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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

三条別院に想う
MEMORIES OF THE BETSUIN

2022年7月21日

三条別院に想う

ロシアについてどう考えるか
松浦孝公氏(第23組唯称寺前住職)

▲ロシアとウクライナの停戦交渉がいまだ難航しています。長期化していく情報戦の中で、報道などを見ても正義と悪が複雑に入込んでいます。一方、ここ新潟は意外とロシアと近く、交流も盛んでハバロフスク・ウラジオストク・ビロビジャンは現在新潟市の姉妹都市となっています。かつて豊栄市の文化交流でハバロフスクに訪れたという松浦 孝公 前住職に、当時の思い出と現状への思いについて執筆いただきました。


「チョット古い話になりますが、ロシア極東地区に、文化交流に行った時の話し」

今回、「別院に想う特別編」としてロシアに関する執筆のお話をいただきました。私は国際政治学者ではありませんので、現在のロシアとウクライナの情勢に関してのお話はできませんが、かつて旧豊栄市と極東ロシア地区が行っていた国際交流の一環に携わっておりましたので、当時のお話させていただきます。

20年程前、日本の柔道とロシアのサンボとのスポーツ文化交流を行う話があり、県の高校柔道界で活躍をしていた豊栄高校柔道部関係者(小生は副顧問でした)と市の体育課員含む6名で、ハバロフスク市にあるロシア極東地区警察大学校を訪れました。御存じの通り、柔道もサンボも警察の犯人逮捕のための必修授業であり、サンボは関節術が主で、明治初期までの柔術に似ておるものであります。

観光旅行ではなく国際交流のため、ホテルに泊まったのは最後の1日のみ。滞在中は1人または2人に分かれ、各々大学校職員、またはサンボ後援者の自宅での宿泊でした。身振り手振りを交えコミュニケーションとる日々でしたが、おかげで町々の状態やロシア人が送っている日々の現実を見知る事ができました。

ハバロフスク市街とソ連時代の役所

極東地区の街並みは発展途上といった感じを受けました。上半身裸になり道路舗装をしている作業員がいる一方、小学生らしい子供達が、うろうろしているのを見かけました。「日中なのに、あの子たちは学校に行かなくていいのですか?」と質問したところ、「あの子達は学校には行ってない子です。」とあまりにもそっけない返答をされ、驚いた記憶があります。発展途上の街並みとは対照的に、ソ連時代の役所は厳つく立派で、そのアンバランスさが印象的でした。シベリア地区はもっと大変であるとの事でしたが、まだソ連時代の尾を引いた社会影響が色濃く残っているのを強く感じるものでした。滞在日最後の会での話になりますが、会の途中で「モスクワからの指示、確認の時間なので」と警察大学校長が退席して行った時などは、社会体制が変わったとは言え、まだモスクワの方を見て動く感じが伝わってきました。

また、社会主義の崩壊で私有地が認められる事となり、土地をめぐる社会的暗躍も有る事を見聞きいたしました。その件に関しては文字で書き表す事も、色々問題もあります。

一番の思い出は、帰国の前夜に我々6人が御礼として関係者を招待し夕食を共にしたホテルの近くにあったロシア正教の教会の事であります。

残念ながら周囲を完全に囲われた状態で中を見ることはできませんでしたが、スターリン時代に「宗教は麻薬である」と完全に叩き壊された教会の建物が、地区の精神的中心としてコツコツ再建築されている最中でした。民主主義と異なる政治体制になれきった国民が、現在なぜ教会を再建しているのか。不思議と不安な気持ちになったことを覚えています。

新潟に向かって帰る直前、先の大戦で捕虜としてでなく犯罪人としての扱いで極東地区に送られ、達成が厳しい労働ノルマを課され、体力的に持たず抑留中に亡くなっていった日本の人々が眠る墓地に案内されました。小生はそこで、急ではありましたが「御経」をあげてくれと言われ、嘆仏偈をあげさせていただいた次第であります。

抑留者慰霊碑前にて

松浦 孝公 氏(第23組唯稱寺前住職)


○次回の「三条別院に想う」は、

大溪 文祥 氏(第24組榮行寺)

よりご執筆いただきます

▲いよいよ5月29日に宗祖親鸞聖人850年立教開宗800年慶讃法要三条教区お待ち受け大会をお迎えします。次回は慶讃法要実行委員であり、報恩講実行委員でもある大溪さんにお願いしました。

2022年5月15日

三条別院に想う

別院春彼岸会参拝記
〔松木譲 氏(第24組專明寺住職)〕

▲3月18日から20日まで春彼岸会が勤められました。松木譲氏(第24組專明寺)が2日間、(そして最終日はWEBで)参拝されていましたので、別院春彼岸会参拝記の執筆をお願いしました。


3月18~20日の三条別院春彼岸会では、3日間四座に渡る法話講師として、藤本愛吉先生が御出向下さいました。先生は30年前、生意気盛りだった私を見捨てず、あきらめずに寄り添い続けて下さった大谷専修学院での恩師です。先生とは卒業して以来の再会でしたが、一瞬にして当時の記憶が蘇り、まるで久々に父や兄に遇った様な感覚となりました。そして私にとっての真宗の「原風景」はココであったのだと改めて気付かされました。

大谷専修学院は教師と生徒が寝食を共に生活し、教えを深め合う学校です。御法話の中で竹中先生等のお言葉を借りて「浄土真宗の(修)行の場は生活の現場である」と、先生は繰り返し繰り返し仰っておられました。

2日目の法話では私の事にも触れて下さり、「昨日は30年振りに友が訪ねて来てくれました」と仰って下さった事がとても心に残っています。

どういう御縁か、この春から長女が大谷大学を休学し、大谷専修学院へ入学しました。親としては、学院生活を通して本当に大切な事に出遇い、帰って来る事を只々願うだけです。

別れ際に先生は「お互い御縁が在ったら又お遇いしましょう」と仰いました。相変わらず泣き虫で温かく熱い先生でしたが、「お前も、お寺の上に胡坐をかいておらずに、初心に戻っていのちある限り念仏申して聞法せよ!」と再び教えられた気がしております。

最終日は都合がつかず、インターネットを通しての聴聞となりましたが、今回の再会があったことで、当寺の夏の御講へ講師として出向するとのお言葉を頂きました。

何よりこの有難い再会の場を創って下さった別院さんに感謝申し上げたいと思います。

合 掌

松木 譲 氏(第24組專明寺)

藤本 愛吉 氏(三重県 正寶寺)

▲松木譲氏と法話される藤本先生。松木氏の他、専修学院時代の教え子達も大勢参拝されていました。


○次回の「三条別院に想う」は、

松浦 孝公 氏(第23組唯称寺)

よりご執筆いただきます

次回は【特別編㉔ロシアについてどう考えるか】
▲ロシアとウクライナの停戦交渉がいまだ難航していますが、新潟は意外とロシアと近く交流も盛んでハバロフスク・ウラジオストク・ビロビジャンは現在新潟市の姉妹都市となっています。かつて豊栄市の文化交流でハバロフスクに訪れたという松浦 孝公 前住職に、当時の思い出と現状への思いについて執筆いただきます。

2022年4月21日

三条別院に想う

特別編㉓慶讃法要:「宿縁」と「宿業」について〔島津崇之 氏(第18組満行寺住職)〕

【特別編㉓慶讃法要:「宿縁」と「宿業」について】

▲来る5月29日宗祖親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要三条教区お待ち受け大会が三条別院で開催されます。親鸞聖人はお念仏にであったよろこびを「遠慶宿縁」と表現されています。一方、新型ウイルス感染症の流行が2年続く中、参詣席の制限を設けるなどの工夫をしつつ、準備をしており、世の中は依然として、「自粛」という決して明るいとはいえない雰囲気です。慶讃法要儀式部会委員でもある島津氏は一見明るい「宿縁」と一見暗い「宿業」の関係について、最近考えられているとお聞きしましたので、執筆いただきました。


教区慶讃法要お待ち受け大会に向けてひとこと

宿業という言葉から何を連想するでしょうか。

暗いとか、悲壮なとか、あまり考えたくない面倒な話、前時代的な古臭い考え、自己責任、自己否定等々、ネガティブな印象の言葉が並ぶことでしょう。

 

また、前世だとか来世なんて、そんなふうに考えること自体どうかしてる。一度きりの人生を精一杯楽しんだ方がいいでしょう。どうせ死んだら無に帰するのだから、前世来世なんてあるはず無いでしょう。だから、葬式も無意味、お墓も無駄、お骨もゴミ、みたいなことになっていくのでしょう。

 

それにたいして、真面目に宿業に対峙しても、自分ではとても受け止めることはできません。病気になったり、災害に遭ったりするのも宿業だから仕方がないとはとても思えません。自分の触れたくないことを自覚しなさいと言われても自覚なんてできないでしょう。

 

よく機の深信の自覚から如来に遇う、機の自覚が先にあってというけれど、果たしてそうでしょうか。自分で宿業を自覚しようとして掘り起こして行っても闇ばかりで嫌になってしまうのが関の山でしょう。

 

親鸞聖人が地獄は一定と言われたけれども、この言葉もこれだけを取り出して考えれば、非常に悲しみ深い、苦しい、救われがたい、悲壮感を漂わせているような言葉、でも浄土真宗はそのような悲しい教えなんでしょうか。

 

宿業は、自覚するのではなくて、知らされてくるのだと思います。それも信知するという形で。知るに存知と信知とあると言われます。存知は自分の知識として知ること。信知とは、如来を信ずることによって、如来を通して知らされてくること。

 

本当の宿業は自分では分からない。如来の大悲とセットでなければ分からないと思います。如来大悲によって自身の触れたくないこと、見たくないことも悲しいこと嫌なこととしてでなく、自分自身を作り上げているものとして知らされてくるように思います。

 

如来を信ずることによって、自分自身そのものを宿業煩悩の身として信じれるのではないでしょうか。

島津 崇之 氏(第18組満行寺)


 

○次回の「三条別院に想う」は、

松木 譲 氏(第24組專明寺)

よりご執筆いただきます。

▲このたびの春彼岸会に2日間参拝された松木氏に、参拝記をご執筆いただく予定です。

2022年4月6日

三条別院に想う

特別編㉒DODALO? を使ってみた〔田中美央 氏(ウコン農家)〕

【特別編㉒DODALO? を使ってみた】
▲「新型ウイルス感染症対策が取られる中で、人と人との直接的な対話が減ってきた」という課題の下、三条別院が制作したトークカードの販売が始まりました。告知作業をしていたところ、たまたま「実際に購入して使っていただいている方がいる」という情報を得ましたので、さっそく連絡し、感想等をお聞きしました。


三条別院さんが発行しているカードゲーム[DODALO?(どーだろー?)]を、先日友人達と遊んでみた。

きっかけは、教育関係で働いている友人が気軽に自分の「問い」を誰かに話せる機会が少なくなってきている、そして、対話の中でさらに「問い」が生まれるという事も新型コロナウイルス感染症蔓延の状況下では中々起きづらくなっている。そんな話を以前口にしていたことを思い出し、このカードゲームは「問い」の誘発剤になるのでは?と誘ってみたのだ。

心に残っている
「出会い」を
教えてください。

私は人との出会いの話をしたけれど、友人達は土鍋ご飯の美味しさとの出会い、新しい価値観との出会い、自分の挑戦との出会いの話。友人達の話を聞き、私が思う出会い=人という視野の狭さや知らぬ間に私の中で作り上げられていた固定概念を自覚した。

問いは一つでも、本当に答えは十人十色。
問い一つで、こんなにも色々と気付かされるなんて。
他者の答えに耳を傾け、好奇心をもち、面白がる。この感覚に久々にうわー、そっかー!なるほどー!とか、ぞわぞわしたり、ワクワクしたり。素直に楽しい時間だった。

対話をして、問いが増えれば、自分の引き出しも増える。
その引き出しに大切な人の価値観も仲間に入れていくことができれば、この先生きていく上でとても心強いお守りになってくれるのではないだろうか。

私は現在、三条市の下田地域でウコン栽培をおこなっている。
このウコンを継承してくれた師匠は昨年、大往生の末、他界。私はこの方との出会いが今もこれからもきっとお守りになるだろう。他者を受け入れ、好奇心を持って相手の話を聞く事、そして惜しみなく自分の知識も分け与えてくれる。そんな姿を一番身近で見せてくれた。

もし、もう一度会うことができたらこのカードゲームで遊んでみたいなと思う。
人生の大先輩は何を考えて生きてきたのだろうか。あえて、

目玉焼きには
何をかける?

という問いの答えを聞いてみたいとも思う。
「おらは塩だ~」とか言う声が返ってきそうだ
なあ。

田中 美央 氏(ウコン農家)

2016年に三条市(下田)の地域おこし協力隊として着任。そこで雪国でウコンを栽培する山崎一一(かずいち)さんに出会う。地域おこし協力隊卒業後、友人と合同会社一一を設立し「人生は長く、楽しく」をテーマにウコン栽培と商品企画・販売を行う。

▲新型ウイルス感染症が流行する中で、三条別院では職員による「三条エール飯」への協力、教区内寺院に呼びかけた「フードバンク」への協力、新たな文書伝導としての「DODALO?」の制作を行ってまいりました。昨年末に完成し、今後本格的に使っていただけるように展開していく予定です。
▲購入方法
三条別院で販売しています。また三条別院のHPからDODALO?販売サイトにリンクしております。

○次回の「三条別院に想う」は、
島津 崇之 氏(第18組満行寺)
よりご執筆いただきます


【次回は特別編㉓慶讃法要:「宿縁」と「宿業」について】
▲来る5月29日宗祖親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要三条教区お待ち受け大会が三条別院で開催されます。親鸞聖人はお念仏にであったよろこびを「遠慶宿縁」と表現されています。一方、新型ウイルス感染症の流行が2年続く中、参詣席の制限を設けるなどの工夫をしつつ、準備をしており、世の中は依然として、「自粛」という決して明るいとはいえない雰囲気です。慶讃法要儀式部会委員でもある島津氏は一見明るい「宿縁」と一見暗い「宿業」の関係について、最近考えられているとお聞きしましたので、執筆いただきたいと思います。

2022年4月6日

三条別院に想う

三条別院に想う(第12組淨照寺 小林光紀氏)

▲三条別院の責任役員を2010年より勤められた小林光紀氏が所属寺の住職を交代され、それに伴い別院責任役員を退任されました。小林氏に、現在にいたるまでの思い出などを語っていただきます。


別院の責任役員に2010年9月1日に就任して去る2021年10月28日付で自坊の浄照寺住職を退任する事により、約11年その職にあった責任役員を辞する事になりました。

この間には本山の750回忌御遠忌があり、また引き続いて三条別院の御遠忌がありました。三条別院の御遠忌を迎えるにあたって別院本堂並びに旧御堂等の修復事業も教区会議長の職も兼ねていた関係上、教区の御寺院御門徒の方々の浄財を募りながら、しかも国策としての消費税値上げ問題も絡んでおりましたのでその前に募財をお願いする中で皆さまのご協力によりお陰様で無事に修復事業を遂行できました。

責任役員在任中は教務所長兼輪番の職におられた方々は藤坂、鷲尾、池守、森田、そして現職の海岸の五人の方でありそれぞれがそれなりの個性がおありでしたが他の責任役員の方々と協力しながら至らぬ点は多々あったとは思いますがその職を務めさせていただきました。誠に有難うございました。

小林 光紀 氏 (第12組淨照寺前住職)

▲淨照寺宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要で導師を勤める小林氏。同日に住職交代式も行われた。

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