三条別院に想う
MEMORIES OF THE BETSUIN
2026年1月8日
大津別院・高田別院・三条別院に想う
比叡谷 紗誓 氏(京都教区 近江第26組德乘寺 大津別院列座)
三条別院に最後にお参りさせて頂いたのは2007年の報恩講だった。高田の雅楽のお仲間と一緒に、私は三年ほど続けて寄せてもらった。初めて足を踏み入れたとき、何か、深い・遠いとすら感じたような気がするが、ただ本当に本堂の大きさに圧倒されたのかもしれない。
中越沖地震の後だったため、法要中に短い揺れがあった。輪灯が振れるのを見ながら、収まるのをただ願うしかできなかった。法要中に大きな地震が来たらどうするか、その場の判断で、回向に飛んでおつとめを終えることもあるかもしれない、と周りから聞かせてもらった。不測の事態の対処法を憶えておくことで、ほんの少しお勤め中の心構えになったと思う。

もともと実家の家族の会話には「べついん」がよく出てきて、車でちょっとの距離の髙田別院に私自身はあまり身を運んだことがなくとも、子供の時分から親しみがあった。
お寺の跡継ぎと結婚し(“お寺に嫁いだ”わけではない!)、滋賀県に住まいするようになってから気付いたのは、県内にも隣の京都府にも別院はいくつもあるものの、車でも電車でもどこも一時間程かかること。逆に言うとどこへも行けたので、機会を見つけては身を運んだ。所属寺に足が向かなかったその頃の私は、別院の本堂のような、誰もが座れる場を必要としていたのだと思う。そうやってお参りした長浜・五村別院でも多くの人と出遇わせてもらい、そして今は大津別院に奉職させて頂いている。
全国にある別院はそれぞれ由緒も歴史も違うが、その時その時代の人が何かを抱えながら身を置き、南無阿弥陀仏に出遇ってきた場だと思う。蓮如上人が仰っている「身をすてて、平座にて、みなと同坐(蓮如上人御一代記聞書)」する場になってきたなら本当に尊いことだ。立場を越え、老若男女の別なく、真に同朋平座がひらかれるよう、今の人、これから先の人のために、この場をつないでいきたい。それが、全国にいる、私たちのためなのではないだろうか。
○次回の「三条別院に想う」は、
堀川 慶樹 氏(第16組淨專寺)よりご執筆いただきます。
2025年12月10日
本堂庫裏落慶法要厳修にあたって 渡辺正志氏(第24組正念寺住職)
本年も三条別院の御取り越し報恩講が円成しました。
私は組長の役目もあり二座の内陣出仕をさせて頂きました。
約12年前、非常勤列座として1年半程を勤めていたこともあり、何人かの列座さんとは顔見知りですので三条別院は身近に感じておりますし、その縁もあり退職してからも毎年ご門徒と報恩講には参詣させて頂いております。

先日、当山では約4年半に渡る本堂・庫裡の再建工事が終了して、列座さんにもお手伝い頂き無事落慶法要を厳修致しました。この建設で一番大切にしたことは、ご門徒や縁ある方が使用する本堂と庫裡にすることでした。具体的には、法事はもとより葬儀を執り行えること、それに加えお寺で亡骸を安置できる場所を設けました。以前よりお寺での葬儀を推進しておりましたので、多い年では1年間で葬儀の約7割のご門徒が利用されました。
私が小学校低学年の頃、自坊の報恩講というと本堂いっぱいの参詣の方があったことをよく覚えております。私は一人っ子でしたので、遊んでくれる方が大勢来たと勘違いしておりましたが、賑やかで楽しい時間であったことを毎年思い出します。
本堂・庫裡の建設には、年々少なくなる報恩講の参詣者を一人でも多くの方に来て頂きたいことが「ねがい」でもありました。お寺で通夜、葬儀を行うことは、ご門徒やそのご親族の方と多くの時間を共有することで、平素のお参りでは気付かない事や新たな発見を見聞きすることで、その後も親しく接して頂けるようになりました。
葬儀の準備や後片付けなどは坊守にも負担を掛けておりますが、お寺は住職のものではなく、ご門徒のものでもあることを伝えて理解を得ております。
長年に渡る建設中には、計画前から私の相談に乗り、共に悩んで頂いた大切な門徒役員の葬儀もございました。本堂・庫裡にて、一人でも多くの方とお念仏の教えを聴き、共に先んじて諸仏になられた身近なご門徒を偲び、私と遊んでくれる賑やかで楽しい報恩講に日々勤めてまいりたいと思っております。
三条別院でも当山でも来年も再来年もその先も報恩講が勤まります。
「おめさん そろっと参ろうて!」
追伸 本堂・庫裡の見学や寺院葬儀について遠慮なく是非お問い合わせ下さい。
2024年1月27日
仏教の世界と一般社会との懸け橋 堀川 龍志 氏(第16組淨專寺)
▲今回は、お寺の仕事をしながら芸人「堀川ランプ」としても活躍している堀川龍志氏に執筆していただきました。
私は僧侶として新潟教区にある自坊の仕事をするかたわら、お笑い芸人としても活動している。ここ二年ほどは、だいたい二週間おきに新潟と東京を行き来しながら、僧侶と芸人二足の草鞋を履いて生活している。
真宗の寺の長男として生まれた私だが、もともとお笑いが好きで、大学進学を機に上京し、2017年から「堀川ランプ」という名前で活動し始めた。そして2022年、自坊の仕事を手伝うために新潟に戻って来て今に至る。
自坊に戻る前は一人で紙芝居形式のネタ(※お笑いの用語で「フリップ芸」という)をメインでやっており、一人芸の日本一を決めるR-1グランプリ2021では準々決勝にも進出したことがある。この経験を生かして、門徒さんの前で法話する時などは、キーワードとなる言葉や伝えたい文言を画用紙に書いておいて、それをめくりながら話を進めるという、フリップ芸ならぬ「フリップ法話」というものを考えて披露している。この形式は、門徒さん達から見やすくてわかりやすいと評判がいい上、画用紙に書いて順序を決めていく段階で自分の中の仏教思想も整理されて自身の学びにもつながっていると感じている。

伝わりやすさばかりを追求していては本当の意味での真宗のお教えを理解するのに繋がらないのではというご指摘もあるかもしれないが、若い世代で寺や仏教への関心が薄まっているとささやかれている現代において「真宗の超初級入門書」のような立ち位置で今後やっていきつつ、自己の学びも深めていければと思っている。このフリップ法話を通じて、一人でも多くの人が仏道の入り口に立つきっかけが作れれば、私は嬉しいと思う。
最近、私のように僧侶をやりながら芸人をしているという人は少なくないということを知り、宗派関係なく同じくらいの世代で僧侶をやりながら芸人活動をやっている方々を集めてトークライブを行ったりした。宗派ごとの考え方や作法の差異をお互いに学び合えたというのは勿論のこと若い世代から発信していけることも沢山あるはずだからそういう事を沢山やっていきたいという話でイベントが締めくくられた。
三条別院では講演会に始まり最近では演劇まで幅広い催しを開催しており、その延長として、いつの日か芸人兼僧侶の自分だからこそできる「仏教の世界と一般社会との懸け橋」となるようなイベントを試行錯誤しながらやってみたいと思っている。

堀川 龍志 氏(第16組淨專寺)
○次回の「三条別院に想う」は、
西山 郷光 氏(能登教区西勝寺)
よりご執筆いただきます
▲1月1日に発生した能登半島地震により被災された方々に衷心よりお見舞い申し上げます。元駐在の西山氏が住職を勤める西勝寺(石川県珠洲市)の本堂が倒壊して煙を巻き上げる様子はテレビで何度も放送され、事務所に来られた方で西山さんの安否を心配する声も多くありました。西山さんとご家族は無事に非難されているということで、次回は現状を執筆していただけることになりました。
2024年1月27日
別院へのご縁、心の距離 安原彰子 氏(中越12組安淨寺坊守、新潟教区坊守会長)
▲例年お取り越し報恩講では坊守会役員の皆さまにも加勢をお願いしております。無事に円成を迎え、新潟教区坊守会長の安原彰子氏に執筆いただきました。
今までの私にとって三条別院は、年に一回報恩講に組の団体参拝で訪れる所でした。かつては今のようにバスが境内に入れず、ちょっと離れた所から歩くのですが、だいたいお天気が荒れるんで す。傘もさせない程の雨風の日が多く、よく支度していかないと大変な目に合う日でした。本堂内も本当に寒くて、一応若かった私は遠慮してストーブの近くには座らず、とにかく着込んでお参りしたものでした。
それが地球温暖化の影響か、今年は戸を開け放していても大丈夫なくらいでしたね。半袖の子もいました。当時からすれば考えられません。誰かが戸を開けたものならすーっと外の冷たい風が入ってきて一斉に皆がそちらを睨んだものでした。
そんな係わりしかなかった私ですが縁あって、今年度より教区の坊守会長を務めさせていただくこととなり、今までより三条別院が近い存在へと変わってきました。正直、物理的な距離もあって三条別院までの道のりを面倒に感じていましたが、会議に総会、研修会、報恩講のお手伝いと通うウチに不思議と距離も縮まったような気がしています。私の場合、子どもたちも巣立ち、まだそれほど歳も取っていない今だから通えるというのもあると思います。が、通い慣れればどなたもそんなものなんじゃないかと思います。遠いと感じておられる皆さんも、どうかご縁のある時、足を運んでみてください。心の距離が縮まると近く感じてくるものです。
高齢化の波とコロナ後で、なんとなくお参りが少なくなってしまった今、まず寺族の私たちが三条別院に集いお参りしましょう。人が集まるところに、人が集まってくるものです。これはまぁ、私が心配することではないので、まず私がお参りいたします。南無阿弥陀。
合掌

安原彰子 氏
(中越12組安淨寺坊守、新潟教区坊守会長)
○次回の「三条別院に想う」は、
堀川 龍志 氏(第16組淨專寺)
よりご執筆いただきます
▲2023年11月のお取り越し報恩講より掛役習礼に参加してくれた堀川さんが、実は芸人「堀川ランプ」としても活躍しているということで、次回は今の心情を執筆して頂く事になりました。
2024年1月27日
縁に催されて 小嶋 勇司 氏(第10組光圓寺門徒、新潟教区推進員連絡協議会会長)
▲今回は新潟教区推進員連絡協議会会長の小嶋氏に執筆していただきました。
2013年7月、義姉から、「父が推進員養成講座で二泊三日の研修を受けに京都に行く、坊守さんから腰が45度程に曲がり、歩行も覚束ない父を心配し、貴女が付き添いでいけないなら、私が行くしかない」と言われ自分も仕事があるし、何とかならないかと相談されました。
当時義父は87歳今でいう後期高齢者米寿を迎えるお年寄り、何故その年で研修を受け京都まで行くのか、その訳を知りたくて自分が付き添っていくことにしました。
義父が時折話す第二次世界大戦と死生観、語る仏教に違和感を抱いていました。
60歳定年で退職するまで消防署に勤務、非日常現場での作業に従事し、人の生死に関わって来ましたので、仏教とは何ぞや、仏教で人が救えるのか、そんな思いで、聴講生として義父と本山で机を並べ学びました。
2015年手次寺の住職から、真宗講座の受講を薦められ先回聴講生として受講したものが消化不良であるため受講しました。その後真宗講座のスタッフとして加わるようになり、三条別院を訪れる機会も多くなりました。
春秋の奉仕研修等、そこで各組の皆様から多くのことを学んだと思います。「人は煩悩の塊何処まで行っても凡夫、分かったようでもわかっていない、仏法は毛穴からでも入ると言われているから別院で行事があるときは、積極的に参加するように」と諭されました。
2023年三条別院お取り越し報恩講では、諸殿拝観の説明役を強いられ、浅学菲才の身を思い知らされました。本山の明治における再建については時折お話を伺うことがあるのですが、明治41年に再建された三条別院再建について今後お聞きする機会を得たいと思うところであります。
三条別院でのおみがき奉仕団として初めて参加した際の、苦くも懐かしい思い出があります。先輩諸氏に負けまいと、中途半端なお磨きで洗い場に仏具を持参したところ、「磨きが足りないやり直し」その後懇切丁寧に指導していただいた、米山裕子様が10月末浄土に還られました。
お世話になりました、心から哀悼の意を表します。
合 掌

小嶋 勇司 氏
(第10組光圓寺門徒、新潟教区推進員連絡協議会会長)
○次回の「三条別院に想う」は、
安 原 彰 子 氏
(中越12組安淨寺、新潟教区坊守会長)
よりご執筆いただきます。



