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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
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「『歎異抄』に聞く」を聞く
TANNISHO

2019年12月23日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第四章」-

12月も半分過ぎ、2019年もあと僅かとなりました。三条は今日も雨。いかがお過ごしでしょう。

御存じの通り、12月は和風月名で師走といわれます。その由来は諸説ありますが、もっとも有名な説は、師匠である僧侶が、お経をあげるために東西を馳せる月という意味の「師馳す(しはす)」からきているそうで、そこから字が当てられ「師走」となったそうです。要するに、年末は忙しいんやと。例えば仕事納めに年末調整、年賀状、元旦準備、お歳暮、大掃除などなど…挙げればキリがないですね。そこにクリスマスとかも入ってきたりするのでしょう。忙しいわけです。

廣河も別院の中をかけ走っているので、師匠でもお経でもないですが、気持ち的にほぼ師走です。忙しさは生活のハリということがいえるのではと思いますが、たまにはメリ、気持ちをゆるめてゆっくりお聴聞でもしませんかと自分に言いたくなります。そういう意味でも、『歎異抄』に聞くで記事を書けているのは、有り難いことなのかもしれません。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第16回目です。10月28日(月)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は三条教区第17組淨福寺(新潟市西蒲区)の八田裕治氏に、『歎異抄』「第四章」を主題にご法話頂きました。

淨福寺、八田裕治氏。去年(2018年)に住職になられたばかりなんだとか。

『歎異抄』「第四章」

一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々

【現代語訳】○八田さんより現代語訳、語句を含むレジュメをいただいているので、そちらから掲載しております。

慈悲という言葉は同じでも聖道門自力の道の慈悲と、浄土門の慈悲には違いがあります。聖道門の慈悲というのは、自分のカで全てのいきものをあわれみ、慈しみ、育てようとする心です。しかしながら、思い通りに救いを完結することは極めて困難です。一方、浄土門の慈悲というのは、念仏して(阿弥陀仏の本願を憶念して)、急いで仏と成り、阿弥陀仏の大慈大悲心の心によって、思い通り全てのいきものを救うことができるということを確信することをいうのです。この世でどんなにいとおしい、かわいそうだと思っても、既に御存知の通り、助けることは困難なのですから、聖道の慈悲には始まりも終わりも完了もないのです。ですから、念仏申すことだけが、徹底し大慈悲心であることが出来るのです、と親鷲聖人からお聞きしました。

【語註】○同じく八田さんより語句を含むレジュメをいただいているので、そちらから掲載しております。

この慈悲始終なし…徹底しない。
慈悲…特定の人に対してではなく、すべての人々に友情を持つことが《慈》、人生の痛苦に呻き嘆いたことのある者のみが、苦しみ悩んでいる者を真実に理解でき、その苦しみに同感しその苦しみを癒すことができるのであるが、その道苦の思いやりを《悲》という。涅槃経より慈悲に三種あり凡夫の衆生縁は個々の人間関係によって起こされるから小悲。法縁の慈悲は諸法の道理を悟った菩薩などの聖者によって起こされるから中悲。無縁の慈悲は仏のみ起こされる慈悲で何事にもとらわれず、また妨げられずに起こされる絶対平等の慈悲、大慈悲とも大慈大悲心ともいう。『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に「仏心というは大慈悲これなり。無縁の慈をもってもろもろの衆生を摂す」聖典106、3無縁の慈悲が大慈悲なのです。
かわりめ…かわりめ 区別 ちがい目 物事の移り変わり
驚聖人の仏道理解について (略) 自力聖道の道を行ずることを通して自力無効と信知させられて、他力浄土門へ転入させられる。慈悲についても聖道門の慈悲から浄土門の慈悲への転換点が「かわりめ」である。〈広瀬杲『いのちのまこと(歎異抄講話2)』〉
聖道門…覚りを妨げる煩悩を克服するために、自らの能力を信じて厳しい修行に励む道。自力門・難行道 自分が主体
浄土門…力のない凡夫を何としても助けたいと願われる阿弥陀仏の本願に従おうとした自覚から開かれる。他力門・易行道 阿弥陀仏が主体

【聞く】

第四章は、「慈悲」ということ、聖道の慈悲と浄土の慈悲ということが述べられております。つまり、聖道の慈悲は私たちが自分の力で行う慈悲、浄土の慈悲は阿弥陀仏の念仏のはたらきによって他力にめざめる慈悲を言われているわけですが、そもそも「慈悲」ってどういう意味なんでしょう?私がイメージできるところで言えば、例えば面倒見がよい人、生き物を大切にする人、困っている人を助ける人、他人のために行動する人などは、いわゆる「慈悲深い」と言える人達かと思います。ではなぜ、こういった人たちの慈悲は深いのでしょうか。

語註でもある通り、慈悲とは、仏教から出た言葉です。親鸞聖人が尊敬されている、中国の曇鸞大師(どんらんだいし)というお坊さんは「慈悲」についてこのように言われています。

苦を抜くを慈と曰う、楽を与うるを悲と曰う(『浄土論註』)

「慈悲」とは「慈しみ悲しむ」と書きますが、意味は、抜苦与楽(ばっくよらく)ということで、苦しみを抜き、楽しみを与えるということです。誰かが困っていたら助けて、苦しみを抜いてやりたい。人の幸せのために行動して、相手の喜ぶ顔を見たい。このような心が抜苦与楽であり、慈悲といわれるわけですね。それを第四章では、聖道の慈悲と浄土の慈悲とで対比させて言われているわけです。

ご法話では、我々凡夫が情によって起こした心、誰かを助けたいという心は、(もちろん大切なことではあるが)徹底しないもの、限界があるんだと言われた上で、三条に起こった水害(おそらく平成16年の7.13水害)と、今年の10月に上陸した台風19号のことを話されておりました。水害においてはその後の復旧、清掃活動に八田さん自身参加されていたそうなのですが、それは御縁に従って行ったことで、まったく仏の慈悲、大悲といえることではないと話されており、また台風19号については、八田さんのお寺の近くはあまり被害がなかったそうで、もちろん被害に遭われた方を聞けば心配するし、亡くなった方を思うと悲しみいたむけれども、やはり「私たちの方には被害がなくてよかったね」と言ってしまう。そして、被害に遭った場所に親類や知り合いがいれば、救援に行くという方もいる。それらは、まったく批判されるようなことではないんだけれども、人間の持つこころの動き、情からくるものであって、仏の大慈大悲心とはまったく違うのだと話されておりました。

この話には、人間の起こす慈悲の特徴がよく表れているように思います。人間の慈悲は、「幸せになってもらいたい」と思う相手が、子供や親、夫や妻、友人など、身近な人には強くかかりますが、縁遠い人だと、さほど慈悲の心がおきません。人間の慈悲には限界があり、誰に対しても平等にはなりえないわけです。ともすれば「私たちの方には被害がなくてよかったね」という差別的な心も生まれてしまうのですね。

また、人間の慈悲は、その思いが長続きしないということも言えると思います。八田さんのお話も、水害があったから、台風があったからこころが動き、行動を起こしているわけですが、その思いはほんの一時のことでしょう。一生を通してその思いが続くかと言われれば、それはまずありえない。助けたいという気持ちは、御縁がなければ生まれないわけですし、日々あらゆる出来事に直面している我々の気持ちは転々と移り変わって安定しません。そういう意味で、我々凡夫の慈悲には限界があるといえるのだと思われます。

人間の慈悲の中で、最も純粋なのは親の子供に対する愛の心ではないでしょうか。幼いころ、病気になって親に看病してもらった経験は誰しもあることでしょう。子が病に伏して苦しんでいるのを見ると、親は自分のことは目もくれず、食べやすいおかゆを作ったり、熱が出れば氷枕を準備したり、看病につきっきりになったりします。苦しむ子供の声が聞こえれば、たとえそれが深夜であっても一心に看病します。元気になれば、子供の喜ぶことならと思って、好きなものを買い与えたり、出先で珍しいお土産のお菓子をいただいた時は持って帰って、子供に食べさせたりします。仏教ではそんな人間の慈悲を小悲と言われます。悲しいことですが、それはすべての人に平等にかかるものではなく、限られた関係性の相手だけにかかる小さい慈悲であるからです。自分の子供と同じように、他人の子供に接することはできません。また、時には良かれと思ってしたことがかえって不幸を招いてしまうこともあります。親の溺愛といわれますが、盲目的な愛によって、一切怒らず、過保護に育てた結果、社会に出ても自立心が弱く、社会の荒波に順応できなくなってしまうことがあります。人間の慈悲の中でも純粋といえる親の愛であっても、限界があるわけです。

一方で、浄土の慈悲は、人間が抱く慈悲ではありません。如来が、生きとし生けるもの全体に対して抱く慈悲です。人間全体が如来から哀れまれ、過去・現在・未来につながるすべての存在を、ともに救わんとする、という大いなる慈悲です。その機縁は、他者をたすけたい、自分をたすけたいという思いの限界です。その究極は、愛する者との別離、死でしょう。最愛の人がもし死ぬとなったときに、自分が代わりに死ぬことはできないのです。そこで、人間の慈悲には限界があることに気づいて、そのこころがまるごとひっくり返されるところに、如来のほうから慈悲が発現される。ここでは、対比の形をとっていますが、浄土の慈悲が上等で聖道の慈悲が下等だとか、そういう話をしているわけではありません。「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」の「かわりめ」は、慈悲の性質自体がひっくり返り、まったく質が異なることを言われているのだと思われます。ここには、「あれかこれか」という人間の二者択一的な思いを超えて、「これしかない」という他力のめざめを念仏によっていただくことが言われているのでしょう。

しかしどこまでいっても、我々人間はいきものをあわれみ、かなしみ、はぐくむことをやめれないですし、それしかできません。だからこそ、聖道の慈悲では解決できないことに直面したときに、「浄土」という形で表現される超越の課題、つまり「この世」を超えた視点から、「この世」を問うという問題関心を言い続けなければならないのでしょう。

ご法話は途中、八田さんと、その坊守さんも一緒になって話されておりまして、夫婦漫才ならぬ夫婦法話、なんて言われておりましたが、法話の新たなスタイルがそこにあったと思います。楽しくご聴聞させていただきました。

11月28日(木)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第五章」をテーマに第13組安淨寺(長岡市)の安原陽二氏よりお話頂きました。その日、廣河は御正忌報恩講団体参拝で上山していて不在でしたので、代わりに関崎列座に聞いていただきました!順次アップロードしております。合わせてご覧ください。

2019年12月11日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第三章」-

随分と、更新が遅れてしまいました。完全に言い訳ですが、9月頃から、三条別院のお取り越し報恩講の準備が段々と激化してくるので、御命日のつどいの記録も中々書く時間が取れなかったのですね。そして日があけば、どんな内容だったか思い出すところから…いやはや、力不足を感じる今日この頃です。去年の私は一体どうやってこの時期書いていたんだろうかと思って、去年の記事を見てみましたが、次の一文で辟易。

 

来月にお取り越し報恩講を控え、慌ただしい日々を過ごしております。ですが、どのような日々であってもすべてが聞法生活。その意識が薄れていかないように、何度でも仏法に出遇わせていただくということが、大切なことのように思います。廣河が『歎異抄』に聞くを聞く。 ー「第十二章」ー

 

随分と偉そうなことを申しております(汗)果たして私は仏法に出遇えているのでしょうか。忙しさに右往左往し、お役目も果たせず慌てふためいている姿しか回想できません…。それでもと、言い続けるしかないのでしょうけど。

さて気を取り直して、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第15回目です。9月28日(土)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は三条教区第20組光圓寺(新潟市江南区沢海)の村手淳史氏に、『歎異抄』「第三章」を主題にご法話頂きました。

第20組光圓寺 村手淳史氏。定例布教として、以前にもこの『歎異抄』に聞くでもお話いただいております。

『歎異抄』「第三章」
【本文】

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。

【現代語訳】

善人でさえ往生を遂げることができる。だから悪人は言うまでもない。それなのに世間の人たちは常に言っている。悪人でさえも往生する、だから善人は言うまでもない。このことは、一応その道理があるように思われるけれども、本願他力の趣旨に背いている。その理由は、自らの力をたのんで善を作し功徳を積もうとする人は、一筋に他力をたのむ心が欠けているので 阿弥陀仏の本願にかなっていない。けれども、自力の心をひるがえして、他力をおたのみするならば真実の報土の往生を遂げることができるのである。須悩をことごとく具えている私たちは どのような行いによってもこの迷いの世界を離れることがまったくないということを悲しまれて本願を発された本当の御心は、悪人成仏のためであるから、他力をおたのみする悪人こそ、もっとも往生の正因なのである。それ故、善人でさえ往生する、だから悪人は言うまでもない。と親鷲聖人は仰せられました。

○今回、村手さんより現代語訳を含むレジュメをいただいているので、そちらから掲載しております。

【語註】

善人…自分を善い行いをすることができると思っている人。

悪人…自分を真実に背く罪悪の身だと自覚している人。

一旦…一応

そのいわれあるににたれども…道理があるように思われますが。

自力作善のひと…自力の力によって、善い行いができると思っている人。

真実報土…本願がかたちをとってあらわれた、迷いを超えた世界。浄土のこと。

煩悩具足…さまざまな煩悩をすべてそなえて生きていること。

生死…生にとらわれ、死を遠ざけている迷いの人生。

悪人成仏…罪悪の身を自覚し生きているものが、仏になること。

往生の正因…往生を遂げるための最も大切な自覚。

【聞く】

第三章は、一見突拍子もなく、「救い」の対象として、善人より悪人のほうが救われるという提言がなされています。仏教に詳しくない、浄土真宗全然わからないという人でも、この「悪人正機」の話は聞いたことがあるのではないでしょうか。私も高校の時、歴史の授業で習った覚えがあります。当時の私はこのことを聞いて、悪い人こそ救われるのなら、悪い事し放題で困った世の中になってしまうだろうなと考えたものです。仏教に関心がなく、親鸞聖人の思想、他力本願の意味も知らない人間にとっては、「悪人正機」ということだけを見ればそのように受け取ってしまうのも当然のことかと思います。そういう意味で、受け取り、取り扱いに注意の必要な章と言えます。

ご法話では、善人とはどういう人か、悪人とはどういう人なのかについて言及されておりました。つまり、善人とはわかったつもりの人(わかろうとしない人)、悪人とはわからない人(わからないことがわかった人)と言われ、その上で、世間的価値観から自分を見れば、全員善人で、全員善人であろうとする。仏さまから人間を見れば、全員悪人であると言われておりました。

高校時の私の捉えは正しく世間的価値観の上での捉えですね。悪い事をした人が、悪い人、悪人になる。しかし、その悪い事というのは誰が決めたのか?親が、友達が、先生が、法律が、周りがそう決め、教えるから善か悪かをイメージできるわけですが、あくまでそれは世間的価値観で判別しているにすぎません。だから、世間が移ろえば善悪の価値観も変動しますし、人もまた同じでしょう。本当のところは何もわからないけれど、時と場合によって善悪を判断し、わかったつもりでいる。ここに、全員悪人であるという仏の眼が言えるのだと思います。

 

親鸞聖人は人間を省察する上で、人間を善、悪によって定型化しておりません。

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし(『真宗聖典』六三四頁)

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。(『真宗聖典』六四〇頁)

このように、人間の在り方は時、場所の条件、業縁(カルマ)によって善人にも悪人にもなり得る存在とみております。また、業縁の中を人間も含め、生物は生きているわけですが、人間存在は生物的な生命にとどまらず、人格的な生命、社会的な共同体を営みます。善悪の規範、規準によって共同体を生きているわけですから、その人を善か悪か判じることは全くできることではないのです。

夏目漱石が『こころ』という作品の中で、善い人間と悪い人間について、次のように述べているところがあります。

君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだと云いましたね。然し、悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断ができないのです。(『こころ』夏目漱石 新潮文庫)

ドラマなど見ていても、家の当主を喪った、哀しい死を悼むお通夜の場面が、一転して翌朝には、遺産相続の醜い骨肉の争いになることがあります。その意味では、夏目漱石のいう「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」という了解は、親鸞聖人の「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」という、人間存在の凝視と共通しているといえるでしょう。

そういった親鸞聖人の悪人理解をふまえた上で、この章は、「善人のほうが救われるのか、悪人のほうが救われるのか」ということが表にでておりますが、「往生」ということ、つまり本願を信じ、自分の悪(わからない)に目覚めた人こそ、往生の一道に立った人であるということが基本線になっていると了解できます。この短い章に、「往生」という言葉が5回、そして同義語といえる「成仏」「生死をはなれて」という内容が繰り返されている点にも留意すべきと思います。つまり、出家者(道)、在家者(俗)の区別なくすべての人が救われる地平、仏に成る道はどこにあるのかの教示であろうかと思います。

長く仏道は、聖道と称して純潔と自制を願いとした「戒」の論理にありました。その願いは純潔な理念でありましたが、生活の大地からは離れていました。山に籠って修行をするという修道院仏教の枠を出ることはできなかったのです。第三章に対応しているといわれる第十三章では、その問題を

持戒持律にてのみ本願を信ずべくは、われらいかでか生死をはなるべきや(『真宗聖典』六三四頁)

と問いかけ、その修道院仏教から疎外されていた民衆の人々の名を挙げています。

うみやまに、あみをひき、つりをして、世をわたるもの(漁師)

野やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがら(猟師)

あきないをもし(商人)

田畠をつくりてすぐるひと(農民)

そこには、日々の生活に明け暮れ、生きるためには殺生をなし、物を売り買いして生きなければならない、日常の人間業の救いこそを問題にしております。清浄の行を基準とする善、戒の論理からみれば除かれる人々です。この第三章の内容は、そういった「人間業によって悪(罪)を犯すものの救いはあり得るのか」ということを、通底して問いかけているのではないでしょうか。

 

10月28日(月)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第四章」をテーマに第17組淨福寺(新潟市西蒲区)の八田裕治氏よりお話頂きました。鋭意執筆中です!ではまた!

2019年10月4日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第二章」-

うっかり投稿が遅れました。影分身の術が使いたい今日この頃なのです。

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第14回目です。8月28日(水)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区19組明誓寺(新潟市南区庄瀬)の田澤友生氏に、『歎異抄』「第二章」を主題にご法話頂きました。

明誓寺当院の田澤友生氏。 現在三条別院の列座としても働かれております。同僚!


【本文】

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々


【私訳】

あなたがた一人一人が、はるばる長い道のりを、大切な身体と生命を危険にさらしてまで、たずね求めてこられた志は、真実の生活が実現する道理を体得したいということにある。しかし、念仏以外に真実の生活が実現する道理を知っているとか、経典等を知っているのだろうとお考えならば、根本的な間違いである。もしそういうことなら、奈良や比叡山にはすぐれた学僧たちがたくさんおられるのだから、そういう方々にでもお会いになって、真実への目覚めがどのように実現されるかをよくよくお尋ねになるがよい。この私《親鸞》においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信ずるのみである。念仏は、本当に浄土という世界へいくための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。もしかりに、法然上人にだまされて念仏して地獄に堕ちたとしても、決して後悔はしない。というのは、念仏以外のさまざまな努力を積みかさねることによって、仏になることのできる身が、念仏という行為で地獄へ堕ちたのならば、「だまされた」という後悔もあるであろう。しかし本来、どのような努力によっても、仏になることのできない身であるから、どうもがいても地獄は私の必然的な居場所なのである。弥陀の本願が真実であるならば、釈尊の教えが嘘であるはずがない。また、釈尊の教えが真実であるならば、善導の解釈も虚構であろうはずがない。また、善導の解釈が本当であるならば、法然の言葉が虚しいはずがあろうか。また、法然の言葉が本当であるならば、私《親鸞》がお話する趣旨も、また無内容ではないといえるのではなかろうか。要するに、我が信心はこのようなものである。このうえは、念仏を信じようとも、また捨てようとも、あなた方ひとりひとりが決断することである。


○今回、講師の田澤氏より『歎異抄』「第二章」の語句の意味、あらすじ、要旨などをまとめていただきました。

下記に掲載。

『歎異抄』「第二章」

・『歎異抄』の第二章は、内容を大きく三段に分けることができる。

≪一段 衆生の志願≫

「おのおの十余ヶ国のさかいをこえて~往生の要(よう)きかるべきなり。」

≪二段 ただ念仏す≫

「親鸞におきては、ただ念仏して~とても地獄は一定すみかぞかし。」

≪三段 本願念仏の伝統≫

「弥陀の本願まことにおわしまさば~面々の御はからひなりと、云々。」

 

【語句の意味】

〈一段 衆生の志願〉

十余ヶ国・・・関東の弟子たちが親鸞聖人を訪ねるさいに通った国々。常(ひ)陸(たち)・下総(しもうさ)・武(む)蔵(さし)・相(さが)模(み)・伊豆(いず)・駿(する)河(が)・遠(とおと)江(うみ)・三(み)河(かわ)・尾(お)張(わり)・伊勢(いせ)・近(おう)江(み)・山城(やましろ)の国々を指す。常陸から山城までは歩いて1ヶ月かかったとされている。

身命をかえりみずして・・・命がけで。命よりも大切なことがあることを示す言葉。

法文・・・経典やその注釈書。

こころにくい・・・疑わしい。どうも怪しい。

南都北嶺・・・奈良や比叡山の方々。奈良は奈良の興福寺・東大寺などを指し、北嶺は比叡山延暦寺・三井寺などを指す。

極楽・・・阿弥陀仏の本願成就の浄土。生きとし生けるすべてのものの生命を貫通する、至(し)奥(おう)の志願であるとされている。

 

〈二段 ただ念仏す〉

ただ念仏・・・阿弥陀仏の本願が選び取られた一切衆生平等往生の行。念仏以外の一切の行を廃して専ら念仏一行を修すること。専修念仏を指す。

よきひと・・・ここでは法然上人を表す。諸仏・善知識とも言う。諸仏とはすでに阿弥陀仏の本願に目覚め、念仏申して阿弥陀仏の不可思議なるはたらきをほめたたえている人。それによって本願のいわれを衆生に説き聞かせ、念仏の道を歩む機縁を開いてくださる方。

かぶりて・・・こうむって。受けて。よき人の教えを全身・全生活で受けたことを示す。

別の子細・・・特別な理由。

浄土・・・阿弥陀仏の本願によって建立された清浄なる国土。

地獄・・・罪悪を犯した者がそのむくいとして感ずる苦しみの最も激しい世界。三(さん)悪(まく)道(どう)の一つで餓鬼・畜生とともに迷いの世界をあらわす。

法然聖人・・・親鸞聖人の師。如来の選択本願の行としての称名念仏の一行を明らかにし、浄土宗を独立させた。

さらに・・・ず。決して・・・ではない。まったく・・・ではない。

自余の行・・・念仏以外の行。

とても・・・いずれにしても。どうしても。

一(いち)定(じょう)・・・唯一定まった。決定的な。疑いのない。

 

〈三段 本願念仏の伝統〉

釈尊・・・釈迦牟尼世尊の略で、釈迦族より誕生した仏陀に対する尊称。教主としての諸仏としての代表とされる仏。教主・阿弥陀仏の本願に目覚め、一切衆生が仏に成る教えを世に示した。釈尊の聖教とは、釈尊が阿弥陀仏の本願を説いた『浄土三部経』を示す。

仏説・・・釈尊の説法・説教。

善導・・・中国浄土教における称名念仏の大成者。当時中国の仏教界において、それまでの諸師による『観無量寿経』の解釈を批判して仏の真意を明らかにし、その主著『観経四(し)帖(じょう)疏(しょ)』において称名念仏一行を廃(はい)立(りゅう)し、凡夫のための仏教を明らかにした。

善導の御釈・・・『観経四帖疏』に示された二種深信を指す。

そらごと(=虚言)・・・うそ、いつわり。

栓ずるところ・・・つまるところ。結局。所詮。

愚身の信心・・・無明煩悩の身に開かれた真実の信心。

面々の御はからい・・・弟子たちに阿弥陀仏の本願と向き合い、自ら決断することを促す言葉。

 

【あらすじ】

『歎異抄』第二章には、親鸞聖人が念仏を信ずるに至るまでの経緯が示されている。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

ここには、親鸞聖人が法然上人と出会ったからこそ、浄土の教えに入り、伝えることとなったと示されている。そしてそこには三つの出会いがある。

・本願の真実に生き、本願の真実を教え示している教主としての法然上人との出会い。

・法然上人を生み出し、十方の衆生の救いを誓う救い主としての阿弥陀仏との出会い。

・いずれの行も及びがたき地獄一定の、煩悩具足の凡夫としての我が身との出会い。

浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人の縁について書かれているのが『歎異抄』第二章であると言えるだろう。今こそ、伝わった御縁に感謝しつつ読んでいきたいと考える。

 

【要旨】

『歎異抄』第二章は、関東の地で親鸞聖人と出会った人々が京都に住んでいる親鸞聖人のもとを訪ねる物語となっています。人々は親鸞聖人と生活する中で念仏の教えを受け、そして出会ってきました。しかし浄土真宗のほかにも新しい教えが多く生み出された鎌倉時代、自分たちの出会った教えが果たして正しいものであるのかどうか苦悩します。そうした現代社会にも通じる内容となっているのが、『歎異抄』第二章ということができるでしょう。

『歎異抄』第二章は、文字通り『歎異抄』第一章の内容を受け継いだものとなっています。どのような方々も平等に救われることを説いた親鸞聖人。そのためには「ただ念仏する」ということを繰り返し説かれていました。

平安時代までの仏教は天皇や貴族が中心であり、地位が高い人を中心に伝えられた教えでした。それが鎌倉時代に入ってから、庶民にも分かりやすいさまざまな仏教の宗派が誕生することになります。当時は度重なる戦乱に巻き込まれ簡単に命を落とす庶民も多く、また天変地異などによって作物がうまく育たず、時には生まれた子供を殺してしまうなどということもあったとされています。そんな絶望の中で、何かにすがりたいと思ってしまうのは人間として当然の気持ちであると言えるでしょう。その中で生み出されたのが念仏を中心とした浄土真宗の教えです。

浄土真宗は南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば極楽浄土に行けるといった教えであり、読み書きもできず自分の名前さえ書けない庶民にとっても念仏を唱えるだけで良い。その点で親鸞聖人の教えは非常に分かりやすいものであったということが言えるでしょう。

ですが、そうした動きに厳しい目が注がれていたのも事実です。後鳥羽上皇によって法然上人・親鸞聖人ら7人が流罪となった事件がありました。南都北嶺の寺院から批判を受けていたこともあり、専修念仏の教えは苦難にさらされることとなりました。そのため親鸞聖人も、庶民の方々に眼差しを向けて教えを開いていきました。

そんな中、親鸞聖人の息子である善鸞は「私はある夜中、父から秘密の法文を授かった。これを聞かないと、絶対極楽には行けない。」と言い専修賢善の教えを説きました。一方で、「往生のため」としてあえて悪いことをするという造悪無碍の動きも出てくるようになりました。また鎌倉時代には日蓮上人を中心に、「念仏無間」といって南無阿弥陀仏と称えると地獄に落ちるという考えも存在していました。

ですから関東で親鸞聖人の教えを聞いていた人々は動揺し、どうすれば極楽に往生できるのか悩み途方に暮れていました。そんな中、京都で親鸞聖人から直に教えを聞こうという人々が出てきました。そして、徒歩で一ヶ月もかけてはるばる親鸞聖人のもとを訪ねることになります。

しかし、親鸞聖人は弟子たちに自らが伝えた念仏の教えを強制することはありませんでした。これは弟子たちを冷たく見放したわけではなく、どのようなときでも人々を受け入れていくという愛情が感じ取れます。決して他の教えと比べることもなく、念仏の教えを通じて出会った人々を互いに信頼と尊敬の念をもって「御同朋、御同行」と言って大切にされていました。

しかしその一方で、「唯除五逆 誹謗正法」という言葉も親鸞聖人は残しています。これは、「ただし、五逆を犯すものと謗法のものとは除かれる」という意味で、『仏説無量寿経』の第十八願に記されています。また、『観無量寿経』においては下品下生という言葉のもと、五逆・十悪の凡夫の十念往生との会通も行ってきました。これは、一見すると例外を設けるといった冷たい態度に見えるかもしれません。しかし、この「唯除」は人々に問いかける言葉であり、回心させて、あらゆるものを往生させようとする意味がこめられていました。なお五逆とは

の5つになります。

そして謗法とは仏の教えをそしり、正しい真理をないがしろにすることとなっています。

ですが、私たちの中で仏様の教えを謗ることなく聞くことができる方はどれだけいらっしゃるでしょうか。今回の講義の後の座談会でもそのことが議題になりました。

前述したとおり、「唯除」は決して人々を分断するような言葉ではありません。教えが本当に正しいものなのか、そう言って時には疑いのまなざしを向ける人々に親鸞聖人が投げかけた一節であるということができるでしょう。

前述した五逆・誹謗正法も、決して他人事の話ではありません。私自身、両親に反抗していた時期もありますし、浄土真宗の教えを信じたところでどんないいことがあるのか・・・。そのように思っていた時期もありました。今でこそ、真宗大谷派の僧侶として法務に携わらせていただいていますが、親鸞聖人の教えに御利益があると考えているわけではありません。

しかし、だからといって念仏や浄土真宗の教えに意味がないというのは当たらないと思います。親鸞聖人も決して自分だけで念仏の教えを開いたわけではなく、そこに至るまでには法然上人や善導大師そして阿弥陀様といった数多くの繋がりがあるということを言われていました。ですから弟子たちが教えと出会ったことも本当にありがたいことであり、かけがえのない尊い繋がりであることを親鸞聖人は言っていたように思います。その尊い繋がりを決して捨てないでほしい、親鸞聖人はそう訴えかけました。いかに優れた教えであっても、人々を結ぶはたらきがあってはじめて生きたものとなることを表しているのではないかと思います。

いつでも確かにそこにある、万人に開かれた繋がりであるのが念仏の教えであり、浄土真宗の持つ光です。それは決して高度に経済が発展した現代社会においても変わることはありません。何十億人という人々が住むこの地球。その中でここに生まれ、念仏と出会いそして繋がっている。一見厳しい内容とも取れる『歎異抄』第二章は、尊さを伝え、私たちを照らす大きな光ではないか・・・。今回のご命日の法話を通じて私はそのように感じました。


9月28日(土)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第三章」をテーマに第20組光圓寺(新潟市江南区沢海)の村手淳史氏よりお話頂きました!鋭意執筆中です!!

その次は10月28日(月)、『歎異抄』「第三章」をテーマに第17組淨福寺(新潟市西蒲区)の八田裕治氏よりお話頂く予定です。どうぞお誘い合わせてお参りください。

2019年8月27日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第一章」-

今年の酷暑もひどいもんでしたが、みなさんいかがでしたでしょうか。廣河もさすがに身体にこたえました…。下旬になって気温もようやく朝晩落ち着いてきた感じですが、うっかりしてるとすぐ秋、そして冬ですからね。過ごしやすい気候というのは過ぎ去りやすい、そんな気がします。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第13回目です。7月28日(日)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区17組妙音寺(新潟市西区五十嵐)の富樫大樹氏に、『歎異抄』「第一章」を主題にご法話頂きました。

妙音寺住職の富樫大樹氏。氏は三条教区教化センタ―の副主幹も務められております。

【本文】

一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々

【私訳】

人間の思慮を超えた阿弥陀の本願の大いなるはたらきにまるごと救われて、新しい生活を獲得できると自覚して、本願に従おうというこころが湧きおこる時、迷い多きこの身のままに、阿弥陀の無限なる慈悲に包まれて、不動の精神的大地が与えられるのである。

阿弥陀の本願は、人間のいかなる条件によっても分け隔てや選びをしない。ただ、如来の本願に目覚めるこころひとつが肝心なのである。

なぜなら、生活状況に振り回されて、欲から抜け出せずに悩み苦しんでいる私たちをこそ救おうとする願いだからである。

そうであるから、本願の救いに目覚めるならば、どのような善であっても肝心なことではなくなる。それは念仏がどのような善をも超えている。また、悪も救いを妨げると恐れることはない。なぜならば、阿弥陀の本願はどのような悪にも妨げられないからである。

【語註】

誓願不思議…阿弥陀如来の本願の、清浄にして真実をめぐむはたらき。

この「不思議」については、誓願が、人間の思議・分別を超越したものであることを表していると一般に理解されている。しかし親鸞聖人の著作に親しむとき、これが単に本願の超越性を表す言葉ではなく、仏道を歩もうとする私たちの上に、本願のはたらきによって、如来の世界が開示されることが示されていると考えられる。そのことは、和讃(天親讃)に「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」と、端的にうたわれるとおりである。ひとたび本願に値遇するという体験を得た人は、そこに、煩悩の身であることを知らされながら、その煩悩の身にさまたげられることのない、光に満ちた広やかな世界を実感し、如来のまことがその身に恵まれることを知るのである。この感動を親鸞聖人は「不思議」という言葉で繰り返し語り、また浄土真宗が、「誓願不思議」という道理に立って実現する仏道であると、示しておられることを思い合わすべきである。

往生…阿弥陀如来の世界(浄土)に生まれていくこと。

『歎異抄』においては、念仏と信心に大きな関心が向けられ、仏道を念仏往生の道として語り告げている。したがって、『歎異抄』を一貫する主題は「往生」であると言ってよいだろう。この往生については、一般に「未来往生」、つまり、往生を死後に実現するものと理解してきた伝統があり、『歎異抄』においても、肉体の命が終わる際に遂げるものとして語られてもいる。しかしながら、『歎異抄』の主眼が、自力の諸行を往生の行としないで、念仏こそ本願に裏付けられた往生の行であると確かめていることを思うとき、「臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき、往生またさだまるなり」(『末燈鈔』)という、『大経』の本願成就の教えに立った親鸞聖人の往生理解が、思い合わされるべきである。「念仏もうさんとおもいたつこころ」として信心が起こるとき、その人は如来の浄土を実感しながら、往生の道に立つこととなるのである。

摂取不捨…阿弥陀如来の救済を表す言葉。

『観経』に説かれるこの言葉は、浄土教の伝統において如来の救済を表すものとして、大切にされていた。親鸞聖人もまた、この「摂取不捨」をしばしば語っている。ただし、親鸞聖人の著作において、「摂取不捨」は多くの場合、「正定聚」として了解されていることに注意したい。この正定聚とは、必ず仏となるべき身と定まったことを表す。聖人自身が「『大無量寿経』に、摂取不捨の利益にさだまるを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には、等正覚ととき給えり」(『末燈鈔』)と語るように、『大経』の思想に立って、救済を意味する「摂取不捨」を、正定聚・等正覚として捉え直しているのである。つまり信心の人の歩みは、単に如来の光に抱かれ護られるのみならず、大乗の究極的なさとりである無上涅槃へ向かって開かれている。したがって、念仏者の人生は、まさに大乗の仏道を歩む堂々たる独立者の風貌を湛えているのである。

信心…阿弥陀如来の本願にめざめる心。

罪悪深重…如来に背き他を傷つける重い障り。

煩悩熾盛…欲望、憎しみ、怒りが激しく動いていること。

衆生…いのちあるもの。

【聞く】

「第一章」は、誓願ということ、浄土真宗のすべてを支える如来の誓願についての、親鸞聖人の了解が述べられます。先回の池田先生が紹介されていた章立てから言えば、「弘願信心章」という名前をつけることもできます。

そもそもの話で、誓願って、なに??ってこともあると思うので、辞典を引いてみます。

◆誓願…願を起こして、成し遂げようと誓うこと。仏や菩薩には、共通した願である総願と、仏・菩薩個々の願である別願とがある。浄土教では、特に阿弥陀仏の本願をさして誓願という。それは弘くすべてのものを救おうとする願い、誓いであるから、弘願、弘誓といい、あわれみの心が深く重いから重願といい、また不捨の誓約、本誓などともいう。誓願の救済力を誓願力といい、そのはたらきが凡夫の考えの及ばないものであるから誓願不思議という。親鸞の門下で、誓願の力で救われるか、名号の力で救われるかという論争をする者があったが、親鸞は誓願と名号とは同一であるとした(御消息集)。ただし存覚の名号不思議誓願不思議問答には、誓願不思議を他力中の他力、名号不思議を他力中の自力であるという。(『[新版]仏教学辞典』)

とあります。とりわけここでは阿弥陀如来の誓願のことを言われているわけですが、浄土真宗の根っこ、救済原理ですね。浄土真宗の大切な言葉として信心であったり、お念仏であったり色々ありますけど、その全体にはこの如来の誓願ということが流れているわけです。それは弘くすべてのものを救おうとする願い、誓いと書かれております。要するに、正確には阿弥陀如来の前身である「法蔵菩薩」が、「生きとしいけるすべてのいのちを救えなければ、自分は仏とはならない」と誓われた願ということです。そして、これは単に生きとしいけるものを救いたいという菩薩の一方的な愛の表現ではありません。苦しんでいるいのちを向こうに置いて、菩薩がそれを助けようとするのではない。苦しみ迷っているいのちと一体となって、つまり他人事ではなくして、いのち全体を救う。ここに、浄土真宗を浄土真宗たらしめる柱があるわけです。

ご法話では印象的だった話として、阿弥陀如来の本願は「えらばず、きらわず、みすてず」の心なんですよということをお話しいただきました。この「えらばず、きらわず、みすてず」という言葉は大谷専修学院元学院長の竹中智秀師の言葉でありますが、富樫先生は専修学院で学生をされていたとき、このことしか聞いていないんじゃないかというぐらい教えられてきた言葉だと言われておりました。それだけ大切な言葉だということですね。この言葉は、我々一人ひとりが尊い存在として、真実を求める存在として、我々のことを見つめてくださっている。そういった阿弥陀如来の心、摂取不捨という摂め取って捨てない阿弥陀の利益を、平易な言葉で表現しているわけです。ここには、私たち人間がお互いを尊重して出会っていくために必要なことが詰まっているように思います。

思えば、私たちの生活の中で「えらばず・きらわず・みすてず」の実践はとても困難でありましょう。何故なら、何処かしらで、人や物を選んだり、嫌ったり、見捨てて生きているから。「選んで、選り好みして、見捨てる」。口に出したとしても、出さなかったとしても、自分の経験や行動、思いの中では「えらばず、きらはず、みすてず」ということは成り立たないことばかりではないでしょうか。それは、こっちを立てると、あっちが立たないといった具合にいつもどちらかを選んでいるから起こるわけです。阿弥陀如来はそういった、生きとし生ける、悩み苦しむ一切の衆生を救いたいと願われた。その心というものが「えらばず、きらはず、みすてず」なのでしょう。誰一人としてもらすこともなく、皆、共に浄土に往生して欲しいという願いがここには託されているわけです。

そしてこの願いは、私たちを見捨てないという宣言でもあるのです。どうしても選んだり、嫌ったり、見捨てたりしてしまう、そういうことでしか生きていけず、傷ついていかざるをえない世界を私たちは生きているわけですが、如来の誓願がすでにあるのだということによって、どっしりと構えることができる。わかりやすい表現か最早わからないですが、つまり安心して迷うことができる。如来の誓願という大いなる大地に立たしめられているからこそ、人生の中でどれだけ動揺しても決して倒れることのない安心感があり、たとえ倒れたとしても本願の大地の上なんだ、という安心感があるわけです。
私たちはこの「えらばず、きらわず、みすてず」という阿弥陀如来の心を、実は本質的には持っているのかもしれません。皆、選んだり、嫌ったり、見捨てたりした時に、「これで良かったのか?どうしてあの時こういう判断をしたのだろう?」と後悔したり、悩んだりしないでしょうか。「えらばず、きらわず、みすてず」を出来ないでいる私たちに対して、阿弥陀如来が心の方から呼びかけてきている、とも考えられないでしょうか。
心の呼びかけに目を向けられないでいるのは日々の生活の中での自分の思い、分別があるからでありましょう。時々気がついたとしても、ずっとそちらに目を向けながら生きていくと言う事が難しく、気持ちの上では応えていきたいと感じるのだが、いつの間にか目を外してしまっている。けれども、心の方からの呼びかけに少しでも応えられた時、阿弥陀如来からの呼びかけというものにも、少しばかり気づく事ができるのではないかと感じます。私自身も自分の内面の呼びかけを大切に、応えて生きていけたら…。その本願のはたらきに出遇い、自らの在り方を見つめ直す時、縁によって支え合い、生かされている我が身の姿が見えてくるのではないでしょうか。

ご法話に心打たれている廣河の図。決して舟を漕いでいるわけではありません!

明日、8月28日(水)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第二章」をテーマに第19組明誓寺(新潟市南区)の当院であり、当別院の列座でもある田澤友生氏よりお話頂きます。どうぞお誘い合わせてお参りください。

 

2019年7月27日

「『歎異抄』に聞く」を聞く

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -序文-

7月に入りました。中旬までは涼しい気候でしたが台風の影響か、徐々に暑くなってきましたね。廣河です。はて、去年はこの時期何℃でしたでしょうか。

グエーッ 灼熱!!!

オシシ仮面もびっくりですな。ちなみに三条のこのときの平均気温は27.7℃

なんだ、案外低いじゃんと思うかもしれませんが、平年差が+3.4℃の時点でお察しです(というか上旬だけガクッと気温下がっただけで他はだいたい30℃超えだった)。廣河は暑さにやられてたのか、どうやって生活してたかちょっと思い出せません…。

年はどうなるんでしょうね。雪害も今年は少なめでしたが、こういうのは反動があるものだとどうしても考えてしまいます。大事なければ良いのですが。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第12回目です。6月28日(金)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、三巡目となりますが序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区18組長周寺(新潟市大原)の池田陽氏に、『歎異抄』「序文」を主題にご法話頂きました。

長周寺住職の池田氏。御本山にて本廟教導もされております。

『歎異抄』序文
【本文】※原文は漢文

竊かに愚案をめぐらして、ほぼ古今を勘うるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思うに、幸いに有縁の知識に依らずは、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。よって、故親鸞聖人の御物語のおもむき、耳の底に留まるところ、いささかこれをしるす。ひとえに同心行者の不審を散ぜんがためなりと、云々

【原文】

竊回愚案、粗勘古今、歎異先師口伝之真信、思有後学相続之疑惑。
幸不依有縁知識者、争得入易行一門哉。
全以自見之覚悟莫乱他力之宗旨。
仍故親鸞聖人御物語之趣、所留耳底聊注之。
偏為散同心行者之不審也。云々。

『歎異抄』端坊旧蔵永正本

【現代語訳】(今回池田さんより資料いただいているのでそれをそのまま載せております)

愚かながらひそかに聖人在生の昔と今を較べると、聖人が口ずから語った阿弥陀仏の誓願への真にして実なる信とは異なる教説がままみられることを悲しみ、後代の念仏者が真にして実なる信を受け伝えていけるかどうか心もとない。幸いにもすぐれた師に出逢うことがなければ、どうして念仏を称えるという易行門に入ることができようか。自己の勝手な理解によって阿弥陀仏のはたらきの本来の趣旨を乱してはならない。そこで故親鸞聖人が話された言葉のうち、耳の底に残っている趣旨の僅かばかりを書きしるす。心を同じくする念仏者の疑念をひたすら晴らさんがためである。云々。
【語註】

古今…親鸞聖人が、世におられた頃と、聖人亡き今日。

先師の口伝の真信…親鸞聖人の口から直接お教えいただいた、真実の信心。

後学相続の疑惑…あとの人が、信心を受け継いでいくときにおこる疑いや惑い。

有縁の知識…仏法の世界に導いてくださる大切な師。

易行の一門…本願を信じ、念仏する道。

自見の覚悟…仏法に依らない自分勝手な解釈。

他力の宗旨を乱る…本願の教えの大切な要を思い誤る。

【聞く】

さあ、『歎異抄』も一回りしまして最初に戻って参りました。ここから、御命日のつどいでは第三巡目になるわけですが、廣河は初めからではなく第八章から聞きはじめておりますので、第七章までは未知のゾーン。いよいよ初心を忘れずに、行住坐臥に、時処諸縁を嫌わないで聞いていきたいものです。

今回、池田さんより資料をいただいておりますので、それをそのまま掲載致します。以下原文

 

『歎異抄』の組織と内容

『歎異抄』は弟子唯円が師親鸞の教えと異なった邪説(異義)を歎き、それを糺すために親鸞から聞いた言葉を抜き出(抄出)して書かれたもので、大きく二部に大別される。前十章は親鸞自身が述べた語録であり、「師訓篇」といい、後八章は唯円が異義を歎き批判する「異義篇」(「歎異篇」)という。その後に信心一異の論争や唯円の述懐を記す「後述」(「後記」)がある。また専修念仏教団弾圧を記した「流罪記録」や蓮如の文である「奥書」がある。

 

組織を示すと次のようになる。

師訓篇(第一部)

序(漢文)

親鸞自身の語録(第一章から第十章まで)

異義篇(第二部)

唯円の異義を歎く言葉(第十一章から第十八章まで)

後述(後記)

流罪記録

蓮如奥書

 

師訓篇第十章は「念仏には無義~おほせそうらいき。」まで。

異義篇序「そもそもかの御在生のむかし~条々の仔細のこと。」まで。

 

異義篇第十八章は「仏法のかたに~同朋をいひおどさるるにや。」まで。

後述(後記)「右条々は~外見あるべからず。」まで。

 

歎異抄誕生 佐藤正英 説

親鸞の末娘、覚信尼の再婚相手、小野宮禅念との間に生まれた唯善が両親の死後、唯円門下に入った。

『最須敬重絵詞』にも「真俗に亘りてつたなからず、万事につけて才覚をたてられける人」と人となりがしるされるほどで、唯円の眼には、唯善は親鸞の全てを受け継ぐべき念仏者であると映った。唯善こそ長い間唯円が無意識裡に待っていた念仏者であった。唯円は、自己が親鸞から得た全てを唯善に注ぎかけた。念仏者となって間もない唯善の、稚い初歩的な疑問にも心を尽して丁寧に答えたと思われる。唯善に対するとき唯円の語り口はつい調子が高くなる。語っても語り尽せないもどかしさがついてまわる。余命いくばくもない衰残の自己をあらためて意識する。『歎異抄』を書き残そうという思念が唯円の内に萌したのはそのときであったのであろう。

『歎異抄』は、唯善との出逢いがなかったならばついに述作されることなく終ったのではなかろうか。『歎異抄』は不特定の念仏者に向けて漫然と書かれているのではない。「一室の行者」あるいは「同心行者」に宛てて述作されている。そのようにしるしたとき、唯円の念頭に思い描かれていたのは若き門弟唯善、そして唯善を核とするところの東国の念仏者たちであったのであろう。『歎異抄』はいわば唯善に宛てた書置き、すなわち遺書だったのではなかろうか。

原形復元の試み

異義条々

序 「そもそもかの御在生のむかし~条々の仔細のこと。」まで

唯円の異義を歎く言葉(第十一章から第十八章まで)

後述(後記)

歎異抄

序 「露命わづかに枯草~外見あるべからず。」まで。

漢文序

親鸞自身の語録(第一章から第十章まで)第十章は「念仏には無義~おほせそうらいき。」まで。

流罪記録

妙音院了祥『歎異鈔聞記』における章立ての内容。ちなみに了祥は江戸時代の教学者。

 

座談も白熱。そういえば、映画『歎異抄をひらく』が公開されておりますがみなさん観られましたか?廣河は倦怠と忙殺の海に流され、あんまり観る気も起きないですが、観てきた!って話は結構聞くのでどうなんかな~と思ってます。

明日、7月28日(日)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第一章」をテーマに第17組妙音寺(新潟市西区五十嵐三の町西)の富樫大樹氏よりお話頂きます。どうぞお誘い合わせてお参りください。

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