最新情報
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2021年2月3日
声明教室再開のお知らせ
約1年間中止してきた声明教室ですが、御門徒さんから、別院で正信偈を稽古したいという要望をたびたびお聞きするようになりました。新型コロナウイルス対策のため、マスクの着用(練習中含む)、検温、記帳、手指の消毒、十分な換気とソーシャルディスタンシングの対策をとり、再開いたします。
◇日 時〔全5回・途中参加可能・午後6時~8時〕
2月17日(水)、3月25日(木)、4月26日(月)、5月24日(月)、6月21日(月)
◇内 容
正信偈 草四句目下 念仏讃淘三 和讃 弥陀成仏のこのかたは 回向 願以此功徳
◇講 師
島津 崇之 氏(第18組満行寺)
◇持ち物
『真宗大谷派勤行集』(赤本)、『大谷派聲明集上』、『真宗大谷派声明集』のうちどれか一冊、念珠、筆記用具
※書籍に関してのお問い合わせは同朋会館1階三条教務所(TEL:0256-33-2805)までご連絡ください。お買い求めいただけます。
◇参加費
500円/回
お申し込みはチラシの申込用紙、お電話(0256-33-0007)、メール(sanjo-betsuin@wing.ocn.ne.jp)でもお受付いたします。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

2021年1月29日
三条別院たより・三条教区通信2月号をお届けします
『三条別院たより』2月号・『三条教区通信』第161号をどうぞご覧ください。
2021年1月27日
DODALO「WEBで会うのと リアルで会うのは 何が違うの?」


「御慈悲を お思はしてもらやぁ ぬくいでなぁ」
柳宗悦・衣笠一省 編『妙好人 因幡の源左』(百華苑)29頁
【解説】
新型コロナウイルス感染症拡大を避けるために「三密(密集・密閉・密接)」を控えることが社会に求められ、人と人とが直接会いにくくなりました。
看取りができない
入院した患者が家族と一度も会えないまま亡くなっていくことが続いています。新型コロナに感染した志村けんさんは容体が急変し亡くなりました。病院で面会ができなかった親族は、遺骨となってやっと再会できたと言われました。それから、新型コロナ感染者に限らず、人と直接会うことが制限され、新しい生活様式としてWEBで会うことが増えつつあります。
リモート診療と在宅診療
昨年、在宅医療をライフワークとしておられる医師の方と話をする機会があり、リモート診療というものはどのように感じておられますかとお聞きしたところ、「例えば私が診察をするときには病院の診察室へ入ってくる時もすでに診察になっています。椅子に座ってからが診察なのではありません。在宅医療(往診)ではその人の生活の背景まで感ずることができます。リモート診療での画面の中だけで、病状だけを見聞きしていては気がつかないことがたくさんありますからね」と話しておられました。自分の眼の狭さに気がついて真実を求めているのだなあと感じた事です。
「リアルで会う」ことと「WEBで会う」こと
朝日新聞(2020年12月3日)の『いま考える「死」とは』のインタビューで作家の柳田邦男さんは「タブレットやiPadでは、対面と違いますか」という問いに、「本質的に違います。その場で手を握り、体をさすり、耳元で声をかける。ぬくもりが言わば『心の血流』となって伝わります」と言われています。また「画面越しでは、会話ができたとしても不充分でしょうか」という問いに対して「夫婦や親子の会話は、断片的な言葉だけでも思いが伝わっています。論理的で文脈のある言葉を介するのはコミュニケーションの20%程度という説もあるのです。それ以外の、生身の触れ合いや表情、肉声で伝わる微妙な感情や愛や思いは画面越しでは難しい」と。「相手が昏睡状態のみとりでも、伝わるものがありますか」という問いに「人間は聴覚が最後まで残るとされます。全身麻酔を受けた患者の10%程度は、昏睡状態でも、その間に交わされたベッド脇の会話を記憶している、という論文が医学専門誌に発表されています。昏睡状態で亡くなる相手にも、手を握り、耳元で『いつでも一緒にいるから安心してね』と言うことで、『共存性』とでもいうべき安心感が伝わると思います」と述べています。
「リアルで会う」ことの意味を教えられます。しかし一方、リアルで会うことを許されない状況で「WEBで会う」ということも会いたいと願う人にとっては切なる願いです。
私たちは「会う」ことができているのだろうか?
ところで「会う」ことの内容はどのような事なのでしょうか?
『仏説阿弥陀経』に「倶会一処」という言葉があります。
倶会一処とは
「ともに同じ処で会うこと。阿弥陀仏の極楽浄土は、誰にとっても、人と人との純粋で真実の出会いがおこる世界である。」(古田和弘講述『仏説阿弥陀経』に学ぶ)
対して私たちの生きる世界は不純で真実の出会いが出来ない。そういう苦しみを抱えています。だからこそWEBであうこととリアルで会うことの違いは何かと問いたくなるのでしょう。
純粋で真実の出会いがおこる処、すなわち極楽浄土の阿弥陀仏の切なる願いから私たちが具体的に問われてくることがあります。
例えば、(*註)
・過去からの歩みは受け止めているだろうか?
・自分の思いを離れてありのままに見ているだろうか?
・自分の分別を超えてありのままに聞いているだろうか?
・表に出ている姿に惑わされず、その底にあるものを見ているだろうか?
・自分の分別によって動かない言い訳にしていないだろうか?
・自己都合のところだけで生きていて、他はどうでもいいのだろうか?
すこし立ち止まって自分が照らされてみると、自分の都合のよい過去をもとにして、都合よく見、聞き、表面だけを見ている。そういう自分の生き方が悲しまれている。別の言い方をすれば阿弥陀仏のお慈悲のなかにそういう誤魔化すことのできない自分が見出されてくるのでしょう。自分を悲しんでくるおはたらきはどことなく温かい。源左さんが念仏に生きられ、「お慈悲をお思わしてもらやぁ ぬくいでなぁ」と語られる言葉が気になるこの頃です。
だからWEBであうにしても、対面で会うにしても、そこに温もりを感じられなければ、決していのち輝く関係性はひらかれず、いのちが輝かない関係は温かさを失った世界になる他はないように思います。
井上 正
受徳寺(柏崎市)
**註**
6つの視点は『無量寿経』に説かれる六神通(『真宗聖典』16頁~17頁)にもとづいて趣意したもの。六神通とは宿命通、天眼通、天耳通、他心通、神足通、漏尽通。
2021年1月15日
本寺小路は今(第15組善性寺 福田 学 氏)
▲新潟県では11月に2度目の発令をしていた新型コロナウイルス感染症の「注意報」を1段階引き上げ、12月17日に警報を出しました。県民へは①県外の感染拡大地域との不要不急の往来は控える、②遠方にいる親戚も含めて日ごろ会わない人との飲み会や食事会は控える、③忘年会や新年会、初詣の際の感染防止策の徹底――の3つを求められました。三条別院の参道である本寺小路は県内有数の飲食店街であり、本来であれば忘年会・新年会シーズンで活気づく時期ですが、ようやく人が戻り始めてきた矢先に、三条でも少しづつ感染者が増えてきていますので、突然キャンセルになるケースも多いそうです。今回は三条市東裏館善性寺住職の福田学氏に本寺小路の現在をお聞きしました。
「コロナ禍」の1年が過ぎようとしている。別院職員から「コロナ禍の本寺小路の現状」について書いてほしいと依頼された。なんで俺?と思ったが、やっぱり俺かと思い返した。それ程「本寺小路」に愛着がある。
振り返れば35年前、縁あって今の寺にいきなり住職として入寺した。三条のことなど全く分からず、教師資格は持っていたが教学・儀式作法も覚束ず、親しい友人・知人も居ない中で、幸いにも別院がすぐそばにあったことで学習する機会があり、学生時代の友人・先輩・後輩に再会し、仏青で新たな仲間に出遇い、学習会や会議が終われば自然と「本寺小路」に足が向くようになった。以来35年足繁く通っている。
「本寺小路」の歴史は三条別院が1690(元禄3)年に創立されて以来からの歴史で、持ちつ持たれつの関係で発展してきたのではないかと思う。1995年に発生した「阪神・淡路大震災」後の三条教区仏青の支援活動の一環で「田んぼアート」を企画した時に、一緒に汗を流して手伝ってくれたある店の女の子たちが居たことは、別院との繋がりが今でもあるということを物語っている。もっともそれだけの金を使ってのことだが。酒が入り、女の子が傍に居れば堅い話(仏法?)も柔らかくなり、本性も出てくる。そんな自分を見せてくれる大事な場所である。
「コロナ禍」以前から、「本寺小路」の人出は減少し、活気も無くなったように思う。「コロナ」がそれに拍車をかけて存続も危ういかもしれない。活気がないと言えば、別院はじめ各寺の「報恩講」も活気を失って危うい。自称「本寺小路活性化委員」としては、「本寺小路の灯を消すな!」の活力を「報恩講」再生の活力にもしたいものだと思ってる。こじつけ過ぎか?今日も「本寺小路」に行って考えてみよう!
福田 学 氏(第15組 善性寺)

2020年12月23日21時の本寺小路。ほとんどの店の看板に電気が灯る
○次回の「三条別院に想う」は、
高橋 隆 氏(第16組専養寺門徒 三条別院有志の会庭講)
よりご執筆いただきます。
【次回は特別編⑩コロナウイルスと帰敬式】
▲高橋さんは2020年に三条別院で推進員教習を受講しました。上山研修は中止、お取り越し報恩講の帰敬式は中止となる中、現在の心境等をお話しいただきます。
2021年1月7日
三条別院たより・三条教区通信1月号をお届けします
『三条別院たより』1月号・『三条教区通信』第160号をどうぞご覧ください。
なお、2021年1月の発行時点で寺院教会にお送りし、こちらに掲載しました『教区通信』第160号の「研修会のご案内」中、教学研究会の開催要項について、誤って昨年の内容を掲載していました。お詫びして訂正いたします。





