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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
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2021年3月2日

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本のご紹介(東本願寺)

 

発行 東本願寺出版

著者 木越 康氏(大谷大学学長)

発刊 2021/2/1

頁数  81頁

価格 385円(税込)

 

「他者と共に生きる事」の大切さは理解できても、自己中心性を離れることができない私たち。それでも、朋(とも)なる社会の実現を諦めず、明るい未来へ向かうには一体どうすればいいのか…。次代を担う子ども達のために仏教・真宗教育がもつ意義を、ブッダ、親鸞聖人の教えをとおして尋ねる。

仏教、浄土真宗の視点から「教育」とは何かを語る真宗教育シリーズ第7弾。

購入をご希望の方は三条教務所までご連絡ください。(℡:0256-33-2805)

2021年3月1日

ブログ 三条別院に想う

大正時代と三条別院—米北教学会を中心に―(三条別院に想う)

【特別編⑪大正時代と三条別院】

はじめに・松葉幼稚園創立100周年と100年前の別院
▲新型コロナウイルス感染症が世界中に流行した2020年、今年に入ってもまだ収束の兆しをみせていません。ちょうど100年前、スペイン風邪が流行し、収束しつつあったのが1921(大正10)年であったといいます。そして本年2月7日で松葉幼稚園は創立100周年を迎えました。本来であれば記念式典が盛大に開かれる予定でしたが、新型ウイルス感染症のため、職員と園児のみで「祝う会」が粛々と行われました。幼稚園が設立される以前、そこには「米北教校」があり、1883(明治16)年に寺院子弟の教育機関として設置された後、国と教団の教育政策の変更によってめまぐるしく体制が変わり、1888(明治21)年に一般人の受入も行うようになり、1900(明治33)年に県立新潟中学三条分校(現在の三条高校)の設置が決まると同時に廃止になりました。実はその後、別院の境内地の教校跡地に「米北教学会」が置かれ、その建物内に幼稚園が設立されたことはあまり知られていません。今回は明治後期に米北教学会の幹事を務めていた土屋法潤氏に焦点をあて、第15組淨照寺前坊守土屋紀美子氏に、明治から大正にかけてのお話をうかがいました。

◎話し手 ▲聞き手・編集(斎木)

▲土屋法潤氏について教えてください。

◎先代住職(土屋守氏・故人)が私の配偶者で、その父親の18世の土屋秀謙から聞いたことになります。嫁に来た私に昔のことをいろいろと語ってくれました。

◎土屋法潤〔嘉永元(1848)年~昭和4(1929)年〕は真宗大谷派淨照寺第16世住職です。

◎三条市立月岡小学校の創始者であり、漢学の素養があり「月岡八景」等の漢詩が残されています。

◎米北教学会の幹事を勤めていて、1904(明治37)年の幹事退職記念の写真があります。

※この写真は土屋法潤氏のみの部分であるが、原本は集合写真で、教区内で当時活躍していた僧侶達の姿がみえる。

◎東本願寺第23代彰如上人(句仏上人)の時、本山の命で朝鮮景城別院に布教監督として勤務していたそうです。朝鮮布教の際には、陸軍第13師団で従軍布教使をしていた鈴木峰暎氏(第16組願念寺)を用心棒(笑)として連れて行ったそうです。鈴木氏は一寸のことでもよく議論する議論好きで(真宗問答といったそうです)議論に負けるとしばらく「風邪をひいた」といって寝込んだそうです。

▲当時の新聞等で調べるとおそらく1907(明治40)年から1908(明治41)年だと思われ、その際に真宗大谷派の現地責任者として朝鮮布教をしているという大変なことのようです。これは日露戦争後の日本の植民地政策の中で非常に不安定な時期で1905(明治38)年に韓国統監府(初代統監伊藤博文)が置かれ、1909(明治42)年には伊藤博文は暗殺され、それをきっかけに1910(明治43)年に朝鮮総督府が設置されています。

◎帰国後は本山勤務が長かったので、後堂の一部屋を与えられ「法潤の間」と言われて僧侶の出入りが多かったそうです。

◎真宗大谷派本山教学部長に任命され、奉職中、真宗大学から大谷大学に移行する時に尽力したそうです(『真宗大学廃滅の顛末』参照)。

▲宗報を見ると明治41年に教学部長に任命されているようです。土屋法潤が任期中にいったん収まりかけた問題も再燃し、明治44年に移転が決定してしまうようです。

◎ところで、明治44年の金子大榮から第17世住職土屋秀圓宛の手紙があります。真宗大学時代に非常に親しかったということです。曽我量深とも親交がありました。土屋秀圓は土屋法潤の娘婿で、笈ケ島の願念寺から来ました。朝鮮で鈴木峰暎氏と一緒だったため縁談があったと聞いています。善性寺の福田見昌氏の影響で、「専修念仏」を生涯実践していて、息子の秀謙も生涯念仏を称えた方でした。

▲東京巣鴨の真宗大学は1901(明治34)年に開校し初代学監は清沢満之。清沢満之亡き後は南条文雄が二代目学監となりました。1911(明治44)年、わずか10年で真宗大学と高倉大学寮を併合して真宗大谷大学と改称し、京都に置くことが決定しています。曽我量深等を含め当時の教授たちは必死で抵抗したようです。結果として改革運動は敗れていくわけですが、その問題の渦中で鎮静に当たったのが土屋法潤だということなのですね。その娘婿宛に、リアルタイムで金子大榮がその心境を手紙に記して送っているということで、貴重な資料であると思います。

◎若い頃、彰如(句仏)上人の随行で別院に来たそうで、後に上人が三条別院に立ち寄られた際に法潤に会いたいといわれたそうですが「老骨の姿はみせられない」と断ったそうです。

▲彰如(句仏)上人は本山の宗祖650回御遠忌法要の関連の行事や、あるいは三条別院蓮如上人400回忌兼厳如上人25回忌法要(大正8年)や聖徳太子の1300回忌法要(大正10年)等でたびたび三条別院に立ち寄られています。また彰如上人の借財とそれに伴う僧籍削除事件で連座した僧侶も多いようです。

▲なお第16組願善寺の光井栄泉氏から当時の米北教学会の議事録の写しの一部を頂戴しました。今回の記事もこの資料を参考に補っています。

その他解説①曽我量深没後50年

本年は曽我量深〔1875(明治8)年~1971(昭和46)年〕の没後50年に当たる。ちなみに1921(大正10)年は曽我量深は46歳。三条別院でも50回忌にちなみ、新潟親鸞学会にご協力いただき、親鸞学会白根大会の翌日の、祥月命日である6月20日(日)に長谷正當先生(京都大学名誉教授)に引き続き別院にてお話しいただく計画をしている(詳細は次号)。1976年には金子大榮が還浄しているので5年後には金子大榮の50回忌も行われるであろう。インタビューの中には金子大榮の同級生で曽我量深とも親交の深かった土屋秀圓にも触れられている。ここで注意すべきは曽我量深・金子大榮と同時代の越後の念仏者が多数いたことである。そこで今回「米北教学会」に注目してみた。ちなみに曽我量深の義理の父である曽我慧南も所属していて土屋氏の退職記念の写真に姿がある。

②100年前の三条別院

本年2月22日は聖徳太子1400回忌にあたるが、大正10(1921)年6月には、彰如(句仏)上人御親修のもと別院にて1300回忌法要が盛大に厳修されている。

③戦争とスペイン風邪流行と日本の公衆衛生

明治末から大正時代にかけて、1904年(明治37)年から1905(明治38年)年にかけて日露戦争、韓国併合〔1910(明治43)年〕、1914(大正3)年から1918(大正7)年にかけて第一次世界大戦がおこっている。スペイン風邪は1918年から1921年にかけて世界的に流行した。この時代の東本願寺は中国・朝鮮各地に別院を設置して布教を行っていった(新野和暢『皇道仏教と大陸布教』に詳しい)。
日本の公衆衛生の基礎は、1871(明治4)年から1873(明治6)年までの欧米使節団での視察により作られたという。100年前のスペイン風邪の際はマスクと手洗いの徹底が奨励されたようである。100年経って何も進歩がないと言われるが、逆に100年前の医学的な知識がいかに優れていたかが知られる。魯迅は漢方医に絶望して日本に留学して医学を学んだ。アジアの国々はいち早く西洋列強の仲間入りをした日本に学ぶため、留学生を送っている。1904(明治37)年仙台医学専門学校の授業のスライドで、ロシアのスパイの中国人が見せしめに日本軍に首を切られ、その見物のために囲んでいる中国人の姿をみて、「あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ」(『吶喊』)と文芸運動を志し、夏目漱石などに影響を受けていく。魯迅が「愚弱な国民」を象徴した主人公を描く『阿Q正伝』を記したのがちょうど1921(大正10)年なのである。ちなみに夏目漱石の門下生の松岡譲は第12組本覚寺の出身であったが、東本願寺への激しい批判を交えて還俗する私小説『法城を護る人々』を発表するのは1923(大正12)年から1926(大正15)年にかけてである。そこには小説という形ではあるが、当時の改革派と保守派が仏教の精神から外れたものではないかという、寺に生まれた当事者としての煩悶の中で、ともに辛辣に批判されている。遠いようでいて近い大正時代に思いを馳せると、この新型ウイルス危機に仏教が必要であるかが試されているようにも思える。

▲註 近代仏教と戦争をめぐる研究がすすんでいるが、最近の成果に近藤俊太郎/名和達宣編『近代の仏教思想と日本主義』(法蔵館)がある。同書所収論文の東真行「聖徳太子と日本主義―金子大榮を中心に―」を読むと100年前、聖徳太子が仏教と神道を結びつけるために盛んに研究されたこと、そして1300回忌法要がなぜ盛大に行われたか理解できる。曽我量深・金子大榮の50回忌を迎えるにあたり、その思想の「功罪」両面をあらためて知るために、このような研究群は必要に思われる。

 

○次回の「三条別院に想う」は、
佐々木恵一郎 氏(第10組行通寺)より
ご執筆いただきます
【次回は特別編⑫新型ウイルス流行下での教化について】

▲新型ウイルス感染症流行下で従来の教化事業が行えなくなっています。三条別院でも、「エール飯」、「フードバンク」、「DODALO(法語カード/座談カード)」、「Youtubeチャンネル」等を行ってきました。佐々木さんのお寺でも法話ライブ配信のサテライト会場になったり、少人数で別院報恩講に参拝していただいたり、別院の教化事業にもこまめに反応をいただいています。新型ウイルスの収束時期が読めない今後の仏教教化について、どのように考えているのかお聞きします。

 

2021年2月15日

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出版物の紹介

 

発行 東本願寺出版

発刊 2020/9/28

頁数  132頁

価格 1,100円(税込)

 

宗祖著作の聖教に立ち返った学びを深めていただくことを願いとした聞法テキストシリーズ第1弾
本文篇と付録篇の二篇構成。本文篇には、本文に加え読解に資する註を、付録篇には、読解の一助として現代語訳や両聖教の対照表、親鸞聖人の略年表を掲載。

「一念多念文意」、「一念多念分別事」をわかりやすく現代語訳しております。また、本文につきましても分かりやすい言葉で書き下しております。2020年度の三条別院報恩講で最も売れた書籍であります

購入をご希望の方は三条教務所までご連絡ください。(℡:0256-33-2805)

2021年2月15日

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出版物の紹介

 

発行 東本願寺出版

著者 蒲池 勢至氏

発刊 2020/6/28

頁数  152頁

価格 1,760円(税込)

 

全国各地の真宗門徒の特色ある信仰の姿や、葬儀、年中行事などの儀礼を、柳田賞受賞の民俗学者・蒲池勢至氏が探訪する「真宗民俗の世界」。日本人の失われつつある古き良き暮らしの一端を垣間見るとともに、現代につながる信仰のありかたを見つめる一冊。

蓮如上人御影道中や三条別院お取り越し報恩講の内容が記載されております。三条別院名物「ごぼさまのからみそ」も掲載されております。

購入をご希望の方は三条教務所までご連絡ください。(℡:0256-33-2805)

2021年2月15日

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出版物の紹介

 

発行 東本願寺出版

発刊 2013/11/28

頁数  63頁

価格 275円(税込)

 

 

誕生から入滅までの親鸞聖人のご生涯を、はじめて親鸞聖人について学ぶ方に向けてわかりやすく解説した入門書。絵画写真や系図、地図を豊富に収載し、従来よりもさらに大きな文字で読みやすく、コンパクトで持ち運びに便利な一冊。

初めて浄土真宗に触れる方でもわかりやすい本でございます。三条教区でも別院報恩講や研修会等で販売しております。

 

購入をご希望の方は三条教務所までご連絡ください。(℡:0256-33-2805)

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