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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
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DODALO「WEBで会うのと リアルで会うのは 何が違うの?」

「御慈悲を お思はしてもらやぁ ぬくいでなぁ」

柳宗悦・衣笠一省 編『妙好人 因幡の源左』(百華苑)29頁

【解説】

新型コロナウイルス感染症拡大を避けるために「三密(密集・密閉・密接)」を控えることが社会に求められ、人と人とが直接会いにくくなりました。

看取りができない

入院した患者が家族と一度も会えないまま亡くなっていくことが続いています。新型コロナに感染した志村けんさんは容体が急変し亡くなりました。病院で面会ができなかった親族は、遺骨となってやっと再会できたと言われました。それから、新型コロナ感染者に限らず、人と直接会うことが制限され、新しい生活様式としてWEBで会うことが増えつつあります。

リモート診療と在宅診療

昨年、在宅医療をライフワークとしておられる医師の方と話をする機会があり、リモート診療というものはどのように感じておられますかとお聞きしたところ、「例えば私が診察をするときには病院の診察室へ入ってくる時もすでに診察になっています。椅子に座ってからが診察なのではありません。在宅医療(往診)ではその人の生活の背景まで感ずることができます。リモート診療での画面の中だけで、病状だけを見聞きしていては気がつかないことがたくさんありますからね」と話しておられました。自分の眼の狭さに気がついて真実を求めているのだなあと感じた事です。

「リアルで会う」ことと「WEBで会う」こと

朝日新聞(2020年12月3日)の『いま考える「死」とは』のインタビューで作家の柳田邦男さんは「タブレットやiPadでは、対面と違いますか」という問いに、「本質的に違います。その場で手を握り、体をさすり、耳元で声をかける。ぬくもりが言わば『心の血流』となって伝わります」と言われています。また「画面越しでは、会話ができたとしても不充分でしょうか」という問いに対して「夫婦や親子の会話は、断片的な言葉だけでも思いが伝わっています。論理的で文脈のある言葉を介するのはコミュニケーションの20%程度という説もあるのです。それ以外の、生身の触れ合いや表情、肉声で伝わる微妙な感情や愛や思いは画面越しでは難しい」と。「相手が昏睡状態のみとりでも、伝わるものがありますか」という問いに「人間は聴覚が最後まで残るとされます。全身麻酔を受けた患者の10%程度は、昏睡状態でも、その間に交わされたベッド脇の会話を記憶している、という論文が医学専門誌に発表されています。昏睡状態で亡くなる相手にも、手を握り、耳元で『いつでも一緒にいるから安心してね』と言うことで、『共存性』とでもいうべき安心感が伝わると思います」と述べています。
「リアルで会う」ことの意味を教えられます。しかし一方、リアルで会うことを許されない状況で「WEBで会う」ということも会いたいと願う人にとっては切なる願いです。

私たちは「会う」ことができているのだろうか?

ところで「会う」ことの内容はどのような事なのでしょうか?
『仏説阿弥陀経』に「倶会一処」という言葉があります。
倶会一処とは
「ともに同じ処で会うこと。阿弥陀仏の極楽浄土は、誰にとっても、人と人との純粋で真実の出会いがおこる世界である。」(古田和弘講述『仏説阿弥陀経』に学ぶ)
対して私たちの生きる世界は不純で真実の出会いが出来ない。そういう苦しみを抱えています。だからこそWEBであうこととリアルで会うことの違いは何かと問いたくなるのでしょう。
純粋で真実の出会いがおこる処、すなわち極楽浄土の阿弥陀仏の切なる願いから私たちが具体的に問われてくることがあります。
例えば、(*註)

・過去からの歩みは受け止めているだろうか?
・自分の思いを離れてありのままに見ているだろうか?
・自分の分別を超えてありのままに聞いているだろうか?
・表に出ている姿に惑わされず、その底にあるものを見ているだろうか?
・自分の分別によって動かない言い訳にしていないだろうか?
・自己都合のところだけで生きていて、他はどうでもいいのだろうか?

すこし立ち止まって自分が照らされてみると、自分の都合のよい過去をもとにして、都合よく見、聞き、表面だけを見ている。そういう自分の生き方が悲しまれている。別の言い方をすれば阿弥陀仏のお慈悲のなかにそういう誤魔化すことのできない自分が見出されてくるのでしょう。自分を悲しんでくるおはたらきはどことなく温かい。源左さんが念仏に生きられ、「お慈悲をお思わしてもらやぁ ぬくいでなぁ」と語られる言葉が気になるこの頃です。
だからWEBであうにしても、対面で会うにしても、そこに温もりを感じられなければ、決していのち輝く関係性はひらかれず、いのちが輝かない関係は温かさを失った世界になる他はないように思います。

井上 正
受徳寺(柏崎市)

**註**

6つの視点は『無量寿経』に説かれる六神通(『真宗聖典』16頁~17頁)にもとづいて趣意したもの。六神通とは宿命通、天眼通、天耳通、他心通、神足通、漏尽通。

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