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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
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「『歎異抄』に聞く」を聞く

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く。-第十七章-

この記事は12月28日(月)にお勤まりになった宗祖御命日日中法要と、その後の御命日のつどいの記録です。『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は專行寺(長岡市中沢)の木村 邦和 氏に、『歎異抄』「第十七章」を主題にご法話頂きました。

專行寺(長岡市中沢)の木村 邦和 氏


『歎異抄』「第十七章」

【本文】

一 辺地の往生をとぐるひと、ついには地獄におつべしということ。この条、いずれの証文にみえそうろうぞや。学生だつるひとのなかに、いいいださるることにてそうろうなるこそ、あさましくそうらえ。経論聖教をば、いかようにみなされてそうろうやらん。信心かけたる行者は、本願をうたがうによりて、辺地に生じて、うたがいのつみをつぐのいてのち、報土のさとりをひらくとこそ、うけたまわりそうらえ。信心の行者すくなきゆえに、化土におおくすすめいれられそうろうを、ついにむなしくなるべしとそうろうなるこそ、如来に虚妄をもうしつけまいらせられそうろうなれ。

【語註】

・辺地(へんじ)…念仏しながらも本願を疑い、自力をたのむ人の生まれるところ。

・学生だつるひと…学者ぶるひと。

・つぐのいて…つぐなって。

・化土…念仏しながら自力をはなれられない人の生まれるところ。真実報土に対して方便化土。

・虚妄を…うそいつわりを言われたようにしてしまうことになるのです。

【現代語訳】

辺地(浄土のほとり。方便の浄土。化土)に往生する人は、結局は地獄に堕ちることになるということについて。

このことは、どこにその証拠となる文があるのでしょうか。あるはずがありません。しかもこれは学者ぶった人の中から言い出されたことのようですが、あきれた話です。経典や論書、祖師方の書かれたものをどのように読まれているのでしょうか。

信心が不十分な念仏者は、阿弥陀仏の本願を疑うことがあるので、まず辺地に往生して疑いの罪をつぐなった後に、真実の浄土においてさとりを開くとうかがっております。本願を信じて念仏する者が少ないので、方便の浄土に多くのものを勧めているのです。ですから、辺地に往生した人は結局地獄に堕ちることになるなどと言えば、辺地の往生が結局意味の無いことであるということになりますので、それでは浄土の教えをお説きくださった釈尊が嘘を言っておられることになるのです。

【聞く】

第十七章の主題は、「辺地に往生する人は、最後には地獄におちる」という主張を正すということにあります。辺地とは浄土のはじっこ、片ほとりと表現され、念仏しながらも本願を疑い、自力をたのむ人の生まれるところとされています。『歎異抄』の著者は、信心が不十分な念仏者はそこで疑いの罪をつぐない、その後に浄土の中央、真実の浄土にて、さとりを開くことを経典や祖師たちからうかがったと述べています。ところが、学者ぶった人が「辺地に往生する人は、最後には地獄におちる」と主張していたために、この第十七章が開かれていきます。

今回木村氏からは、主題からは少し離れますが、辺地と呼ばれる方便の浄土について、詳しくお話いただきました。辺地は「信心の行者すくなきゆえに、化土におおくすすめいれられ」ているのだと述べられているように、多くの人が方便の浄土に勧め入れられると言われます。それは念仏をいただく身からすれば、無視できない表現といえます。「浄土」を考えるときに非常に重要であると木村氏は言われました。

そこでまず、辺地のほか、方便化土とひとくくりで説明されることの多い懈慢・疑城・胎宮について、どのような意味合いがあるのかを確かめられました。本山が出版している『歎異抄』の脚注にはそれぞれ、「辺地とは、真実の浄土のほとり懈慢は、怠惰の心で、幸福の実現を求めている世界疑城胎宮は、仏智のはたらきに心暗い人が生まれていくとされる世界で、実は仏法に遇えない様を表している。いずれも本願を疑う心のままに、しかも浄土に生まれたいという心によって願われている世界。これを真実報土に対して方便化土という。(二一頁)」と述べられています。

続いて、「辺地」「懈慢」「疑城」「胎宮」について、どういった文脈の中で出てきている言葉なのか、経典や『歎異抄』の他の章、親鸞聖人の主著『教行信証』や和讃などから、それぞれ丁寧に確認されました。広範にわたったので、いただいた資料をもとに記事の下部に脚注を付しますので、ご参照ください。それぞれがどのような違いがあるのかは研究中とのことです。

この辺地ということ、仮の浄土は、真実の浄土とどのような関係性があるのか。これが木村氏の一貫した問いでした。確認した多くの文献は、切り口や方向性は違いますが、聞法の生活を妨げるものがそこにあることを、それらは教えています。

これらはひとえに阿弥陀仏の本願を疑う疑心と、どれだけ阿弥陀仏からの呼びかけがあっても、自分が理解しない限り納得しないという慢心であり、そういうことを様々な表現で伝えられているのだろうと木村氏は述べます。分類すれば、疑いの心は疑城・胎宮として『無量寿経』(『大阿弥陀経』)に説かれ、慢心は怠惰、懈慢として、『菩薩処胎経』に説かれます。典拠によって聞法を妨げるものの捉え方が違いますが、いずれにしろ、それらが仮の浄土が開かれてくる機縁となっていきます。

そうやって、疑心をもちながら、むしろ疑いをきっかけに開かれてくるのが仮の浄土です。反対に、阿弥陀仏の浄土、真実の浄土は、阿弥陀仏を中心とし、今現在説法(こんげんざいせっぽう)が常に行われ、そこにいる人は説法が常に聞こえる場所だと押さえます。そして、疑心があるから辺地に生まれるのでなく、むしろ、真実の浄土のど真ん中にいても、疑心によって阿弥陀仏の説法が聞こえてこない。自分の頭で納得できないことは、わかろうとしない。そういうことを場所的に表現し、中央と辺地として表現したのではないかと述べられ、法話をまとめられました。

廣河が木村先生の話から聞き取ったこととして、仏教に対する疑いの心や慢心によって、かえって仏教に向かわせしむるはたらき、真実に触れるきっかけを、阿弥陀仏の本願力回向としていただいているのではないかということが言えます。真実は換言すれば、空、悟り、涅槃と言っても良いでしょう。しかし、真実は空である、悟りであると言われても、イメージすることは難しく、理解できません。例えば親鸞聖人の著作『唯信鈔文意』には「法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。(『真宗聖典』五五四頁)」と述べられるように、阿弥陀如来のすがたは、どこかに実際にある存在ではなく、色もなく触れることもできず、心で想像したりそもそも言葉で表現することもできないと言われています。けれども、それだと阿弥陀仏と人間との関係性、救いが成り立ちません。私たちは、目に見えるもの、手に触れるものは信じやすいけれども、目に見えない、触れないものは、信じたくとも、なかなか信じることができないように思います。まして、まったく想像もできないような存在だと言われては、念じたり、手を合わせることもできないでしょう。だからこそ、具体的な救いのイメージが必要になってくるのだと思います。そういうところから、あえて表現した浄土が方便化土であり、「辺地」「懈慢」「疑城」「胎宮」なのだと考えられます。

また、「辺地」「懈慢」「疑城」「胎宮」と、あえて言葉を分けているのは、親鸞聖人がそれぞれ厳密に言葉を分けて考えている可能性があるということが一つ言えます。例えば親鸞聖人著作『愚禿鈔』には「弥陀の化土について二種あり。一に疑城胎宮、二には懈慢辺地。(『真宗聖典』四二八頁)」と、化土について疑城胎宮と懈慢辺地とを分けて理解されています。その使い分けの根拠はまだわかりませんが、真実とどれだけ離れているか、あるいは迷いの段階についてかなど、あえてその言葉を使われる理由があるのではないかと考えられます。

いずれにせよ、方便の浄土「辺地」を中心に、その用例から、親鸞聖人がどのようにそれぞれの言葉を取り扱っているかまで、詳しくお聞きしたところです。


【脚注】(木村氏の法話資料より)

○『歎異抄』「第十一章」

つぎにみずからのはからいをさしはさみて、善悪のふたつにつきて、往生のたすけ・さわり、二様におもうは、誓願の不思議をばたのまずして、わがこころに往生の業をはげみて、もうすところの念仏をも自行になすなり。このひとは、名号の不思議をも、また信ぜざるなり。信ぜざれども、辺地懈慢疑城胎宮にも往生して、果遂の願のゆえに、ついに報土に生ずるは、名号不思議のちからなり。これすなわち、誓願不思議のゆえなれば、ただひとつなるべし。

○『歎異抄』「第十六章」

くちには願力をたのみたてまつるといいて、こころには、さこそ悪人をたすけんという願、不思議にましますというとも、さすがよからんものをこそ、たすけたまわんずれとおもうほどに、願力をうたがい、他力をたのみまいらするこころかけて、辺地の生をうけんこと、もっともなげきおもいたまうべきことなり。

○『歎異抄』「後序」

かなしきかなや、さいわいに念仏しながら、直に報土にうまれずして、辺地にやどをとらんこと。一室の行者のなかに、信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。

○「疑城」の用例は、大正大蔵経SATによると、お経としては、『大阿弥陀経』巻下(王日休、『仏説無量寿経』の異訳)に以下の1例があるのみ。

「然歡鳴當此之時莫不喜悦咸得過度疑城胎生分第五十三佛告彌勒汝見彼刹」

また、浄土系論書としては宗暁の『樂邦文類』に5例あり、『盧山蓮宗寶鑑』(普度)に2例、『廣弘明集』に1例、『辯正論』に1例ある。

○『教行信証』化身土巻冒頭の御自釈

謹んで化身土を顕さば、(中略)土は『観経』の浄土これなり。また『菩薩処胎経』等の説のごとし、すなわち懈慢界これなり。また『大無量寿経』の説のごとし、すなわち疑城胎宮これなり。(『真宗聖典』三二六頁)※ただし「疑城」の語は、『大無量寿経』には無く、異訳である『大阿弥陀経』にある)

○『愚禿鈔』巻上

二出とは、一には堅出 聖道、歴劫修行の証なり。二には横出 浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり(『真宗聖典』四二五頁)

弥陀の化土について二種あり。一に疑城胎宮、二には懈慢辺地。(『真宗聖典』四二八頁)→疑城胎宮と懈慢辺地を分けて理解されている。

○『教行信証』化身土末巻に『往生要集』所引の『群疑論』を引いて、述べる。

首楞厳院の『要集』に、感禅師(懐感)の『釈』(群疑論)を引きて云わく、「問う、『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方この閻浮提を去ること十二億那由他に懈慢界あり。乃至 意を発せる衆生、阿弥陀仏国に生まれんと欲する者、みな深く懈慢国土に着して、前進んで阿弥陀仏国に生まるることあたわず。億千万の衆、時に一人ありて、よく阿弥陀仏国に生ず」と云云。この経をもって准難するに、生を得べしや。答う、『群疑論』に善導和尚の前の文を引きてこの難を釈して、また自ら助成して云わく、「この『経』の下の文に言わく、「何をもってのゆえに、みな懈慢に由って執心牢固ならず」と。ここに知りぬ、雑修の者は「執心不牢の人」とす。かるがゆえに懈慢国に生ずるなり。もし雑修せずして専らこの業を行ぜば、これすなわち執心牢固にして、定めて極楽国に生まれん。(『真宗聖典』三三〇頁)

○『愚禿鈔』巻下末尾

おおよそ心について二種の三心あり。一には自利の三心、二には利他の三心なり。また二種の往生あり。一には即往生、二には便往生なり。

ひそかに『観経』の三心往生を案ずれば、これすなわち諸機自力各別の三心なり、『大経』の三信に帰せしめんがためなり、諸機を勧誘して三信に通入せしめんと欲うなり。三信とは、これすなわち金剛の真心・不可思議の信心海なり。また即往生とは、これすなわち難思議往生、真の報土なり。便往生とは、すなわちこれ諸機各別の業因果成の土なり、胎宮・辺地・懈慢界・双樹林下往生なり、また難思往生なりと、知るべしと。(『真宗聖典』四五八頁~四五九頁)

○『正像末和讃』に続く二十三首は、「已上二十三首仏(智)不思議の弥陀の御ちかいをうたがうつみとがをしらせんとあらわせるなり 愚禿善信作」と記され、辺地懈慢疑城胎宮について分かりやすくまとめられている。概要は以下の通り。本願寺派では『誡疑讃(かいぎさん)』と呼んでおられるようです。

①不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して 罪福信じ善本をたのめば 辺地にとまるなり

…仏智の不思議を疑う → 罪福を信ずる・善本をたのむ → 辺地

②仏智の不思議をうたがいて 自力の称念このむゆえ 辺地懈慢にとどまりて 仏恩報ずるこころなし

…仏智の不思議を疑う → 自力の称念をこのむ → 辺地・懈慢

③罪福信ずる行者は 仏智の不思議をうたがいて 疑城胎宮にとどまれば 三宝にはなれたてまつる

…罪福を信ずる・仏智の不思議を疑う → 疑城胎宮 → 三宝に離れる

④仏智疑惑のつみにより 懈慢辺地にとまるなり 疑惑のつみのふかきゆえ 年歳劫数をふるととく

⑤転輪王の王子の 皇につみをうるゆえに 金鏁をもちてつなぎつつ 牢獄にいるがごとくなり

…七宝の宮殿・金鎖・五百歳

⑥自力称名のひとはみな 如来の本願信ぜねば うたがうつみのふかきゆえ 七宝の獄にぞいましむる

…自力称名 → 本願を信じない → 疑うつみ → 七宝の獄

⑦信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし

⑧自力諸善のひとはみな 仏智の不思議をうたがえば 自業自得の道理にて 七宝の獄にぞいりにける

…自力称名 → 本願を信じない → 疑うつみ → 七宝の獄

⑨仏智不思議をうたがいて 善本徳本たのむひと 辺地懈慢にうまるれば 大慈大悲はえざりけり

⑩本願疑惑の行者には 含花未出のひともあり 或生辺地ときらいつつ 或堕宮胎とすてらるる

…本願疑惑の行者 → 含花未出、辺地に生まれる、宮胎に堕す

⑪如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなおもまた 罪福ふかく信ぜしめ 善本修習すぐれたり

⑫仏智を疑惑するゆえに 胎生のものは智慧もなし 胎宮にかならずうまるるを 牢獄にいるとたとえたり

…仏智疑惑 → 善本修習 → 胎生

⑬七宝の宮殿にうまれては 五百歳のとしをへて 三宝を見聞せざるゆえ 有情利益はさらになし

…七宝の宮殿・金鎖・五百歳

⑭辺地七宝の宮殿に 五百歳までいでずして みずから過咎をなさしめて もろもろの厄をうくるなり

…七宝の宮殿・金鎖・五百歳

⑮罪福ふかく信じつつ 善本修習するひとは 疑心の善人なるゆえに 方便化土にとまるなり

⑯弥陀の本願信ぜねば 疑惑を帯してうまれつつ はなはすなわちひらけねば 胎に処するにたとえたり

…本願疑惑の行者 → 含花未出、辺地に生まれる、宮胎に堕す

⑰ときに慈氏菩薩の 世尊にもうしたまいけり 何因何縁いかなれば 胎生化生となづけたる

⑱如来慈氏にのたまわく 疑惑の心をもちながら 善本修するをたのみにて 胎生辺地にとどまれり

…仏智疑惑 → 善本修習 → 胎生

⑲仏智疑惑のつみゆえに 五百歳まで牢獄に かたくいましめおわします これを胎生とときたまう

…仏智疑惑 → 五百歳・牢獄 → 胎生

⑳仏智不思議をうたがいて 罪福信ずる有情は 宮殿にかならずうまるれば 胎生のものとときたまう

…仏智の不思議を疑う → 罪福を信ずる → 宮殿・胎生

㉑自力の心をむねとして 不思議の仏智をたのまねば 胎宮にうまれて五百歳 三宝の慈悲にはなれたり

…自力の心 → 不思議の仏智をたのまない → 胎宮・五百歳・三宝の慈悲に離れる

㉒仏智の不思議を疑惑して 罪福信じ善本を 修して浄土をねがうをば 胎生というとときたまう

…仏智の不思議を疑う → 罪福を信ずる → 宮殿・胎生

㉓仏智うたがうつみふかし この心おもいしるならば くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし

已上二十三首仏(智)不思議の弥陀の御ちかいをうたがうつみとがをしらせんとあらわせるなり

愚禿善信作

(『真宗聖典』五〇五頁~五〇七頁)

○『浄土和讃』

安楽浄土をねがいつつ 他力の信をえぬひとは 仏智不思議をうたがいて 辺地懈慢にとまるなり(『真宗聖典』四八四頁)

○『教行信証』化身土本巻御自釈

二種の往生とは、一つには即往生、二つには便往生なり。便往生とは、すなわちこれ胎生辺地・双樹林下の往生なり。即往生とは、すなわちこれ報土化生なり。(『真宗聖典』三三九頁)

おおよそ浄土の一切諸行において、綽和尚(道綽)は「万行」(安楽集)と云い、導和尚(善導)は「雑行」(散善義)と称す、感禅師(懐感)は「諸行」(群疑論)と云えり、信和尚(源信・往生要集)は感師に依れり、空聖人(源空・選択集)は導和尚に依りたまうなり。経家に拠りて師釈を披くに、雑行の中の雑行雑心・雑行専心・専行雑心なり。また正行の中の専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。かるがゆえに極楽に生まるといえども、三宝を見たてまつらず、仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。(『真宗聖典』三四三頁)

○『浄土三経往生文類』

観経往生というは、修諸功徳の願により、至心発願のちかいにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。しかれば、『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏をときて、九品往生をすすめたまえり。これは他力の中に自力を宗致としたまえり。このゆえに観経往生ともうすは、これみな方便化土の往生なり。これを双樹林下往生ともうすなり。(『真宗聖典』四七一頁)

弥陀経往生というは、植諸徳本の誓願によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号をえらびて万善諸行の少善をさしおく。しかりといえども、定散自力の行人は、不可思議の仏智を疑惑して信受せず、如来の尊号をおのれが善根として、みずから浄土に回向して、果遂のちかいをたのむ。不可思議の名号を称念しながら、不可称・不可説・不可思議の大悲の誓願をうたがう。そのつみ、ふかくおもくして、七宝の牢獄にいましめられて、いのち五百歳のあいだ、自在なることあたわず、三宝をみたてまつらず、つかえたてまつることなしと、如来はときたまえり。しかれども、如来の尊号を称念するゆえに、胎宮にとどまる。徳号によるがゆえに、難思往生ともうすなり。不可思議の誓願、疑惑するつみによりて、難思議往生とはもうさずとしるべきなり。(『真宗聖典』四七三頁)

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