またさだまるなり」(『末燈鈔』)という、『大経』の本願成就の教えに立った親鸞聖人の往生理解が、思い合わされるべきである。「念仏もうさんとおもいたつこころ」として信心が起こるとき、その人は如来の浄土を実感しながら、往生の道に立つこととなるのである。

摂取不捨…阿弥陀如来の救済を表す言葉。

『観経』に説かれるこの言葉は、浄土教の伝統において如来の救済を表すものとして、大切にされていた。親鸞聖人もまた、この「摂取不捨」をしばしば語っている。ただし、親鸞聖人の著作において、「摂取不捨」は多くの場合、「正定聚」として了解されていることに注意したい。この正定聚とは、必ず仏となるべき身と定まったことを表す。聖人自身が「『大無量寿経』に、摂取不捨の利益にさだまるを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には、等正覚ととき給えり」(『末燈鈔』)と語るように、『大経』の思想に立って、救済を意味する「摂取不捨」を、正定聚・等正覚として捉え直しているのである。つまり信心の人の歩みは、単に如来の光に抱かれ護られるのみならず、大乗の究極的なさとりである無上涅槃へ向かって開かれている。したがって、念仏者の人生は、まさに大乗の仏道を歩む堂々たる独立者の風貌を湛えているのである。

信心…阿弥陀如来の本願にめざめる心。

罪悪深重…如来に背き他を傷つける重い障り。

煩悩熾盛…欲望、憎しみ、怒りが激しく動いていること。

衆生…いのちあるもの。

【聞く】

「第一章」は、誓願ということ、浄土真宗のすべてを支える如来の誓願についての、親鸞聖人の了解が述べられます。先回の池田先生が紹介されていた章立てから言えば、「弘願信心章」という名前をつけることもできます。

そもそもの話で、誓願って、なに??ってこともあると思うので、辞典を引いてみます。

◆誓願…願を起こして、成し遂げようと誓うこと。仏や菩薩には、共通した願である総願と、仏・菩薩個々の願である別願とがある。浄土教では、特に阿弥陀仏の本願をさして誓願という。それは弘くすべてのものを救おうとする願い、誓いであるから、弘願、弘誓といい、あわれみの心が深く重いから重願といい、また不捨の誓約、本誓などともいう。誓願の救済力を誓願力といい、そのはたらきが凡夫の考えの及ばないものであるから誓願不思議という。親鸞の門下で、誓願の力で救われるか、名号の力で救われるかという論争をする者があったが、親鸞は誓願と名号とは同一であるとした(御消息集)。ただし存覚の名号不思議誓願不思議問答には、誓願不思議を他力中の他力、名号不思議を他力中の自力であるという。(『[新版]仏教学辞典』)

とあります。とりわけここでは阿弥陀如来の誓願のことを言われているわけですが、浄土真宗の根っこ、救済原理ですね。浄土真宗の大切な言葉として信心であったり、お念仏であったり色々ありますけど、その全体にはこの如来の誓願ということが流れているわけです。それは弘くすべてのものを救おうとする願い、誓いと書かれております。要するに、正確には阿弥陀如来の前身である「法蔵菩薩」が、「生きとしいけるすべてのいのちを救えなければ、自分は仏とはならない」と誓われた願ということです。そして、これは単に生きとしいけるものを救いたいという菩薩の一方的な愛の表現ではありません。苦しんでいるいのちを向こうに置いて、菩薩がそれを助けようとするのではない。苦しみ迷っているいのちと一体となって、つまり他人事ではなくして、いのち全体を救う。ここに、浄土真宗を浄土真宗たらしめる柱があるわけです。

ご法話では印象的だった話として、阿弥陀如来の本願は「えらばず、きらわず、みすてず」の心なんですよということをお話しいただきました。この「えらばず、きらわず、みすてず」という言葉は大谷専修学院元学院長の竹中智秀師の言葉でありますが、富樫先生は専修学院で学生をされていたとき、このことしか聞いていないんじゃないかというぐらい教えられてきた言葉だと言われておりました。それだけ大切な言葉だということですね。この言葉は、我々一人ひとりが尊い存在として、真実を求める存在として、我々のことを見つめてくださっている。そういった阿弥陀如来の心、摂取不捨という摂め取って捨てない阿弥陀の利益を、平易な言葉で表現しているわけです。ここには、私たち人間がお互いを尊重して出会っていくために必要なことが詰まっているように思います。

思えば、私たちの生活の中で「えらばず・きらわず・みすてず」の実践はとても困難でありましょう。何故なら、何処かしらで、人や物を選んだり、嫌ったり、見捨てて生きているから。「選んで、選り好みして、見捨てる」。口に出したとしても、出さなかったとしても、自分の経験や行動、思いの中では「えらばず、きらはず、みすてず」ということは成り立たないことばかりではないでしょうか。それは、こっちを立てると、あっちが立たないといった具合にいつもどちらかを選んでいるから起こるわけです。阿弥陀如来はそういった、生きとし生ける、悩み苦しむ一切の衆生を救いたいと願われた。その心というものが「えらばず、きらはず、みすてず」なのでしょう。誰一人としてもらすこともなく、皆、共に浄土に往生して欲しいという願いがここには託されているわけです。

そしてこの願いは、私たちを見捨てないという宣言でもあるのです。どうしても選んだり、嫌ったり、見捨てたりしてしまう、そういうことでしか生きていけず、傷ついていかざるをえない世界を私たちは生きているわけですが、如来の誓願がすでにあるのだということによって、どっしりと構えることができる。わかりやすい表現か最早わからないですが、つまり安心して迷うことができる。如来の誓願という大いなる大地に立たしめられているからこそ、人生の中でどれだけ動揺しても決して倒れることのない安心感があり、たとえ倒れたとしても本願の大地の上なんだ、という安心感があるわけです。
私たちはこの「えらばず、きらわず、みすてず」という阿弥陀如来の心を、実は本質的には持っているのかもしれません。皆、選んだり、嫌ったり、見捨てたりした時に、「これで良かったのか?どうしてあの時こういう判断をしたのだろう?」と後悔したり、悩んだりしないでしょうか。「えらばず、きらわず、みすてず」を出来ないでいる私たちに対して、阿弥陀如来が心の方から呼びかけてきている、とも考えられないでしょうか。
心の呼びかけに目を向けられないでいるのは日々の生活の中での自分の思い、分別があるからでありましょう。時々気がついたとしても、ずっとそちらに目を向けながら生きていくと言う事が難しく、気持ちの上では応えていきたいと感じるのだが、いつの間にか目を外してしまっている。けれども、心の方からの呼びかけに少しでも応えられた時、阿弥陀如来からの呼びかけというものにも、少しばかり気づく事ができるのではないかと感じます。私自身も自分の内面の呼びかけを大切に、応えて生きていけたら…。その本願のはたらきに出遇い、自らの在り方を見つめ直す時、縁によって支え合い、生かされている我が身の姿が見えてくるのではないでしょうか。

ご法話に心打たれている廣河の図。決して舟を漕いでいるわけではありません!

明日、8月28日(水)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第二章」をテーマに第19組明誓寺(新潟市南区)の当院であり、当別院の列座でもある田澤友生氏よりお話頂きます。どうぞお誘い合わせてお参りください。

 

2019年7月27日

「『歎異抄』に聞く」を聞く

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -序文-

7月に入りました。中旬までは涼しい気候でしたが台風の影響か、徐々に暑くなってきましたね。廣河です。はて、去年はこの時期何℃でしたでしょうか。

グエーッ 灼熱!!!

オシシ仮面もびっくりですな。ちなみに三条のこのときの平均気温は27.7℃

なんだ、案外低いじゃんと思うかもしれませんが、平年差が+3.4℃の時点でお察しです(というか上旬だけガクッと気温下がっただけで他はだいたい30℃超えだった)。廣河は暑さにやられてたのか、どうやって生活してたかちょっと思い出せません…。

年はどうなるんでしょうね。雪害も今年は少なめでしたが、こういうのは反動があるものだとどうしても考えてしまいます。大事なければ良いのですが。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第12回目です。6月28日(金)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、三巡目となりますが序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区18組長周寺(新潟市大原)の池田陽氏に、『歎異抄』「序文」を主題にご法話頂きました。

長周寺住職の池田氏。御本山にて本廟教導もされております。

『歎異抄』序文
【本文】※原文は漢文

竊かに愚案をめぐらして、ほぼ古今を勘うるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思うに、幸いに有縁の知識に依らずは、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。よって、故親鸞聖人の御物語のおもむき、耳の底に留まるところ、いささかこれをしるす。ひとえに同心行者の不審を散ぜんがためなりと、云々

【原文】

竊回愚案、粗勘古今、歎異先師口伝之真信、思有後学相続之疑惑。
幸不依有縁知識者、争得入易行一門哉。
全以自見之覚悟莫乱他力之宗旨。
仍故親鸞聖人御物語之趣、所留耳底聊注之。
偏為散同心行者之不審也。云々。

『歎異抄』端坊旧蔵永正本

【現代語訳】(今回池田さんより資料いただいているのでそれをそのまま載せております)

愚かながらひそかに聖人在生の昔と今を較べると、聖人が口ずから語った阿弥陀仏の誓願への真にして実なる信とは異なる教説がままみられることを悲しみ、後代の念仏者が真にして実なる信を受け伝えていけるかどうか心もとない。幸いにもすぐれた師に出逢うことがなければ、どうして念仏を称えるという易行門に入ることができようか。自己の勝手な理解によって阿弥陀仏のはたらきの本来の趣旨を乱してはならない。そこで故親鸞聖人が話された言葉のうち、耳の底に残っている趣旨の僅かばかりを書きしるす。心を同じくする念仏者の疑念をひたすら晴らさんがためである。云々。
【語註】

古今…親鸞聖人が、世におられた頃と、聖人亡き今日。

先師の口伝の真信…親鸞聖人の口から直接お教えいただいた、真実の信心。

後学相続の疑惑…あとの人が、信心を受け継いでいくときにおこる疑いや惑い。

有縁の知識…仏法の世界に導いてくださる大切な師。

易行の一門…本願を信じ、念仏する道。

自見の覚悟…仏法に依らない自分勝手な解釈。

他力の宗旨を乱る…本願の教えの大切な要を思い誤る。

【聞く】

さあ、『歎異抄』も一回りしまして最初に戻って参りました。ここから、御命日のつどいでは第三巡目になるわけですが、廣河は初めからではなく第八章から聞きはじめておりますので、第七章までは未知のゾーン。いよいよ初心を忘れずに、行住坐臥に、時処諸縁を嫌わないで聞いていきたいものです。

今回、池田さんより資料をいただいておりますので、それをそのまま掲載致します。以下原文

 

『歎異抄』の組織と内容

『歎異抄』は弟子唯円が師親鸞の教えと異なった邪説(異義)を歎き、それを糺すために親鸞から聞いた言葉を抜き出(抄出)して書かれたもので、大きく二部に大別される。前十章は親鸞自身が述べた語録であり、「師訓篇」といい、後八章は唯円が異義を歎き批判する「異義篇」(「歎異篇」)という。その後に信心一異の論争や唯円の述懐を記す「後述」(「後記」)がある。また専修念仏教団弾圧を記した「流罪記録」や蓮如の文である「奥書」がある。

 

組織を示すと次のようになる。

師訓篇(第一部)

序(漢文)

親鸞自身の語録(第一章から第十章まで)

異義篇(第二部)

唯円の異義を歎く言葉(第十一章から第十八章まで)

後述(後記)

流罪記録

蓮如奥書

 

師訓篇第十章は「念仏には無義~おほせそうらいき。」まで。

異義篇序「そもそもかの御在生のむかし~条々の仔細のこと。」まで。

 

異義篇第十八章は「仏法のかたに~同朋をいひおどさるるにや。」まで。

後述(後記)「右条々は~外見あるべからず。」まで。

 

歎異抄誕生 佐藤正英 説

親鸞の末娘、覚信尼の再婚相手、小野宮禅念との間に生まれた唯善が両親の死後、唯円門下に入った。

『最須敬重絵詞』にも「真俗に亘りてつたなからず、万事につけて才覚をたてられける人」と人となりがしるされるほどで、唯円の眼には、唯善は親鸞の全てを受け継ぐべき念仏者であると映った。唯善こそ長い間唯円が無意識裡に待っていた念仏者であった。唯円は、自己が親鸞から得た全てを唯善に注ぎかけた。念仏者となって間もない唯善の、稚い初歩的な疑問にも心を尽して丁寧に答えたと思われる。唯善に対するとき唯円の語り口はつい調子が高くなる。語っても語り尽せないもどかしさがついてまわる。余命いくばくもない衰残の自己をあらためて意識する。『歎異抄』を書き残そうという思念が唯円の内に萌したのはそのときであったのであろう。

『歎異抄』は、唯善との出逢いがなかったならばついに述作されることなく終ったのではなかろうか。『歎異抄』は不特定の念仏者に向けて漫然と書かれているのではない。「一室の行者」あるいは「同心行者」に宛てて述作されている。そのようにしるしたとき、唯円の念頭に思い描かれていたのは若き門弟唯善、そして唯善を核とするところの東国の念仏者たちであったのであろう。『歎異抄』はいわば唯善に宛てた書置き、すなわち遺書だったのではなかろうか。

原形復元の試み

異義条々

序 「そもそもかの御在生のむかし~条々の仔細のこと。」まで

唯円の異義を歎く言葉(第十一章から第十八章まで)

後述(後記)

歎異抄

序 「露命わづかに枯草~外見あるべからず。」まで。

漢文序

親鸞自身の語録(第一章から第十章まで)第十章は「念仏には無義~おほせそうらいき。」まで。

流罪記録

妙音院了祥『歎異鈔聞記』における章立ての内容。ちなみに了祥は江戸時代の教学者。

 

座談も白熱。そういえば、映画『歎異抄をひらく』が公開されておりますがみなさん観られましたか?廣河は倦怠と忙殺の海に流され、あんまり観る気も起きないですが、観てきた!って話は結構聞くのでどうなんかな~と思ってます。

明日、7月28日(日)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第一章」をテーマに第17組妙音寺(新潟市西区五十嵐三の町西)の富樫大樹氏よりお話頂きます。どうぞお誘い合わせてお参りください。

2019年6月27日

「『歎異抄』に聞く」を聞く

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く。-後序-

27日更新!ギリセーフってことで許してください。メチャクソ長いです、サーセン。

梅雨の時期、草木が青々と萌ゆり、虫も元気になっちゃって、廣河は萎え萎えです。皆さんいかがお過ごしですか。新潟では先日大きな地震もあってびっくりしちゃいましたが、廣河と三条別院は無事です。いつでもお見舞いにご来院ください。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第12回目です。5月28日(火)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は三条教区18組永傳寺(新潟市西蒲区漆山)の本多智之氏に、『歎異抄』「後序」を主題にご法話頂きました。

『歎異抄』-後序-

【本文】

右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか。

故聖人の御ものがたりに、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおおかりけるなかに、おなじく御信心のひとも、すくなくおわしけるにこそ、親鸞、御同朋の御なかにして、御相論のことそうらいけり。

そのゆえは、「善信が信心も、聖人の御信心もひとつなり」とおおせのそうらいければ、勢観房、念仏房、なんどもうす御同朋達、もってのほかにあらそいたまいて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、ひとつにはあるべきぞ」とそうらいければ、「聖人の御智慧才覚ひろくおわしますに、一ならんともうさばこそ、ひがごとならめ。往生の信心においては、まったくことなることなし、ただひとつなり」と御返答ありけれども、

なお、「いかでかその義あらん」という疑難ありければ、詮ずるところ聖人の御まえにて、自他の是非をさだむべきにて、この子細をもうしあげければ、法然聖人のおおせには、「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。別の信心にておわしまさんひとは、源空がまいらんずる浄土へは、よもまいらせたまいそうらわじ」とおおせそうらいしかば、

当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鸞の御信心にひとつならぬ御こともそうろうらんとおぼえそうろう。いずれもいずれもくりごとにてそうらえども、かきつけそうろうなり。

露命わずかに枯草の身にかかりてそうろうほどにこそ、あいともなわしめたまうひとびとの御不審をもうけたまわり、聖人のおおせのそうらいしおもむきをも、もうしきかきまいらせそうらえども、閉眼ののちはさこそしどけなきことどもにてそうらわんずらめと、なげき存じそうらいて、

かくのごとくの義ども、おおせられあいそうろうひとびとにも、いいまよわされなんどせらるることのそうらわんときは、故聖人の御こころにあいかないて御もちいそうろう御聖教どもを、よくよく御らんそうろうべし。おおよそ聖教には、真実権仮ともにあいまじわりそうろうなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人の御本意にてそうらえ。かまえてかまえて聖教をみみだらせたまうまじくそうろう。大切の証文ども、少々ぬきいでまいらせそうろうて、目やすにして、この書にそえまいらせてそうろうなり。

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(『観経疏』散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。

されば、かたじけなく、わが御身にひきかけて、われらが、身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきことをもしらずしてまよえるを、おもいしらせんがためにてそうらいけり。まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり。

聖人のおおせには、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめるほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそおおせはそうらいしか。

まことに、われもひともそらごとをのみもうしあいそうろうなかに、ひとついたましきことのそうろうなり。そのゆえは、念仏もうすについて、信心のおもむきをも、たがいに問答し、ひとにもいいきかするとき、ひとのくちをふさぎ、相論をたたかいかたんがために、まったくおおせにてなきことをも、おおせとのみもうすこと、あさましく、ばげき存じそうろうなり。このむねを、よくよくおもいとき、こころえらるべきことにそうろうなり。

これさらにわたくしのことばにあらずといえども、経釈のゆくじもしらず、法文の浅深をこころえわけたることもそうらわねば、さだめておかしきことにてこそそうらわめども、古親鸞のおおせごとそうらいしおもむき、百分が一、かたはしばかりをも、おもいいでまいらせて、かきつけそうろうなり。

かなしきかなや、さいわいに念仏しながら、直に報土にうまれずして、辺地にやどをとらんこと。一室の行者のなかに、信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄』というべし。外見あるべからず。


後鳥羽院御宇、法然聖人他力本願念仏宗を興行す。于時、興福寺僧侶敵奏之上、御弟子中狼藉子細あるよし、無実風聞によりて罪科に処せらるる人数事。

一 法然聖人並御弟子七人流罪、また御弟子四人死罪におこなわるるなり。聖人は土佐国番田という所へ流罪、罪名藤井元彦男、生年七十六歳なり。

親鸞は越後国、罪名藤井善信、生年三十五歳なり。

浄円房備後国、澄西禅光房伯耆国、好覚房伊豆国、行空法本房佐渡国、幸西成覚房・善恵房二人、同遠流にさだまる。しかるに無動寺之善題大僧正、これを申しあずかると

遠流之人々已上八人なりと

被行死罪人々。

一番 西意善綽房

二番 性願房

三番 住蓮房

四番 安楽房

二位法印尊長之沙汰也。

親鸞改僧儀俗名、仍非僧非俗。然間以禿字姓被奏問畢。彼御申状、于今外記庁納

流罪以後愚禿親鸞令書給也。

右斯聖教者、為当流大事聖教也。

於無宿善機、無左右不可許之者也。

釈蓮如御判

【私訳】

右にかかげた八ヵ条(第十一章~十八章)の意義は、真実の信心に異なることから起こってきたものであろうか。

いまは亡き親鸞聖人は、かつてこのようなことを話されていた。法然上人がご在世のとき、弟子はたくさんおられたが、その一方で真実の信心に生きるひとは少なかったので、私(親鸞)は、同門のひとたちの間で、信心についての論争をしたことがあった、と。

というのは、親鸞聖人が「私(善信)の信心も、法然上人のご信心もひとつである」とおおせられたところ、勢観房や念仏房などという同門の人たちが、意外なほどに語気を強めて反論し、「どうして法然上人のご信心と善信房の信心が一つであろうか」といわれたので、「法然上人の知恵や学識が広く優れておられるのに、もしそれと私がひとつだというのであれば、それこそまったくの心得違いであろう。しかし往生の信心にあっては、まったく異なることはない。ただひとつである」とお答えになったけれども、それでもなお、「どうしてそのようなことがいえるのだろうか」という疑いや非難があったので、結局、それでは法然上人の前で、自分と相手のどちらの主張が正しいかを決めることになり、詳しい事情を申し上げたところ、法然上人は「源空(法然)の信心も、如来からいただいた信心である。また善信房(親鸞)の信心も、如来からいただかれた信心である。だから、まったくひとつなのだ。もしこの信心と異なる信心の方は、源空が参ろうとしている浄土へは、よもや往くことはないだろう」とおおせになられたのである。

だから昨今の、ひたすら念仏のみに生きるひとの中でも、親鸞聖人の信心とひとつではないということもあるだろうと思われる。どれもみな同じことの繰り返しではあるけれども、書きつけたものである。

露のようにはかないいのちが、枯れ草のように老いさらばえたこの身に、わずかに残っている間に、共に連れ立って念仏の教えを歩まれた方々の疑問をもお聞きし、親鸞聖人の教えられた教えを、お話してお聞かせすることもあろうが、この私の目が閉じた後は、さぞかし様々な考えが入り乱れ、混乱することになるであろうと歎かわしく思われてならない。

また、このような議論などを言い合っている人々の中において、もしそのようなことで迷わされるときには、今は亡き親鸞聖人がお心に適って用いられたお聖教などを、よくよくご覧になるが良い。およそ聖教には、真実がそのまま説かれた部分(真実)と、真実に導きいれるために説かれた部分(権仮)とが混じり合っているのである。その中から権仮の部分を差し置いて、真実の部分を用いることこそが、親鸞聖人の御本意なのである。どうかくれぐれも、聖教を読み誤らないように注意していただきたい。そこで証拠となる大切な証文などを少々抜き出して、わかりやすいかたちで、この書に添えさせていただくことである。

親鸞聖人が常々おおせになっていたお言葉に、「阿弥陀仏が、五劫もの長い間、思いをめぐらして建てられた本願を、よくよく考えてみると、それはただ、この親鸞一人をお救いくださるためであった。思えば、この私はそれほどに、重い罪を背負う身であったのに、救おうと思い立ってくださった、阿弥陀仏の本願の、なんともったいないことであろうか」と、しみじみお話になっておりましたことを、改めて考えてみると、善導大師の「我が身は、現にこれ、罪深く迷いの多い凡夫であり、永遠の昔から、常に苦悩の海に沈み、常に生死の迷いに流転して、ついにこの闇から抜け出る手がかりのない身である、と知れ」という、あの尊い不滅の言葉と少しも異なったところがない。

このように受け止めてみると、もったいないことだが、親鸞聖人がご自身を通して、私たち自身の罪悪の深いことを知らず、また如来の御恩の深いことをも知らずに迷っていることを、思い知らせようとするためだったのである。まことに私たちは如来の御恩ということを少しも問題にすることもなく、誰もかれもお互いに、善いとか悪いとかということばかり言い合っている。

親鸞聖人のおおせには「何が善であり、何が悪であるのか、私はまったく知らない。その理由は、如来が知っているほどに善を知っているのであれば、私は善を知っているとも言えよう。また、如来が知っているほどに悪を知っているのであれば、私は悪を知っているということもできよう。しかし、あらゆる煩悩が具わっている私たち、そして、まるで燃え盛る家のように激しく移ろいやすいこの世界は、すべてが嘘偽りや絵空事であって何一つ真実はない。ただ南無阿弥陀仏だけが真実なのである」と。

私も人も、つくづく虚言ばかりを言い合っている中で、一つ殊に痛ましいことがある。というのは、念仏するについて、信心のありようを互いに議論したり、人に説き聞かせるとき、人の口を塞いで論争に勝とうとするために、まったく親鸞聖人の語られなかったことを、これぞ聖人のお言葉であると主張する者がある。これは、なんとも浅ましく歎かわしいことである。このことをよくよく了解し、心得ていただかねばならない。

以上、述べてきたことは、決して私の勝手な言説ではないが、経典や注釈書に書かれた筋道も知らず、教説の浅深をも心得ていない私なので、きっと理解のあやしいところがあるかもしれない。しかしながら、今は亡き親鸞聖人の語られた教えのほんの一端を、思い出して書きつけたものである。

まことに悲しいことではないか、幸いにも念仏しながら、直ちに真実の浄土へ生まれずに、方便の辺地にとどまることは。同じ念仏の教えに集う求道者の中に、信心が異なることのないように、泣く無く筆をとってこれを記した。名付けて『歎異抄』という。無闇に人に見せるものではない。


後鳥羽上皇のご治世の頃、法然上人が他力本願念仏を宗とする教えを世に広められた。そのとき、興福寺(奈良)の僧侶たちが敵視して朝廷に上訴した。法然上人の弟子たちの中に、無法な振る舞いをしたという、事実無根の噂により処罰された人々の数は、次の通りである。

一、法然上人とその弟子たち七人は流罪。また四人の弟子たちは死罪に処せられた。法然上人は、土佐の国(高知県)の番田というところへ流罪。罪人としての名前は藤井元彦、男などとあり、年齢は七十六歳であった。

親鸞は越後の国(新潟県)へ流罪。罪人としての名前は藤井善信、などとあり、年齢は三十五歳であった。

浄円房は備後の国(広島県)、澄西禅光房は伯耆の国(鳥取県)、好覚房は伊豆の国(静岡県)、行空法本房は佐渡の国(新潟県)。幸西成覚房と善恵房の二人は、同じく流罪に決定されたが、無動寺の前の大僧正(慈円)が申し出て、二人を預かることになったという。

流罪に処せられた人は八人であり、

死罪にされた人々は、

一、西意善綽房

二、性願房

三、住蓮房

四、安楽房であった。

これは二位の法印尊長の裁定で行われた。

親鸞は僧の身分を捨てさせられ罪人としての名前を与えられた。これによって「僧に非ず俗に非ず」と宣言されたのである。このようなことで、「禿」の字を姓として朝廷に申し出て認められた。そのときの上申書は外記庁に納められている。流罪以後、愚禿親鸞と名のられたのである。

この聖教は、当流ではとても大切な聖教である。

宗教的感性の未だ育っていない者には、無闇に勧めるべきではない。

釈蓮如(花押)

【語註】

「二種深信」…善導大師の『観経疏』散善義の中に、「深心」についての解釈として展開されている信仰理解である。善導大師は『観経』において、往生を願う者が必ず起こすべき心として説かれる、「至誠心」「深心」「回向発願心」の一つ「深心」について、これを「深信の心」と捉え、その内容を「機の深信」と「法の深信」という「二種深信」として理解した。『歎異抄』では、先師の口伝の真実信心の自覚内容を、一貫してこの二種深信として了解している。ただし、この機の深信は、決して絶望ではない。「罪悪深重」「煩悩具足のわれら」という我が身の信知は、本願力に乗託して往生の一道に立つという法の深信に目覚めたとき、初めて知られる我が身の姿である。

真剣な眼差し…聴衆の中には今月の17日より別院の非常勤職員として新しく入っていただいた田澤さんの姿が!

【聞く】

この条はいわゆる後序と呼ばれる箇所で、歎異抄の今まで述べられてきた各条を総括する意味を持っています。

これまでの各条に比べ非常に長い文章ですし、抱える問題も色々指摘されております。内容は大きく以下のように分けることができますが、これも本来分けて良いもんなのかわかりません。

① 信心同一の争論(故聖人の御ものがたりに~)

② 親鸞一人を救う(聖人のつねのおおせには~)

③ 善悪不知(聖人のおおせには~)

④ 流罪記録(後鳥羽院御宇~)

⑤ 蓮如上人の注意書き(右斯聖教者~

ただ、私がわかりやすいのでこのように記しております。しかし本来的には、後序だけでなく歎異抄全体の内容が、それぞれで連関し合っているものとみるべきだと思います。バラバラでいっしょ。

今更なんですが、正直この重厚な内容を一時間で話せって、中々無茶なお願いだったんじゃと思います。本多先生からも提案ありましたが、次回後序を読むときには後序だけでも何回かに分けるべきですね。でないと、概要説明だけで会が終わってしまいます。反省。

今回のご法話では、後序を広範囲に概説いただいた感じでしたが、とりわけ私の中で印象に残った内容を書きます。

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ

私たち、「自業自得」という因果の道理の言葉は、多分すんなり頭に入って、納得する方も多いんじゃないかと思います。善い事をすれば良いことが起こる、悪い事をすれば悪い事が起こるといった具合に。でも、例えば私なんかは、普段の生活を思い返して点検してみると、どうでしょうね。ろくなことしてないなあ…なんて思うわけです。そのろくなこととは、世間的なこと、ではありません。仏道の視点からみて、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちるようなことしかしてないということ。にも関わらず、皆そうでしょうと。俺だけじゃないじゃんと思ってしまう。貪り、嗔り、しかもそれを悪びれない愚かさをもった私。なおかつ、人生で躓いたり色んな苦しいこと辛いこと、この人生虚しいなあと思うこともある。そして、困ったときの神頼みと言うけれど、我々は、本当に困らないと、神仏に救いを求めたりしない。それまではのんきに、自分勝手に生きてるんだけども、どうしようもない壁にぶつかることが必ずある。仏教ではそれを生死という言葉で表現する。生まれたからには、死んでいかねばならない。そうやってもがきながら生きている事実があるけども、普段はのんきに生きている。そしてまた躓いたときに、なんで俺ばっかりこんな目にあうんだ、なんで俺ばっかりこんな辛いんだ、おかしいじゃない、あいつはあんな、楽してたり楽しそうだったり、なんでなんだ、って根性が出てきたりするし、私の人生なんだったんだと、仕事、あるいは家族のために、自分の時間費やしてきたのに、なんにもならんかったじゃないかと。そういった憤りが普段から起こってしまう。でもそれを気づかないふりして…エンドレス。そういった自身の持つ闇、事実の全体が、阿弥陀の智慧の光によってはっきりと浮き彫りにされる。それが、次に続く善導和尚の文章でしょう。

自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ

この文章は、古来より「機の深信」(※語註の「二種深信」参照)として浄土真宗の信仰では大切に扱われてきた言葉です。「法の深信」と合わせて「二種深信」。どちらも善導和尚の『観経四帖疏』「散善義」にある言葉です。ちなみに後序にはのってないですが「法の深信」は次の通り。

かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力の乗じて、定んで往生を得と信ず

だいたい訳的には「阿弥陀如来の四十八願は、私たちを救い取って下さると、なんの疑いもなく、慈悲の力にすべてを任せて、必ず浄土へ往生することができると信じる」といった感じだと思います。

これらの言葉、それぞれエッジが鋭いですが、「機の深信」は、まったく絶望的な言葉ですよね。生まれる前、はるか昔から、迷いの世界に生まれ変わり死に変わりして、救いの出口がない身と知れだなんて。お前(わたし)は絶対に救われないんですよと言っているわけです。しかし「法の深信」は、阿弥陀如来が必ず私を救いとってくださると信じること。なんだか矛盾しているように見えますな…。

ちなみに浄土真宗の仏教者、曽我量深は、二種深信について

二種深信といっても、二つならべるものではなく、もとは法より機を開き、機の中に法をおさめた『歎異抄聴記』

と述べられています。「機の深信」は絶望を述べているわけではなく、まったく救いの手がかりがない自分だと深く頷くのは、阿弥陀の慈悲に照らされたときなんだと。自分自身を反省して、自分はなんてどうしようもなく救いのない人間なんだと、考えた表現ではありません。あくまで「法の深信」に照らされたときの表現が「機の深信」なのでしょう。また曽我量深は、

二種深信の開顕においては機の深信が眼目である『歎異抄聴記』

とも述べています。つまり、「機の深信」の表現が生まれるのは、「法の深信」に裏打ちされているからなんですよと。後序に「法の深信」は書かれていませんが、「機の深信」を生み出す背景に「法の深信」があるわけです。救いから一番遠い存在が「機の深信」の表現なわけですが、それをこそ救おうとするのが阿弥陀如来の慈悲です。救いの手がかりが少しでもあるのであれば、わざわざ阿弥陀如来が手を差し伸べる必然性はない。救いの可能性がゼロだから、阿弥陀の救いが発動するわけです。だから矛盾しているわけではなく、表裏一体と見るべきなんですね。

親鸞聖人、この善導和尚の文章を読まれて、涙を流されたんじゃないでしょうか。自己意識よりも深いところにある根源的な自身の闇が、阿弥陀の智慧の光によって徹底的に映し出されていく。それは換言すれば、促されてくる阿弥陀の慈悲によって、自分という人間を受けとらせていただくということです。

思えば私たちは、凄惨な事件や筆舌に尽くしがたい出来事があったとしても、それがテレビとかラジオの報道で、遠い地域でもあれば、まるで他人事のように受け取ってしまうこと、ありませんか。自分じゃなくて、私の知っている大切な人たちじゃなくて良かったと。ああ、痛い痛いな、って。でも、以前十三章でも触れましたが、自分がいつ、大切な人がいつ、そういった出来事に遭う、もしくは起こすかなんて、わからない。けど、縁によっては起こりうるんです。「親鸞一人がためなりけり」という言葉には、縁によってはどんなことでもしてしまう、どこまでも救われない自分のような存在が救われたのだから、この世に救われないものは一人もいないのだという感情が込められているように思います。そして、そんな無常な世界を生きている私たちだからこそ、赤の他人の痛みがそのまま自分の痛みとして受け止められて、一緒に泣いていける、それこそ、誰かの痛みじゃなくて、自分の痛みなんやと。親鸞聖人はお念仏を通して、一人称で泣いていけるような、そういった関係性のある世界が、阿弥陀の智慧に照らされ、慈悲に促されることによって、みえていったんじゃないでしょうか。そのまま、私が私でよかったと思う心と共に。

 

髙田駐在と、三条教区に新しく赴任した、西村駐在も聴聞に!

さらには事務見習いとして本山から研修で来ている大山我聞さんの姿も!ニューフェイスのバーゲンセールか!!

前の記事でもご案内しましたが、明日6月28日(金)の御命日のつどいでは、『歎異抄』最初に戻りまして「序文」をテーマに第18組長周寺の池田陽氏よりお話頂きます。どうぞお誘い合わせてお参りください。

 

2019年5月29日

「『歎異抄』に聞く」を聞く

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く。-第十八章-

自身の怠惰と事務に忙殺され、更新が遅くなりました💦お許しください。

5月に入り、新緑のさわやかな時期になったのもつかの間、連日夏を先取りしたような暑さ…北海道では39℃超!?あ…あ”つ”い”…。皆さんいかがお過ごしでしょうか。廣河は早くも夏バテ気味で、らーめん京さん(別院近隣の中華屋さん)が冷やし中華、年中提供で良かった!と麺を噛みしめています。不安定な気温、皆さんも体調にお気をつけて…。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第11回目です。4月28日(日)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は三条教区17組真敬寺(新潟市西区坂井)の藤田淳宏氏に、『歎異抄』「第十八章」を主題にご法話頂きました。

『歎異抄』第十八章

一 仏法のかたに、施入物の多少にしたがいて、大小仏になるべしということ。この条、不可説なり、不可説なり。比興のことなり。まず仏に大小の分量をさだめんことあるべからずそうろうや。かの安養浄土教主の御身量をとかれてそうろうも、それは方便報身のかたちなり。法性のさとりをひらいて、長短方円のかたちにもあらず、青黄赤白黒のいろをもはなれなば、なにをもってか大小をさだむべきや。念仏もうすに化仏をみたてまつるということのそうろうなるこそ、「大念には大仏をみ、小念には小仏をみる」(大集経意)といえるが、もしこのことわりなんどにばしひきかけられそうろうやらん。かつはまた檀波羅蜜の行ともいいつべし。いかにたからものを仏前にもなげ、師匠にもほどこすとも、信心かけなば、その詮なし。一紙半銭も、仏法のかたにいれずとも、他力にこころをなげて信心ふかくは、それこそ願の本意にてそうらわめ。すべて仏法にことをよせて、世間の欲心もあるゆえに、同朋をいいおどさるるにや。

【私訳】

寺院や僧侶へ差し出す金品の額に応じて、大きな仏ともなり、小さな仏ともなると主張することについて。このような主張は、もってのほかであり、卑劣なことである。まず、人間が仏の大小を決めることなどあってはならないことではないか。阿弥陀如来の身体の大きさが経典に説かれてはいるが、それは人間が感じられる形で譬喩的に表した姿なのである。真実のさとりを開いた仏は、長い、短い、四角い、円いという形態や、青・黄・赤・白・黒という色彩をももたないのであるから、どうしてその大小を決定できようか。念仏すると、仏の姿を観られるということがあるが、「大きな声で称えれば大きな仏が観られ、小さな声で称えれば小さな仏が観られる」と経典に説かれている。この経典にこじつけて主張されているのであろうか。さらに、このことはまた布施行を主張しているということができる。どれほど財宝を仏前に供え、師匠に施したとしても、信心が欠けていれば、まったく無意味なことである。たとえ紙一枚、銭半銭を差し出さなくとも、他力にすべてをまかせ、信心が深ければ、それこそ阿弥陀の本願のこころに叶うことである。総じて仏法にことを寄せて、俗世の欲望があるものだから、このように共に念仏の教えに生きるひとびとをおびやかすのであろうか。

【語註】

仏法のかた…寺院・道場・僧侶など。

施入物…寄進されたもの。

大小仏…大きい仏や小さい仏。仏身の大小により、仏の位が示される。

不可説…もってのほか。言語道断。

比興…根拠のないこと。意味のないこと。

安養浄土…身心を安らかにはぐくむはたらきとしての、阿弥陀如来の浄土。

教主…阿弥陀如来のこと。

方便報身…色も形もない真実そのものである如来が、人間を救うはたらきを示した姿。

化仏…念仏する心に思い浮かべられる仏の姿。

大念…強く仏を念ずること。

ことわりなんどにばし…道理などに。この説に。「ばし」は意味を強める接尾語。

ひきかけ…かこつける。こじつける。

壇波羅蜜の行…ほどこしをもって、さとりの世界に至ろうとする実践行。壇はダーナ(ほどこし)、波羅蜜はパーラミター(到彼岸)のこと。

ことをよせて…かこつけて。

 

第十八章は、「寄付の多少によって、受ける果報が違う」という見解を批判する、ということに焦点があります。こういった発想は、現代でも多く見られるのではないでしょうか。『歎異抄』では施入物の大小によって仏と成るときの大きさが決まるということを批判されています。現代ですと成仏のときの大きさよりも、むしろ仏と成れるかどうかに視点があるように思いますけども。布施行といった意味を抜きにしても、例えば日常の中で、誰かに何かをするとき、これだけしたのだからこれぐらいのお返しがあるだろう…と期待をこめて行うこともままあることではないでしょうか。そして期待に応えられなければ怒りの感情が芽生えてしまったり。反対に、全然何もしてあげれんかったなあと思うことでも、思いがけず大きなお返しがあったり…。思い通りにいくことはまずないわけです。

仏道に帰し歩むにあたって、成仏することを念頭に置くことがまず第一義にあるわけですが、とりわけ浄土真宗においては、「十八章」本文にもあるように「他力にこころをなげて信心ふかくは、それこそ願の本意にてそうらわめ」、つまり念仏申さんと思い立つこころ、信心が肝要であります。だから、ここでどれだけお布施をしただとか、お念仏をしたのだと言っても、「いかにたからものを仏前にもなげ、師匠にもほどこすとも、信心かけなば、その詮なし」と『歎異抄』の著者もバッサリ両断してますね。お布施の量は関係ないのです。

ご法話では、様々な切り口で「十八章」について話されていました。特に印象に残ったお話としては、法然上人の『選択本願念仏集』の第三章の言葉、

念仏は易きが故に一切に通じ、諸行は難きが故に諸機に通ぜざることを。しかれば則ち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨て易を取りて、本願としたまふか。もしそれ造像起塔をもって本願となしたまはば、則ち貧窮困乏の類は、定んで往生の望みを絶たん。しかるに富貴の者は少なく、貧賤の者は甚だ多し。もし智慧高才をもって本願となしたまはば、愚鈍下智の者は、定んで往生の望みを絶たん。しかるに智慧の者は少なく、愚痴の者は甚だ多し。もし多聞多見をもって本願となしたまはば、少聞少見の輩は、定んで往生の望みを絶たん。しかるに多聞の者は少なく、少聞の者は甚だ多し。もし持戒持律をもって本願となしたまはば、破戒無戒の人は、定んで往生の望みを絶たん。しかるに持戒の者は少なく、破戒の者は甚だ多し。自余の諸行、これに準じてまさに知るべし。(『真宗聖教全書 一、三経七祖部』九四四頁)

を引かれておりましたが、例えばお布施であったりとか、写経であったりとか、するのは全然構わない。大事な行である。けれども、それはできる人ができるときにする行であると。それで救われるか、救われないのかは決まらない。往生ということに、全く関係がない。なぜなら、皆が皆できることではないから。そういったことを阿弥陀様が私たちに課せるわけがないと。頑張った人だけが救われるのであれば、頑張れない人はいつまでもいつまでも、お浄土を生きれない。念仏申さんと思い立つこころ、信心のみが肝要であって、施入物の大小は問題ではない。ではなぜ、私たちは大きさ小ささ、やったやらない、できるできないにこだわるのかといえば、自分を立てる、誇るということが、私たちの性質としてある。負けていける人生なんて、生きたいと思えない。どうしたって自分を他者と比べて、優位に立ちたい。たとえ、仏教をその道具に使ったとしても。施入物の大小が、仏の大小につながると考えてしまうその根底には、そういった人間の相対分別の心が如実に表れているように思います。

 

余談ですが、本文でも述べられていますが、本来仏さまに大きさの概念はありません。阿弥陀如来の身体の大きさが『観無量寿経』の「真身観(阿弥陀如来の身体を観察する章)」において

無量寿仏の身は百千万億の夜摩天閻浮檀金色のごとし。仏身の高さ、六十万億那由他恒河沙由旬なり。眉間の白毫は、右に旋りて婉転して、五須弥山のごとし。仏眼は四大海水のごとし、青白分明なり。身のもろもろの毛孔より光明を演出す。須弥山のごとし。(『真宗聖典』一〇五頁)

と具体的に仏の大きさが示されているのは、前回第十七章でもふれましたが、我々衆生にわかりやすいように(全然イメージつきませんが)方便としての仏身を表しているわけです。那由多は10の60乗、恒河沙は10の52乗、由旬は約7kmと言われています(諸説あります)。もはや宇宙規模。こういったところから、釈尊の考える宇宙観というのが見えてきそうですね。

5月28日(火)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「後序」をテーマに第18組永傳寺の本多智之氏よりお話頂きました。執筆中です(汗)。

6月28日(金)の御命日のつどいでは、『歎異抄』最初に戻りまして「序文」をテーマに第18組長周寺の池田陽氏よりお話頂きます。どうぞお誘い合わせてお参りください。

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