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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

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2019年1月27日

「『歎異抄』に聞く」を聞く

廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く。-第十五章-

もうそろそろ2月になってしまいますが…あけましておめでとうございます。廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く。新年を迎えようやく平常運転、第八回目です。旧年中はご愛顧いただき誠にありがとうございました。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

年末年始、皆さんはどのように過ごされましたか?廣河は除夜の鐘、修正会に加え、冬期休暇中も休暇を返上して別院の留守を預かっておりましたので、これまで自坊で過ごしてきた年末年始とは全く違う日々を過ごさせていただきました。何故休暇返上?と思われるかもしれませんが、実は廣河、2月末にお釈迦様生誕の地、インドに旅行の予定がありまして…。その旅行のために休みを返上したのですね。また詳しく書くかもしれません。さて、

12月28日(金)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は三条教区15組長泉寺(三条市上保内)の石塚祐堂氏に、『歎異抄』「第十五章」を主題にご法話頂きました。

長泉寺住職 石塚祐堂氏。

『歎異抄』「第十五章」

一 煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ。この条、もってのほかのことにそうろう。

即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果なり。六根清浄はまた法華一乗の所説四安楽の行の感徳なり。これみな難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。来生の開覚は他力浄土の宗旨、信心決定の道なるがゆえなり。これまた易行下根のつとめ、不簡善悪の法なり。

おおよそ、今生においては、煩悩悪障を断ぜんこと、きわめてありがたきあいだ、真言・法華を行ずる浄侶、なおもて順次生のさとりをいのる。いかにいわんや、戒行恵解ともになしといえども、弥陀の願船に乗じて、生死の苦海をわたり、報土のきしにつきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、法性の覚月すみやかにあらわれて、尽十方の無碍の光明に一味にして、一切の衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはそうらえ。

この身をもってさとりをひらくとそうろうなる人は、釈尊のごとく種々の応化の身をも現じ、三十二相・八十随形好をも具足して、説法利益そうろうにや。これをこそ、今生にさとりをひらく本とはもうしそうらえ。

『和讃』にいわく「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける」(善導讃)とはそうらえば、信心のさだまるときに、ひとたび摂取してすてたまわざれば、六道に輪廻すべからず。しかればながく生死をばへだておうろうぞかし。かくのごとくしるを、さとるとは言いまぎらかすべきや。あわれにそうろうをや。

「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならいそうろうぞ」とこそ、故聖人のおおせにはそうらいしか。(『歎異抄』真宗大谷派宗務所出版部)

【試訳】

「信心を得たならば、あらゆる煩悩を備えた身のままで、さとりを開くことができる」と主張することについて。この主張は、もってのほかのことである。

即身成仏(この身のままで仏に成ること)という教えは真言密教の根本義であり、三密行業の証果である。六根清浄という教えは、法華一乗の説くところであり、四安楽の行によって得られる功徳である。これらはみな、特に秀でた能力によって行ずることのできる難しい修行であり、精神統一して仏、菩薩をイメージすることにより成就するさとりである。それに対して、人間の時間意識を破って未来から開かれてくるさとりは、絶対他力を根本義とした浄土真宗の教えである。すなわち、いま、ここで本願力の信心に身も心も定まる道である。これこそ、まったく人間の能力や努力を必要としない普遍的な行であり、善人や悪人という相対的な意味づけや人間の小さな努力を救いの条件とはしない教えである。

だいたい、いのちのある間は、欲望や怒り、罪の意識を断ち切ることは、まったく困難であるから、真言や法華の行者ですら、次の生でさとりを開くことを祈るのである。まして、われらのように戒律や修行や知恵のないものが、この世で「さとり」を開くことなどないのである。しかし、阿弥陀の本願の船に乗って、迷いや罪で満ち満ちた苦海を渡り、浄土の岸に到着したならば、黒雲のような欲望や怒りの感情が晴れ、たちまちに真実が月明かりのように輝き、あらゆるところを照らす阿弥陀の光とひとつになって、あらゆる人びとを救うときにこそ、「さとり」とは表現するのである。

この身をもったままでさとりをひらくと言うひとは、お釈迦様のように、さまざまな姿をとって現れ、三十二相・八十随形好という瑞相を具え、法を説き、人びとを救いとろうとでもいうのだろうか。こういう基準を満たしてこそ、この世で「さとり」を開くと言いうるのであろう。

親鸞聖人の『和讃』には、「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける」(決して壊れることのない信心が定まる、そのとき、阿弥陀如来の光に摂め取られ、永遠に迷いのいのちを超えたのである〈善導大師を讃嘆した和讃〉)とある。これは、信心が決定したとき、二度と捨てることのない阿弥陀の救いに摂め取られるならば、六道という迷いの生を繰り返すことはない。そうすれば、永遠に迷いの生活を超越することができるのである。このように受け止めることを、「さとる」というのである。混乱してはならない。まったく哀れなことである。

「浄土真宗の教えは、いま、阿弥陀の本願の教えを信じ、彼の土でさとりを開く」と、いまは亡き、親鸞聖人は仰せられたのである。

【語註】

三密行業の証果…身に印契を結び、口に真言を唱え、意(心)に仏を観ずるという密教の実践法。証果はさとりのこと。

六根清浄…眼・耳・鼻・舌・身・意という六根を整えて、自由自在な智慧のはたらきを得ること。人間の身心が清らかになった状態。

法華一乗の所説…すべての者が等しく救われると説く『法華経』の教え。

四安楽(しあんらく)の行…身口意のあやまちを離れる三善行と、慈悲行との、心身を安楽にする四つの行法。六根清浄はこの行によって感得される。自己の身心と他のひとを安らかにするための修行。

不簡善悪(ふけんぜんあく)の法…人を善悪で区別しない、平等に救済される道。

戒行恵解(かいぎょうえげ)…戒を保って修行し、智慧をもって道理を正しく理解すること。

法性の覚月…涅槃のさとり。これを闇夜を払う月に譬える。

応化の身…衆生を救うために、相手の願いに応じて、衆生の姿をとって現れた仏身。

三十二相・八十随形好(ずいぎょうこう)…仏の身体にそなわる、さまざまなすぐれた特徴。

第十五章は念仏者における「即身成仏の主張」を批判し、浄土真宗のさとりを明らかにするということに、焦点があります。さとりを開くことができるのは「この世」か「あの世」か。ここで聖道門の代表として挙げられている真言宗、法華宗は、この世でさとりを開くことを主眼としますが、浄土教では「彼の土のさとり」を説きます。

冒頭の異議者の主張は「煩悩をそなえた身のままで、さとりを開くことができる」というものです。こういった異議がなぜでてくるのか。これは、『親鸞聖人御消息集』すなわち親鸞聖人のお手紙の中で、親鸞聖人自身が「真実信心をえたる人をば、如来とひとし」と語っていたことに起因します。

まことの信心をえたる人は、すでに仏にならせ給うべき御みとなりておわしますゆえに、如来とひとしき人と経にとかれ候うなり。弥勒はいまだ、仏になりたまわねども、このたびかならずかならず仏になりたまうべきによりて、みろくをばすでに弥勒仏と申し候うなり。その定に、真実信心をえたる人をば、如来とひとしとおおせられて候うなり。また、承信房の弥勒とひとしと候うも、ひが事には候わねども、他力によりて信をえてよろこぶこころは如来とひとしと候うを、自力なりと候うらんは、いますこし承信房の御こころのそこのゆきつかぬようにきこえ候うこそ、よくよく御あん候うべくや候うらん。自力のこころにて、わがみは如来とひとしと候うらんは、まことにあしう候うべし。他力の信心のゆえに、浄信房のよろこばせ給い候うらんは、なにかは自力にて候うべき。よくよく御はからい候うべし(『真宗聖典』『親鸞聖人御消息集(広本)』五七九頁)

正嘉元(1257)年、親鸞聖人85歳のときに、弟子の浄信に宛てた手紙です。その内容は、承信が「如来とひとしというのは自力の信である」と批判していると浄信が伝えたことについて親鸞が返信して、「いま少し深く承信房には考えて欲しい」と承信の指摘を否定している内容です。

信心よろこぶ人を如来とひとしと同行達ののたまうは自力なり。真言にかたよりたり(『真宗聖典』『御消息集(善性本)』五八三頁)

これが承信の批判内容ですね。つまり、「信心をよろこぶ人を如来と等しいと貴方たちが言うのは、それは自力だ。真言宗(の即身成仏の説)に偏っている」といった内容です。

親鸞聖人は真宗の信仰を「如来とひとし」と積極的に表現したのですが、それがかえって門弟たちに誤解を与えてしまい、それで今回のような異議が出てきた、というわけですね。ちなみに親鸞聖人は「如来とひとし」について、以下のように述べています。

浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来と申すこともあるべし(『真宗聖典』『御消息集(善性本)』五九一頁)

つまり、身体とこころは別の次元にあることをいい、こころが如来と同じなのだと説明しています。しかし、真言宗の「即身成仏」は心身ともに仏と一体になろうとすることであるため、微妙ですが違います。このあたりが曖昧であったり取り違えてしまうと、今回の異議者の主張のようになっていくわけです。

さて、ご法話ではまず、この第十五章が誰に対して書かれているのか、ということを問いました。すなわち、それは自分。「他の誰か」ではなく、「自分自身」に書かれていると。何故そういえるのか。親鸞聖人の言葉は、至ってシンプルです。「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならいそうろうぞ」。本願を信じなさい、他に何もないよと。しかし、この言葉を聞いて、迷っているのは誰だろうか。他ならぬ私自身なのではないかと。むしろ、頭では「煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらく」と考えているのではないか。そこに、信じきれない自分が生まれてくる。だからこの第十五章は、「自分自身」のために書かれていると言われました。

さらにご法話では、「さとりを開く」とはどういうことなのかということを言われ、四門出遊のお話をされました。元々国の王子であったお釈迦様が、国の東西南北にある四つの門においてそれぞれ、老人に出あい、病に苦しむ人に出あい、死に至る人に出あい、最後に出家者の姿に出あい、修行され、菩提樹のほとりにてさとりを開かれた。この老病死、そしてこの身が生まれてきたということを含め生老病死、それらの出あいを通して、一番何を願われたか…。

併せて、親鸞聖人の妻である恵信尼がその娘の覚信尼に出していたお手紙の中の言葉を紹介されました。それは、「生死出づべき道」。生死(しょうじ)というのは、生と死と書いて生死と言うけれども、それは生まれきた苦しみ悩み、生きていく苦しみ悩み、そして死に至らんとする苦しみ悩み。それは迷いの姿であると。その、迷い、苦しみを、どうやったら超えていけるのか。そこを一番求めていくのが、仏道なのであったと、石塚さんは言います。お釈迦様も、親鸞聖人も、法然上人もみな、「生死出づべき道」を求めていたのだと。

「さとり」とは?

 

そして、求めていく中で何に気が付くか。どうしたら超えていけるのかといった時に、生死ということが、迷いではあるんだけれども、同時に「身の事実」と読めるんじゃないかと。我らは生まれて生きて、いずれ死ぬ。この「身の事実」ということを自覚させていただくのが、仏道なんじゃないか。それは、「どうにかなる我が身」を教えているわけではない。むしろ「どうにもならない我が身」にぶち当たっていく。この身はさとりを開ける身ではない。煩悩具足の凡夫なんだ。けれども、自分の能力とは全く関係なく、阿弥陀の本願を信じさせていただいて、浄土に往生させていただき、仏と成らせていただく。その歩みが仏道であり、浄土真宗なのだと言えます。

大事なことは、教えを教えとして、「私」は素直に聞けているのかということ。そして、廣河は素直に石塚さんのお話を聞けているのかということ…。あなたは、目の前のその人の話を、素直に聞けていますか?

明日、1月28日(月)の御命日のつどいでは、『歎異抄』第十六章をテーマに第17組稱名寺の有坂次郎さんよりお話しいただきます!

2019年1月18日

講演会・お知らせ

定例法話「三条東別院の歴史について」のご案内

2月からの三条別院定例法話は、「三条東別院の歴史について」です!

東別院の成立について、戊辰戦争について、米北教校について、東本願寺法主(門首)の下向などなど…、さまざまな角度からお話しいただきます!

【講師】大溪太郎氏
浄土真宗本願寺派正覚寺(三条市)
早稲田大学ヨーロッパ文明史研究所招聘研究員
2014年に新潟親鸞学会特別展「親鸞となむの大地展」の展示史料調査委員会事務局長を務められた。現在、新潟親鸞学会「新潟新聞を読む会」で井上慶隆氏が明治10年から明治末までの『新潟新聞』から採録した真宗記事を読んでいる。三条東別院も記事に多く登場するという。

【日程】(全3回)

2月13日 (水)13:30‐14:30
3月13日 (水)13:30‐14:30
4月13日 (水)13:30‐14:30

【会場】

三条別院旧御堂(三条市本町2丁目1-57)

どなたでもご聴講いただけます。お待ちしています!

2019年1月18日

三条別院に想う

世久利亭応契(せきゅりていおうけい)氏に「別院に想う」を執筆していただきました!

JR弥彦線、混み合う電車を北三条駅で降り、駐輪場に置いてある自転車に乗る。図書館の前から路地に入り、大きなお寺の塀に沿って走り商店街へ抜ける。高校時代の朝の光景である。その左手に見えていたお寺が、真宗大谷派三条別院であった。当時は名前も知らず、ああ立派なお寺があるなぁ、くらいの認識であった。

別院の名を知ったのは、大学生の時である。県内の大学に進学した私は、落語研究部いわゆる落研(オチケン)に入部した。ある日、母が私に三條新聞を見せ

「なんか落語の人が来るみたいだよ」

と言う。見てみると、三遊亭金馬の名が目に飛び込んできた。落語好きなら知らぬ者の無い大御所。その落語会の会場が三条別院、毎朝のように横目に見ていたあの立派なお寺である。しかし大学時代は所用で行かずじまいであった。

大学卒業後、就職した私は二年ほど仕事に専念したものの、色々あってまた落語を始めた。と言っても落語家になったわけではなく、いわゆる社会人落語である。新潟市の会社に勤務しながら、地元である燕市を拠点とするアマチュア落語団体を立ち上げ、落語の口演をするようになった。その旗揚げイベントを大々的に開催した三か月後、三条の支社に異動になった。

何事もなく数カ月働いたある日、上司から何かのポスターを渡された。

「田辺君、これ行けば?」

それは、ごぼさま寄席、三遊亭金馬落語会であった。

こうして初めて別院に足を踏み入れた、さらに数か月後、三条市職員を名乗る人物からメールで落語の依頼が来た。別院で落語をやらないか、というものだった。

三条市の企画で「落語と法話」と題し、別院の列座の方による法話と、我々で落語をやることになる。何度かの打ち合わせを経て、別院の旧御堂で口演に臨んだ。演者の名前を掲示するめくり台を別院の備品からお借りした。そこには、前年使われたであろう金馬師匠のめくりが掛かっていた。

落語がつないだ、別院とのご縁の話。

田辺 晃一〔世久利亭応契(せきゅりていおうけい)〕 氏(落語研究会新潟県央 会長)

▲田辺さんには、二〇一七年・二〇一八年と三条中央公民館主催の「落語と法話」で、同会に所属する樋浦重一さんと、旧御堂にて落語を口演していただきました。社会人落語は、社会人経験を積んだうえで落語を研究しているため、プロとも学生落語をとも異なる面白さがあると田辺さんは語られます。ちなみにALSOKに勤める田辺さんの得意な演目は泥棒ネタ(!)だそうです。

▲ちなみに下が、ともに落語を口演していただいた樋浦さん(運転し亭越後屋)さんです。お二人は高校の同級生で、新潟県のアマチュア落語会を牽引しています!

2019年1月18日

三条別院に想う

書道教室生徒に「別院に想う」を執筆していただきました!

三条東別院の書道教室でお世話になっています。講師は木原光威先生で、講座名は東友会といいます。私は基本的には、毎月の昇級課題を取り組み、主に楷書、行書、草書をそれぞれ教わっています。他にも先生に勧められて東友会の生徒さんと一緒に展覧会に作品を出品しています。先生からアドバイスを受けながらの作品作りですので自分のモチベーションも上がり、楽しく続けられています。教室に来て字を書いていると終わりの時間になる頃には頭がスッキリして気分転換にもなります。その他に私にはもう一つの気分転換の理由があって、講師の木原先生は以前、高校の教師をされていて、そして私は木原先生の生徒でした。元々担任と生徒という関係でしたので毎回、書道教室に行くと高校時代に戻ったような感覚になってリフレッシュ感を求めに来ている自分もいるのかな? と思って続けています。

そして、この書道教室も開講当初から習い始め、先月で六年が経ちました。

六年もこちらの東別院でお世話になると職員の方々(主に斎木さん)と親しくなり、書道教室が終わった後には時々、本寺小路に出向いてお酒を酌み交わしながら親睦を深めたりといろいろ仲良くさせてもらっています。

そんな東別院と関りとして思うことは、やっぱり「お取り越し」でしょうか。

三条で育っているので子どもの頃から祖父母や父母からお取り越しの話を聞いてきましたし、友達と一緒に出店を巡った思い出もあります。

近年では東別院の本堂で舞台劇やフリーマーケット、三条マルシェなど、街の人が来て三条別院と関われるイベントが多いし、もっと人が集まって楽しい環境になるなら喜ばしいし、私も微力ですが手伝えることがあればやりたいと思っています。今後もっと三条別院が活気づいてほしいと思います。

安田 裕孝 氏(三条別院書道教室「東友会」)

▲三条別院書道教室の開講当時から継続して参加していただいている安田氏に、執筆していただきました!

ダイソン・レイコップ奉仕団が平日だったため、参加できず残念がっている安田氏の写真もありましたので、添付させていただきます。

2019年1月9日

講演会・お知らせ

2019年上半期聞法会のご案内

 

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