どんな日も、どんな時代も、そばにある。

三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

三条別院に想う

世久利亭応契(せきゅりていおうけい)氏に「別院に想う」を執筆していただきました!

JR弥彦線、混み合う電車を北三条駅で降り、駐輪場に置いてある自転車に乗る。図書館の前から路地に入り、大きなお寺の塀に沿って走り商店街へ抜ける。高校時代の朝の光景である。その左手に見えていたお寺が、真宗大谷派三条別院であった。当時は名前も知らず、ああ立派なお寺があるなぁ、くらいの認識であった。

別院の名を知ったのは、大学生の時である。県内の大学に進学した私は、落語研究部いわゆる落研(オチケン)に入部した。ある日、母が私に三條新聞を見せ

「なんか落語の人が来るみたいだよ」

と言う。見てみると、三遊亭金馬の名が目に飛び込んできた。落語好きなら知らぬ者の無い大御所。その落語会の会場が三条別院、毎朝のように横目に見ていたあの立派なお寺である。しかし大学時代は所用で行かずじまいであった。

大学卒業後、就職した私は二年ほど仕事に専念したものの、色々あってまた落語を始めた。と言っても落語家になったわけではなく、いわゆる社会人落語である。新潟市の会社に勤務しながら、地元である燕市を拠点とするアマチュア落語団体を立ち上げ、落語の口演をするようになった。その旗揚げイベントを大々的に開催した三か月後、三条の支社に異動になった。

何事もなく数カ月働いたある日、上司から何かのポスターを渡された。

「田辺君、これ行けば?」

それは、ごぼさま寄席、三遊亭金馬落語会であった。

こうして初めて別院に足を踏み入れた、さらに数か月後、三条市職員を名乗る人物からメールで落語の依頼が来た。別院で落語をやらないか、というものだった。

三条市の企画で「落語と法話」と題し、別院の列座の方による法話と、我々で落語をやることになる。何度かの打ち合わせを経て、別院の旧御堂で口演に臨んだ。演者の名前を掲示するめくり台を別院の備品からお借りした。そこには、前年使われたであろう金馬師匠のめくりが掛かっていた。

落語がつないだ、別院とのご縁の話。

田辺 晃一〔世久利亭応契(せきゅりていおうけい)〕 氏(落語研究会新潟県央 会長)

▲田辺さんには、二〇一七年・二〇一八年と三条中央公民館主催の「落語と法話」で、同会に所属する樋浦重一さんと、旧御堂にて落語を口演していただきました。社会人落語は、社会人経験を積んだうえで落語を研究しているため、プロとも学生落語をとも異なる面白さがあると田辺さんは語られます。ちなみにALSOKに勤める田辺さんの得意な演目は泥棒ネタ(!)だそうです。

▲ちなみに下が、ともに落語を口演していただいた樋浦さん(運転し亭越後屋)さんです。お二人は高校の同級生で、新潟県のアマチュア落語会を牽引しています!

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