どんな日も、どんな時代も、そばにある。

三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

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2019年10月13日

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定例法話は予定通り開催します

本日10月13日(日)の定例法話、予定通り行います。

13時30分~14時30分まで別院旧御堂にて行います。

2019年10月4日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第二章」-

うっかり投稿が遅れました。影分身の術が使いたい今日この頃なのです。

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第14回目です。8月28日(水)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区19組明誓寺(新潟市南区庄瀬)の田澤友生氏に、『歎異抄』「第二章」を主題にご法話頂きました。

明誓寺当院の田澤友生氏。 現在三条別院の列座としても働かれております。同僚!


【本文】

一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々


【私訳】

あなたがた一人一人が、はるばる長い道のりを、大切な身体と生命を危険にさらしてまで、たずね求めてこられた志は、真実の生活が実現する道理を体得したいということにある。しかし、念仏以外に真実の生活が実現する道理を知っているとか、経典等を知っているのだろうとお考えならば、根本的な間違いである。もしそういうことなら、奈良や比叡山にはすぐれた学僧たちがたくさんおられるのだから、そういう方々にでもお会いになって、真実への目覚めがどのように実現されるかをよくよくお尋ねになるがよい。この私《親鸞》においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信ずるのみである。念仏は、本当に浄土という世界へいくための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。もしかりに、法然上人にだまされて念仏して地獄に堕ちたとしても、決して後悔はしない。というのは、念仏以外のさまざまな努力を積みかさねることによって、仏になることのできる身が、念仏という行為で地獄へ堕ちたのならば、「だまされた」という後悔もあるであろう。しかし本来、どのような努力によっても、仏になることのできない身であるから、どうもがいても地獄は私の必然的な居場所なのである。弥陀の本願が真実であるならば、釈尊の教えが嘘であるはずがない。また、釈尊の教えが真実であるならば、善導の解釈も虚構であろうはずがない。また、善導の解釈が本当であるならば、法然の言葉が虚しいはずがあろうか。また、法然の言葉が本当であるならば、私《親鸞》がお話する趣旨も、また無内容ではないといえるのではなかろうか。要するに、我が信心はこのようなものである。このうえは、念仏を信じようとも、また捨てようとも、あなた方ひとりひとりが決断することである。


○今回、講師の田澤氏より『歎異抄』「第二章」の語句の意味、あらすじ、要旨などをまとめていただきました。

下記に掲載。

『歎異抄』「第二章」

・『歎異抄』の第二章は、内容を大きく三段に分けることができる。

≪一段 衆生の志願≫

「おのおの十余ヶ国のさかいをこえて~往生の要(よう)きかるべきなり。」

≪二段 ただ念仏す≫

「親鸞におきては、ただ念仏して~とても地獄は一定すみかぞかし。」

≪三段 本願念仏の伝統≫

「弥陀の本願まことにおわしまさば~面々の御はからひなりと、云々。」

 

【語句の意味】

〈一段 衆生の志願〉

十余ヶ国・・・関東の弟子たちが親鸞聖人を訪ねるさいに通った国々。常(ひ)陸(たち)・下総(しもうさ)・武(む)蔵(さし)・相(さが)模(み)・伊豆(いず)・駿(する)河(が)・遠(とおと)江(うみ)・三(み)河(かわ)・尾(お)張(わり)・伊勢(いせ)・近(おう)江(み)・山城(やましろ)の国々を指す。常陸から山城までは歩いて1ヶ月かかったとされている。

身命をかえりみずして・・・命がけで。命よりも大切なことがあることを示す言葉。

法文・・・経典やその注釈書。

こころにくい・・・疑わしい。どうも怪しい。

南都北嶺・・・奈良や比叡山の方々。奈良は奈良の興福寺・東大寺などを指し、北嶺は比叡山延暦寺・三井寺などを指す。

極楽・・・阿弥陀仏の本願成就の浄土。生きとし生けるすべてのものの生命を貫通する、至(し)奥(おう)の志願であるとされている。

 

〈二段 ただ念仏す〉

ただ念仏・・・阿弥陀仏の本願が選び取られた一切衆生平等往生の行。念仏以外の一切の行を廃して専ら念仏一行を修すること。専修念仏を指す。

よきひと・・・ここでは法然上人を表す。諸仏・善知識とも言う。諸仏とはすでに阿弥陀仏の本願に目覚め、念仏申して阿弥陀仏の不可思議なるはたらきをほめたたえている人。それによって本願のいわれを衆生に説き聞かせ、念仏の道を歩む機縁を開いてくださる方。

かぶりて・・・こうむって。受けて。よき人の教えを全身・全生活で受けたことを示す。

別の子細・・・特別な理由。

浄土・・・阿弥陀仏の本願によって建立された清浄なる国土。

地獄・・・罪悪を犯した者がそのむくいとして感ずる苦しみの最も激しい世界。三(さん)悪(まく)道(どう)の一つで餓鬼・畜生とともに迷いの世界をあらわす。

法然聖人・・・親鸞聖人の師。如来の選択本願の行としての称名念仏の一行を明らかにし、浄土宗を独立させた。

さらに・・・ず。決して・・・ではない。まったく・・・ではない。

自余の行・・・念仏以外の行。

とても・・・いずれにしても。どうしても。

一(いち)定(じょう)・・・唯一定まった。決定的な。疑いのない。

 

〈三段 本願念仏の伝統〉

釈尊・・・釈迦牟尼世尊の略で、釈迦族より誕生した仏陀に対する尊称。教主としての諸仏としての代表とされる仏。教主・阿弥陀仏の本願に目覚め、一切衆生が仏に成る教えを世に示した。釈尊の聖教とは、釈尊が阿弥陀仏の本願を説いた『浄土三部経』を示す。

仏説・・・釈尊の説法・説教。

善導・・・中国浄土教における称名念仏の大成者。当時中国の仏教界において、それまでの諸師による『観無量寿経』の解釈を批判して仏の真意を明らかにし、その主著『観経四(し)帖(じょう)疏(しょ)』において称名念仏一行を廃(はい)立(りゅう)し、凡夫のための仏教を明らかにした。

善導の御釈・・・『観経四帖疏』に示された二種深信を指す。

そらごと(=虚言)・・・うそ、いつわり。

栓ずるところ・・・つまるところ。結局。所詮。

愚身の信心・・・無明煩悩の身に開かれた真実の信心。

面々の御はからい・・・弟子たちに阿弥陀仏の本願と向き合い、自ら決断することを促す言葉。

 

【あらすじ】

『歎異抄』第二章には、親鸞聖人が念仏を信ずるに至るまでの経緯が示されている。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

ここには、親鸞聖人が法然上人と出会ったからこそ、浄土の教えに入り、伝えることとなったと示されている。そしてそこには三つの出会いがある。

・本願の真実に生き、本願の真実を教え示している教主としての法然上人との出会い。

・法然上人を生み出し、十方の衆生の救いを誓う救い主としての阿弥陀仏との出会い。

・いずれの行も及びがたき地獄一定の、煩悩具足の凡夫としての我が身との出会い。

浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人の縁について書かれているのが『歎異抄』第二章であると言えるだろう。今こそ、伝わった御縁に感謝しつつ読んでいきたいと考える。

 

【要旨】

『歎異抄』第二章は、関東の地で親鸞聖人と出会った人々が京都に住んでいる親鸞聖人のもとを訪ねる物語となっています。人々は親鸞聖人と生活する中で念仏の教えを受け、そして出会ってきました。しかし浄土真宗のほかにも新しい教えが多く生み出された鎌倉時代、自分たちの出会った教えが果たして正しいものであるのかどうか苦悩します。そうした現代社会にも通じる内容となっているのが、『歎異抄』第二章ということができるでしょう。

『歎異抄』第二章は、文字通り『歎異抄』第一章の内容を受け継いだものとなっています。どのような方々も平等に救われることを説いた親鸞聖人。そのためには「ただ念仏する」ということを繰り返し説かれていました。

平安時代までの仏教は天皇や貴族が中心であり、地位が高い人を中心に伝えられた教えでした。それが鎌倉時代に入ってから、庶民にも分かりやすいさまざまな仏教の宗派が誕生することになります。当時は度重なる戦乱に巻き込まれ簡単に命を落とす庶民も多く、また天変地異などによって作物がうまく育たず、時には生まれた子供を殺してしまうなどということもあったとされています。そんな絶望の中で、何かにすがりたいと思ってしまうのは人間として当然の気持ちであると言えるでしょう。その中で生み出されたのが念仏を中心とした浄土真宗の教えです。

浄土真宗は南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば極楽浄土に行けるといった教えであり、読み書きもできず自分の名前さえ書けない庶民にとっても念仏を唱えるだけで良い。その点で親鸞聖人の教えは非常に分かりやすいものであったということが言えるでしょう。

ですが、そうした動きに厳しい目が注がれていたのも事実です。後鳥羽上皇によって法然上人・親鸞聖人ら7人が流罪となった事件がありました。南都北嶺の寺院から批判を受けていたこともあり、専修念仏の教えは苦難にさらされることとなりました。そのため親鸞聖人も、庶民の方々に眼差しを向けて教えを開いていきました。

そんな中、親鸞聖人の息子である善鸞は「私はある夜中、父から秘密の法文を授かった。これを聞かないと、絶対極楽には行けない。」と言い専修賢善の教えを説きました。一方で、「往生のため」としてあえて悪いことをするという造悪無碍の動きも出てくるようになりました。また鎌倉時代には日蓮上人を中心に、「念仏無間」といって南無阿弥陀仏と称えると地獄に落ちるという考えも存在していました。

ですから関東で親鸞聖人の教えを聞いていた人々は動揺し、どうすれば極楽に往生できるのか悩み途方に暮れていました。そんな中、京都で親鸞聖人から直に教えを聞こうという人々が出てきました。そして、徒歩で一ヶ月もかけてはるばる親鸞聖人のもとを訪ねることになります。

しかし、親鸞聖人は弟子たちに自らが伝えた念仏の教えを強制することはありませんでした。これは弟子たちを冷たく見放したわけではなく、どのようなときでも人々を受け入れていくという愛情が感じ取れます。決して他の教えと比べることもなく、念仏の教えを通じて出会った人々を互いに信頼と尊敬の念をもって「御同朋、御同行」と言って大切にされていました。

しかしその一方で、「唯除五逆 誹謗正法」という言葉も親鸞聖人は残しています。これは、「ただし、五逆を犯すものと謗法のものとは除かれる」という意味で、『仏説無量寿経』の第十八願に記されています。また、『観無量寿経』においては下品下生という言葉のもと、五逆・十悪の凡夫の十念往生との会通も行ってきました。これは、一見すると例外を設けるといった冷たい態度に見えるかもしれません。しかし、この「唯除」は人々に問いかける言葉であり、回心させて、あらゆるものを往生させようとする意味がこめられていました。なお五逆とは

の5つになります。

そして謗法とは仏の教えをそしり、正しい真理をないがしろにすることとなっています。

ですが、私たちの中で仏様の教えを謗ることなく聞くことができる方はどれだけいらっしゃるでしょうか。今回の講義の後の座談会でもそのことが議題になりました。

前述したとおり、「唯除」は決して人々を分断するような言葉ではありません。教えが本当に正しいものなのか、そう言って時には疑いのまなざしを向ける人々に親鸞聖人が投げかけた一節であるということができるでしょう。

前述した五逆・誹謗正法も、決して他人事の話ではありません。私自身、両親に反抗していた時期もありますし、浄土真宗の教えを信じたところでどんないいことがあるのか・・・。そのように思っていた時期もありました。今でこそ、真宗大谷派の僧侶として法務に携わらせていただいていますが、親鸞聖人の教えに御利益があると考えているわけではありません。

しかし、だからといって念仏や浄土真宗の教えに意味がないというのは当たらないと思います。親鸞聖人も決して自分だけで念仏の教えを開いたわけではなく、そこに至るまでには法然上人や善導大師そして阿弥陀様といった数多くの繋がりがあるということを言われていました。ですから弟子たちが教えと出会ったことも本当にありがたいことであり、かけがえのない尊い繋がりであることを親鸞聖人は言っていたように思います。その尊い繋がりを決して捨てないでほしい、親鸞聖人はそう訴えかけました。いかに優れた教えであっても、人々を結ぶはたらきがあってはじめて生きたものとなることを表しているのではないかと思います。

いつでも確かにそこにある、万人に開かれた繋がりであるのが念仏の教えであり、浄土真宗の持つ光です。それは決して高度に経済が発展した現代社会においても変わることはありません。何十億人という人々が住むこの地球。その中でここに生まれ、念仏と出会いそして繋がっている。一見厳しい内容とも取れる『歎異抄』第二章は、尊さを伝え、私たちを照らす大きな光ではないか・・・。今回のご命日の法話を通じて私はそのように感じました。


9月28日(土)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第三章」をテーマに第20組光圓寺(新潟市江南区沢海)の村手淳史氏よりお話頂きました!鋭意執筆中です!!

その次は10月28日(月)、『歎異抄』「第三章」をテーマに第17組淨福寺(新潟市西蒲区)の八田裕治氏よりお話頂く予定です。どうぞお誘い合わせてお参りください。

2019年9月28日

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「お坊さん酒場」とは何だったのか?~本寺小路あかり物語、あかりコンサート~

今年で十五回目を迎える本寺小路あかり物語。これは三条商工会議所主催の行事で、三条別院あかりコンサートは、主催があかりコンサー実行委員会(後援は三条市、NPOえんがわ、三条商工会議所、三条市音楽協会、公益財団内田科学エネルギー財団、当日の詳しい内容は、ケンオ―ドットコムの記事(you tube動画もあり)をご覧ください。開会式の写真もそこから使用させていただきました)で、主催者が別で同時に開催しています。

お坊さん酒場は本寺小路元気プロジェクトが主催で、あかり物語の行事の一環です。これまで境内地で本寺小路のオリジナルカクテルやカレーラーメン等の販売を行ってきましたが、今年のテーマは「大人の街本寺小路」ということで、本年は旧御堂を使用したいと希望がありました。ちなみに2015年の御遠忌法要を機に、旧御堂も修復が行われ、御坊市では飲食ブースとなっていたり、御遠忌法要の打ち上げでは、広報の関係でお世話になった山倉あゆみさんのDAIDOCOに来ていただき懇親会場となりましたので、今回のお坊さん酒場はあくまで商工会議所への会場貸しとして行われました。しかし雰囲気作りのためと、管理の意味で職員にも同席してほしいということと、精進ピンチョスの提供などがあれば面白いのではということで、本寺小路あかりコンサートの開会式の勤行を挟んで、飲食物を運んだり、またお話をしたりというスパイス研究所で行っていたような仕事をさせていただき、精進ピンチョスとしてお取り越し名物「辛みそ」を用務員の篠田さんに作っていただき、それをキュウリにつけて提供していただきました。

飲食の提供は本寺小路元気プロジェクトが行った。

旧御堂の景観を生かした会場づくり。

推進員の米山さんも、ボーイさん役として大活躍していただきました。

クラブパープルの従業員の皆さんは、秋彼岸のお斎にもついていただき、逮夜法要に参詣し柳衛悠平先生の法話も聞いていただきました。

本寺小路は別院の参道として栄えた歴史がありますが、交通手段が自動車になるにつれて、別院への参詣者が日帰りとなり、かつての活気は下火になってきています。直参門徒をもたない三条別院だからこそ、参道や町の人々との交流がなければ、仏法を伝える場としての寺院としての役割は半分(教区内寺院・門徒のための道場)しか果たせないのではないでしょうか。世間に行き詰った時、それほどではないが少し気分転換したい時、静かに考え事がしたい時、気軽に来ていただける場所として開かれた場所になることが願われていると思います。

あかりコンサートの開会式では、昨年に引き続き、三条声明会の加勢を得て、「伝統声明」を新潟県内の音楽ファンの前で勤めることができました。このあと着替えてお坊さん酒場に向かったということです。

写真はケンオ―ドットコムの記事より。

仏教にはさまざまな魅力があります。さまざまな方法で、さまざまな方に伝えていきたいです。そろそろお取り越し報恩講がはじまります。

2019年9月7日

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一ノ木戸商店街ハラジュク化プロジェクトで太鼓パフォーマンス

本寺小路あかり物語(2019年9月20日~29日に三条別院本堂ライトアップ)にあわせて、和太鼓ライブパフォーマンスが開催されます。一ノ木戸商店街の中央市街地拠点施設TREEを中心に、現在「一ノ木戸商店街ハラジュク化プロジェクト」が進行中で、9月21日(土)~23日(月)の三日間限定で新潟県三条市一ノ木戸商店街の空き店舗に原宿の企業を誘致することになったそうです(日経新聞の記事はこちら)。その一環で9月22日(日)に別院で和太鼓パフォーマンスがあります。詳しくはホームページで。本日、東京からOne Createのお2人が下見に来られたので、原宿を感じさせるポーズをとってもらいました。

(写真はカメラ目線になれていないため目をつぶってしまった小原列座)さて、「原宿」(東京都渋谷区)の歴史をたどると、大正時代に「明治神宮」ができ、その「表参道」があって、商店街である「竹下通り」が栄えたという歴史があります。もともとの賑わいは明治神宮への参詣者であったわけです。ここ三条は、江戸の元禄時代に「三条別院」ができの参道である「本寺小路」(つまり表参道)が栄えて町が発展した歴史があります。「一ノ木戸商店街」・「中央商店街」をはじめとした別院周辺の商店街活性化については、歴史的にも現実的にも、別院周辺地域の人の流れが大切になると思いますので、協力して町の活性化につとめたいとおもいます!別院では引き続き秋彼岸会(詳しい内容はこちら)、お取り越しと続いていきます。

2019年8月27日

「『歎異抄』に聞く」を聞く ブログ

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第一章」-

今年の酷暑もひどいもんでしたが、みなさんいかがでしたでしょうか。廣河もさすがに身体にこたえました…。下旬になって気温もようやく朝晩落ち着いてきた感じですが、うっかりしてるとすぐ秋、そして冬ですからね。過ごしやすい気候というのは過ぎ去りやすい、そんな気がします。

さて、廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第13回目です。7月28日(日)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区17組妙音寺(新潟市西区五十嵐)の富樫大樹氏に、『歎異抄』「第一章」を主題にご法話頂きました。

妙音寺住職の富樫大樹氏。氏は三条教区教化センタ―の副主幹も務められております。

【本文】

一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々

【私訳】

人間の思慮を超えた阿弥陀の本願の大いなるはたらきにまるごと救われて、新しい生活を獲得できると自覚して、本願に従おうというこころが湧きおこる時、迷い多きこの身のままに、阿弥陀の無限なる慈悲に包まれて、不動の精神的大地が与えられるのである。

阿弥陀の本願は、人間のいかなる条件によっても分け隔てや選びをしない。ただ、如来の本願に目覚めるこころひとつが肝心なのである。

なぜなら、生活状況に振り回されて、欲から抜け出せずに悩み苦しんでいる私たちをこそ救おうとする願いだからである。

そうであるから、本願の救いに目覚めるならば、どのような善であっても肝心なことではなくなる。それは念仏がどのような善をも超えている。また、悪も救いを妨げると恐れることはない。なぜならば、阿弥陀の本願はどのような悪にも妨げられないからである。

【語註】

誓願不思議…阿弥陀如来の本願の、清浄にして真実をめぐむはたらき。

この「不思議」については、誓願が、人間の思議・分別を超越したものであることを表していると一般に理解されている。しかし親鸞聖人の著作に親しむとき、これが単に本願の超越性を表す言葉ではなく、仏道を歩もうとする私たちの上に、本願のはたらきによって、如来の世界が開示されることが示されていると考えられる。そのことは、和讃(天親讃)に「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」と、端的にうたわれるとおりである。ひとたび本願に値遇するという体験を得た人は、そこに、煩悩の身であることを知らされながら、その煩悩の身にさまたげられることのない、光に満ちた広やかな世界を実感し、如来のまことがその身に恵まれることを知るのである。この感動を親鸞聖人は「不思議」という言葉で繰り返し語り、また浄土真宗が、「誓願不思議」という道理に立って実現する仏道であると、示しておられることを思い合わすべきである。

往生…阿弥陀如来の世界(浄土)に生まれていくこと。

『歎異抄』においては、念仏と信心に大きな関心が向けられ、仏道を念仏往生の道として語り告げている。したがって、『歎異抄』を一貫する主題は「往生」であると言ってよいだろう。この往生については、一般に「未来往生」、つまり、往生を死後に実現するものと理解してきた伝統があり、『歎異抄』においても、肉体の命が終わる際に遂げるものとして語られてもいる。しかしながら、『歎異抄』の主眼が、自力の諸行を往生の行としないで、念仏こそ本願に裏付けられた往生の行であると確かめていることを思うとき、「臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき、往生またさだまるなり」(『末燈鈔』)という、『大経』の本願成就の教えに立った親鸞聖人の往生理解が、思い合わされるべきである。「念仏もうさんとおもいたつこころ」として信心が起こるとき、その人は如来の浄土を実感しながら、往生の道に立つこととなるのである。

摂取不捨…阿弥陀如来の救済を表す言葉。

『観経』に説かれるこの言葉は、浄土教の伝統において如来の救済を表すものとして、大切にされていた。親鸞聖人もまた、この「摂取不捨」をしばしば語っている。ただし、親鸞聖人の著作において、「摂取不捨」は多くの場合、「正定聚」として了解されていることに注意したい。この正定聚とは、必ず仏となるべき身と定まったことを表す。聖人自身が「『大無量寿経』に、摂取不捨の利益にさだまるを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には、等正覚ととき給えり」(『末燈鈔』)と語るように、『大経』の思想に立って、救済を意味する「摂取不捨」を、正定聚・等正覚として捉え直しているのである。つまり信心の人の歩みは、単に如来の光に抱かれ護られるのみならず、大乗の究極的なさとりである無上涅槃へ向かって開かれている。したがって、念仏者の人生は、まさに大乗の仏道を歩む堂々たる独立者の風貌を湛えているのである。

信心…阿弥陀如来の本願にめざめる心。

罪悪深重…如来に背き他を傷つける重い障り。

煩悩熾盛…欲望、憎しみ、怒りが激しく動いていること。

衆生…いのちあるもの。

【聞く】

「第一章」は、誓願ということ、浄土真宗のすべてを支える如来の誓願についての、親鸞聖人の了解が述べられます。先回の池田先生が紹介されていた章立てから言えば、「弘願信心章」という名前をつけることもできます。

そもそもの話で、誓願って、なに??ってこともあると思うので、辞典を引いてみます。

◆誓願…願を起こして、成し遂げようと誓うこと。仏や菩薩には、共通した願である総願と、仏・菩薩個々の願である別願とがある。浄土教では、特に阿弥陀仏の本願をさして誓願という。それは弘くすべてのものを救おうとする願い、誓いであるから、弘願、弘誓といい、あわれみの心が深く重いから重願といい、また不捨の誓約、本誓などともいう。誓願の救済力を誓願力といい、そのはたらきが凡夫の考えの及ばないものであるから誓願不思議という。親鸞の門下で、誓願の力で救われるか、名号の力で救われるかという論争をする者があったが、親鸞は誓願と名号とは同一であるとした(御消息集)。ただし存覚の名号不思議誓願不思議問答には、誓願不思議を他力中の他力、名号不思議を他力中の自力であるという。(『[新版]仏教学辞典』)

とあります。とりわけここでは阿弥陀如来の誓願のことを言われているわけですが、浄土真宗の根っこ、救済原理ですね。浄土真宗の大切な言葉として信心であったり、お念仏であったり色々ありますけど、その全体にはこの如来の誓願ということが流れているわけです。それは弘くすべてのものを救おうとする願い、誓いと書かれております。要するに、正確には阿弥陀如来の前身である「法蔵菩薩」が、「生きとしいけるすべてのいのちを救えなければ、自分は仏とはならない」と誓われた願ということです。そして、これは単に生きとしいけるものを救いたいという菩薩の一方的な愛の表現ではありません。苦しんでいるいのちを向こうに置いて、菩薩がそれを助けようとするのではない。苦しみ迷っているいのちと一体となって、つまり他人事ではなくして、いのち全体を救う。ここに、浄土真宗を浄土真宗たらしめる柱があるわけです。

ご法話では印象的だった話として、阿弥陀如来の本願は「えらばず、きらわず、みすてず」の心なんですよということをお話しいただきました。この「えらばず、きらわず、みすてず」という言葉は大谷専修学院元学院長の竹中智秀師の言葉でありますが、富樫先生は専修学院で学生をされていたとき、このことしか聞いていないんじゃないかというぐらい教えられてきた言葉だと言われておりました。それだけ大切な言葉だということですね。この言葉は、我々一人ひとりが尊い存在として、真実を求める存在として、我々のことを見つめてくださっている。そういった阿弥陀如来の心、摂取不捨という摂め取って捨てない阿弥陀の利益を、平易な言葉で表現しているわけです。ここには、私たち人間がお互いを尊重して出会っていくために必要なことが詰まっているように思います。

思えば、私たちの生活の中で「えらばず・きらわず・みすてず」の実践はとても困難でありましょう。何故なら、何処かしらで、人や物を選んだり、嫌ったり、見捨てて生きているから。「選んで、選り好みして、見捨てる」。口に出したとしても、出さなかったとしても、自分の経験や行動、思いの中では「えらばず、きらはず、みすてず」ということは成り立たないことばかりではないでしょうか。それは、こっちを立てると、あっちが立たないといった具合にいつもどちらかを選んでいるから起こるわけです。阿弥陀如来はそういった、生きとし生ける、悩み苦しむ一切の衆生を救いたいと願われた。その心というものが「えらばず、きらはず、みすてず」なのでしょう。誰一人としてもらすこともなく、皆、共に浄土に往生して欲しいという願いがここには託されているわけです。

そしてこの願いは、私たちを見捨てないという宣言でもあるのです。どうしても選んだり、嫌ったり、見捨てたりしてしまう、そういうことでしか生きていけず、傷ついていかざるをえない世界を私たちは生きているわけですが、如来の誓願がすでにあるのだということによって、どっしりと構えることができる。わかりやすい表現か最早わからないですが、つまり安心して迷うことができる。如来の誓願という大いなる大地に立たしめられているからこそ、人生の中でどれだけ動揺しても決して倒れることのない安心感があり、たとえ倒れたとしても本願の大地の上なんだ、という安心感があるわけです。
私たちはこの「えらばず、きらわず、みすてず」という阿弥陀如来の心を、実は本質的には持っているのかもしれません。皆、選んだり、嫌ったり、見捨てたりした時に、「これで良かったのか?どうしてあの時こういう判断をしたのだろう?」と後悔したり、悩んだりしないでしょうか。「えらばず、きらわず、みすてず」を出来ないでいる私たちに対して、阿弥陀如来が心の方から呼びかけてきている、とも考えられないでしょうか。
心の呼びかけに目を向けられないでいるのは日々の生活の中での自分の思い、分別があるからでありましょう。時々気がついたとしても、ずっとそちらに目を向けながら生きていくと言う事が難しく、気持ちの上では応えていきたいと感じるのだが、いつの間にか目を外してしまっている。けれども、心の方からの呼びかけに少しでも応えられた時、阿弥陀如来からの呼びかけというものにも、少しばかり気づく事ができるのではないかと感じます。私自身も自分の内面の呼びかけを大切に、応えて生きていけたら…。その本願のはたらきに出遇い、自らの在り方を見つめ直す時、縁によって支え合い、生かされている我が身の姿が見えてくるのではないでしょうか。

ご法話に心打たれている廣河の図。決して舟を漕いでいるわけではありません!

明日、8月28日(水)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第二章」をテーマに第19組明誓寺(新潟市南区)の当院であり、当別院の列座でもある田澤友生氏よりお話頂きます。どうぞお誘い合わせてお参りください。

 

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