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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
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第26回全戦争犠牲者追弔法会

第26回全戦争犠牲者追弔法会 報告

清水寛志(第20組通心寺)

2022年4月25日、三条別院にて「第26回全戦争犠牲者追弔法会」が開催されました。過去から現在にいたるまで、全世界の戦争によるあらゆる犠牲者の痛みを偲び、未来に向かって非戦を誓うとともに、平和と平等な国土を願う法会です。この法会は、それまで三条教区の靖国問題研修部門が単独で企画していましたが、第24回(2019年)から靖国問題研修部門のみならず、各研修会部門代表者と合同で企画されています。

法会の前半は、出仕者16名、参詣者29 名で法要が勤まり、三条教区教化委員長によって「一切衆生とともに、すべての戦争を厭離する非戦の実現に身命を惜しまず、真にいのちの尊厳を問い続ける念仏者たらんことを誓います」と、表白されました。また、法要の最後には、三条教区教区会参事会員と三条教区門徒会長によって、「あらゆるいのちと手を取り合います 目をつぶりません 耳をふさぎません なかったことにもいたしません そういう念仏者になります」と誓われました。この誓いが形式上の誓いにならないためにも、改めて念仏の教えに立った非戦の行動が求められているものと思います。それは教えによって照らされる、人間の愚かさ、自分自身の危うさの自覚に立った行動ともいえると思います。

法会の後半は、法話を聴聞し、山内小夜子先生より「女性史から気づかされて」という題でお話していだたきました。先生のお話は、「ウクライナで戦争が起きている今、私はどこに立って、何を語ることができるか、またそれを語る私は何者なのか」、「戦争のただ中で全戦争犠牲者を追弔するとはどういうことなのか」と自問する言葉から始まりました。そして、これらのこと考えるきっかけとして、堀田善衛が取材し中国人から見た日本兵を著した小説『時間』や、日露戦争中、非戦に生きたロシア人トルストイの言葉、非戦を訴えたロシアのクリスチャンであるドゥオホボール教徒のことなどを紹介され、日本でもまた、被差別部落の人々、貧しい人々、立場の弱い女性達と向き合い寄り添う中で戦争に反対し続けた当宗派僧侶の高木顕明の言葉を丁寧にお話されました。最後のまとめでは「今後、戦争で亡くなられた方の声を聞く場が持てなくなること」のないよう心配され、冒頭の「戦中の追弔とは」ということに関して、石原吉郎の言葉を引用しながら、「戦中の追弔とは死者から生者が弔われている」とまとめられました。

「私はどこに立って、何を語ることができるのか、またそれを語る私は何者なのか」という問いは問題の主体を問う本質的な言葉かと思います。「私は念仏の教えに立って、非戦を語り、凡夫のわれらという私に目覚める」と言えるのか。大きな大きな課題をいただいた法会です。

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