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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
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2019年12月23日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第四章」-

12月も半分過ぎ、2019年もあと僅かとなりました。三条は今日も雨。いかがお過ごしでしょう。

御存じの通り、12月は和風月名で師走といわれます。その由来は諸説ありますが、もっとも有名な説は、師匠である僧侶が、お経をあげるために東西を馳せる月という意味の「師馳す(しはす)」からきているそうで、そこから字が当てられ「師走」となったそうです。要するに、年末は忙しいんやと。例えば仕事納めに年末調整、年賀状、元旦準備、お歳暮、大掃除などなど…挙げればキリがないですね。そこにクリスマスとかも入ってきたりするのでしょう。忙しいわけです。

廣河も別院の中をかけ走っているので、師匠でもお経でもないですが、気持ち的にほぼ師走です。忙しさは生活のハリということがいえるのではと思いますが、たまにはメリ、気持ちをゆるめてゆっくりお聴聞でもしませんかと自分に言いたくなります。そういう意味でも、『歎異抄』に聞くで記事を書けているのは、有り難いことなのかもしれません。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第16回目です。10月28日(月)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は三条教区第17組淨福寺(新潟市西蒲区)の八田裕治氏に、『歎異抄』「第四章」を主題にご法話頂きました。

淨福寺、八田裕治氏。去年(2018年)に住職になられたばかりなんだとか。

『歎異抄』「第四章」

一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々

【現代語訳】○八田さんより現代語訳、語句を含むレジュメをいただいているので、そちらから掲載しております。

慈悲という言葉は同じでも聖道門自力の道の慈悲と、浄土門の慈悲には違いがあります。聖道門の慈悲というのは、自分のカで全てのいきものをあわれみ、慈しみ、育てようとする心です。しかしながら、思い通りに救いを完結することは極めて困難です。一方、浄土門の慈悲というのは、念仏して(阿弥陀仏の本願を憶念して)、急いで仏と成り、阿弥陀仏の大慈大悲心の心によって、思い通り全てのいきものを救うことができるということを確信することをいうのです。この世でどんなにいとおしい、かわいそうだと思っても、既に御存知の通り、助けることは困難なのですから、聖道の慈悲には始まりも終わりも完了もないのです。ですから、念仏申すことだけが、徹底し大慈悲心であることが出来るのです、と親鷲聖人からお聞きしました。

【語註】○同じく八田さんより語句を含むレジュメをいただいているので、そちらから掲載しております。

この慈悲始終なし…徹底しない。
慈悲…特定の人に対してではなく、すべての人々に友情を持つことが《慈》、人生の痛苦に呻き嘆いたことのある者のみが、苦しみ悩んでいる者を真実に理解でき、その苦しみに同感しその苦しみを癒すことができるのであるが、その道苦の思いやりを《悲》という。涅槃経より慈悲に三種あり凡夫の衆生縁は個々の人間関係によって起こされるから小悲。法縁の慈悲は諸法の道理を悟った菩薩などの聖者によって起こされるから中悲。無縁の慈悲は仏のみ起こされる慈悲で何事にもとらわれず、また妨げられずに起こされる絶対平等の慈悲、大慈悲とも大慈大悲心ともいう。『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に「仏心というは大慈悲これなり。無縁の慈をもってもろもろの衆生を摂す」聖典106、3無縁の慈悲が大慈悲なのです。
かわりめ…かわりめ 区別 ちがい目 物事の移り変わり
驚聖人の仏道理解について (略) 自力聖道の道を行ずることを通して自力無効と信知させられて、他力浄土門へ転入させられる。慈悲についても聖道門の慈悲から浄土門の慈悲への転換点が「かわりめ」である。〈広瀬杲『いのちのまこと(歎異抄講話2)』〉
聖道門…覚りを妨げる煩悩を克服するために、自らの能力を信じて厳しい修行に励む道。自力門・難行道 自分が主体
浄土門…力のない凡夫を何としても助けたいと願われる阿弥陀仏の本願に従おうとした自覚から開かれる。他力門・易行道 阿弥陀仏が主体

【聞く】

第四章は、「慈悲」ということ、聖道の慈悲と浄土の慈悲ということが述べられております。つまり、聖道の慈悲は私たちが自分の力で行う慈悲、浄土の慈悲は阿弥陀仏の念仏のはたらきによって他力にめざめる慈悲を言われているわけですが、そもそも「慈悲」ってどういう意味なんでしょう?私がイメージできるところで言えば、例えば面倒見がよい人、生き物を大切にする人、困っている人を助ける人、他人のために行動する人などは、いわゆる「慈悲深い」と言える人達かと思います。ではなぜ、こういった人たちの慈悲は深いのでしょうか。

語註でもある通り、慈悲とは、仏教から出た言葉です。親鸞聖人が尊敬されている、中国の曇鸞大師(どんらんだいし)というお坊さんは「慈悲」についてこのように言われています。

苦を抜くを慈と曰う、楽を与うるを悲と曰う(『浄土論註』)

「慈悲」とは「慈しみ悲しむ」と書きますが、意味は、抜苦与楽(ばっくよらく)ということで、苦しみを抜き、楽しみを与えるということです。誰かが困っていたら助けて、苦しみを抜いてやりたい。人の幸せのために行動して、相手の喜ぶ顔を見たい。このような心が抜苦与楽であり、慈悲といわれるわけですね。それを第四章では、聖道の慈悲と浄土の慈悲とで対比させて言われているわけです。

ご法話では、我々凡夫が情によって起こした心、誰かを助けたいという心は、(もちろん大切なことではあるが)徹底しないもの、限界があるんだと言われた上で、三条に起こった水害(おそらく平成16年の7.13水害)と、今年の10月に上陸した台風19号のことを話されておりました。水害においてはその後の復旧、清掃活動に八田さん自身参加されていたそうなのですが、それは御縁に従って行ったことで、まったく仏の慈悲、大悲といえることではないと話されており、また台風19号については、八田さんのお寺の近くはあまり被害がなかったそうで、もちろん被害に遭われた方を聞けば心配するし、亡くなった方を思うと悲しみいたむけれども、やはり「私たちの方には被害がなくてよかったね」と言ってしまう。そして、被害に遭った場所に親類や知り合いがいれば、救援に行くという方もいる。それらは、まったく批判されるようなことではないんだけれども、人間の持つこころの動き、情からくるものであって、仏の大慈大悲心とはまったく違うのだと話されておりました。

この話には、人間の起こす慈悲の特徴がよく表れているように思います。人間の慈悲は、「幸せになってもらいたい」と思う相手が、子供や親、夫や妻、友人など、身近な人には強くかかりますが、縁遠い人だと、さほど慈悲の心がおきません。人間の慈悲には限界があり、誰に対しても平等にはなりえないわけです。ともすれば「私たちの方には被害がなくてよかったね」という差別的な心も生まれてしまうのですね。

また、人間の慈悲は、その思いが長続きしないということも言えると思います。八田さんのお話も、水害があったから、台風があったからこころが動き、行動を起こしているわけですが、その思いはほんの一時のことでしょう。一生を通してその思いが続くかと言われれば、それはまずありえない。助けたいという気持ちは、御縁がなければ生まれないわけですし、日々あらゆる出来事に直面している我々の気持ちは転々と移り変わって安定しません。そういう意味で、我々凡夫の慈悲には限界があるといえるのだと思われます。

人間の慈悲の中で、最も純粋なのは親の子供に対する愛の心ではないでしょうか。幼いころ、病気になって親に看病してもらった経験は誰しもあることでしょう。子が病に伏して苦しんでいるのを見ると、親は自分のことは目もくれず、食べやすいおかゆを作ったり、熱が出れば氷枕を準備したり、看病につきっきりになったりします。苦しむ子供の声が聞こえれば、たとえそれが深夜であっても一心に看病します。元気になれば、子供の喜ぶことならと思って、好きなものを買い与えたり、出先で珍しいお土産のお菓子をいただいた時は持って帰って、子供に食べさせたりします。仏教ではそんな人間の慈悲を小悲と言われます。悲しいことですが、それはすべての人に平等にかかるものではなく、限られた関係性の相手だけにかかる小さい慈悲であるからです。自分の子供と同じように、他人の子供に接することはできません。また、時には良かれと思ってしたことがかえって不幸を招いてしまうこともあります。親の溺愛といわれますが、盲目的な愛によって、一切怒らず、過保護に育てた結果、社会に出ても自立心が弱く、社会の荒波に順応できなくなってしまうことがあります。人間の慈悲の中でも純粋といえる親の愛であっても、限界があるわけです。

一方で、浄土の慈悲は、人間が抱く慈悲ではありません。如来が、生きとし生けるもの全体に対して抱く慈悲です。人間全体が如来から哀れまれ、過去・現在・未来につながるすべての存在を、ともに救わんとする、という大いなる慈悲です。その機縁は、他者をたすけたい、自分をたすけたいという思いの限界です。その究極は、愛する者との別離、死でしょう。最愛の人がもし死ぬとなったときに、自分が代わりに死ぬことはできないのです。そこで、人間の慈悲には限界があることに気づいて、そのこころがまるごとひっくり返されるところに、如来のほうから慈悲が発現される。ここでは、対比の形をとっていますが、浄土の慈悲が上等で聖道の慈悲が下等だとか、そういう話をしているわけではありません。「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」の「かわりめ」は、慈悲の性質自体がひっくり返り、まったく質が異なることを言われているのだと思われます。ここには、「あれかこれか」という人間の二者択一的な思いを超えて、「これしかない」という他力のめざめを念仏によっていただくことが言われているのでしょう。

しかしどこまでいっても、我々人間はいきものをあわれみ、かなしみ、はぐくむことをやめれないですし、それしかできません。だからこそ、聖道の慈悲では解決できないことに直面したときに、「浄土」という形で表現される超越の課題、つまり「この世」を超えた視点から、「この世」を問うという問題関心を言い続けなければならないのでしょう。

ご法話は途中、八田さんと、その坊守さんも一緒になって話されておりまして、夫婦漫才ならぬ夫婦法話、なんて言われておりましたが、法話の新たなスタイルがそこにあったと思います。楽しくご聴聞させていただきました。

11月28日(木)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第五章」をテーマに第13組安淨寺(長岡市)の安原陽二氏よりお話頂きました。その日、廣河は御正忌報恩講団体参拝で上山していて不在でしたので、代わりに関崎列座に聞いていただきました!順次アップロードしております。合わせてご覧ください。

2019年12月11日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第三章」-

随分と、更新が遅れてしまいました。完全に言い訳ですが、9月頃から、三条別院のお取り越し報恩講の準備が段々と激化してくるので、御命日のつどいの記録も中々書く時間が取れなかったのですね。そして日があけば、どんな内容だったか思い出すところから…いやはや、力不足を感じる今日この頃です。去年の私は一体どうやってこの時期書いていたんだろうかと思って、去年の記事を見てみましたが、次の一文で辟易。

 

来月にお取り越し報恩講を控え、慌ただしい日々を過ごしております。ですが、どのような日々であってもすべてが聞法生活。その意識が薄れていかないように、何度でも仏法に出遇わせていただくということが、大切なことのように思います。廣河が『歎異抄』に聞くを聞く。 ー「第十二章」ー

 

随分と偉そうなことを申しております(汗)果たして私は仏法に出遇えているのでしょうか。忙しさに右往左往し、お役目も果たせず慌てふためいている姿しか回想できません…。それでもと、言い続けるしかないのでしょうけど。

さて気を取り直して、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第15回目です。9月28日(土)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は三条教区第20組光圓寺(新潟市江南区沢海)の村手淳史氏に、『歎異抄』「第三章」を主題にご法話頂きました。

第20組光圓寺 村手淳史氏。定例布教として、以前にもこの『歎異抄』に聞くでもお話いただいております。

『歎異抄』「第三章」
【本文】

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。

【現代語訳】

善人でさえ往生を遂げることができる。だから悪人は言うまでもない。それなのに世間の人たちは常に言っている。悪人でさえも往生する、だから善人は言うまでもない。このことは、一応その道理があるように思われるけれども、本願他力の趣旨に背いている。その理由は、自らの力をたのんで善を作し功徳を積もうとする人は、一筋に他力をたのむ心が欠けているので 阿弥陀仏の本願にかなっていない。けれども、自力の心をひるがえして、他力をおたのみするならば真実の報土の往生を遂げることができるのである。須悩をことごとく具えている私たちは どのような行いによってもこの迷いの世界を離れることがまったくないということを悲しまれて本願を発された本当の御心は、悪人成仏のためであるから、他力をおたのみする悪人こそ、もっとも往生の正因なのである。それ故、善人でさえ往生する、だから悪人は言うまでもない。と親鷲聖人は仰せられました。

○今回、村手さんより現代語訳を含むレジュメをいただいているので、そちらから掲載しております。

【語註】

善人…自分を善い行いをすることができると思っている人。

悪人…自分を真実に背く罪悪の身だと自覚している人。

一旦…一応

そのいわれあるににたれども…道理があるように思われますが。

自力作善のひと…自力の力によって、善い行いができると思っている人。

真実報土…本願がかたちをとってあらわれた、迷いを超えた世界。浄土のこと。

煩悩具足…さまざまな煩悩をすべてそなえて生きていること。

生死…生にとらわれ、死を遠ざけている迷いの人生。

悪人成仏…罪悪の身を自覚し生きているものが、仏になること。

往生の正因…往生を遂げるための最も大切な自覚。

【聞く】

第三章は、一見突拍子もなく、「救い」の対象として、善人より悪人のほうが救われるという提言がなされています。仏教に詳しくない、浄土真宗全然わからないという人でも、この「悪人正機」の話は聞いたことがあるのではないでしょうか。私も高校の時、歴史の授業で習った覚えがあります。当時の私はこのことを聞いて、悪い人こそ救われるのなら、悪い事し放題で困った世の中になってしまうだろうなと考えたものです。仏教に関心がなく、親鸞聖人の思想、他力本願の意味も知らない人間にとっては、「悪人正機」ということだけを見ればそのように受け取ってしまうのも当然のことかと思います。そういう意味で、受け取り、取り扱いに注意の必要な章と言えます。

ご法話では、善人とはどういう人か、悪人とはどういう人なのかについて言及されておりました。つまり、善人とはわかったつもりの人(わかろうとしない人)、悪人とはわからない人(わからないことがわかった人)と言われ、その上で、世間的価値観から自分を見れば、全員善人で、全員善人であろうとする。仏さまから人間を見れば、全員悪人であると言われておりました。

高校時の私の捉えは正しく世間的価値観の上での捉えですね。悪い事をした人が、悪い人、悪人になる。しかし、その悪い事というのは誰が決めたのか?親が、友達が、先生が、法律が、周りがそう決め、教えるから善か悪かをイメージできるわけですが、あくまでそれは世間的価値観で判別しているにすぎません。だから、世間が移ろえば善悪の価値観も変動しますし、人もまた同じでしょう。本当のところは何もわからないけれど、時と場合によって善悪を判断し、わかったつもりでいる。ここに、全員悪人であるという仏の眼が言えるのだと思います。

 

親鸞聖人は人間を省察する上で、人間を善、悪によって定型化しておりません。

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし(『真宗聖典』六三四頁)

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。(『真宗聖典』六四〇頁)

このように、人間の在り方は時、場所の条件、業縁(カルマ)によって善人にも悪人にもなり得る存在とみております。また、業縁の中を人間も含め、生物は生きているわけですが、人間存在は生物的な生命にとどまらず、人格的な生命、社会的な共同体を営みます。善悪の規範、規準によって共同体を生きているわけですから、その人を善か悪か判じることは全くできることではないのです。

夏目漱石が『こころ』という作品の中で、善い人間と悪い人間について、次のように述べているところがあります。

君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだと云いましたね。然し、悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断ができないのです。(『こころ』夏目漱石 新潮文庫)

ドラマなど見ていても、家の当主を喪った、哀しい死を悼むお通夜の場面が、一転して翌朝には、遺産相続の醜い骨肉の争いになることがあります。その意味では、夏目漱石のいう「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」という了解は、親鸞聖人の「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」という、人間存在の凝視と共通しているといえるでしょう。

そういった親鸞聖人の悪人理解をふまえた上で、この章は、「善人のほうが救われるのか、悪人のほうが救われるのか」ということが表にでておりますが、「往生」ということ、つまり本願を信じ、自分の悪(わからない)に目覚めた人こそ、往生の一道に立った人であるということが基本線になっていると了解できます。この短い章に、「往生」という言葉が5回、そして同義語といえる「成仏」「生死をはなれて」という内容が繰り返されている点にも留意すべきと思います。つまり、出家者(道)、在家者(俗)の区別なくすべての人が救われる地平、仏に成る道はどこにあるのかの教示であろうかと思います。

長く仏道は、聖道と称して純潔と自制を願いとした「戒」の論理にありました。その願いは純潔な理念でありましたが、生活の大地からは離れていました。山に籠って修行をするという修道院仏教の枠を出ることはできなかったのです。第三章に対応しているといわれる第十三章では、その問題を

持戒持律にてのみ本願を信ずべくは、われらいかでか生死をはなるべきや(『真宗聖典』六三四頁)

と問いかけ、その修道院仏教から疎外されていた民衆の人々の名を挙げています。

うみやまに、あみをひき、つりをして、世をわたるもの(漁師)

野やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがら(猟師)

あきないをもし(商人)

田畠をつくりてすぐるひと(農民)

そこには、日々の生活に明け暮れ、生きるためには殺生をなし、物を売り買いして生きなければならない、日常の人間業の救いこそを問題にしております。清浄の行を基準とする善、戒の論理からみれば除かれる人々です。この第三章の内容は、そういった「人間業によって悪(罪)を犯すものの救いはあり得るのか」ということを、通底して問いかけているのではないでしょうか。

 

10月28日(月)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第四章」をテーマに第17組淨福寺(新潟市西蒲区)の八田裕治氏よりお話頂きました。鋭意執筆中です!ではまた!

2019年12月9日

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新年に向けて別院内がピカピカに!【煤払い報告】

年の暮れも迫り、だんだんと気温が下がって冬らしい気候になってきました。そんな中、12月7日(土)~8日(日)に、毎年恒例のおすすはらいが行われました。

すすはらい前日の別院境内。今シーズン初の積雪である。

今年は前日に雪が積もり、厳しい寒さになりましたが、多くの方々に参加していただきました。初日には、19組浄林寺ご住職の松澤孝然氏を講師に招いての法話、そして参加者の皆さんとの座談会を行い、その後の懇親会では翌日の奉仕研修に向けて鋭気を養いました。翌日は7時から本堂でお朝事にお参りし、極寒の本堂で冷え切った体を列座特製の具材たっぷり豚汁で温まって頂きました。

 

列座特製豚汁に舌鼓を打つ参加者の皆さん。隠し味の酒粕がいい味を出している。

豚汁の出来に大満足の列座。今年は分量を間違えることもなかった。

9時からの奉仕作業では、まず御本尊・宗祖御影煤払いの儀を執り行い、その後参加者で本堂⇒旧御堂⇒書院と清掃を行いました。毎年参加されている方を中心に、見事なチームワークであっという間に院内がピカピカになりました。

御本尊の煤払いをおこなう森田輪番

続いて浄圓寺ご住職による宗祖御影の煤払い

三条別院では12月31日夜の22時から旧御堂を開放しており、深夜零時から本堂で修正会の法要が勤まります。奉仕団の皆さんのおかげで綺麗になった厳かな堂内で年を越してみませんか?

2019年12月5日

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真宗本廟(東本願寺)御正忌報恩講に団体参拝【報告】

毎年、別院で企画している本山御正忌報恩講団体参拝。今年も行って参りました。11月27日から29日の2泊3日。今年の参加人数は29名集まりました(内引率者2名、別院教化審議会会長渡邉智龍氏、列座廣河敦)。27日、まだ日の出ていない早朝から新潟を出発し、14時頃に御本山に到着しました。

御本山到着!

そのまま結願逮夜法要を参拝しまして、バス移動で疲れた体を癒すため、宿に向かいました。

旅館は京の宿 魚岩旅館。

ホッと一息。

宿での夕食後は皆さんそれぞれが、ライトアップを見に行かれたり飲み屋さんを回ったりなど、夜の京都を満喫されていました。

翌日28日は朝8時過ぎに御本山に到着しました。ちょうど晨朝の法話が終わった後の人がはけるタイミングだったみたいで、最前列は無理でしたが中央よりも前よりでお参りさせていただきました。気温は10℃前後と低く、寒かったです。

御満座の法要に先立って、9時からは池田勇諦氏(同朋大学名誉教授)による祖徳讃嘆が行われたほか、2020年6月30日をもって退任される大谷暢顯門首より、本年の真宗本廟報恩講の御満座にあたっての挨拶がありました。

真宗本廟報恩講における門首挨拶について

詳しくは上記の御本山ホームページをご参照ください。

 

10時からの結願日中の法要は、例年と変わらず御影堂に入りきれないほど多くの方々が参拝されていました。結願日中は、体を大きく前後に動かして念仏と和讃を繰り返す、真宗大谷派のみに伝わる声明「坂東曲(ばんどうぶし)」で勤まり、力強い念仏の声が堂内に響きわたりました。和讃には二通りあり、隔年で勤められております。一つは高僧和讃の「願力成就の報土には」六首、もう一つは正像末和讃の「濁世の有情をあわれみて」六首で、今年は高僧和讃で勤まりました。

また、去年の報告で述べましたが、団体参拝と合わせて出仕も募集しましたところ、ご応募ありまして、ご案内しました。引率は団体から離れられないので、出仕までの先導を、去年団体参拝に参加していただいた別院教化審議会委員の堀川秀道氏にお願いしました(今年は別団体でした)。結果、応募された方、無事に出仕させていただいたということで、バスの中で安堵されておりました。堀川さん、ありがとうございました。

お昼は五条坂にある「清水順正 おかべ家」にていただきました。

冷えた体に、湯豆腐が染みわたります。

お昼の後はそのまま五条坂にて、お買い物をしていただきました。

さすが観光地。老若男女、ひしめき合っています。

残念ながら小雨が降っていましたが、人の活気は変わりなく、でした。

その後、滋賀のホテルに移動し、疲れを癒しました。

 

最終日は、真宗十派の福井の越前四ヵ本山のうち、真宗三門徒派の専照寺さんを参拝しました。

真宗三門徒派 本山 専照寺。昨年の雪害により、いまなお補修工事の最中でした。山門の意匠が素晴らしい。

両堂を丁寧に案内していただきました。

その後、曹洞宗大本山永平寺さんに程近い、「ほっきょ荘」でお昼をいただきました。

 

 

 

 

 

おいしい。。。山海の恵みに舌鼓を打ちました。

永平寺さん御用達ということで、こちらの「禅みそ」をプッシュされておりました。なんにでもよく合うそうで、今回はごま豆腐と合わせていただきました。

永平寺さんの参道ということで、店舗の中や周りにはお土産屋さんが展開しておりました。食後はバスの出発時間までそれぞれ、お土産屋さんを見て回ったり、永平寺さんまでお参りをしたりなどしました。

 

境内は約10万坪の広さだそうです。さすがに回りきることはできず、山門を見てバスに戻りました。

空気が玲瓏と澄み渡っておりました。

 

その後、道中富山の「ますのすし源」(去年も寄りました!)に寄ってお土産を買うなどして、皆さんそれぞれ帰路につきました。

廣河、二度目の御正忌の団体参拝でしたが、現御門首の、御門首として最後の報恩講にお参りできたことは、大変有難い御縁であったと思います。お勤めも、それをうけてか例年に増して気合のこもったお勤めでありました。

また、来年は来年で、門首後継者の大谷暢裕氏が御門首となられて初めての報恩講がお勤まりになろうかと思います。またとない機会、来年もぜひお参りさせていただきたいなと思ったことでございました。

 

ご参加いただいた皆様、誠に有難うございました。来年もお待ちしております。

今回参加されなかったという方も、来年御縁あれば、ご参加いただければ幸いです。

2019年11月17日

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列座がトレーディングカードになりました。

三条別院お取り越し報恩講が11月8日の結願日中で無事に円成をむかえました。今後順次報告をしていく予定です。このたびはお取り越しに先立つ11月3日(日・祝)に三条マルシェを三条別院にて開催していただきました。ちょうどお取り越しお待ち受けの「ごぼさま寄席」が開催される日で、多くの方にお取り越しを宣伝することができました…などと冷静に報告していますが、今回はなんと、別院の輪番・列座トレーディングカードが発売されているではないですか!カード化することで、はたしてどんな効果があるのか? 非常に未知数ですが、マルシェ実行委員の広報班が作成してくれたということで、地域の一員としてようやく認められてきたのかとうれしく思います。

三条マルシェ内で3枚で200円で販売している。自分のカードをゲットして大喜びの列座たち。

一部のマニアックな女子たちも推し列座のカードを集めている。

全8種類。君はすべて集めることができるか?今後の三条マルシェでも販売しているようです。

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