どんな日も、どんな時代も、そばにある。

三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

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2020年2月21日

ブログ 三条別院に想う

「鍛冶ガール」について三条マルシェ実行委員に執筆してもらいました!

【三条別院に想う】鈴木千博氏(三条マルシェ実行委員)

昔、よく散歩したり走りまわったりしてたな

昔、裏山があったよな

三条マルシェに携わる様になってから、昔みたいによく訪れる様になりました

すごく懐かしく感じています

 

この街の中心にある別院さん

時代は変わっても三条の中心から、街全体を見守るかのようにそこにいてくれていますね

色んな時代を見てきたんだと思います

別院さん、もしこの街の今とはちょっと違った風景が見れたらどうですか?

もし、昔見ていたような懐かしい風景も

また見れるかもしれないとなったらワクワクしませんか?

 

私は【鍛冶ガール】という2次元キャラを、多くの方々と共にこの街に誕生させました

もしかしたらその鍛冶ガールが、そんな風景を見せてくれるかもしれません

別院さん、その時は鍛冶ガールが別院さんの敷地内を散歩したり走りまわったり

するかもしれませんが、その時は許してあげてください

そして、この街のちょっと違った風景をニコニコしながら見守ってください

 

この街を、今よりも元気で面白い街にしていきたいと想います

昔走りまわっていた別院さんの敷地内で、そう想います

中央が鈴木氏。それを囲むイベント班を中心とした三条マルシェ実行委員たち。

 

【「鍛冶ガール」に想う】

三条別院の職員として私が町おこしをしたいと思うのは、別院周辺の本寺小路や中央商店街や一ノ木戸商店街がふたたび賑わえば、三条別院への参詣者が増え、仏教を聞いてもらうきっかけになれればという理由である。この「町おこしをしたい」という理由は、中小企業であれば経済を活性化したいということや、過疎などに伴う人口流出の加速などの深刻な問題や、実生活における不便(スーパーマーケットや病院など)の問題や、あるいは仲間を増やしたい、あるいは自己実現の場としたいということだったり、自分たちの町を自分たちで作るという意識であったり、さまざまであると思われる。さて、今回の主題の「三条マルシェ」であるが、三条別院も年に1回程度会場となるということで、実行委員としても参加させていただいている(出席率は悪いが別院開催の時の会議はなるべく出席している)。その良さは三条市民みずからによる実行委員制で、やけに頻度が多いことや、それに伴う気軽さや敷居の低さであるといえよう。そこには多種多様な町おこしの動機達が集まってくる。今回三条市体育文化会館のリニューアルイベントで三条マルシェが行われた際には、三十路をはるかに越えたおじさんたちが「萌え」で町おこしをしたいということで(「萌えおこし」というのはもはや現代用語になっているという…)、鈴木氏をはじめとした委員の懸命の働きかけで、「鍛冶ガール」というキャラクターが短期間で誕生した(それを私は横で見ていた)。短期間に委員間で多量のやりとりがありすぎて私はマルシェのグループラインの通知をオフにしたくらいである。今後は映画化などを目指しているというが、このような過剰な情熱を敷居を低く受け入れる土壌が三条マルシェにはあるということが良いところである。今回発案者のイベント班の鈴木さんから原稿を書いてもらい、認知度が高まる前に「青田買い」したので、ゆくゆくはこの記事の価値が出るかもしれない。あるいは星くずとなって消えるかもしれない。しかし、お寺は敷居が高いと言われることもある昨今、このような取り組みに学ぶことがあるように思う。

(斎木)

【リンク(更なる詳細)】

ケンオードットコムのマルシェの記事

鈴木氏のブログ

2020年2月19日

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定例法話「釈尊伝」がはじまりました!

■定例法話「釈尊伝」報告

2月13日(木)午後1時30分から2時30分

定例法話 仏教入門講座―釈尊伝―

講師 富沢慶栄氏(新潟市西堀超願寺、三条真宗学院指導〔仏教〕)

企画委員長の木村邦和氏から「新潟県内では一般の方々対象の真宗や仏教の講座がいまやほとんど無い」ということで、このたび別院の定例法話で「釈尊伝」の講義を行うことになりました。

古代インドに王子として生まれた釈尊は、何に悩み、何を考え、何を悟ったのか? 仏教はじまりとその中心思想を、釈尊の生涯を通して全三回でお話しいただく。

このことをチラシに掲げさせていただきました。

別院所蔵の釈迦苦行像とともにお話しいただく富沢慶栄氏。

【講義内容抜書】

まずはじめに、富沢氏は釈尊は実在の人物であり、1868年ドイツ人考古学者のフューラーが、ルンビニーでアショーカ王(インド最初の統一王朝マウリヤ朝の3代目)の法勅の石柱を発掘したことから、その実在と生没年代の推定が確かになったことが話された。ルンビニーの地図も確認した。

⇒なるほど釈尊が実在か否かという問題もかつては存在していたのですね…

 

そして釈尊が兜率天から白象に乗って摩耶夫人の胎内に入り、右脇から誕生し、七歩歩まれて「天上天下唯我独尊」と言われた、と語られたことの意味について、特に「右脇」ということで話された。

⇒インドの象徴的な表現は荒唐無稽に聞こえますが…

 

古代インドでは、アーリア人が先住民族を戦争によって破ることで、先住民族はスードラ(奴隷)、チャンダーラ(アウト・カースト、不可触選民)という位置づけとなり、アーリア人たちは支配者を中心に司祭を行うので、バラモン(司祭者)、クシャトリア(王族・貴族)、ヴァイシャ(商人・農民)と別れ、「バラモンは頭から生まれ、クシャトリアは脇から生まれ、ヴァイシャは腹から生まれ、スードラ・チャンダーラは足から生まれる」といういわれができたと解説された。右脇とは釈尊がクシャトリアの生まれであったことと関係するという。そして生まれて七歩歩むというのは、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六道を超えるということと説明された。

⇒カースト制度が、戦争の勝者により作られたものであるということは考えさせられます。

超願寺所蔵の釈尊の入滅を描いた涅槃図。

【次回以降の予定】

今回は、釈尊の生涯を8つのすがたでまとめる「八相成道(はっそうじょうどう)」という考えがあり、それは「降兜率・託胎・降誕・出家・降魔・成道・転法輪・入滅」であるが、今回は「降兜率・託胎・降誕」までで、次回以降に後の5つをお話しいただきます。

今回は盛況で50名近い参詣者があった。

涅槃図の描かれる人物や動物の意味を別院職員に尋ねる参詣者たち。

【職員雑感】

4月8日の釈尊の誕生日を縁とし、三条別院では子ども奉仕団で「お誕生法要」を勤め、三条市仏教会では毎年5月の第二土曜日に花まつりを行い、白象を引いて市内を練り歩きますくなど釈尊の誕生は意外に身近です。浄土真宗の聖典である『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』も、大乗経典ではありますが、釈尊が説いた経であるという前提で書かれています。大乗経典は釈尊滅後につくられたという歴史的な視点と、それでも大乗経典は釈尊の直説であるという宗教的な視点は、私たちに「仏とは何なのか」ということを問いかけてきます。宗教的・象徴的な表現を読み解き、史実にあたる今回の講義「釈尊伝」を通して、あらためて現実に生きた釈尊に触れてみたいと思います。ぜひみなさんも第2回に参加してみてください。そして春彼岸には三条スパイス研究所と協力した精進弁当「釈迦礼弁当」もあります!

 

2019年12月31日

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2020年、今年の一言「大悲無倦」

除夜の鐘整理券をお受け取りの皆さま、悪天候の中三条別院にお参りいただきありがとうございます。2019年はいろいろとお世話になりました。2020年もどうぞよろしくお願いします。さて、今年の一言は「大悲無倦(だいひむけん」です。大悲とは阿弥陀如来の慈悲。「無倦」とはものうきことなくということです。正信偈には「常照我」と続きます。さっそく語句を解説しましょう。

畑でとれた大根(通称:米山農園の野菜)を煮ている米山氏(通称:米山調理人)。大晦日新名物大根煮をどうぞ!

【大意】

「我もまたかの摂取の中に在れども、煩悩の眼障えられて見たてまつらずといえども、大悲倦(ものう)きこと無くして、常に我が身を照らしたもう」この言葉は親鸞聖人の「正信偈」に引用される源信僧都の言葉です。意味は「真実信心を得る人は身は娑婆にあるが、かの摂取の光明の中にいる。煩悩が眼をおおって、見ることはできないが、阿弥陀仏はそんな私たちを見捨てることなく智慧と慈悲によって照らし続けている」ということです。

【解説】

まず、阿弥陀仏の智慧と慈悲によって照らされている「我」の内容を確かめたいと思います。仏教の根本の教えとして、人間は「我(私中心の見方、考え方、生き方)」によって「苦しむ」ということがあります。しかし、戦後70年を経て便利になった現在の私たちの多くは、衣食住にも満たされ、「苦しむ」ということが分からなくなりつつあり、それと同時に本来迷いであるはずの「我」というものが「個人の尊重」などという形でかえって尊ばれているように見えます。しかし、仏教は思想ではなく真実を教えています。むしろ真実でないものは仏教ではなく思想です。「我」というものは貫くことはできない、むしろ必ず折れるということが真実です。仏さまは「我というものは必ず折れるぞ、折れたっていいのだ」と先んじて願っています。私たちの努力が挫折した時、私たちはある時は絶望しますが、努力は挫折するものなのだという優しい視線で仏さまは受けとめてくれています。そんなことに気がつかずに、私たちは我を張り続けています。しかしいつでも、先んじて仏さまは願っているのです。挫折した先には思ったよりも広い世界が開けています。(解説:斎木)

 

 

2019年12月30日

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除夜の鐘・修正会を迎えるにあたり、花講が歳末立花と米山氏が大根煮!

2019年12月31日の除夜の鐘、2020年1月1日の修正会に向けて、荘厳も整ってまいりました。12月25日は今年最後の花講の活動である「歳末立花」が行われ、若松、南天、柳などの正月の花材を使い、正月をお迎えする準備をしました。

花講のニューフェイス塚本智海氏は京都で庭師経験あり。柳の皮をむいています。

斎木列座と田澤列座で担当した中尊前の仏花。

大溪氏は除夜の鐘の待機場所である旧御堂前に花を生ける。

鷲尾氏は本堂の入り口に花を生ける。昨年から、生け花経験者に旧御堂前と本堂前の飾りをお願いしています。

廣河列座と塚本氏で御代前を担当。

小原列座と横田氏で祖師前を担当。

山田氏は余間を担当。

関﨑列座は旧御堂を担当。

本堂に荘厳。中尊前。

祖師前。

御代前。

北余間。

畑でとれた大根(通称:米山農園の野菜)を煮ている米山氏(通称:米山調理人)。

いよいよ除夜の鐘も迫ってまいりました。深夜23時45分、輪番の第1打からはじまりますが、整理券の配布は11時30分で、配布場所の旧御堂は22時に開いて、大根煮、甘酒、ココアを振舞っています。整理券をもっている方は、今泉で年越しそばを500円で食べられます!今泉は深夜1時までに入れば食べられるということです。本堂では深夜零時に修正会が勤められるので、本堂でお参りした後に除夜の鐘を撞くのもよいかもしれません。ぜひ、お待ちしています!

2019年12月23日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

関崎が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第五章」-【番外編】

11月28日(木)、三条別院では宗祖御命日日中法要が勤まりました。
その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、序文から順にご法話を頂いています。
今回は、廣河が11月27日から真宗本廟御正忌報恩講団体参拝の引率で不在のため、
かわって非常勤列座の関﨑が「『歎異抄』に聞く」を聞く、17回目をお届けします。

今回は三条教区第12組安淨寺(新潟県長岡市)の安原陽二氏に、『歎異抄』「第五章」を主題にご法話頂きました。

安淨寺、安原陽二氏。三条別院の報恩講実行委員会にて教化部会の主査をされているなど、別院と関わり多く、今一番アツい方です。

歎異抄第五章
【本文】
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。
そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。
いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべきなり。
わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、念仏を回向して、父母をもたすけそうらわめ。
ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあいだ、
いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなりと云々

【訳】
私《親鸞》は、亡くなった父母への供養のために念仏したことは、いまだかつて一度もない。
その理由は、いま現に生きとし生けるものは、あらゆるいのちとつながりあって生きる父母兄弟のような存在だからである。
どのような存在であろうとも、やがて仏の位に到ったときには、だれをも救済することができるのである。
もし念仏が自分の努力でおこなえる善行であるのならば、念仏を振り向けて父母をたすけることもできよう。
しかし、自分の努力でなんでもでき、ひとを愛せると思っている心に絶望して、
すみやかに弥陀の本願の広大なる智慧をいただくならば、その智慧のはたらきによって、
どのような苦悩多い境遇に埋没している存在であっても救われるのである。
(訳・親鸞仏教センター)

 

【語註】
孝養(きょうよう)・・・・・・・・・・亡き親たちへの追善供養
有情(うじょう)・・・・・・・・・・・いのちあるもの 「衆生」に同じ
世々生々の(せせしょうじょうの)・・・幾度も生まれ変わってきた、長い生命の歩み
順次生(じゅんししょ・・・・・・・・・次の生
六道四生(ろくどうししょう)・・・・・六道は地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道、四生は胎生・卵生・湿生・化生で、いずれも迷いの世界と、その生れ方を表す
業苦(ごうく・・・・・・・・・・・・・生きているうえで抱えつづける苦悩
神通方便(じんずうほうべん)・・・・・さとりを得たものの自由自在な救いのはたらき

 

【聞く】
安原陽二氏は、冒頭で日本の仏教離れと葬式仏教化についての問題を取り上げられました。
一体、『歎異抄』第五章とどのようにかかわってくるのか。
講師の安原陽二氏が用意されたレジュメを一部掲載(「」部分)しながら振り返りたいと思います。
まず第五章を『歎異抄』全体の中で、どのように位置づけられているのかを説明していただきました。

「第一章は真宗教義の基本を、第2章では他力の信心が理論を弄ぶ概念的な追及では得られないことを。
第三章にいたって弥陀の本願を道徳的水準に引き下ろしてあげつろうてはいけない事を戒め、虚しい議論と律法を超えた正しい真宗信仰の本質を顕彰せられた。
第四章から第六章までは真宗の正しい立場から周囲の人たちとどのように接していくかいわば真宗門徒の対人関係を示されたものであります。
その中で四章は広く一般の慈悲活動について小慈悲、中慈悲、大慈悲の問題を解明しています。
第六章は、師弟関係を解明しています。
その中で五章は慈悲問題を、特に親に対する心情を真実の信仰の立場から吐露せられたものであります。」

そこで第五章の内容にはいっていくわけですが、第五章は、三つに分けて展開できるとのことでした。

まず、

―親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず―
「親鸞聖人は、亡き父母のためにとおもって念仏を唱えたことはいっぺんもない。と言い切られています。
つまり古来より行われてきた追善供養を否定されたのであります。これはどういうことでしょうか。」

一つ目の理由として述べられているのが、

―そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり―

という箇所であり、
「父母といえども、現世の父母だけでなく世世生々して一切の生あるものは、皆あさからぬ因縁に結ばれていると言うことです。
第四章の慈悲として、直接の父母だけでなく全てのいけるものに親しみを持って救いの手を差し伸べねばならないということです。(大慈悲)」

 

二つ目の理由として述べられているのが

―わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、念仏を回向して、父母をもたすけそうらわめ。
ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあいだ、
いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなりと云々―

「真宗の念仏は如来の回向であること。自分の善根ではない。つまり、自力で功徳を振り向けようとする態度そのものを否定されたのであります。」

 

「さて、親の追善供養は必要ないのかと言う問題です? どうだろうか?私たちは古来より、親兄弟の法事もし、葬式もしております。
ではこのことはどう言うことなのでしょうか。そのことについて考えてみたいです。」ということでさらに詳しくみていきました。

 

まずはひとつめの理由を考えます。
「父母といえども、現世の父母だけでなく世々生々して一切の生あるものは、皆あさからぬ因縁に結ばれていると言う問題です」
講義中の安原陽二氏の言葉によると「同じいのちをわけあいながら生れて生きて、死にいのちの故郷に還っていく、
過去に未来にもそういう世界があり、現在の私たちを生かしている。次の世代にもまた同じいのちをわけあった者が生れ生きていく。
いのちがつながれていく。そこではじめて共に生きる、と言える。皆、同じ広いいのちの世界にわたしが生かされている。
ということが「世々生々の父母兄弟」ということである」ということです。

二つ目の理由は如来回向の問題があります。
「自力と他力の問題がやはりある。真宗の回向は如来より賜りたるものであり、私の善根によってされるものではありません。
ですから助かるも助からんも、如来のオンはからいであることが大切です。その意味では自力の追善の供養はすべての人を救い遂げることは、
あり得ないことではあります。しかし、本当の救いを頂くためには人情や純粋な人間心理を通りながら具体的に働くことになると私は感じるのであります。」
ということです。

以上を踏まえ、冒頭で述べられた現代の葬式仏教化した、「自力の追善の供養」と化した仏事に、
親鸞聖人が言われた「父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」が何を問いかけているのでしょうか。

安原陽二氏は、元専修学院院長の竹中智秀先生の言われていた「追善としての仏事」と「報恩としての仏事」ということから語ってくださいました。
「追善の仏事」とは、亡くなった人を思って、その人が死後安らかであれという思いをもって、善い行いをもって供養していくことです。
浄土真宗の仏事は「報恩としての仏事」です。「報恩としての仏事」ということを大切にされていたのは法然聖人です。
『法然聖人没後二箇条事』という法然聖人の遺言の中で、世間の風習で追善供養することもあるだろうが、
次の事を大切にしてくださいということで述べられています。

「図仏・写経等の善、浴室・檀施等の行、一向にこれを修すべからず」
(写経などの善い行いや法要の際にお風呂を用意して(浴室)、ご飯を振舞い(檀施)皆に喜んでもらう行いをもって亡くなったものを追善していくこと)
念仏申すものは法然聖人のための「追善としての仏事」をする必要がないと言われたのでした。

そして
「もし追善報恩の志あらん人は、ただ一向に念仏の行を修すべし」と言われます。
ここに「報恩としての仏事」が述べられています。
縁ある者と共に念仏して生きていく者となることが願われているのが「報恩としての仏事」です。

売る覚えですが、引用された松本梶丸氏『歎異抄に学ぶ』の中の一節が印象に残りました。
「父の無念を供養するため懸命にがんばっていた。がんばっているうちに自分の思いがおおきな間違いだと気づかされた。
父の死を縁として生きることの意味を考え、みんなと力を合わせて生きてくれと、父から呼びかけられていたことが供養だった。
供養を受けなければならないのは生きている私たちではないだろうか」

我々にとって仏事は、「報恩としての仏事」としてなりえているのでしょうか。

親鸞聖人の第五章の応答は、どんな問いに対してなされたものなのでしょうか。
『歎異抄』第五章は「真宗門徒の対人関係」が示されていると冒頭で言われていたわけですが、
つまるところ、第五章が、亡くなった者とのことににとどまらず、
生きている者の間においても聞こえてくる響きがあると思うのですが、どうでしょうか。

 

これにて、関﨑が「『歎異抄』に聞く」を聞く。-第五章-は終わりです。
しかし、関﨑の歎異抄に聞くは終わることはないのです。

次回の御命日のつどいは12月28日(土)、『歎異抄』「第六章」をテーマに三条教区第11組長福寺(新潟県長岡市)の北島栄誠氏よりお話頂く予定です。
どうぞお誘い合わせてお参りください。

【追記】

12月23日に講師の安原氏より、追記執筆者(斎木)のところに、法話の内容と少し違うのではないかというラインが来ました。ということで、講師の話の攻究ということで、多方面から光をあててみたいと思いますので、斎木が聞き耳の底に残ったところを、いささか記そうと思います。

安原氏は現住職から入寺することをすすめられて仕事をやめて大谷専修学院にはいり、卒業したてで、住職が宗門の要職に就き京都に住むこととなったため、いきなり法務全般を任されることとなったが、その内容はほとんど「葬儀」と「法事」であり一般的に言うと「父母の孝養」であった。しかし真宗の儀式としては親鸞聖人が『歎異抄』で父母の孝養のための念仏はしないといっている。『歎異抄』は前章の四章が聖道の慈悲は必ず行き詰り、浄土の慈悲への「かわりめ」があるという。第四章と第五章は連続しているため、「孝養父母」が行き詰り、浄土の慈悲に転じるところがただ一向に念仏するという浄土真宗の儀式となっていく…。このような流れの話に思ういますが、これは関﨑列座も安原氏の法話から聞いた御巣鷹山の日航機墜落事故の遺族の心情が変化していくところだと思います。その後座談があったのですが、みなさんなかなか浄土真宗の「救い」ということが分からないようです。わたしは皆さん、それほど行き詰まりを感じていないのではないか?ということを感じました。すでに行き詰っているというのに。また安原氏から違うという連絡が入りそうです。斎木の「『歎異抄』に聞く」を聞くは終わることはないのです。〈未完〉

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