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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
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「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

【御命日法話代替】『歎異抄』を江戸時代の講師、香月院深励に聞く【第九章】

新型コロナウイルス感染症の影響により、本記事投稿日現在、9月28日(月)まで宗祖御命日が内勤めとなり、法話は中止となっております。毎月28日の親鸞聖人の月命日には宗祖御命日の集いとして本堂での勤行のあとで、『歎異抄』を一章ずつ、月ごとに講師を変えてお話しいただいております。この記事では毎月継続してお参りしていただいている方を主な対象として、『歎異抄』第八章から第十四章は別院列座で講究して、その内容をここに記したいと思います。職員の自己研鑽も兼ねるということで、少々専門的な内容になりますが、せっかくなので本格的に江戸時代の講師の香月院深励の註釈を紐解いていくという試みを行いました。本文を全員で拝読した後、担当者が香月院の註釈を読み、典拠を確認し、全員で講究するという流れです。今回の箇所、第九章はテキストが長いため、28日だけでなく各日で講究しました。

○日時:4月28日 宗祖御命日日中法要後、他各日 『歎異抄』「第九章」講究
○担当:廣河
○当該箇所:『真宗聖典』629頁10行目~630頁6行目(『歎異抄』「第九章」)
○テキスト:『真宗大系』24巻 71頁~77頁(『歎異鈔講林記』巻下)

【講師】

香月院深励 大谷派第7代講師。寛永2(1749)年~文化14(1817)年。越前の碧雲寺生まれ、永臨寺に入寺。高倉学寮で慧琳および随慧に学び、豊山の智道・仁和寺の龍山等について倶舎・唯識・華厳・天台等の余宗の教学を学んだ。寛永2(1790)年擬講に補せされ同5年嗣講に進み同6年講師となり、香月院と号した。時に46歳。『歎異抄』の講義は数回行われているが、代表的なものは享和元(1801)年越中富山の永福寺で1カ月かかって終了した講義。写本の1本が明治32年『歎異鈔講義』(京都護法館発行)の題名で刊行され、またべつの筆者本が『歎異鈔講林記』(『真宗大系』第23巻・第24巻)の名称で刊行されている。(曽我量深『歎異抄聴記』文庫版の解説参照)
今回は、三条教区教化センター所蔵の『真宗大系』本をテキストとして、講究を行った。

 

【『歎異抄』「第九章」本文】

一 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々(『真宗聖典』629頁10行目~630頁6行目)

【『歎異抄』「第九章」私訳】

「念仏を申していますが、喜びの心は薄く、天におどり地におどる喜びの心が湧いてきませんし、また急いで浄土へまいりたいと思う心が起こってこないのは、どういうわけでしょうか」と、お尋ね申しあげたところ、聖人は、「親鸞もそれをいぶかしく思っていたが、唯円房、そなたも同じ心であったか。よくよく考えてみると、天におどり地におどるほど喜ばねばならないことを、そのように喜ばないわが身を思うにつけても、いよいよ往生は一定の身であると思います。

というのも、喜ぶべき尊いおみのりをいただいて、喜ぼうとする心をおさえとどめて喜ばないのは、煩悩のはたらきです。しかるに仏は、このような私であることをかねてからお見通しの上で、煩悩具足の凡夫を救おうと仰せられているところですから、他力の悲願は、このように浅ましい私どものためであったと気付かされて、ますます頼もしく思われます。

また、急いで浄土へ参りたいというような思いがなくて、ちょっとした病気でもすると、もしや死ぬのではなかろうかと心細く思うのも煩悩のはたらきです。久遠の昔から、今まで流転しつづけてきた迷いのふるさとは、苦悩に満ちているのに捨てにくく、まだ生まれたことのない安養浄土は、安らかな悟りの境界であると聞かされていても、慕わしく思えないということは、よくよく煩悩の激しい身であるといわねばなりません。まことに名残は尽きませんが、娑婆にあるべき縁が尽きて、どうにもならなくてこの世を終わるときに、かの浄土へは参るはずのものです。いそいで参りたいという殊勝な心のないものを仏はことに不憫に思われているのです。

それを思うにつけても、いよいよ大悲の本願は頼もしく仰がれ、この度の往生は決定であるとお思いになるべきです。念仏するにつけて、天地におどりあがるほどの喜びもあり、また急いで浄土へ参りたいと思うようならば、自分には煩悩がないのであろうかと、かえっていぶかしく思うでしょう」と仰せられました。

【『歎異抄講林記』本文】

一 「念佛まふしさふらへども踊躍歡喜のこころおろそかにさふらふこと」等。四に惡を起こすべからずを明かすに二つあり。初めに問う。二に答う。今即ち初めなり。是に従りて上五章は「念仏の勝徳を明かす」の文にして即ち上の「第一章」の「他の善も要にあらず念佛にまさるべき善なきがゆへに」と云ふ處を成立しをはる。此の一章は上の「第一章」の「惡をもおそるべからず彌陀の本願をさまたぐるほどの惡なきがゆへに」と云う處を成立する爲に此の御物語を爰(ここ)におきたまへり。これ後の九章を以て初めの一章を成立すると見るときは段段合して見ればこの次第能く契(かの)うてあり。

これが祖師聖人の御自身の御製作の書と云うか。又如信上人の自ら作らせられたる聖敎なれば上を成立すると云うこと屹度(きっと)ことわりて上を成立する相はっきりと知るはずなれども、全體は祖師聖人の御物語を如信上人の列したまふ此の鈔なり。併しその列(つら)ねたまふに思ひ出す儘に列ねたまふにあらず。これ如信上人の思し召しは上の一章を以て後の九章を成立する思し召しありて列ねたまへり。是くの如く見るときは上の「第一章」を後の九章にて成立するなり。

ときに此の一章は先づ唯圓房の問いを擧げて吾祖の御敎化をあかしたまへり。

ときに此の一章を一說には唯圓房より書簡を以て吾祖へ問訊(もんじん)し奉る。ゆへ聖人より御消息を以て御返事ありしを如信上人ここへ列ねたまふと云う義あり。しかれども此の義は不可なり。若ししかりと云はば最初の序文に「親鸞聖人御物語の趣、耳の底に留まるところ、いささかこれを註す」とあるに背くにあたるなり。今謂く、此の章は唯圓房遥々と關東より都に發り吾祖の御敎示にあづかられし趣を如信上人の聞かせられしこととみえたり。爾れば聖御人歸洛後、唯圓房上京して親しく祖師聖人に尋ね奉る御詞と知るべし。此の時分は如信上人は祖師聖人に常隨(じょうずい)給仕したまふ事なれば、問ひ答えも殘さず聞きて耳の底にのこして今爰(ここ)に擧げたまへり。

此の問いに二つの意あり。念佛申し候へども踊躍歡喜のこころおろそかにさふらふことと云ふは先づ初めの問いなり。踊躍歡喜とは[1]大經の流通文の經文にある言なり。信心を得て念佛を申すやうになりしゆへ流通文の經說のごとく踊躍歡喜とおどりあがりて喜ぶべきはずなれども、此の喜ぶこころの疎かなるはこれ一つの不審なりと問いたてまつる意なり。おろそかとは疎遠の疎の字にしてうとうとしきことなり。ねから喜ばぬにはあらねども、唯圓房もときどきは踊躍歡喜の喜びおこれども、まま喜びは發っても喜びつめにならぬ。これは云何と云ふ一つの問いなり。

今日の我々より見れば唯圓房は浦山敷(うらやましき)ことなり。我々は念佛もろくろくに申さず踊躍歡喜とをどりあがるほどの喜びはかつてなけれども唯圓房はしからず。念佛はまうしさふらへども、とありて、隨分行住坐臥、時處諸縁を簡ばず念佛は申すといへども、踊躍歡喜も時々はおこり候へども、喜びづめに喜ばれず、疎かにして喜びづめにならぬことを歎いて不審を立ててこれは云何やと祖師聖人に尋ねたまへり。

「又いそぎ淨土へまいりたきこころのさふらはぬはいかんとさふらふべきや」とあるはこれは後の問いなり。「厭離穢土欣求淨土」とあれば急ぎ娑婆を厭ひ淨土を欣(よろこ)ぶこころ慇(いん)重(じゅう)にあるべきにさはなくて、厭ふべき娑婆はいつまでもなごりがおしまれ、急ぎ欣ぶべき淨土をば欣ぶこころのなきは云何かと云ふ問いなり。「いかにとさふらふべきことにてさふらふやらん」とあるは、これは云何のことにて候やらんと云うを詞をのばしてのたまふなり。今時も内裏などにはちょっと云ってもよき言をひきのばして言語をつかふ人あり。今も古き語をつかひたまふとしるべし。

「親鸞もこの不審ありつるに唯圓房おなじこころにてありけり」等。二つに、答えに三つあり。初めに初問に答う。二つに後問に答う。「またいそぎ淨土に等」なり 三つに總じて上を結ぶ。「踊躍歡喜のこころもあり等」なり。今は即ち初めなり。親鸞もこの不審ありつると仰せられたるは、祖師聖人和光同塵して凡夫と同じ意なることを示す。例せば信巻末に云う。[2]定聚の数に入ることを喜ばず。真證の證に近づくことを快しまざる。恥ずべし、傷むべし。」の文。此の御自嘆と同義なり。親鸞も其通(そのとおり)の不審あり。唯圓房も同じ心ぢゃと云ふことなり。

時に此の唯圓房と云ふは『私記』にも『首書』にも傳記未考とあり。吾祖の弟子に唯圓房と云ふ人二人あり。一人は常陸の國、河和田の唯圓房。是は平太郎の弟平治郎と云ふものにて聖人の御弟子となれり。今の河和田の報佛寺其の後なり。又一人は常陸の國、鳥喰(とりばみ)の唯圓房。これは今の矢河原の西光寺是なり。共に東派にして御當山の御末流なり。常陸の國も[3]佐竹某これを領するの砌り織田信長の一味たりしとき、本願寺を恨むことありて一派の寺院を燒失退廢せしむ。これによりて暫く中絶すといへども、黄門光圀卿水戸を領せられしとき、國中を巡行して由緒ある神社佛閣を再び建立したまふとかや。今現存する末派はみな黄門の再興なり。ときこの唯圓房は河和田の唯圓房なるべし。

〇「よくよく案じみれば」等。我も其の不審ありしかどもよく思案してみればこれは不審におもふこころはなきと云ふことなり。天におどり地におどるとあることを茲(ここ)に出だしたるは云何と云ふに、上の唯圓房の問いの踊躍歡喜の言をうけたまへり。『一多證文』二十四左の文に云ふ。[4]踊は天にをどるといふ躍は地におどるといふよろこぶこころのきはまりなきかたちなり」の文。唯圓房汝が云ふごとく。『經』に踊躍歡喜と說きたまふゆへ、天にも地にも踊りて喜ぶべき事なれども、其れを喜ばぬにていよいよ我が往生は一定と思ふべきなり。

〇「よろこぶべきこころをおさへて」等。已下は喜ばぬに就いていよいよ往生は一定と云ふ義を述ぶるなり。此の文は平生人の能く云ふ文なれども。その意をえざるもの多し。今本文に就いて明らかに正意を窺ふべきなり。先づよろこぶべきことをおさへてよろこぶさざるは煩惱の所爲と云ふは、正信偈の[5]貪愛瞋憎之雲霧雲霧之下明無闇のこころにして、他力の信心を得たるものも貪愛瞋憎のくもきりの覆うてあるゆへ、その煩惱の雲霧に覆はれて信心の光外へあらはれぬゆへ、此のよろこびせざるは煩惱の所爲なりと云へり。

〇「しかるに佛かねてしろしめして」等。仏說に煩惱具足の凡夫とある言は見あたらざれども。善導の『禮讃』には「具足煩惱凡夫と仰せられたるに爰(ここ)に仏說といふは云何ぞなれば、善導の「具足煩惱凡夫」と云ふは全く『觀經』の「[6]未来世の一切衆生の煩惱の賊のために」の意にて述べたまへり。故に煩惱具足の凡夫と云ふが仏說も同じことなり。故に佛かねてしろしめして等と云へり。

「他力の悲願はかくのごとき」等。上の第三章に出でたる彌陀の本願は善人の爲にあらず惡人正機の本願、煩惱具足の凡夫を本と助けたまふ悲願なり。是の故に煩惱具足の凡夫と思はば如来の本願をたのもしく難有(ありがた)く思ふべき筈なり。全體、此の御言の御意は喜ぶべきをよろこばせぬは煩惱の所爲なり。それゆへに喜ばせぬにつきても我身の煩惱を具足する凡夫なることを思ひ知れよとなり。それがおもひ知られたぞならば、此の者の本願なればいよいよ往生に間違ひないと思へとなり。爾れば喜ばれぬに就いていよいよ往生は一定と思ふべきなり。初めに「いよいよ往生は一定とおもひたまふべきなり」とある其の所由(ゆえ)を此の所までに述べたまへり。

此の答えの文は吾祖の誡疑の御敎化なり。此の義は[7]玄談已來辨(べん)ずる如く。此の鈔の一部始終は勸信誡疑を述べたまふとみるべしと云へるは是なり。よろこぶべきことを喜ばせぬと云いて嘆く者に對してそれは宜しからぬことなりといへば、やがて往生を疑ふやうになるゆへに、此の吾祖の御答えの意は喜ばれぬに就いて往生いかがと云いて怪しむを明らかに晴らしたまはんとある大良藥なり。

又元祖の御言に『和語燈五』二十五左に云ふ。[8]若し歡喜する心いまだ發らずは漸漸に喜び習ふべし」の文。此の御敎化は懈怠を引き起こしたまふ御勸めなり。懈怠の者に對して喜ばれぬものでもよいと云ふては、ますます懈怠を增して遂には邪見に陥るゆへ、懈怠放逸の者に對しては漸漸に喜び習へとのたまはねばならぬことなり。

ときに此の鈔の御敎化の所對の機はみな不了佛智の疑の者に對しての御敎化なり。不了佛智の疑のものに對して喜ばずしては濟まぬ、漸漸に喜び習へと勸むるを聞きて喜ばねばならぬこととみるが、とても喜ばれぬからはさては此方は煩惱が深くして彌陀の本願にも漏れて往生はなる間敷(まじき)と疑ふものありしゆへ。

今此の鈔には祖師其の疑を晴らしたまふ誡疑の御敎化なり。其の方の喜ばれぬは煩惱の所爲なり。喜ばぬに就いて我身の往生がならぬとおもはば其れ煩惱を何ぞ恐るることはない。かかるものを御助けの本願なりと信じて、煩惱の强盛なるにつきてもいよいよ往生は一定とおもふべしとある御敎化にあらずんば、不了佛者の疑を破ることはあたはぬなり。今時分の法義者に、もそっと喜ばれさうなるものが喜ばれぬと云うは、これは放逸懈怠の人にはあらざれどもこれは疑に沈む機なり。其の機に對してそれではならぬ、もそっと喜べと仰せられては火に薪を添ふるごとく、いよいよ佛智を信ずる事あたはぬ故に。此の鈔には手をかへて喜ばれぬは煩惱の所爲なりといへども其の煩惱におそるるな。其煩惱のあるに就いて煩惱具足の凡夫の爲の本願と思ひていよいよ往生は一定とおもふべしとある御敎化にして、是が難有(ありがた)い御言なり。此の御言を以て上の第一章の「惡をもおそるべからず」とある處を成立するなり。

此の文を以て見るに、「惡をもおそるべからず」とあるは惡を造るをも苦しからずとあるにはあらず。惡が恐ろしくて兎角本願を疑ふゆへ、其の本願を疑はせまい爲に惡に目をかけるな、煩惱に目をかけるな、惡も多く煩惱も盛んならばいよいよ往生一定と云ふ思ひに住すれば、其の處にかかる者を助けたまふとは、さても有難(ありがた)やと云ふ喜びは起きるなり。依りて今迄喜ばれぬ者も、いよいよ往生一定と思へば今迄起こりたる煩惱も法德としてやむやうになるなり。是よりみれば吾祖の「惡をも恐るべからず」とのたまふは疑を誡めていよいよ信心の光を增して起こる煩惱もやむやうにしたまふ御敎化なり。

「また浄土へいそぎまいりたきこころ」等。二つに後問に答う。いささかとは少しばかりのことなり。所勞とは病氣のことなり。少しばかりなやむ事、これは死なう歟と心細く思ふは煩惱の所爲なり。

〇「久遠劫より今まで流轉せる苦惱の舊里はすてがたく」等。『口傳鈔』下十六已下[9]此の文と同じ。これは覺如上人の如信上人より御敎化を聞きて『口傳鈔』に載せたまふとみえたりに、これは『和語燈七』二十七右已下の御言を見るに、[10]無始より已來(このかた)、六趣に廻りし時も形は替れども心は替らずして色々様々に造り習ひて候へば、今もういういしからず易くは作られ候へ。念佛申して往生せばやと思ふ事は今度(こた)び始めて纔(わずか)に聞き得たることにて候へば、急とは信ぜられ候はぬなり」等の御語あり。此の『和語燈』は罪を造ると念佛申すとを對待して云ひ、此の鈔は娑婆を厭ふと淨土を欣ぶこころとを對待して云へり。其の言は異なれども意は同じことなり。我等凡夫は久遠劫より馴れたる娑婆ゆへ名殘をしく、安樂淨土は今度初めて往生する淨土故に戀しからずと云ふ意は『和語燈』と同意なり。

「ちからなくして」とは。詮方なしにと云ふことのやうに世人心得れども、此の義は然らず。これは凡夫の死際になりて心ぼそく思ふことなり。たとへば知らぬ旅に我友達の居るを尋ねてわざわざ行くに、已に故郷に歸って我獨りになればこころが、力がなくなるなり。今も亦然り。將に死なんとする死際には心ぼそくなりて、かねてたのみおきつる妻子にも財寳にも別れて行くとおもへば心ぼそくなりて力なきものなれども、難有(ありがた)や、そのこころでも命をわり次第には淨土に參ると云ふ御言なり。

〇「いそぎまいりたきこころなきものを」等とあるは、上の段の喜ばぬに就きてなほなほ往生一定と思へとある御言と同意なり。急ぎて參るこころのなきは煩惱の所爲なれども、その煩惱具足の凡夫を佛はなほなほ愍みて、此の者に爲に起したまふ大慈大悲の本願なりと云はば、急ぎ參り度(た)き意の無きに就きてもいよいよ助けたまふは本願の不思議なりと信じて、たのもしく存じていよいよ往生一定と思へとある御敎化なり。

ときに『和語燈七』二十六右に云ふ。[11]「往生一定と思ひやられて疾くまいりたき心の朝夕はしみじみとも覺へずと仰せ候事實(じつ)によからぬ御事にて候」云々。此の御敎化は懈怠を引き立つるには此の御勸めなくんばあるべからず。本願を疑はざれども淨土を欣ぶ心のおこらぬは三惡道より出でて未だ三惡道の垢の抜けぬのぢゃと誡めたまふは懈怠をひきたつる意なり。今此の鈔は誡疑の御敎化にして、此の一段は煩惱の所爲なりとのたまふ處もあり。煩惱の强盛にさふらふにこそと云ひて煩惱を兩所(りょうしょ)にとぢ出だしたまふは急ぎ淨土に參り度(た)き心のあるべきにさはなくて、參り度(た)しと思はぬは煩惱の所爲なり。そのこころの起こらぬに就いて、いよいよ往生は一定とおもふべしとあるによりて、さては難有(ありがた)やと不了佛智の疑晴れ、明信佛智の信心を獲るなり。此の信心さへ得れば、今迄急ぎ淨土に參り度(た)きこころの無きものも、急ぎ淨土に參り度(た)しと思ふ意になるゆへ、吾祖誡疑の御敎化なりと仰ぐべきなり。「踊躍歡喜のこころもありいそぎ淨土へも等」は三つに總じて上を結ぶ。この文は上の二つの答えを一處に結ぶ御言なり。

「踊躍歡喜のこころもあり」とは、初めの問いの裏なり。踊躍歡喜のこころも盛りにありて急ぎ淨土に參り度(た)しと思はば、煩惱具足の凡夫にてはあるまじき歟とあやしく思はる。彌陀の本願は我等が爲ではないと疑いがおこるなり。喜ぶべきが喜ばれず、急いで參るべきを急いで參り度(た)き意のなきも、かかるものの爲に起こしたまふ本願なりと信じて喜ぶべきなり。我身の煩惱のおこるに就いて、我身の疑いを消したまふ御敎化なり。此の御勸めによりて、今迄淨土に參られ間敷(まじき)と思ひしが淨土參りに違ひなしと疑い晴るるなり。

「さふらひなまし」とは、あやしくさふらひなん(む)と云ふことなり。例せば和讃に「信行いかでかさとらまし」と云ふはどうして信行がさとられうかと云ふごとし。ましの反し。しと反る故に讃の「し」は「む」と通ずるなり。

【語句】『[新版]仏教学辞典』…A 『現代語 歎異抄 いま、親鸞に聞く』…B

・歓喜…よろこびの意であるが、浄土教では特に仏の救済あるいは浄土往生の決定をよろこぶ表現として、信心歓喜、踊躍歓喜などと用いられる。また歓は身のよろこび、喜は心のよろこびと区別される場合もあり、死後の往生を先立ってよろこぶ語として、現在世において信心が定まって不退の位に入ったことをよろこぶ慶喜と対称されることもある。世親の『十地経論』巻二には、初歓喜地の菩薩の歓喜を九種に分けて述べている(真の歓喜は初地に至って初めて生ずるからである)。A

・久遠…永遠。時間的に久しく遠いこと。かぎりない昔を久遠劫のいにしえといい、仏になった時にはじめがある近成の仏に対して、永遠の過去からすでに仏であった仏を久遠実成または久遠古成の仏という。A

・踊躍歓喜…勇んでおどり上がるほど心身ともに喜ぶこと。『仏説無量寿経』(「下巻」)には「歓喜踊躍、乃至一念」とある。B

・煩悩…心身をわずらわし、悩ます精神作用。親鸞は「煩は、みをわずらわす。悩は、こころをなやますという」(『唯信鈔文意』)と述べている。B

・煩悩具足の凡夫…文字どおりには「煩悩を欠けることなく具えている存在」の意味。『涅槃経』には、釈迦如来が阿闍世を一切衆生の代表として「煩悩等を具足せる者なり」と呼びかけている。B

【脚注】

[1] 『真宗聖典』86頁
[2] 『真宗聖典』251頁
[3] 佐竹氏は、日本の氏族のひとつ。日本の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流。武田氏に代表される甲斐源氏と同族である。通字は「義」。
[4] 『真宗聖典』539頁。
[5] 何故か省略されているが、原文は『真宗聖典』204頁
「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」
[6] 『真宗聖典』95頁
[7] 玄談とは「 (「玄」は懸の意) 仏語。仏典を講じるに先だって、あらかじめ題号や撰者、大意などを説明すること。玄義。開題。(『精選版 日本国語大辞典』)より」という意味で、それを踏まえ読み取ると、この言葉は『歎異抄』「第一章」に当たるのではなかろうか。
[8]『和語灯録』五所収。――禅勝房のいはく、上人おほせられていはく、今度の生に念仏して来迎にあづからんうれしさよとおもひて、踊躍歓喜の心のおこりたらん人は、自然に三心は具足したりとしるべし。念仏申ながら後世をなげく程の人は、三心不具の人也。もし歓喜する心いまだおこらずば、漸漸によろこびならふべし。又念仏の相続せられん人は、われ三心具したりとしるべし。『念仏問答集』にいでたり(『真聖全四』681頁)


[9] 『真宗聖典』670頁――なかんずくに、曠劫流転の世々生々の芳契、今生をもって、輪転の結句とし、愛執愛着のかりのやど、この人界の火宅出離の旧里たるべきあいだ、依正二報ともに、いかでかなごりおしからざらん。
[10] 和語燈七とあるが、『黒谷上人語灯録』の中の『拾遺語灯録巻下』の文。――無始よりこのかた六趣にめぐりし時も、かたちはかはれども心はかはらずして、いろいろさまざまにつくりならひて候へば、いまもういういしからず、やすくはつくられ候へ。念仏申て往生せばやとおもふ事は、このたびはじめてわづかにききえたる事にて候へば、きとは信ぜられ候はぬ也。(『真聖全四』769頁)


[11] こちらも同じく和語燈七とあるが、『黒谷上人語灯録』の中の『拾遺語灯録巻下』の文。――往生一定とおもひやられで、とくまいりたき心のあさゆふは、しみじみともおぼえずとおほせ候事、ま事によからぬ御事にて候。(『真聖全四』769頁)

【『講林記』「第九章」の大意と解説】

第九章は唯圓房と親鸞聖人の対話形式で話が進みますが、要するに、唯圓房の①「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと」と、②「いそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきこと」という二つの不審に対しての、親鸞聖人のお答が中心となります。内容が広範なので、要点を記す形でまとめます。

○第九章の位置づけ

第八章においてもですが、まず初めにその章の位置づけを確認しています。

一 念佛まふしさふらへども踊躍歡喜のこヽろおろそかにさふらふこと等。四に惡を起こすべからずを明かす二つ。初めに問う。二つ答う。今即ち初めなり。是に従りて上五章は「念仏の勝徳を明かす」の文にして即ち上の第一章の他の善も要にあらず念佛にまさるべき善なきがゆへにと云ふ處を成立しをはる。此の一章は上の第一章の惡をもおそるべからず彌陀の本願をさまたぐるほどの惡なきがゆへにと云う處を成立する爲に此の御物語を爰(ここ)におきたまへり。これ後の九章を以て初めの一章を成立すると見るときは段段合して見ればこの次第能く契(かの)うてあり。

「従是上五章」の五章とは第四章から第八章のことであり、これらは第一章の「他の善も要にあらず念佛にまさるべき善なきがゆへに」を成立させ、此一章(第九章)は第一章の「惡をもおそるべからず彌陀の本願をさまたぐるほどの惡なきがゆへに」を成立させるところとしています。これは後の勧信誡疑の御教化についてで詳細を述べています。

○第九章の構成としては、まず初めに唯圓房の問いを挙げて、その後に親鸞聖人の御教化を示されているということを確認しています。

○『歎異抄』の製作者は如信上人(親鸞聖人のお孫さんにあたる)であるとして話を進めています。

此の章は唯圓房遥々と關東より都に發り吾祖の御敎示にあづかられし趣を如信上人の聞かせられしこととみえたり。爾れば聖御人歸洛後唯圓房上京して親しく祖師聖人に尋ね奉る御詞と知るべし。此の時分は如信上人は祖師聖人に常隨(じょうずい)給仕したまふ事なれば。問ひ答えも殘さず聞きて耳の底にのこして今爰に擧げたまへり。

親鸞聖人が京都に戻られ、唯圓房が京都に来られ聖人に尋ねられている内容を、聖人に常に付き従い給仕をされていた如信上人が、問いも答えも残さず聞いたところを『歎異抄』において挙げているのだとしています。

現在においては著者は唯圓房であるということが定説ですが、いずれにせよ明確に著者が誰であるかははっきりしていません。

○第九章のそれぞれの文章を細かく分けて、精緻にその文章の意味や解説をし、聖教に典拠をみています。これは前回記事でも指摘されているように、香月院の『歎異抄講林記』における方法論です。第九章は特に『大経』『観経』『教行信証』『一念多念文意』『口伝鈔』『和語灯録』より引用され、典拠を示されています。

○解説途中で、唯圓房とは何者であるのかを考察されています。「『私記』にも『首書』にも傳記未考」と記されており、廣河はてっきり『報恩講私記』『六要鈔』のことかと考えましたがそれは全く間違いで、これはおそらく、『私記』は本文に圓智(江戸時代初期の東本願寺の学僧)が注釈を加えられた『歎異抄私記』(洛東東七条寺内開版刊記本)、『首書』はそもそも意味としては「書物の本文の上欄に、解釈や批評などの注記を書くこと。頭書(かしらがき)。(『精選版 日本国語大辞典』より)」とありますが、その意味の通り本文の上欄に注釈のある首書本『首書 歎異抄』(元禄14年刊記本)を指していると考えられます。しかしいずれにしてもそれらには唯圓房について書かれていないとして、ここでは歴史的背景を突き合わして、河和田の唯圓房であるとしています。

○勧信誡疑の御教化
香月院師は、唯圓房の問いに対する親鸞聖人のお答えを、勧信誡疑の御教化であると述べています。この「勧信誡疑の御教化」というのは、『歎異抄講林記』の第一章を注釈する段において、第一章の概要を表すものとして香月院師が使われている言葉です。他の祖師方でいえば

・弘願信心章    妙音院了祥
・初めに不思議あり 倉田 百三
・誓願不思議    金子 大栄
・絶対他力     梅原 真隆
・本願念持大道  曽我 量深

というふうに了解されております。

勧信とは、「ただ信心を得よ」と勧める御教化です。誡疑とは、本願を疑うことを誡める御教化ということです。この勧信と誡疑の御教化が第九章にあることは、念仏を申しても喜べないことについて、往生できるのだろうかといって本願を疑う心の中身を明らかにせんとする、親鸞聖人の大良薬であると香月院師は述べています。その後に、勧信誡疑はどういった人間に対する教化なのかを、二種類の機(人間)を述べることで説明しています。

①懈怠放逸の者

一つ目の機は懈怠放逸の者についてです。懈怠も放逸も、厳密には違いますがおおむね仏道修行に励まない者の意です。それらの者に対して、念仏を申しても喜べない者でも良いといっては、ますます仏道修行に励まなくなってしまい、ついには邪な見解に陥ってしまう。そのためここでは法然上人の和語灯録の「歓喜の心が起こらない者は、喜び方を習ってでも喜べ」という言葉を引用し、懈怠放逸の者は喜び方を習ってでも喜べと述べています。

②不了仏智の疑の者

一方で、この第九章の対象とする機は不了仏智の疑の者と述べます。不了仏智の疑とは、仏の智慧を知らず、その智慧を疑うことです。ここでの具体的な対象は唯圓房ですが、つまりは本願にであい信心決定したけれども、あまりに煩悩が深く重いため、念仏申す身となっても煩悩がはたらいて喜べず、往生できるだろうかと本願を疑ってしまう者のことです。

この者は懈怠放逸の者ではないけれども、疑いに沈む存在であると述べます。そういった者に「それではならぬもそっと喜べ」と言ったとしても、火に薪をくべるように疑いはさらに強まり、いよいよ仏智を信じることはできません。そのためこの第九章では手を変えて、

よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。(中略)これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ(『真宗聖典』629~630頁)

と親鸞聖人が述べられるように、喜ぶべきこころが煩悩のはたらきによっておさえられて喜べないということが、かえって煩悩具足の凡夫のための本願であることの証明となり、いよいよ往生は決定とおもうべしとあるのが、勧信誡疑の御教化であり、この第九章のお言葉をもって、第一章の「悪をもおそるべからず」とあるところを成立するのであると香月院師はまとめています。

煩雑な解説となりました。講究は継続して行っていきたいと思います。次回の御命日法話代替は『歎異抄』第10章です。

 

 

 

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