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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派

最新情報
NEWS

2020年1月11日

講演会・お知らせ

定例法話「釈尊伝」のご案内

2020年の定例法話会、2月から4月は、仏教入門講座入門講座「釈尊伝」です。①法話会もよいが仏教学の概論の講義を受けたい、②仏教にはなんとなく関心があるが入り口がわからない、③浄土真宗の話だけでなく、仏教の基本から学びたい、という要望に応じた講義となります。

古代インドに王子として生まれた釈尊は、何に悩み、何を考え、何を悟ったのか?三条真宗学院で仏教学を担当する富沢慶栄氏に、全3回でお話しいただきます。欲望がある程度満たされるようになった現代という歴史上特異な一点において、生きることの「苦しみ」は感じづらくなっているかもしれません、どうなのでしょう?

日 時 2月13日(木)、3月13日(金)、4月13日(月)

午後1時30分より(1時間程度)

◆場 所 三条別院 旧御堂

◆講 師 富沢慶栄氏(第二十一組超願寺)

◆講 題「釈尊伝―仏教入門講座―」

◆聴講無料、どなたでもご自由にお参りください。

2020年1月8日

講演会・お知らせ

教区女性研修会のご案内

有難う 輝いているあなたは私の子
有難う ごめんなさい 私はあなたの子
出遇いなおし 喜びにあふれた瞬間が仏様の前でした
あなたの中の出遇いなおしは…

日時: 2020年3月16日(月午前10時~午後3時30分 (受付 午前9時30分より)

会場: 真宗大谷派 三条別院三条市本町2-1-57 TEL 0256-33-0007

講師: 三明智彰氏(九州大谷短期大学学長)

講題: 「出遇いなおし―正信偈に聞くー」

対象: どなたでも

参加費: 1,500円(昼食・茶菓子代含む)

申込み: お手次のお寺、または女性研修会部門スタッフへお申込みいただくか、直接、三条教務所へお申し込みください。

締切り: 2020年3月9日(月)

詳しくは以下のチラシをご覧ください。

2020年1月4日

「『歎異抄』に聞く」を聞く

関崎が「『歎異抄』に聞く」に聞くの続報

11月28日の法話講師の安原陽二氏から、ホームページでの報告についての意見があり、追記しました。さらに安原氏からメッセージが来ましたので、さらなる講究ということで、続編を書きたいと思います。(斎木)

(前略)これにて、関﨑が「『歎異抄』に聞く」を聞く。-第五章-は終わりです。
しかし、関﨑の歎異抄に聞くは終わることはないのです。

次回の御命日のつどいは12月28日(土)、『歎異抄』「第六章」をテーマに三条教区第11組長福寺(新潟県長岡市)の北島栄誠氏よりお話頂く予定です。
どうぞお誘い合わせてお参りください。

【追記①】(ここまでが前回の追記)

12月23日に講師の安原氏より、追記執筆者(斎木)のところに、法話の内容と少し違うのではないかというラインが来ました。ということで、講師の話の攻究ということで、多方面から光をあててみたいと思いますので、斎木が聞き耳の底に残ったところを、いささか記そうと思います。

安原氏は現住職から入寺することをすすめられて仕事をやめて大谷専修学院にはいり、卒業したてで、住職が宗門の要職に就き京都に住むこととなったため、いきなり法務全般を任されることとなったが、その内容はほとんど「葬儀」と「法事」であり一般的に言うと「父母の孝養」であった。しかし真宗の儀式としては親鸞聖人が『歎異抄』で父母の孝養のための念仏はしないといっている。『歎異抄』は前章の四章が聖道の慈悲は必ず行き詰り、浄土の慈悲への「かわりめ」があるという。第四章と第五章は連続しているため、「孝養父母」が行き詰り、浄土の慈悲に転じるところがただ一向に念仏するという浄土真宗の儀式となっていく…。このような流れの話に思ういますが、これは関﨑列座も安原氏の法話から聞いた御巣鷹山の日航機墜落事故の遺族の心情が変化していくところだと思います。その後座談があったのですが、みなさんなかなか浄土真宗の「救い」ということが分からないようです。わたしは皆さん、それほど行き詰まりを感じていないのではないか?ということを感じました。すでに行き詰っているというのに。また安原氏から違うという連絡が入りそうです。斎木の「『歎異抄』に聞く」を聞くは終わることはないのです。〈未完〉

【追記②安原氏からのメッセージ】(ここから今回です)

確かにそんな感じですかね。ありがとうございます。しかしながら、私が一番大切に言いたかった事は、純粋な信仰心が救いになるということです。神社や教会などご都合主義ではなく、純粋な信仰心に救われていくという単純なことなんです。神社と寺で信仰があいまいでは救われない、ということは大切ではないか。

【安原氏からのメッセージを受けて感じたこと】

純粋な信仰心とは何か?親鸞聖人は「正信偈」で「有無の見を破す」という言葉を使っていますが、死後に何らなの世界があると信じたり願ったりすることは「有見」、死んだら何もなくなるということを「無見」と仮に定義すると、神社や教会やあるいはニヒリズムのような思想は、有見か無見に陥っているということでしょうか。有見の恣意性はわかりやすそうですが、死んだら何もなくなる「無」という状況は、よく考えてみると、「無」ということを例えば「永遠の闇」など、自分がこれまで経験したこと(たとえば現実の闇)の延長線上で想定してみていることでしかありません。有見・無見ともに、自分(我)が中心にある。我を中心にしないことが阿弥陀仏に手をあわせるという意味であるならば、それが純粋な信仰ということなのでしょうか。純粋な信仰心をめぐってさらに考えていきたいです。斎木の「『歎異抄』に聞く」を聞くは終わることはないのです。〈未完〉

2019年12月31日

ブログ

2020年、今年の一言「大悲無倦」

除夜の鐘整理券をお受け取りの皆さま、悪天候の中三条別院にお参りいただきありがとうございます。2019年はいろいろとお世話になりました。2020年もどうぞよろしくお願いします。さて、今年の一言は「大悲無倦(だいひむけん」です。大悲とは阿弥陀如来の慈悲。「無倦」とはものうきことなくということです。正信偈には「常照我」と続きます。さっそく語句を解説しましょう。

畑でとれた大根(通称:米山農園の野菜)を煮ている米山氏(通称:米山調理人)。大晦日新名物大根煮をどうぞ!

【大意】

「我もまたかの摂取の中に在れども、煩悩の眼障えられて見たてまつらずといえども、大悲倦(ものう)きこと無くして、常に我が身を照らしたもう」この言葉は親鸞聖人の「正信偈」に引用される源信僧都の言葉です。意味は「真実信心を得る人は身は娑婆にあるが、かの摂取の光明の中にいる。煩悩が眼をおおって、見ることはできないが、阿弥陀仏はそんな私たちを見捨てることなく智慧と慈悲によって照らし続けている」ということです。

【解説】

まず、阿弥陀仏の智慧と慈悲によって照らされている「我」の内容を確かめたいと思います。仏教の根本の教えとして、人間は「我(私中心の見方、考え方、生き方)」によって「苦しむ」ということがあります。しかし、戦後70年を経て便利になった現在の私たちの多くは、衣食住にも満たされ、「苦しむ」ということが分からなくなりつつあり、それと同時に本来迷いであるはずの「我」というものが「個人の尊重」などという形でかえって尊ばれているように見えます。しかし、仏教は思想ではなく真実を教えています。むしろ真実でないものは仏教ではなく思想です。「我」というものは貫くことはできない、むしろ必ず折れるということが真実です。仏さまは「我というものは必ず折れるぞ、折れたっていいのだ」と先んじて願っています。私たちの努力が挫折した時、私たちはある時は絶望しますが、努力は挫折するものなのだという優しい視線で仏さまは受けとめてくれています。そんなことに気がつかずに、私たちは我を張り続けています。しかしいつでも、先んじて仏さまは願っているのです。挫折した先には思ったよりも広い世界が開けています。(解説:斎木)

 

 

2019年12月30日

ブログ

除夜の鐘・修正会を迎えるにあたり、花講が歳末立花と米山氏が大根煮!

2019年12月31日の除夜の鐘、2020年1月1日の修正会に向けて、荘厳も整ってまいりました。12月25日は今年最後の花講の活動である「歳末立花」が行われ、若松、南天、柳などの正月の花材を使い、正月をお迎えする準備をしました。

花講のニューフェイス塚本智海氏は京都で庭師経験あり。柳の皮をむいています。

斎木列座と田澤列座で担当した中尊前の仏花。

大溪氏は除夜の鐘の待機場所である旧御堂前に花を生ける。

鷲尾氏は本堂の入り口に花を生ける。昨年から、生け花経験者に旧御堂前と本堂前の飾りをお願いしています。

廣河列座と塚本氏で御代前を担当。

小原列座と横田氏で祖師前を担当。

山田氏は余間を担当。

関﨑列座は旧御堂を担当。

本堂に荘厳。中尊前。

祖師前。

御代前。

北余間。

畑でとれた大根(通称:米山農園の野菜)を煮ている米山氏(通称:米山調理人)。

いよいよ除夜の鐘も迫ってまいりました。深夜23時45分、輪番の第1打からはじまりますが、整理券の配布は11時30分で、配布場所の旧御堂は22時に開いて、大根煮、甘酒、ココアを振舞っています。整理券をもっている方は、今泉で年越しそばを500円で食べられます!今泉は深夜1時までに入れば食べられるということです。本堂では深夜零時に修正会が勤められるので、本堂でお参りした後に除夜の鐘を撞くのもよいかもしれません。ぜひ、お待ちしています!

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