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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

「『歎異抄』に聞く」を聞く

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -序文-

7月に入りました。中旬までは涼しい気候でしたが台風の影響か、徐々に暑くなってきましたね。廣河です。はて、去年はこの時期何℃でしたでしょうか。

グエーッ 灼熱!!!

オシシ仮面もびっくりですな。ちなみに三条のこのときの平均気温は27.7℃

なんだ、案外低いじゃんと思うかもしれませんが、平年差が+3.4℃の時点でお察しです(というか上旬だけガクッと気温下がっただけで他はだいたい30℃超えだった)。廣河は暑さにやられてたのか、どうやって生活してたかちょっと思い出せません…。

年はどうなるんでしょうね。雪害も今年は少なめでしたが、こういうのは反動があるものだとどうしても考えてしまいます。大事なければ良いのですが。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第12回目です。6月28日(金)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、三巡目となりますが序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区18組長周寺(新潟市大原)の池田陽氏に、『歎異抄』「序文」を主題にご法話頂きました。

長周寺住職の池田氏。御本山にて本廟教導もされております。

『歎異抄』序文
【本文】※原文は漢文

竊かに愚案をめぐらして、ほぼ古今を勘うるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思うに、幸いに有縁の知識に依らずは、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まったく自見の覚悟をもって、他力の宗旨を乱ることなかれ。よって、故親鸞聖人の御物語のおもむき、耳の底に留まるところ、いささかこれをしるす。ひとえに同心行者の不審を散ぜんがためなりと、云々

【原文】

竊回愚案、粗勘古今、歎異先師口伝之真信、思有後学相続之疑惑。
幸不依有縁知識者、争得入易行一門哉。
全以自見之覚悟莫乱他力之宗旨。
仍故親鸞聖人御物語之趣、所留耳底聊注之。
偏為散同心行者之不審也。云々。

『歎異抄』端坊旧蔵永正本

【現代語訳】(今回池田さんより資料いただいているのでそれをそのまま載せております)

愚かながらひそかに聖人在生の昔と今を較べると、聖人が口ずから語った阿弥陀仏の誓願への真にして実なる信とは異なる教説がままみられることを悲しみ、後代の念仏者が真にして実なる信を受け伝えていけるかどうか心もとない。幸いにもすぐれた師に出逢うことがなければ、どうして念仏を称えるという易行門に入ることができようか。自己の勝手な理解によって阿弥陀仏のはたらきの本来の趣旨を乱してはならない。そこで故親鸞聖人が話された言葉のうち、耳の底に残っている趣旨の僅かばかりを書きしるす。心を同じくする念仏者の疑念をひたすら晴らさんがためである。云々。
【語註】

古今…親鸞聖人が、世におられた頃と、聖人亡き今日。

先師の口伝の真信…親鸞聖人の口から直接お教えいただいた、真実の信心。

後学相続の疑惑…あとの人が、信心を受け継いでいくときにおこる疑いや惑い。

有縁の知識…仏法の世界に導いてくださる大切な師。

易行の一門…本願を信じ、念仏する道。

自見の覚悟…仏法に依らない自分勝手な解釈。

他力の宗旨を乱る…本願の教えの大切な要を思い誤る。

【聞く】

さあ、『歎異抄』も一回りしまして最初に戻って参りました。ここから、御命日のつどいでは第三巡目になるわけですが、廣河は初めからではなく第八章から聞きはじめておりますので、第七章までは未知のゾーン。いよいよ初心を忘れずに、行住坐臥に、時処諸縁を嫌わないで聞いていきたいものです。

今回、池田さんより資料をいただいておりますので、それをそのまま掲載致します。以下原文

 

『歎異抄』の組織と内容

『歎異抄』は弟子唯円が師親鸞の教えと異なった邪説(異義)を歎き、それを糺すために親鸞から聞いた言葉を抜き出(抄出)して書かれたもので、大きく二部に大別される。前十章は親鸞自身が述べた語録であり、「師訓篇」といい、後八章は唯円が異義を歎き批判する「異義篇」(「歎異篇」)という。その後に信心一異の論争や唯円の述懐を記す「後述」(「後記」)がある。また専修念仏教団弾圧を記した「流罪記録」や蓮如の文である「奥書」がある。

 

組織を示すと次のようになる。

師訓篇(第一部)

序(漢文)

親鸞自身の語録(第一章から第十章まで)

異義篇(第二部)

唯円の異義を歎く言葉(第十一章から第十八章まで)

後述(後記)

流罪記録

蓮如奥書

 

師訓篇第十章は「念仏には無義~おほせそうらいき。」まで。

異義篇序「そもそもかの御在生のむかし~条々の仔細のこと。」まで。

 

異義篇第十八章は「仏法のかたに~同朋をいひおどさるるにや。」まで。

後述(後記)「右条々は~外見あるべからず。」まで。

 

歎異抄誕生 佐藤正英 説

親鸞の末娘、覚信尼の再婚相手、小野宮禅念との間に生まれた唯善が両親の死後、唯円門下に入った。

『最須敬重絵詞』にも「真俗に亘りてつたなからず、万事につけて才覚をたてられける人」と人となりがしるされるほどで、唯円の眼には、唯善は親鸞の全てを受け継ぐべき念仏者であると映った。唯善こそ長い間唯円が無意識裡に待っていた念仏者であった。唯円は、自己が親鸞から得た全てを唯善に注ぎかけた。念仏者となって間もない唯善の、稚い初歩的な疑問にも心を尽して丁寧に答えたと思われる。唯善に対するとき唯円の語り口はつい調子が高くなる。語っても語り尽せないもどかしさがついてまわる。余命いくばくもない衰残の自己をあらためて意識する。『歎異抄』を書き残そうという思念が唯円の内に萌したのはそのときであったのであろう。

『歎異抄』は、唯善との出逢いがなかったならばついに述作されることなく終ったのではなかろうか。『歎異抄』は不特定の念仏者に向けて漫然と書かれているのではない。「一室の行者」あるいは「同心行者」に宛てて述作されている。そのようにしるしたとき、唯円の念頭に思い描かれていたのは若き門弟唯善、そして唯善を核とするところの東国の念仏者たちであったのであろう。『歎異抄』はいわば唯善に宛てた書置き、すなわち遺書だったのではなかろうか。

原形復元の試み

異義条々

序 「そもそもかの御在生のむかし~条々の仔細のこと。」まで

唯円の異義を歎く言葉(第十一章から第十八章まで)

後述(後記)

歎異抄

序 「露命わづかに枯草~外見あるべからず。」まで。

漢文序

親鸞自身の語録(第一章から第十章まで)第十章は「念仏には無義~おほせそうらいき。」まで。

流罪記録

妙音院了祥『歎異鈔聞記』における章立ての内容。ちなみに了祥は江戸時代の教学者。

 

座談も白熱。そういえば、映画『歎異抄をひらく』が公開されておりますがみなさん観られましたか?廣河は倦怠と忙殺の海に流され、あんまり観る気も起きないですが、観てきた!って話は結構聞くのでどうなんかな~と思ってます。

明日、7月28日(日)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第一章」をテーマに第17組妙音寺(新潟市西区五十嵐三の町西)の富樫大樹氏よりお話頂きます。どうぞお誘い合わせてお参りください。

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