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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
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三条別院に想う
MEMORIES OF THE BETSUIN

2021年10月10日

三条別院に想う

新型ウイルスと薬について(第23組慶誓寺 泉 美樹子 氏)

▲新型ウイルス感染症のワクチン接種がはじまり、また治療薬の研究もすすめられていて、薬学についての関心も高まっています。今回は現役の薬剤師で慶誓寺坊守の泉 美樹子 氏に、新型ウイルス感染症流行下で考えられていることを執筆していただきます。


私は現役の薬剤師といっても…現在は薬局からSOSが入った時に出勤する位です。

その他に新潟県薬剤師会が県民に対して開催している「薬のセミナー」の担当として各地の会場にお話にいく仕事を20年ほどしています。お寺の坊守だという縁で自坊や他のお寺でもお話の機会を頂いています。

最近、会場での質問はコロナウィルスやワクチンのことがとても多くなりました

得体のしれないわからないもの…には人は恐怖を感じます

SNSでの誤情報の拡散があったりテレビ報道も恐怖をあおるニュースに視聴率が集まります。

そのような中、大切なのは正しい知識を得ることです。

従来のワクチンのように、そのもの自体を薄めて作成しているのではなくワクチンの設計図だけを体に記憶させているのだということ、12歳以上のワクチン接種についてはデータの蓄積がしっかりある上での国の方針であること、変異株においては感染した若者が重症化することも多く、ワクチンで自分と周りの人を守ってほしいことなど。

ワクチンの集団接種会場のお手伝いに行ったときのことです。

予診票確認の担当でした。自分の病気と飲んでいる薬を記入する欄がありますが、お薬手帳を出して、こんな狭い欄に全部書けないから大事なのだけあんた書いてくれ…という方や、自分が何の病気でこの薬を飲んでるのか?を把握していない方が多いことに驚きました。毎日自分の体に入っているものなのに…

法話を聴聞しているとよく「自己を知る」という言葉に出遭いますが身体に関してもしっかりと自分に起こっていることを引き受け正しい知識の中、いろんな判断・選択をしていきたいですね。

また薬局にはコロナ感染者だった方や、濃厚接触者としてある時期を過ごした方も見えますが皆さんが共通しておっしゃるのは「実はコロナより世間が怖かった」という言葉です。

治療薬も開発が進んでいます。他の感染症のようにもしコロナにかかっても適切な治療を安心して受けられる日が近いことを願います。(資料 厚生労働省HP・こびナビHP)

泉 美樹子氏(第23組慶誓寺)


○次回の「三条別院に想う」は、

SANJO PUBLISHING

よりご執筆いただきます

【次回は特別編⑲感染症流行下での街づくりについて】

▲2021年の2月に三条市の中央商店街に本屋SANJO PUBLISHINGができました。「まちを編集する本屋さん」をモットーに、本屋さん、喫茶・軽食、編集・制作の三つの事業を育てていき、またものづくりをしたくなる環境をつくることを目的としているということです。感染症流行下ですが、本年には公立4年制大学である三条市立大学も創設され、若者も増え、人の流れもかわりつつあるようです。とかく暗い話題に終始しがちな昨今ですが、積極的に「まちを編集する」ということの意味についてお聞きします。

2021年10月10日

三条別院に想う

オリンピックに想う(第10組 超願寺 戸次 輝 氏)

▲2021年7月23日、一年間延期されていた東京オリンピックが、感染症の流行がやまない緊急事態宣言下の東京で「無観客開催」となりました。8月8日までの日程で行われ、また、24日から9月5日までパラリンピックが実施されています。ハンドボール選手・コーチとして活躍された戸次輝氏(第10組超願寺)に、今回のオリンピックをどのように考えているか、執筆いただきました。


一年“も”の延期を余儀なくされたオリンピック。多くのオリンピアンたちにとって、この一年はとてつもなく長い期間だったに違いありません。この延期によって、競技生活を続けることが難しくなった者もいれば、反対に好機となって出場を掴んだ者もいます。新型コロナウィルス(以下、コロナ)禍中でのオリンピック開催から今想うことについて、拙稿したいと思います。

 

想えば、2020東京五輪はトラブル続きでした。五輪ロゴの盗作問題に始まり、新国立競技場建設費の莫大化、そして組織委員会長の交代。また、最後の最後までコロナ禍での開催への賛否でした。断固開催を掲げ、スポーツのチカラを信じて止まないオリンピック信者たちの言い分に多くの人が首を傾けたことでしょう。

 

スポーツには、スポーツの「さ・し・み」という三大基盤があります。それぞれの頭文字を取った言葉です。「さ」は支える。「し」は知る。「み」は観る。これらを基盤としてスポーツは成り立っているという考え方です。スポーツは決してプレーする人たちだけのものではありません。「選手ファースト」なる考え方もありますが、スポーツへの関わり方というものも多様化しています。特に、オリンピックはボランティアの方々の支えがなければ始まりません。また、オリンピックを機に、新しいスポーツを知る、興味を持つということがあるかもしれません。そして、スポーツをしない人であっても観るという楽しみを持つ者もいます。スポーツをしない人もできない人も何かしらで関わり合ってスポーツは成り立っているのです。

 

今回の2020(2021)東京五輪は連日のメダルラッシュでしたが、同時にコロナ感染者は今なお増え続けています。その中で、日本代表選手の多くが勝ち負けに関わらず、このコロナ禍で五輪開催できたことへの感謝を口にしていました。感謝と尊敬の念を持ってプレーすることがまさにスポーツマンシップであり、その姿に観る者は感動するとも言えます。五輪選手たちの感謝や嬉しさ、お礼の言葉は、決して一人で戦っているのではないことに気付いたからこそ発せられるものだと思います。多くの人々が不安の只中にあり、それでもこうして五輪開催できたことは、その多くの人々の支えによってであると、まさしくおかげさまの心の実感です。

 

一方、お寺でコロナによる仏事法事の減少や縮小が一層目立つようになりました。このような状況下だからこそ、仏事法事の意義を再確認しなければなりません。「疫癘の御文」には、南無阿弥陀仏と申すその心を「御ありがたさ」「御うれしさ」「御礼のこころ」と表現しています。阿弥陀様の光に照らされている、そのおかげさまで私たちがあるのだと、これまでの当たり前な日常を奪われつつある今だからこそ再確認できるのではないでしょうか。このコロナ禍に、私たちもおかげさまで今こうして生かされていることをあらためて実感しなければなりません。そのことに私たち僧侶は、仏事を機縁として御門徒様と共に気付き、歩んでいきたいと思います。

戸次 輝 氏(第10組超願寺)


○次回の「三条別院に想う」は、

 

泉 美樹子 氏(第23組慶誓寺)より

 

ご執筆いただきます

 

【次回は特別編⑱新型ウイルスと薬について】

▲新型ウイルス感染症のワクチン接種がはじまり、また治療薬の研究もすすめられているということで、薬学についての関心も高まっています。そんな中、ジェネリック医薬品の不祥事により、製薬会社からの通常の医療の薬の供給が滞る等、私たちの生活がいかに薬と密接な関係にあるか改めて考えさせられる昨今です。次回は現役の薬剤師で慶誓寺坊守の泉 美樹子 氏に、新型ウイルス感染症流行下で考えられていることを執筆していただきます。

2021年10月10日

三条別院に想う

佐渡は今(佐渡組 善宗寺 松本雅裕 氏)

人口5万人の佐渡はかつては銀山・金山で栄え、繁華街が点在していて、当然、新型ウイルスの影響を免れ得ません。今回は、佐渡組長の松本雅裕氏に、佐渡の現状についてお聞きします。


新型ウイルスによる外出自粛、三密をさけるなどの防止策が1年半となっています。しかし収束しているわけではなく、これからも継続していくのでしょう。昨年から別院の行事、教区の事業では一部中止決定ということになり、残念なことであります。

組においてはどうか、寺の行事の中止や人数制限など対応に苦慮しているところです。その中で、組の公開講座が6月27日に行われ、畳一枚につき一名とし、40名の参加とさせていただきました。中止・延期の多い中、小規模ながら開催できました。

また、通夜式、葬儀式においては、関東、関西方面の渡航自粛で親族が参列できないなどの影響があります。

また、通夜・葬儀を一日で終わらせるなど、これで人の死に向き合えているのか、親族の不参加の多い中で執行は、もう「ほとけ」ぬきの儀式で終わっているのではないかと実感しているところです。これからも新型ウイルスの影響は続くと思われますが、本来の儀式が執行できるように願うばかりであります。

ウイルスの反応においては、差別・偏見・憶測・いやがらせなどで、つらい思いをされている人たちもいるようです。益々本願念仏の教えを聞いていくことが問われているように思われます。

松本 雅裕 氏(佐渡組 善宗寺住職)


 

○次回の「三条別院に想う」は、

戸次 輝 氏より

ご執筆いただきます。

 

【次回は特別編⑰オリンピックは今】

▲2021年7月23日、一年間延期されていた東京オリンピックが感染症の流行がやまず緊急事態宣言下の東京で「無観客開催」となりました。8月8日までの日程で、また、24日から9月5日までパラリンピックが実施されます。ハンドボール選手・コーチとして活躍された戸次輝氏に、今回のオリンピックをどのように考えているか、執筆いただきます。

2021年7月19日

三条別院に想う

長岡は今(第13組 願性寺 井上 知法 氏)

▼前号では新潟市の中心部についての記事でしたので、今回は長岡市願性寺の井上知法氏にお聞きしました。


「長岡は今」というお題を頂いたので、長岡市のコロナウィルス感染状況を調べてみる。

2021年6月14日現在。去年3月からの15ヵ月間で人口約26万人の長岡市に於ける感染例は345例、またここ数日感染例はなし、また本日市独自の「緊急警戒情報」が解除され、臨時休館している公共施設を再開するとの事。

……この数字や政策の捉え方には各々差異があるでしょうが、少なくともこの15ヵ月間、私の周囲に感染により身体的なダメージを負う者はいませんでした。また生活に変化があったかどうかと言えば当然人並みに影響はあるのですが、今流行しているウィルスが「子どもに身体的なダメージを与える可能性が著しく低い」という現状は、幼少期の子をもつ親からすれば、“有り難い”ほどセーフティなウィルスだという認識で、その認識を支えに毎日子どもを外に送りだす平常の生活が保たれています。が、この「子どもは大丈夫」という認識が崩れたらと、他のウィルスならそんなことも“有り得る”と想像するとゾッとします。しかし平常の生活が保てない方々がゾッとするような毎日を過していることも承知してはいます。

当初からですが、このウィルスに対する認識の違いが人々の行動を左右し、分断を生んでいます。身体の心配だけではすまない、人間関係にも影響を及ぼすというのは、今更言わずもがなですが、コロナウィルス収束の暁まで続くかと思うと辟易します。

私がコロナ禍をどう過すことが正解なのかなど知る術もなく、ただ実感の伴わない様々な情報にオロオロして、周りの感情や行動に擬態しているだけで、そのような人間もどうかとは思いますが、過し方が定まった方々も生き辛そうです。

ウィルスの蔓延により、「死」を身近なものに感じるようになった者にとってコロナ禍は悲劇でしょうが、「風邪の流行」程度と捉える者にはコロナ禍の混乱は喜劇として映るでしょう。様々な自粛・行動制限、感染対策も悲劇の世界では至極真っ当な行為だとしても、喜劇の世界でのそれらは大衆の愚かさを露呈する行為にしか映らないのかもしれません。

私自身、このコロナ禍で「万が一、○○」とか「○○かもしれない」といった“可能性”という印籠にはグーの音も出せず、また「感染症?知らねえよ、俺聖人君子じゃねえし、俺は俺だ」と言われれば、絶句して過してきました。

確かに選択肢が個人個人に委ねられている限り、「自由に行動する権利」も「安心して生活する権利」もある訳で、ナイーブな事をいえば「やった者勝ち」でもなく「嫌がった者勝ち」でもない共生はできないものかと思います。

互いの見えている世界に理解できないほどの隔たりがある。が、それでも出会ったらどのようなかたちで共生できるのか、共感も同意もできない他者だと気付いたら、それでも私たちはつながれるのか。

新型コロナウィルスの感染拡大が明確にした、収束することのない課題です。

昔、出会ったことば「私たちは徹頭徹尾自我を生き、同時に徹頭徹尾他者と共に在る。」

逃れようのない事実を表したこのことばに改めてうなずき、その困難を実感する今を過しています。

全然「長岡の今」でないですね、すいません。どうか皆さまご自愛のほど。

井上知法 氏(第13組願性寺)


 

○次回の「三条別院に想う」は、

松本 雅裕 氏(佐渡組善宗寺住職)より

ご執筆いただきます

【次回は特別編⑯佐渡は今】

人口5万人の佐渡はかつては銀山・金山で栄え、繁華街が点在していて、当然、新型ウイルスの影響を免れ得ません。次回は、佐渡の現状についてお聞きします。

 

2021年6月4日

ブログ 三条別院に想う

新潟県第一号感染者の葬儀を執行して
(『親鸞NOW』31号掲載 第21組 超願寺住職 富沢慶栄 氏)

こちらの記事は、新潟親鸞学会(令和3年2月1日)発行、『親鸞NOW』31号に掲載の、富沢慶栄氏(第21組超願寺住職)の記事を抜粋したものです。これまで別院だよりの「別院に想う」では、新型ウイルス特別編を昨年の4月から、実際にそこに暮らす人々の言葉を聞いて、何が起こっているのか判断する一つの資料になればと継続してまいりました。今回別院だより6月号の「別院に想う」にて、超願寺当院の富沢栄昌氏に執筆いただいた折に、『親鸞NOW』の該当記事について触れられており、別院としても是非広く周知したいとお話したところ快諾いただきましたので、抜粋させていただきました。


12月6日午前8時15分(仮称以下)A氏の母親が息をひきとった。享年96才だった。新潟県における新型コロナウイルス感染者の葬儀としては最初のケースなので、参考までにその経過を報告したい。
総じて言えば、今回の葬儀は予想に反し、感染者の葬儀とは思えぬほど、通常のそれとほとんど変わらぬ内容だった。というのも故人が生前に帰敬式を受けていたことによる。

11月16日ケアポート砂山で、70~90代の男女29人と施設の30代女性職員1名のクラスターが発生した。今春から入所のA氏の母親も感染した。
寺への一報は11月18日。「39度台の熱があり、かかりつけの病院に入院している」と、週に一度は寺の晨朝に参拝されるA氏から電話があった。その後、微熱に下がったと聞いて安心していたところ、11月28日の晨朝で、「医師から『高齢でECMO(エクモ)等の処置は身体がもたない』と言われ、自分としても、これ以上母を苦しませたくないので、『延命治療は不要』と伝えました。数日後には葬儀をお願いすることになります」と予告された。
これまで拙寺では2回、「あわや感染葬儀か!」というケースがあったが、PCR検査の結果陰性で免れた。今度はそうはいかない。今春、寺内で感染者の葬儀について検討はしてみたものの、結論はケースバイケースとなった。

訃報は12月6日(日)昼前。「遺体が2時過ぎには式場へくるので、枕経をお願いします」とのことだった。
のちにA氏から聞いた話では、「6日朝、病院からの呼び出しを受けて駆けつけた。病院ではガラス越しに母親と対面。遺体は看護師によって消毒のうえ納体袋に収められる。それを防護服を着た葬儀社員が迎えに来て搬送し、式場内の安置室へ仮安置した」とのこと。「最期、死顔にも会えず、火葬にも立ちあえず、お骨だけを渡された」故志村けん氏の非人道的ケースを踏まえた病院や葬儀社側の親身な配慮がうかがえる。
午後2時半に寺から役僧が枕経に伺う。安置室には喪主夫妻と担当職員だけで、故人は納体袋のままお棺に納められており、その前で枕経を執行する。その後、葬儀の日程を、7日午後8時から通夜、8日午前10時開式11時終了と打ち合わせる。そのおり喪主から亡母が20年前に帰敬式で受けた法名紙を手渡される。

「よかった!!」

感染者の葬儀について検討したとき、断念せざるを得ないと思われた所作のひとつが、おカミソリ(帰敬式)だった。さっそく私は入棺文と位牌を書き上げた。しかし、入棺文は果たして棺の中に納められるのか?棺が密封してあれば不可能だ。どこかで入れるチャンスはあるか?
なぜ入棺文(棺書)にこだわるか、それは破地獄文といわれ、故人が地獄に堕ちることの無いように、故人に持たせる言わば浄土行のパスポートだからだ。

さて、翌7日午前8時、寺のお朝事に喪主A氏が参拝に来られ、その後葬儀全般について打ち合わせる。
A氏は、「感染防止のため、お骨にしたうえで葬儀を営みたい」という。そして「青山斎場(火葬場)では本日の営業終了後、5時半から特別に火葬するとのことなので、出棺前に式場で、私達はお棺に花入れするつもりです。そのとき帰敬式で戴いた肩衣・勤行本・数珠なども入れてあげたいが、如何でしょうか?」と。
「とてもいい心がけですね!そのとき、この入棺文も枕辺に差し入れてください」案ずるより産むが易しとはこのことか。入棺文の件は杞憂におわった。
「それからお棺の蓋をしたあと、お棺全体をこの棺掛七條で覆って、そのまま火葬にして下さい」と伝えた。敬虔なA氏の、その母親の葬儀なので、寺としても特別対応をすることとした。

できれば火葬場の炉前で最期を見届け、収骨もしたかったに違いないが、主人・妻・娘ら家族たちは会社・保育園・病院と、夫々の職場の厳しい感染対策に遠慮し、一人として火葬場へ行くことはできなかった。代わって葬儀社社員が出かけ収骨もして、午後7時過ぎに遺骨が式場へ到着する。

通夜で午後7時40分、役僧と式場へ行く。入口で手指の消毒と体温チェックを受け控室へ。8時通夜開式、参列者は喪主ほか4名。喪主も正信偈を詠めるので草四句目下で勤める。
法話は、あらかじめコピーしてきた『末燈鈔』第六通目のプリントを全員に配布。話しの冒頭、春彼岸に寺内全員にマイ体温計を配り、以来、朝晩検温して記録に残し体調管理に勤めていること。ここへ来る前にも検温したので、マスクを外して読経・法話をさせてもらう旨了解をもとめ、話し始める。
今回法話の要点は二つ。第一には死の縁無量。
「みなさんはお母さんがコロナで亡くなったと思っておられるでしょう。けれども親鸞さまは『生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう』と申されている。生の種(原因)をまけば、死という結果は必然すると、お釈迦さまが詳しく説いておられるように、ウイルスは縁(複合的条件の一つ)であって原因ではない、と言われるのです」(略)
第二の要点は、「『愚痴無智のひともおわりもめでたく候え』と親鸞さまは臨終にあたって『めでたい』と申されている」(途中略)「お母様の門出にあたり、私も『極楽往生おめでとうございました』とお祝い申し上げたい」と結んだ。
身内だけの通夜で喪主の挨拶もない。通夜ふる舞いの代わりに弁当をいただいて帰寺した。
通常ならば、式場の葬儀壇前に棺がある代わりに壇上の遺影前に骨箱がある外は、なんの違いもない。
そのまま、翌日の葬儀式の式次第も、礼参も、全く通常のかたちで執行することができた。
ただ、念のため貸し出した御本尊は消毒し、葬儀に関わった私どもは、一層体調管理に努め、二週間は不要不急の外出を自粛している。
(12月20日 記)

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