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2022年7月25日
本のご紹介(東本願寺)
著者 黒萩昌氏(北海道教区法誓寺)
発行 東本願寺出版
発刊 2022/7/15
頁数 19頁
価格 110円(税込)
お金や地位、そして家族――、頼りにしていたあらゆるものが、「老・病・死」によって間に合わなくなる私たちの人生。
その我が身の事実をごまかさず、何があっても今、生きている意味を見失わない生活とは…。
真宗門徒にとっての基礎である、ご本尊を前に教えを聞きお念仏申す、聞法生活の大切さを確かめる小冊子。
購入をご希望の方は三条教務所までご連絡ください。(TEL:0256-33-2805)
2022年7月25日
本のご紹介(東本願寺)
著者 本多雅人氏(東京教区蓮光寺)
発行 東本願寺出版
発刊 2022/7/15
頁数 75頁
価格 330円(税込)
誕生はめでたく明るいもの、往生は死を連想し暗いもの――。
その認識は、仏教からみれば、逆だった!?
私たちの人生の一大事である誕生と往生について、「南無阿弥陀仏」の教えを視座に、身近な話題や現代の諸問題をとおしながら丁寧に尋ねる一冊。
購入をご希望の方は三条教務所までご連絡ください。(TEL:0256-33-2805)
2022年7月25日
本のご紹介(東本願寺)
著者 一楽真氏(大谷大学学長)
発行 東本願寺出版
発刊 2022/7/15
頁数 79頁
価格 330円(税込)
新型コロナウイルスの蔓延という、先の見えない不安に世界中が覆われた現代。
はたして仏教は、この眼前の問題にどう応えるのか。「南無阿弥陀仏」と称えることで、いったい何が変わるのか…?
念仏の教えに縁をもつ人であれば誰もが問うてきた現実的課題に、経典、親鸞聖人の言葉を通して、正面から向き合う一冊。
購入をご希望の方は三条教務所までご連絡ください。(TEL:0256-33-2805)
2022年7月25日
本のご紹介(東本願寺)
発行 東本願寺出版
監修 聖教編纂室
協力 大秦一浩・山田恵文
発刊 2022/6/28
頁数 198頁
価格 1,100円(税込)
宗祖著作の聖教に立ち返った学びを深めていただくことを願いとした聞法テキストシリーズ第2弾。
本文篇と付録篇の二篇構成。
本文篇には、本文に加え読解に資する註を、付録篇には、読解の一助として現代語訳や両聖教の対照表、親鸞聖人の略年表を掲載しています。
『唯信鈔文意』『唯信鈔』を学ぶ上での必須テキスト。
購入をご希望の方は三条教務所までご連絡ください。(TEL:0256-33-2805)
2022年7月4日
第26回全戦争犠牲者追弔法会
第26回全戦争犠牲者追弔法会 報告
清水寛志(第20組通心寺)
2022年4月25日、三条別院にて「第26回全戦争犠牲者追弔法会」が開催されました。過去から現在にいたるまで、全世界の戦争によるあらゆる犠牲者の痛みを偲び、未来に向かって非戦を誓うとともに、平和と平等な国土を願う法会です。この法会は、それまで三条教区の靖国問題研修部門が単独で企画していましたが、第24回(2019年)から靖国問題研修部門のみならず、各研修会部門代表者と合同で企画されています。
法会の前半は、出仕者16名、参詣者29
名で法要が勤まり、三条教区教化委員長によって「一切衆生とともに、すべての戦争を厭離する非戦の実現に身命を惜しまず、真にいのちの尊厳を問い続ける念仏者たらんことを誓います」と、表白されました。また、法要の最後には、三条教区教区会参事会員と三条教区門徒会長によって、「あらゆるいのちと手を取り合います 目をつぶりません 耳をふさぎません なかったことにもいたしません そういう念仏者になります」と誓われました。この誓いが形式上の誓いにならないためにも、改めて念仏の教えに立った非戦の行動が求められているものと思います。それは教えによって照らされる、人間の愚かさ、自分自身の危うさの自覚に立った行動ともいえると思います。
法会の後半は、法話を聴聞し、山内小夜子先生より「女性史から気づかされて」という題でお話していだたきました。先生のお話は、「ウクライナで戦争が起きている今、私はどこに立って、何を語ることができるか、またそれを語る私は何者なのか」、「戦争のただ中で全戦争犠牲者を追弔するとはどういうことなのか」と自問する言葉から始まりました。そして、これらのこと考えるきっかけとして、堀田善衛が取材し中国人から見た日本兵を著した小説『時間』や、日露戦争中、非戦に生きたロシア人トルストイの言葉、非戦を訴えたロシアのクリスチャンであるドゥオホボール教徒のことなどを紹介され、日本でもまた、被差別部落の人々、貧しい人々、立場の弱い女性達と向き合い寄り添う中で戦争に反対し続けた当宗派僧侶の高木顕明の言葉を丁寧にお話されました。最後のまとめでは「今後、戦争で亡くなられた方の声を聞く場が持てなくなること」のないよう心配され、冒頭の「戦中の追弔とは」ということに関して、石原吉郎の言葉を引用しながら、「戦中の追弔とは死者から生者が弔われている」とまとめられました。
「私はどこに立って、何を語ることができるのか、またそれを語る私は何者なのか」という問いは問題の主体を問う本質的な言葉かと思います。「私は念仏の教えに立って、非戦を語り、凡夫のわれらという私に目覚める」と言えるのか。大きな大きな課題をいただいた法会です。







