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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

最新情報
NEWS

2023年6月1日

別院だより・三条教区通信

三条別院たより、教区通信5月号をお届けします

『三条別院たより』5月号、『三条教区通信』188号をどうぞご覧ください。

2023年6月1日

別院だより・三条教区通信

三条別院たより、教区通信4月号をお届けします

『三条別院たより』4月号、『三条教区通信』187号をどうぞご覧ください。

2023年6月1日

三条別院に想う

震災と別院
東護 琢史 氏(第19組 改觀寺住職)

▲今回は、毎年雑巾講で縫った雑巾を別院のために寄付していただいている第19組改觀寺御住職から執筆いただきました。


三条別院に初めてお伺いしたのは平成11年得度考査の時であったように思う。

自坊で練習し意気揚々(?)と乗り込んでいったものの、撥の扱いを教えてもらっておらず打鏧直後に撥を鏧におさめてしまうという失態を犯したにも関わらず、無事お墨付きをいただいた。その後は、児連や青少年の活動でお邪魔することが多くなったが何よりも印象的なのは数多くの災害対策であったように思う。

始まりは平成16年7月13日に発生した、新潟・福島豪雨による災害対応だった、各地から参集したボランティアの方々が三条別院を基地として対応にあたり、私自身も掃除や片づけに参加させてもらった。

同年10月23日に起きたのが中越地震であった。

対応初期にボランティア受け入れや、支援物資の貯蔵仕分け、会議等に三条別院を活用させていただいた。

朝早くに三条別院へ集合、長岡での中継基地となっていた願興寺様まで交通規制により数時間の道程、そこから各被災地でのボランティア活動、別院に戻る頃には日はとっぷりと暮れているなんてことが幾度となくあった。

その後には、平成19年7月16日中越沖での震災、中越地震での対応が未だ続いている中での中越沖地震は自然災害に対抗する我々の無力さをまざまざと見せつけてくれたが、その時も別院は私達を支え続けてくれた。

続いた災害の余韻も過ぎ去った頃に起こったのが平成23年3月11日の東日本大震災であった。

福島原発事故によって太平洋側のルートが分断されたため、再び三条別院が支援物資輸送やボランティアの中継基地として活用された。

私自身は、この時仏青有志の会の会計担当であったため、残念ながら現地での活動ではなく、後方支援として支援物資の購入や確保にホームセンター巡りをしては、別院に物資を届ける日々を悶々と過ごしていたが、各地での支援から戻ってきた青少年活動の仲間から現地の情報をもらい、後方支援の大切さを身にしみて感じることができた。

幾度もの災害の度、三条別院は本堂を含め宗教施設というより倉庫のようなあり様となっていたが、その姿は本来の輝きを失うどころか、その輝きは普段にもまして弥陀の摂取不捨の光に満ちていたように思えてならなかった。

苦しむ人には手を差し伸べる存在が必ず現れるということ、それを支える教えがあるということ、これからもその灯は決して絶やしてはならない。その拠り所として三条別院があり続けていられるよう、微力ながら尽力していければと思う。

合 掌

東護 琢史 氏(第19組 改觀寺住職)


○次回の「三条別院に想う」は、

 草間朋哉 氏(第12組勝覚寺)

よりご執筆いただきます。

▲次回は5月21日に開催されたTERAJAMの実行委員の草間氏に執筆いただきます。

2023年5月30日

三条別院に想う

三条真宗学院を卒業して
松木 祐子 氏(第24組 專明寺坊守)

▲今年3月に三条真宗学院を卒業された松木祐子氏にご執筆いただきました。


この春、 三条真宗学院を無事に卒業することができました。 坊守業や子育てがある中で毎週末に三条まで通い続けることは思った以上に大変でした。しかし、家族や友人をはじめ、学院六期生の仲間や職員の皆さまから支えていただきながら何とか最後まで続けることが出来ました。 本当に感謝しかありません。

テキストで一杯の机

私が真宗大谷派教師を目指すなど、それまでは考えもしなかったことですが、身の回りに次々と起きること一つ一つが縁となって、半ば強制的に学院へ通うことを決定しました。  「今となれば」 大変有り難い仏縁であったと感じています。

学院へ通う理由は当然ながら人それぞれですが、 私の場合は法事や葬儀の手伝いをする事が主な理由でした。 あくまで 「資格取得」や 「技術習得」 が一番の目的であったように感じます。 しかし、日々学んでいく中で、 当初の感覚が少しずつ変化していったように思います。

学院を卒業した今、授業で学んだことを思い浮かべると、 印象的だったこと以外はほとんど忘れてしまいました。 (ご多忙の中、 熱心に教えてくださった先生方、申し訳ありません!!)

私が学院生活を振り返って思い出すことは、 皆で輪になって食べた夕飯のことや、感極まって泣いてしまったこと、 飲み会で日付が変わるまで飲んだこと、授業の合間に愚痴を聞いたり話したりしたこと、皆で試験に合格するためにグループLINEで確認し合ったことなど……。 些細なことばかりなのに、 今思い出しても、お腹や胸の辺りが温かくなって、また皆と会えることが楽しみになります。 学院内は、互いの考えを尊重しようという雰囲気がありましたから、 自分でも驚くほど自然に過ごすことが出来ました。

入学当初の目的が変わったように感じるのは、ただ資格を取得するというよりも、ホッとできる居場所や共に法を聞いていく同朋(サンガ)を求める気持ちが強くなったからなのだと思います。

これからも友と一緒に、佛法を聞き続けてまいりたいと思います。 そして、今後はご門徒がホッと出来る居場所作りなどもやっていきたいと考えています。

教区の活動にもスタッフで参加(結の会、前列右から2番目)

松木 祐子 氏(第24組 專明寺坊守)


○次回の「三条別院に想う」は、

 東護 琢史 氏(第19組 改觀寺住職)

よりご執筆いただきます。

▲次回は、毎年雑巾講で縫った雑巾を別院のために寄付していただいている第19組改觀寺御住職からご執筆いただきます。

2023年5月13日

ブログ

教区女性研修会 開催報告

開催日  2022年12月6日(火)

テーマ  『韋提希 その悲しみのゆくえ』

講 師  榊 法存氏(東北教区山形第2組皆龍寺住職)

報 告  鷲尾 信子 (第14組淨照寺 女性研修会部門幹事)

2022年12月6日、三条別院旧御堂を会場に時節柄多忙時ではありましたが、会場に47名、ZOOMで11名の方々の参加で教区女性研修会を開催いたしました。

三条教区教化委員会女性研修会部門としては最後の研修会となりましたので、先ずスタッフの副幹事より当部門の成り立ちの歴史と立ち上げ時の願いと目的をお話させていただきました。

ご講師に「皆龍サンガスクール」を主宰されている榊法存先生を山形よりお招きして、テーマ「韋提希 その悲しみのゆくえ」という講題で講義が始まりました。

 講師の榊法存先生

先生は研修会案内チラシのよびかけ文 幸せって思えた瞬間はどんな時ですか“を見られて、「家族の中で幸せとはいったい何なのか」今回、とても良い題をもらったので、家族、親子の問題を取り上げて話をしたいと仰り、題の内容を三つの章に示されました。

第1章 韋提希の悲しみ

第2章 苦しみから悲しみに変ってゆく

第3章 悲しみがどこへ向かうか

第1章で家族の問題として1500年前のインド、王舎城の悲劇を家族関係の図を示しながらお話しくださいました。

母親であり、王妃である韋提希は息子である王子から受けた仕打ちにより、韋提希の苦しみがここからわいてきた。苦しみは苦しみを生み出し、苦しみには“貪り“ “怒り“ “愚痴“ の三毒があり、仏教では私たちが逃れられない “四苦八苦“ の苦しみから始まるとお釈迦様が教えになられた。

韋提希はこの苦しみを取り除いてほしいとお釈迦様に助けを求め、愚痴を言い続けた後、心が落ち着いたところでこの苦しみの原因は自分の居場所がないという苦しみであると気づき、これが韋提希の三毒の苦しみから悲しみに変った。そこでお釈迦様に、苦しみの無い処を説いてくださいと懇願した。

第2章ではお釈迦様の最後の教え “四依“ をお話しくださり、仏教では “抜苦“ という楽をあたえるより苦を抜くということが基本で慈悲ということも教えてくださいました。苦しみから悲しみに転換のきっかけは痛みは同じでも方向が違っていると教えてくださいました。

   講義の様子    

第3章では韋提希が懇願した清らかな苦しみの無い仏の世界の色々をお釈迦様がお見せになられましたが、韋提希は極楽世界の阿弥陀仏の処に生まれたいと願い「我に思惟をおしえたまえ」「我に正受を教えたまえ」と心から願いお釈迦様に求めました。この願いは法蔵菩薩が求めたものと同じで、韋提希も法蔵菩薩と同じことをやった。この事は観経の一番大事なところであると教えてくださいました。

正しく考える思惟と正しく受け止める正受。 “何を考えてゆけばよいか“ が浄土真宗の出発点と教えてくださいました。思惟、正受を求めた韋提希の願いは苦しみが悲しみへと転換した自分の救いではなく夫の頻婆娑羅王のすくいを願った心をお釈迦様はくみとりほほえんだ。このお釈迦様の微笑は韋提希が息子の阿闍世のすくいをも願っているとの親鸞聖人のお考えも話してくださいました。

各班別座談の様子

韋提希も頻婆娑羅王も仏教を学んでいたから苦しみから悲しみに変ってゆくチャンスがあったのです。苦しい時仏教の教えがよみがえるのでとりあえず仏教の話を聞いておいてほしいと先生はおっしゃいました。

座談後の質問にも丁寧にお答えくださり、時間がまだまだ足りない様子の中で研修会を終えました。

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