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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
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2020年4月25日

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#三条エール飯で飲食店応援プロジェクトがはじまる

三条市では、新型コロナウイルス感染症の影響を受けている市内飲食店の支援として、三条市内の飲食店等でテイクアウトやデリバリーを利用し、投稿記事や写真に「#三条エール飯」としてハッシュタグを付けて、個人のTwitter、Instagramにて情報を投稿して、市内飲食店を応援することが、4月22日より三条市長の呼びかけではじまりました(三条市ホームページ参照)。

地域おこし協力隊が作成した#三条エール飯のチラシ。

三条別院では、参道の本寺小路の飲食店や地元の商店街と協力しながら、活動をすすめてきました。三条市の地域おこし協力隊(株式会社Founding Base)より、三条エール飯を大至急始めたいということで別院にも協力の要請がかかりました。お声がかかり、別院では少しでも地域の飲食店の力になればと思い、僧侶がテイクアウトしたメニューを当ブログで紹介させていただいておりました。地域おこし協力隊からは、この写真の提供依頼がありました。4月22日、飲食店への第一弾チラシの配布に同行させていただきました。

参加店とメニューの一部をご紹介させていただきます。

地域おこし協力隊の皆さん。

旬彩 五色川(三条市居島4-12/TEL:0256-32-6526)
本寺小路周辺エリアの割烹 五色川の茗荷弁当(税込1000円)。胡麻油と茗荷の香りが美味。

ベジテーブル(三条市本町1-3-17/TEL:0256-33-6549)
中央商店街のベジテーブルのスマートミール(税込756円)。免疫を高めるために、玄米や野菜を美味しく食べることが必要というコンセプトで、野菜中心でかなり食べ応えのあるお弁当。次回の「三条別院のご案内」でコロナウイルス感染症と三条の経済状況を、一経営者の視点から社長の白鳥さんに執筆していただく予定です。

とんかつ三条(三条市東三条1-3-27/TEL:0256-35-2043)
とんかつ三条はほとんど全品テイクアウトできるそうです。ロースカツ弁当(税込1200円)とミックス定食(税込1290円)と、その他ロースカツを単品(税込970円)もオススメ。

とんかつ三条にチラシ。

焼肉とらーめんの店どっぽ(三条市本町3-6-20/TEL:0256-35-4129)
カルビ弁当(税込1000円)。テイクアウトメニューも夜のみ。

割烹 小山屋(三条市本町2-6-24/TEL:0256-33-0731)
お弁当(税込900円)。手の込んだ料理にお腹を満たすミニハンバーグと唐揚げが入っています。

大衆食堂 正広(三条市石上2-13-38/TEL:0256-31-4103)
カツ丼と親子丼と餃子唐揚げセットをテイクアウト。カレーラーメンの有名店ですが、丼ものを500円(税込)で提供するとのことです。

元禄時代に創建された三条別院は、ずっと参道でもある本寺小路の方々とともにありました。本寺小路のお店をはじめ三条の飲食店も厳しい状況ではありますが、三条別院は微力ながらも、これからも地域とともに歩みを進めていきたいと考えています。

2020年4月15日

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【順次更新】新型コロナウイルス感染症対策の飲食店デリバリーを試してみました!

「新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、会議やイベント、歓送迎会等のキャンセルが続き、外食する機会が減り、先の見えない状況下で飲食店業界の経営は厳しいものになっています。当所では、市内事業所で配達・出前が可能なお店、配達は出来ないが電話で持ち帰り等の注文をいただければ、ご来店をお待ちしているお店を調査し、一覧表を作成いたしました」(三条商工会議所HPより

県内でもさまざまな飲食店などでデリバリーやテイクアウトに対応してきているようです(例えば365―サンロクゴ―HP参照)。

三条別院の職員も、昼食はこれまでも外食が多かったため、本日から配達サービスやテイクアウトを利用してみることにしました。職員のレポートとなりますので、これを参考に県内のさまざまなデリバリーやテイクアウトも、外出できない時などに利用してみてはどうでしょうか。順次更新していきます!

【2020年4月8日(水)】第1回となる本日は越前屋ホテルのお弁当です!

今日は里芋の唐揚げや焼鮭など豪華なおかずに味噌汁までついていました。

距離を十分にあけて食事することを心がけている。

場合によっては対面にならずに横に並んで食事することも。

ちょっと気分を変えて外で食事してみました。

酒を交えての花見は自粛中ですが、少人数でお弁当を食べるくらいなら大丈夫でしょう。

私たちはスタンプラリー等は好きなので、外出を極力自粛しつつも、三条市内のデリバリーをすべて制覇したいと考えています。さて、明日は、新小路の魚長にお弁当を頼みました。どんなお弁当が届くのか?新型コロナウイルスで状況は楽観視できませんが、危機だからこそ、三条市内の飲食店の新たな魅力が開発されている気がします!

【2020年4月9日(木)】新小路の料亭 魚長

新小路の魚長(デリバリー)。カキフライや蕗味噌などの食べ応えのあるお弁当は1080円。

三条別院・教務所の職員でお弁当を持参予定がないものが、きまぐれに注文する。参加人数も増えている。

【4月10日(金)】老舗料亭 二洲楼

二洲楼の期間限定サービス品。鮭みそ漬弁当800円で玉子焼さんじょうぃっちを頼んだ職員も。

【4月11日(土)】東三条のカジュアルイタリアンスタイルOGAWA

カジュアルイタリアンスタイルOGAWA(テイクアウト)。当日電話注文で対応可能。ハンバーグステーキ弁当と白身魚のポワレ弁当どちらも税込み、容器代込みで1380円とクワトロフォルマッジョ(4種のチーズピザ)1600円。

OGAWAのテイクアウトメニュー。

【4月12日(日)】三条スパイス研究所

日曜日で出勤人数も少なく、森田輪番が、スパイス研究所のテイクアウトサービス、1種カレーBOX 864円を、みんなにご馳走してくれた。2種カレーBOXは人気で、すでに売り切れていた。

結城主事が辛いのが苦手ということで、白菜と豆カレーを注文。

しだれ桜も満開を少し過ぎ、葉桜になりつつある。しかし、晴天の下のカレーは美味しい。

【4月13日(月)】本寺小路 料亭 福海老

この充実の内容でまさかの500円。配達もしてくれました!ちなみに福海老は毎年お取り越し報恩講で本山御鍵役の接待が行われている料亭です。

今日は小雨が降っていたので書院でお弁当を食べました。

書院は明治時代の歴史的な建物なので、かなり贅沢な時間ともいえます。

【4月14日(火)】荒町 カジュアルフレンチ アペロ

これでちょうど一週間経ちましたが、先週末には別院・教務所の職員も不要不急の外出を避けることと事務所内の人員を半数に減らすという指示があり、政府から夜の繁華街に行くことの自粛が促され、街にはさらに人が減ってきたようで、期間を決めて臨時休業するお店も増えてきました。三条市では本寺小路に市独自の助成金と給付金で財政支援する方向が検討されているということ(三条市長日記)で、外出を徹底して控えながらもできることを、各自模索しているようです。テイクアウトやデリバリーの動きはかなり活発になってきたようです。

三条市荒町のカジュアルフレンチ。夜の営業は中止し、テイクアウトとランチ営業のみとなっている。

魚介のトマトクリーム税込1,100円。実は昨年のお取り越し報恩講の女性僧侶による声明(女声助音)の反省会が開かれ、別院職員ははじめて知ったお店。テイクアウトは当日電話で注文して対応してもらえました。カニとエビとムール貝と豪華で、かなり食べ応えありました!

昨日に引き続き曇天で寒かったため、書院で昼食をとる。

ボリュームもあり、男性も十分に満足できる分量です。明後日からもう少しリーズナブルな価格帯のお弁当もはじめるそうです!

とりあえずここまで一週間の記録となりましたが、明日は本寺小路にもどり、天婦羅のみや嶋からテイクアウトをお願いしていますので、引き続き更新していきます。このような飲食店の試みによって不要不急の外出を控えることにつながり、可能な限り短期間でコロナウイルス感染症が収束に向かうことを願っています。

【4月15日(水)】本寺小路 天婦羅 みや嶋

今日は本寺小路に帰ってきて、人気天麩羅屋のみや嶋で天麩羅丼800円をテイクアウトしました!エビやキスやかき揚げに加え、ホタルイカやししゃもなど季節の豪華な天麩羅が敷き詰められています。

今日は毎年花見を行っていた東門の桜の下で食べました。午前中は作業をしていたため、足袋が汚くて申し訳ありません。

まるで天ぷらの宝石箱。飲食店も今は利益度外視で、活気を生み出そうとしていることがわかります。

本日新潟市での葬儀にて感染者がでたそうです。教区内有志で行われたZOOM座談会でも話題となった、通夜や葬儀や法事や月参りなどで、遺族や親族や門徒さんを孤独にさせることなくよりそいながら、感染しない-させないように配慮する模索が続いていきます。明日は、本寺小路の割烹五色川を予定しています!

 

 

 

 

2020年4月7日

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新型コロナウイルス対策でマスクを自作。こんな私達でもできました!

新型コロナウイルス対策で、「業務時間中のマスクの着用、手洗い等予防対策の徹底」が本山から全宗務機関に指示がありました。マスク・消毒液等の備品を備えて事務所内の換気や消毒も徹底しています。また、密閉、密集、密接を避けるということで、事務所内の職員の数を制限して自宅待機する試みもはじまります。職員用のマスクの備蓄はある程度あるのですが、収束まで長期間となった場合に備え、布のマスクも必要になるかもしれないということで、三条市内の雑貨店BonBonのハンドメイドマスクが話題となっている(新型コロナウイルスで品薄に・・・マスクの作り方を伝授!【新潟・三条市】/NSTニュース)ので購入しに行きました…が、需要が多いために販売日を限定していると富川店長に言われ、「それほど難しくないので、自分たちで作ったらよいのでは」とアドバイスを受けました。

さっそく自宅待機の際などにできる作業として、団体参拝記念品のマイクロファイバークロス(ぜんギフト、念のため加工する許可はとりました)でマスクを作ってみました。衛生的に大丈夫であるのか否かという議論がありますので、普段は市販のマスクを使用したいと思っています。

市販のマスクがいかに優れているが実感できました。いつか完璧なマスクを作り上げ、門徒さんや有縁の方々がマスクがどうしても手に入らない場合は配れればなどと思います。

マスクが無くなってしまってどうしようもない場合はお声がけください。このたびの新型コロナウイルス感染症拡大で、マスク不足から「不安」が高まっているという一面があります。今回挑戦してみて、手作りマスクは難しそうですが、実際に小学校の家庭科で教わった裁縫のレベルでも、いざとなれば、自分で作ることができ、それによってある程度の安心感が得られるということが分かりました。そしてそれは「けっこう楽しい」という良い副作用もあるのです。貴重なことを三条の雑貨屋さんから教えていただきました!

黄色いマスクは1日目。紫色は2日目に作ったマスクでこちらは裏地をつけてみた。上は失敗し、下がそれを改良したもの。

上は裏地のつけ方を失敗してしまった。下は成功したが、縫いしろが狭すぎた。なかなか難しいが、だんだん上達していることがわかるだろうか。

追記:ケンオードットコムにも別院の職員の日常の取り組みを好意的に取り上げていただきました。

(斎木)

2020年4月3日

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【晨朝法話抜粋】コロナウイルス感染症にかかるのは鯨をみんなで捕るようなものだという『御文来意鈔』の譬え

当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。(『御文』4帖目9通)

新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、春彼岸をはじめとする諸法要は内勤め(職員のみでの勤行)とし、参詣は自粛していただいています。ちなみに、しんらん交流館のサイトでは、春彼岸会に出向予定であった中山善雄教学研究所研究員による法話「信心と大衆心理」の動画が配信されています。ぜひご覧ください。

さて、三条別院では平常の法要(毎朝の晨朝・おあさじ)は継続してお勤めをしており、数名の参詣者があります。参詣者には十分な距離をとっていただき、マスクの着用をお願いしています。毎日短い時間ではありますが、10分程度の法話を職員が行っております。本山でも動画の配信など、外出を控えている方への発信がはじまっておりますので、4月のはじめに行った法話の内容を試みに抄出したいと思います。斎木が担当した法話で、個人的な意見も含まれていますので、ご了承ください。

 

毎朝7時からの晨朝では、正信偈・和讃の後に、本願寺8代目の蓮如上人の御文を拝読する。御文とは蓮如上人が御門徒に記された「手紙」であるので、淡々とほとんど抑揚なく拝読するのであるが、「意味」を伝えなくてはならないので、「自分が『御文』を読み込んでその意味をまず頂かなければならない」と本山の泉堂衆が読法講習会の際に厳しく繰り返された。それを実践するために、私は試行錯誤して、石川県の地方仏教書店で出版している『御文来意鈔(ひらがな版)』を発見した。そこには江戸時代の学匠慧忍が『御文』がどのような経緯で、どのような場面で、誰のために書かれたのかという伝を豊富な固有名詞と共にまとめてあり、情景を思い浮かべるのに便利である。

このたびコロナウイルス感染症拡大で、蓮如上人が記された「疫癘(えきれい)の御文」について法話で取り上げられることも多く、本山の浄土真宗ドットインフォにて法話動画配信の試みで教学研究所の研究員がそれを主題に話をしていたが、①蓮如上人が78歳の春から夏にかけて疫病が流行した時に記された御文であること、②死者が多くでて宮中での祈祷が種々行われたこと、③疫病が鎮まるように元号が延徳から明応に変わったこと(タイムリー!)が『御文来意鈔』には具体的に記されており、法話では典拠は示されなかったが、この書を参考にしているようであり、手紙が書かれた状況は少しだけ述べられていた。しかし、肝心の内容については、「蓮如上人は疫病が原因で死ぬのではなく、死の原因は生まれたことであると明言した」ということに尽きるようであり、現在の切迫した状況に応えられているかは疑問である。動画配信の試みなので文字通り試行錯誤かもしれない。
実は『御文来意鈔』では、もっと面白い譬えで具体的な人々の悩みが描かれているのでそちらを紹介して、現代の状況に対して仏教徒として一言いえることを示したい。
ちなみに蓮如上人が生きた時代は室町時代であったことに留意して、「とんでもないこと」に聞こえるかもしれないが、少し耳を傾けてほしい。
さて、『御文来意鈔』によると蓮如上人に相談した人々は「非業の死(自分の「業」=「行い」に無関係におこる死)」を恐れていたという。疫病や地震や津波で大勢の人が同時に亡くなってしまうのをみると、「自業自得」とは到底思えない。自業自得でないということは、いくら善根を積んでいた(仏教を修行していた)としてもそれが報われず仏にはなれない。疫病で死んだ人は仏にはなれず、迷いの世界を繰り返すのだという悩みだったという。それに対し、蓮如上人は、疫病で死ぬことは「非業の死」ではないという。それは「みんなが集まって鯨をとるようなものだ」という譬えを用い、結局自分の行いの結果なのだという。これはどういう意味だ???
すこし解説すると、仏教では「殺生」は重い罪であるが、食べなければ生きられない。大きい鯨はそれだけ食料になるので、大勢で協力して捕獲して食べるという殺生を行う。そして、その場所にいた者はみんな同じ罪をもっている、ということである。拡大解釈すると、食べ物を待っていた母親や子どもも、同じ罪を分かち合い、あるいは傍観していた者も、止めなかったということで同罪であろう。それ故、その報いを受けて、疫病でみんなが亡くなるというということもあるのだという。
飛躍がありとんでもないことに聞こえるので、これを現代的にいうと、「食べるためであれ殺している限りにおいて、同じように何者かに殺されるという可能性はある」ということである。当然同種に限らず、我々が殺しているのは鯨であり、我々が殺されるのはウイルスによってかもしれない。殺生という連鎖を止めない限り、この循環は続く。
さて、もう少し現在の業況において応用可能にいうと、自分がどんなに虚心に気をつけていても、環境によって不可避的に感染してしまうというものがありうる(非業の感染?)。自宅待機でも不意に訪れた来客の飛沫により感染したり、自分の大切な人が熱を出して看病したり、あるいは危険な病院に連れて行かねばならなかったり、受けねば収入が断たれるような仕事があったり、義務教育だったり、大切な友人の結婚式であったり、行きつけのスナックから営業メールが来たり…という具合である。ちなみに私事であるが私の姉は東京の足立区の調剤薬局で薬剤師をしているので「地元経済のためにスナックに行かないと」と悩んでいる私とは雲泥の差である。
ここから学ぶこと。①私たちはこれを「自分のせいではない」という。蓮如上人は「果たしてそうだろうか」という。②またさらに「ウイルスをうつす限りにおいて、同じように何者かにウイルスをうつされる可能性はある」ということである。我々はこの連鎖をとめることができるのか。外ならぬ私自身の「欲」や「無関心」やあるいは「責任感」によってさえも感染が拡大していること。そしてその連鎖をとめるためにはウイルスをうつさないという徹底的な決意をすること。たとえ「常識」に反してでも、たとえなじられようとも、たとえ自身が感染しても…。
コロナウイルス感染症の拡大の中で、仏教徒たちの発言ははじまったばかりである。(斎木)

2020年3月27日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が森田輪番の法話を聞く【年頭会報告】

新年が明けて、早いものでもう4か月が過ぎようとしております。三条別院では2月28日(金)の御命日に年頭会が勤まりました。お勤めの後に、三条別院輪番森田成美より年頭の挨拶と、ご法話をいただきました。

法話の内容は、2023年に本山でお勤まりになる「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」のテーマ、「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」を中心にお話されました。

まず初めにテーマの願いを確認されました。


私は、この地、この時に生を受けている。
このことを精いっぱい尽して生きたい。
悩み、苦しみは私に押し寄せてくる。
でもそれは「生きること」をも奪うものではない。
私の心の奥底にある「生きたい」という声に耳を澄まそう。
その時、私に届けられている声に気づく。
それは私を呼ぶ声、
南無阿弥陀仏。

仏の名(みな)を呼ぶことは、仏の呼び声を聞くこと。
その呼び声の響きの中で、
人と生まれたことの意味を仏にたずねていこう。
私に先立って生きた人たちと、
同じ今を生きる人たちと、
これから生まれてくる人たちと、
そのこと一つをともにたずねていこう。
種から芽が出て花が咲き、花は枯れても種が残りまた花を咲かすように。


慶讃テーマの詳細については下記PDFをご覧ください。

テーマの願い・趣旨

確認のあと、慶讃テーマの文言それぞれを取り上げ、味わいました。

私は、この地、この時に生を受けている。
このことを精いっぱい尽して生きたい。
悩み、苦しみは私に押し寄せてくる。
でもそれは「生きること」をも奪うものではない。

私はこの地、この時、「今此処」に生きている。「今此処」ということが大事だと言われ、ここの文言に連関するものとしてアンパンマンの歌を紹介されました。

そうだ!うれしいんだ いきるよろこび たとえ むねのきずがいたんでも(アンパンマンのマーチ・やなせたかし)

そうだのあとにはビックリマーク「!」が持っている歌詞には書かれているそうで、このビックリマークには気づきが表されていると受け止められているそうです。どのような気づきか。悩みや苦しみが押し寄せてくるとそちらのほうに心を奪われて、生きていること自体が切なくなる。けれども、生きてあることそれ自体がうれしいこと、生きる喜びなのであり、それに気づくことなのだと言われました。

廣河も小さいときからこの「アンパンマンのマーチ」に親しんできましたが、あらためて歌詞を見て考えてみると、この「アンパンマンのマーチ」の歌詞にはいのちの根源の問いをアンパンマンを通して私たちに呼びかけているのだと考えることができます。普段は何気なく、生きるとか死ぬとか気にせずに生活しているのが私です。また、過去のことに執着してうじうじしたり、未来のことを思ってどうしましょうと不安に思ったりもする。しかし思うに、過去でも未来でもなく、「今此処」を生きていることの自覚。その気づきが「そうだ!」という言葉となり、悩み苦しみがひしめき、時には胸の傷が痛むこの世界で、それでも生きていこう、生きたいという意欲につながるのではないかと思います。アンパンマンすごい。

私の心の奥底にある「生きたい」という声に耳を澄まそう。
その時、私に届けられている声に気づく。

それは私を呼ぶ声、南無阿弥陀仏。

仏の名(みな)を呼ぶことは、仏の呼び声を聞くこと。

その呼び声の響きの中で、
人と生まれたことの意味を仏にたずねていこう。

続けて、三条別院境内地内にある松葉幼稚園の園児たちに向けてお話したことも紹介していただきました。

私たち、息をしようと思って息してる人はまずいません。だから、意識して息を止めてみると、当然苦しい。普段は無意識に息を吸って、吐いてを繰り返しやって呼吸しているから生きている。では、心臓、脈というのは、意識して止められるものなのか?当然無理です。当たり前と思うかもしれません。しかし、私たちが、意識を超えたところのはたらきによって生かされているということが、そういったところでも言えると話されました。生かされているこの身の底に、「生きたい」という声が確かにある。その声が、私を呼ぶ声、「南無阿弥陀仏」であると、慶讃テーマでも言われておりますね。

続けて、南無阿弥陀仏の中には、私たちに先立って諸仏と成られた方も入っていると話されました。法事の際にいつもお話されているそうですが、一周忌や三回忌、七回忌でお経をいただく時、我々が法名に向かって何か事を成しているようにみえるけれども、法事は仏法の仕事、仏様のお仕事なのだと。そこで、難波別院の掲示板に書かれていた言葉を紹介していただきました。

亡き人に、迷うなと拝まれているこの私

紹介された上で、「亡き人が、迷うと拝むこの私」になっていませんか、と問いかけられました。仏法の仕事という意味では、亡き人が迷うなと手を合わせた私が、亡き人に迷うなと手を合わせられている、拝まれていることに気づくこと。そのことが、南無阿弥陀仏の中に響いていると述べられました。先立って逝かれ諸仏となった、両親、家族、親しい人に、真実に目覚め真実に生きよと願ってくださっているその願いを聞き届ける。それが南無阿弥陀仏ということでないかと。その響きの中で、人と生まれたことの意義を尋ねていく。み仏に尋ねていこう。私に先立った人たちと、諸仏となった父母、兄弟、姉妹、縁を結んだ方々、同じ今を生きる人たちと、今ご聴聞にいらっしゃっている皆さんたち、あるいは家に帰れば、子や孫、曾孫と、これから生まれてくる人たちと、まだ遇っていない、これからのいのちと、そのこと一つを訪ねていこう。

私に先立って生きた人たちと、
同じ今を生きる人たちと、
これから生まれてくる人たちと、
そのこと一つをともにたずねていこう。
種から芽が出て花が咲き、花は枯れても種が残りまた花を咲かすように。

ここには無量寿、量りしれないいのちの繋がりの中で、今私はここに生きていて、それを大事にしていきたいということが言われていると述べられます。

そしてまたもう一つ、幼稚園の園児たちにお話されたことを紹介していただきました。

私たちには一人ひとり、お父さんとお母さんがいます。そしてお父さんにもお父さんとお母さん(おじいちゃんとおばあちゃん)がいます。そしておじいちゃんおばあちゃんにもお父さんとお母さん(ひいおじいちゃんとひいおばあちゃん)がいます。そうすると、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんだけでも8人いることになります。そして、この中の誰か1人でもいなかったら、縁がなかったら私たちはここにはいない。また、その8人のひいおじいちゃんひいおばあちゃんの中で、お顔やお声も、聞いたことがないという人もいることでしょう。しかし、その人たちがおられて、私たちはこうしてここにいる。そういう不思議にも連続無窮にましまして、私まで届いたいのち、ということを大事に尋ねていく。それが人と生まれたことの意味をたずねていこうということの意味ではないかと、話されました。

慶讃法要が2023年にお勤まりになるということで、そのことを中心にお話されたことであります。前回1973年に厳修された「親鸞聖人御誕生800年・立教開宗750年慶讃法要」のテーマは「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」でした。今回のテーマ、「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」は、言葉は違えど、念仏の教えから「ひととうまるる」ことの意味をたずねていくことに全く違いないように思います。 改めて、一人の人間として「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の呼び声を聞くことの大切さが思われることであります。

 

年頭会では法話の後、例年お斎の場がありましたが、新型コロナウイルス感染症感染拡大に伴い、料理は折り詰めにし、お持ち帰りいただきました。一年に一度、世話方・講員・別院教務所職員の懇親を深める有り難い機会ではありますが、現状況下ではやむを得ない処置です。

また、今後の御命日のつどいについて、改めてご案内します。

3月28日(土)の御命日のつどいは、佐渡組淨願寺(佐渡市片野尾)住職の藤岡正典氏に『歎異抄』第八章についてお話いただく予定でしたが、法話は中止とさせていただきました。

また、4月28日(火)の御命日のつどいも、第18組永傳寺(新潟市西蒲区)住職の本多智之氏に『歎異抄』第九章についてお話いただく予定でしたが、同じく法話は中止とさせていただきました。

当日は御命日日中法要を職員のみでお勤め(内勤め)させていただきます。

既に講師と内容は決定しているため、5月に再開した場合は第十章からとなります。3月の第八章、4月の第九章については職員がホームページにて講究させていただきます。ご了承ください。

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