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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

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2020年11月5日

講演会・お知らせ

お取り越し報恩講結願日中ライブ配信予告編
ケンオードットコムリンク

 

https://youtu.be/pI9Sg91TbRE

2020年10月23日

別院だより・三条教区通信

三条別院たより・三条教区通信11月号をお届けします

『三条別院たより』11月号・『三条教区通信』第158号をどうぞご覧ください。

2020年10月23日

ブログ

DODALO「あなたはどんな自分になりたいですか?」

「愚者になりて往生す」

 『末燈鈔』(親鸞聖人のお手紙)/『真宗聖典』603頁

【解説】

 浄土真宗は「愚」という言葉をとても大切にしています。

 親鸞聖人は自らを「愚禿釈親鸞」と名のられました。また、その聖人の師である法然上人は、比叡山で「智慧第一の法然坊」と称されながらも、自らを「愚痴の法然坊」と表明しています。ともに自分が「愚」であることを公に語っているのです。なぜそのようなことを公言しているのでしょうか。

一般的に、このような宣言は、謙遜の言葉として受け取られているようですが、私たちの日常の感覚からすれば、あえて自ら誰かにマイナスと受け取られかねない自分を打ち明けることはまず有り得ません。もし、それがあるとするならば、正直に話すことで好感を持たれるのでないか、失敗を大目に見てもらえるのでないか等と、自分の利になる目算がある場合でしょう。私たちが普段使っている謙遜はそのような範疇に納まるものだと思いますが、親鸞聖人たちの名のりもそれと同じような計算高いものなのでしょうか。

 また一方で、この「愚」の名のりが、計算ではなく、偽りない自らの事実を語るものとするならば、それは、ただいたずらに自分を卑下するものではないのかと感じる方もいるかもしれません。そこで、親鸞聖人が「愚」という言葉をどのようにいただいていたのかをうかがい知ることのできるエピソードに目を通してみたいと思います。親鸞聖人が晩年に書かれたお手紙の一節で、若かりし頃出会った師、法然上人についての回想です。

 

 故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、往生必定すべしとてえ〈笑〉ませたまいしをみまいらせ候いき。ふみざた〈文沙汰〉して、さかさかしきひとのまいりたるをば、往生はいかがあらんずらんと、たしかにうけたまわりき。いまにいたるまでおもいあわせられ候うなり。(『真宗聖典』603頁)

 

 「ものもおぼえぬあさましき人々」とは、身分が低く貧しいために十分な知識を持つこともできず、たのむべき力を持たない人々です。誇るべきものをなにも持たない者こそ、自らを取り繕うようなことをせず、むしろまっすぐに浄土の教えに耳を傾けることが出来るのだと思います。等身大の自分をもって、道を求めて尋ねて来られる人々をご覧になって、「あの方々の往生は間違いないであろう」と法然上人は微笑んでおられたということです。

 「ふみざた(文沙汰)して、さかさかしき(賢々しき)ひと」とは、自分の学び得たことを振りかざして論評し、自分を誇ろうとしていかにも賢そうに振る舞う人のことです。おそらく、この人たちはふざけているわけでも、怠けているわけでもなく、むしろ、真面目で一所懸命努力していたと思います。にもかかわらず、法然上人は「往生はどうであろうか」といぶかしげにおっしゃっています。どこに向かって、その一所懸命な努力がなされているのかを問いかけているのです。

 私たちの日常でも、少しでも優れた自分、価値のある自分としてアピールして他者に認めてもらおうとすることがままありますが、それは何のためなのか、よく考えてみると、優れた自分、価値のある自分、役に立つ自分、そのような善き自分の方が、人や社会に受け入れられていくのであろうと心のどこかで感じているからではないでしょうか。それは裏を返せば、善き自分でなければ、相手にされなかったり、見限られたり、居場所を失ったりするのではないか、「善きものでなければ見捨てられるのではないか」という恐れを抱えているということです。時代・社会からの問いかけも厳しいですし、学校や会社、友人関係など、様々な場で、評価や選別にさらされてきた私たちは、それを無言の圧力として肌で感じてしまうのだと思います。

 これは一見すると他者や世間の声なき声に対する怯えのようですが、その根底に劣った、価値のない、役に立たないような悪しき自分であれば、それは自分として受け取ることが出来ない、認めたくないという自己不信があるわけです。他ならぬ自分自身が自分を追い詰めているならば、それはあまりに悲しいすがたではないでしょうか。

 理想や目標を掲げてそれに向かって一所懸命に努力することは、人として生きていく上でとても大切なことですが、その過程で知らず知らずのうちに、理想に叶わない現実の自分自身や他者を蔑み、ないがしろにして、傷つけることになっているとしたら、それは私たちが本当に望んでいることではないはずです。他者が私のことを必要としてくれるか、認めてくれるかどうかは、相手に任せなければならない事柄ですが、自分のことをどうするのかは、私たち一人ひとりの意志に委ねられています。たとえ、この自分がどれほど小さくつまらないものとして、今見えようとも、その自分こそがすべての道を開いていく鍵となるのでしょう。どんな自分であっても「これが私です」と受け取っていけるところに本当に自由な生き方があるのではないでしょうか。

 そして、このお手紙で大事なことは、晩年の親鸞聖人が「いまにいたるまで」ありありとこのお話を思い浮かべているということです。もし、親鸞聖人が当たり前のように、自らの愚かさを自覚して、等身大の事実の自分自身に立って生活しているならば、少なくとも晩年になるまでこの法然上人のお話を思い浮かべ続けることはなかったと思います。むしろ、いつでも賢そうに分かっている者として、自身を問うことも教えられることもなく、自分や他者を踏みつけて顧みないような自分がいたからこそ、この法然上人のお話が親鸞聖人の生涯にわたって突き刺さり続けたのでしょう。分かっている者ではなく、教えられなければならない者として、法然上人の言葉やすがたを通して、仏の教えに自分自身を照らされながら歩まれたのが、親鸞聖人の「愚」の名のりの具体的な中身であると思います。聖人は、知らず知らずの内に、自らの前提としてしまっている生き方の危うさを、そのような形で確かめながら、まわりの人たちにも伝えていました。自分自身の生き方とは、当たり前の前提としてもつものではなく、教えられ、学び続けねばならないものであることを、私たちに示してくださっているのです。

富樫大樹

妙音寺(新潟市西区)

 

2020年10月22日

ブログ

高田別院報恩講参拝【報告】

10月10日(土)、11日(日)と、上越にある高田別院の報恩講がお勤まりになりました。

高田別院報恩講の詳しい日程はこちら!

今回、海岸輪番と列座4人、米山久雄氏と西村駐在の7人で計画し、11日(日)の結願日中に参拝させていただきました。

移動中のようす ※関﨑列座は自家用車で移動

8時半に三条を出発し、10時頃、高田別院到着!

高田別院の報恩講は「身動きとれぬ程のお多屋参り」と言われ、参詣者で賑いをみせた報恩講は古くから”おたや”と呼ばれ、親しまれてきたそうです(高田別院年中行事のページ)。今年は新型コロナウイルス感染症のため、残念ながら例年通りの日程ではありませんでしたが、手指消毒、マスク着用など感染対策を十分にされての厳修でありました。

その後、昼食を経て、折角上越まで来たということで、上越の聖人御旧跡をいくつかお参りさせていただきました。

午後一でお伺いしたのは、上越市国府にある真宗大谷派光源寺です。

上野山 国府 光源寺

光源寺は、親鸞聖人のお弟子の覚円坊最信が建暦元年に開いたとされるお寺です。本堂には親鸞聖人が流罪赦免の際に描いたとされる「流罪勅免御満悦御真影」が安置されており、以前は高田別院の支院として国府影堂または国府御坊と呼ばれていたそうです。その後、国府支院と光源寺を一つに併せて今日に至っておられるそうですが、一宇の中に御影堂と本堂とを併設されている様式で、全国的にも非常に珍しいお寺であります。当時の流人標札や蓮如上人直筆の浄土文類聚鈔、親鸞聖人・恵信尼公連座の名号など、聖人ゆかりの貴重な法宝物をお見せいただきました。またご住職のお話の中では、親鸞聖人には「群生海」「一乗海」など、「海」という言葉の用例が多く見られますが、それは流罪の地である越後の日本海、居多ヶ浜(こたがはま)のイメージが色濃く反映しているものであろうということでした。

続いて向かったところは居多ヶ浜記念堂です。

居多ヶ浜記念堂

こちらは「親鸞聖人座像」が安置されている八角形の見真堂です。

親鸞聖人は木浦(糸魚川市能生)から舟に乗り、居多ヶ浜に上陸されました。高台には「親鸞聖人御上陸之地」の石碑が、近くの広場には親鸞聖人と性信房・西仏房の御供二人を描いた「親鸞聖人上陸の地」のレリーフなどがあります。

「もしわれ配所におもむかずは 何によりてか辺鄙の群類を化せん これ猶師教の恩致なり」と刻まれた「親鸞聖人御上陸之地」の石碑

親鸞聖人と性信房・西仏房の御供二人を描いた「親鸞聖人上陸の地」のレリーフ

高台から奥に進むと居多ヶ浜記念堂と見真堂が建てられています。見真堂の横には、越後の七不思議のひとつとしても知られている「片葉の葦」が生息しています。

見事に片葉です!

記念堂の前には上越市出身の真宗学者・金子大榮師の書いた「念仏発祥之地」の石碑が立っていました。

続いて、居多ヶ浜からほど近いところにある、竹之内草庵に向かいました。

竹之内草庵。右の柱には「親鸞聖人御配所草庵」と書かれています。

居多ケ浜に上陸後、親鸞聖人が約1年を過ごしたのが、五智国分寺の境内地内にある竹之内草庵といわれています。 しかし、現在の国分寺は上杉謙信公が永禄5(1562)年に再興したものといわれ、親鸞聖人が配所された頃の国分寺の場所は未だ不明です。市の指定文化財である山門には天保6(1835)年作の仁王像が構え、そこを抜けると正面にまだ新しい本堂があります。本堂の右隣に立つ竹之内草庵には、内部に親鸞聖人坐像(上越市指定文化財)が安置されています。これは聖人が罪を許され関東へ旅立つ際に、別れを惜しむ門信徒のため、五智国分寺裏にある鏡ヶ池に自身の姿を映しながら彫ったものといわれているようです。

御遠忌800年記念の「親鸞聖人腰掛石」。

腰掛石を堪能!柔らかな座り心地でした。

続いて、最後に向かったところは妙高市にある新井別院です。

屋根横の大紋が美しい。

新井別院は、貞享2(1685)年、本願寺第16代一如上人により、末寺を改めて掛所に充て、上越地方末寺を管理せしめたのが濫觴であるとのことです。創設以来二度の風水害と三度の火災に遭遇しながらも、その度毎に復興を成し遂げられてきました。本堂は十八間四面ととても大きいです。

「流失した御坊の大梵鐘」

本堂外陣左手には重さ約800kgの梵鐘が置かれていました。これは延享4(1747)年8月の矢代川洪水で流失し、行方不明となっていたもので、「流失した御坊の大梵鐘」として知られているようです。平成17(2005)年に新井別院からおよそ500m程離れた土木建設現場の土中から発見され、建設会社が寄贈し、260年ぶりに新井別院へ戻されたものとのことです。また、現在ある鐘楼堂は文政4(1821)年に建立され、以降二度火災があった中で逃れた唯一の江戸期の建造物、そして梵鐘は寛政4(1792)年の鋳造で太平洋戦争に供出をまぬがれた頚南地区唯一の梵鐘だそうです。

他にも、堂内に納骨堂が併設されている食堂(元仮御堂)や御庫裡など、職員の方に丁寧に諸殿拝観していただきました。

ちなみに、新井別院の報恩講は今年は11月2日(月)、3日(火・祝)の二日間で厳修されるようです。例年は11月1日から4日までの日程でしたが、新型コロナウイルス感染症によって日程を縮小されるようです。

これから三条別院でも11月5日(木)から8日(日)までお取り越し報恩講がお勤まりになりますが、新型コロナウイルス感染症の対策のため、様々なところで例年通り行えないこともあるでしょう。しかし、どのような形であれ、親鸞聖人の御遺徳を偲び、真宗念仏の道に出遇っていこうとする人々が、各地にいるのです。蓮如上人の「毎年不闕」の御文に述べられているように、毎年欠かさず報恩講が厳修され、真宗門徒お一人おひとりの良き御縁となることが願われます。

2020年10月19日

講演会・お知らせ

フードバンク物資お届け第三弾【報告】

7月から9月末まで、当別院では新型コロナウイルス感染症の影響で困窮家庭がさらに追い込まれている現状を受け、新潟県フードバンク連絡協議会「子どもの未来応援プロジェクト」に協力させていただいています。今回は物資お届け第三弾の報告です。三条教区の御寺院方のご協力を得て物資の支援を募り、9月29日(火)に受け渡しを行いました。

ご協力いただいた方々は下記の通りです。

三条教区坊守会  第10組 北条西方寺
第15組 浄福寺 本龍寺  本龍寺門徒 渡邊 喜則 氏
第16組 願念寺 第17組 護念寺
第18組 勝念寺 西源寺  佐渡組 專得寺

そのほか、匿名含め多くの方々にご協力いただきました。篤く御礼申し上げます。

たくさんの物資が集まりました。
ありがとうございました!

また、今回の受け渡しをもってフードバンクへの協力は終了の予定でしたが、新型コロナウイルス終息の目処は未だなく、新潟県フードバンク連絡協議会の「子どもの未来応援プロジェクト」は来年の3月まで期間が延長されました。これを受けて、当別院においても「子どもの未来応援プロジェクト」への協力を継続して行うことが決定致しました。つきましては、チラシにもありますが下記に今後の引き取り日を掲載致しますので、各御寺院におかれましてもご無理のない範囲で、引き続きご協力のほど、宜しくお願い致します。

○今後の引き取り予定日
2020年 10月26日(月)、11月24日(火)、12月24日(木)
2021年 1月25日(月)、2月24日(水)、3月24日(水)

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