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2017年12月9日
2017年三条別院お取り越し報恩講の立花報告
2017年三条別院お取り越し報恩講の立花の写真をアップします。
お取り越しの実に1週間以上前から準備がはじまり、11月2日に完成しました。昨日12月7日に反省会も行われました。
【報恩講立花スタッフ】
白鳥賢氏、風巻和人氏、長尾豊隆氏、巨谷学氏、井上正氏、福田学氏、井上知法氏、松浦武馬氏、細川敏佑貴氏
【魅惑の舞台裏はこちらです】
2017年12月2日
落語研究会新潟県央と「法話と落語」を行いました。
11月30日三条別院旧御堂にて、三条中央公民館主催の「お寺で体感 法話と落語」を開催しました。
落語研究会新潟県央の世久利亭応契さんと運転し亭越後屋さんのお二人と、三条別院列座の斎木と森尻でお話ししました。
社会人落語という分野があるそうで、他に学生落語とプロ落語があるのですが、他の仕事をしながら落語を研究することで、ある意味ではプロよりも幅をもった落語ができる(笑)ということです。某警備会社勤務の世久利亭応契さんが得意なものは「泥棒もの」、えちごトキめき鉄道に勤め日本一面白い車掌を自負する運転し亭越後屋さんは観光列車ならではの巧みな話術と下ネタなど、それぞれに武器があります。
今年の3月の春彼岸に、やっちく二人会の八木さんと竹原さんに来ていただいて、斬新な「法話と落語」というスタイルでお話ししていただきましたが、完全にその方法にのっとって、「導入の法話」⇒「落語」⇒「解説の法話」という流れで2席行いました!

第1部は「釜泥」
石川五右衛門の子孫が、釜茹でにされた五右衛門の供養のため、町中の釜を盗もうとたくらむ話。豆腐屋夫婦が釜を盗まれないように、釜の中で番をするが……
世久利亭応契さんが得意の「泥棒もの」でした。

【法話】(斎木)
この話で泥棒は「悪人」でしょうか?泥棒は、泥棒の正義があり、石川五右衛門の供養という大義があり、泥棒にとっては自分たちは「善人」です。豆腐屋は商売道具の豆を煮る釜を取られないように必死ですので当然「善人」です。しかし、浄土真宗の人間観では世の中にはには「悪人」しかいないと考えます。
「善人」とは「善人面した悪人」です。「悪人」と「善人面した悪人」とどちらがましでしょうか?人間は原理的に自分に課せられた責任を果たせないようになっていて、責任を果たせなくてごめんなさいと謝れる「悪人」が、自分は正しい!と言い張る「善人面した悪人」よりましではないでしょうか?「善人面した悪人」から「悪人」に帰ることを「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」(『歎異抄』)という親鸞聖人の言葉は示しているのではないでしょうか。

第2部は「風呂敷」
ある女が亭主が不在の時に他の男を家に連れ込んでいたが、亭主が帰ってきてしまい、男を押し入れに隠したものの、どう脱出したらいいものか……風呂敷を利用して脱出を試みます。
運転し亭越後屋さんが流行(?)の男女の関係のもつれをおかしく表現しました。

【法話】(森尻)
落語では明言されませんが、この女性は「浮気」をしていたと考えられます。浮気は仏教では「不邪淫戒」といい、男女が邪に交わることをいいます。普通、浮気は、するほうが悪いと言いますが、この亭主は酔っぱらっていて乱暴者として演じられていましたし、もしかしたら浮気をしてしまう理由があったのかもしれない。人間にとって、「逃げ場」が大切なことがあり、浮気が「逃げ場」である可能性があったのではないか。浮気という方法だけでなく、「安心して逃げ場を与えてくれる」のが、念仏の教えではないでしょうか?

ちなみに集合写真の駒札のとなりは中央公民館担当の澤崎さんで、斎木の小学校・中学校・高校の同級生です。
2017年11月26日
10月28日 御命日のつどい法話 日下部文典氏より要約文をいただきました。
三条別院では、親鸞聖人の御命日である毎月28日にお勤めと法話のつどいをひらいております。本年も『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話いただいております。
午前10時からお勤めがありますので、お誘い合わせてお参りください。
10月28日に開催された「御命日のつどい 歎異抄に聞く」法話要約文を、長岡市 蓮壽寺住職 日下部文典師よりお送りいただきました。
日下部師には歎異抄第二章をテーマにご法話いただきました。
御命日のつどい 要約文 日下部文典師
第二章に心引かれる理由は、①対話という出来事をめぐって、念仏する人々が登場する②動きがあり映像化できる③親鸞聖人の名乗りが聞けるという三点です。第二章のキーワードを「往生極楽のみち」と「地獄は一定」にしました。そこには、これが私の人生と言い切る親鸞の人生観そのものが伺えます。
では、いのちがけで聞きたいこととは、何だったのでしょう。狭い部屋で膝突き合わせての話し合いに、親鸞が相手の気持ちに寄り添って傾聴、受容する姿が思い起こされます。
親鸞は、「ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなり」と断定しています。親鸞は問うた人々の心を見抜き、教えに対する基本的な姿勢を鋭く突いています。それは、信心不徹底の理由を再確認されていることでもはりましょう。さらに私たちは、この二章の背景にあるもの(善鸞事件等)を確認して読み進めることが大切になってきます。
次に存知は分からない。わかる必要もないこと。信知は身・口。意でわかることです。「親鸞に起きては、ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべしとよき人の仰せをかぶりて別の子細なきなり」の言葉は、全身全霊をかけて「そうであったか」と感得した親鸞の人生観を物語っています。まさに信知でしょう。
私や親鸞ではなく、「親鸞におきては」の表現には、自己の名乗りや主体性が感じられます。それは、親鸞の長い人生をかけて身に開かれた師(教え)とのめぐり遇いの表白と言えましょう。
「地獄一定」は、孤独のどん底にあってもそう言い切ることのできる親鸞の自信ある生き方ではないでしょうか。負ではなく、逆に地獄の立脚点から新しい世界が広がります。
私たちが三悪道に陥らないためには、①ごめんなさい②ありがとう③どうぞの言葉が大切です。愚身、およびがたき身は、愚かなるがゆえに、真実の見えていない自分を深く見つめる言葉です。そこにこそ、耳を傾け聴こうとする新しい世界が開けてくるのでしょう。「凡夫は、すなわちわれらなり」の言葉には、親鸞の包み込む温かさが感じられます。
御命日のつどい「歎異抄に聞く」
第二章担当 日下部文典(蓮壽寺)
今月11月28日は村山まみ師(長岡市 願興寺)より歎異抄第三章をご法話いただきます。
どうぞお参りください。
2017年11月21日
2017年三条別院お取り越し報恩講における御伝鈔拝読
2017年三条別院お取り越し報恩講の写真を少しづつ整理しています。
11月5日の初逮夜後には、森田輪番による『御伝鈔』(本願寺第3代覚如上人による親鸞聖人の伝記)上巻の拝読が、6日の中逮夜後には永寶晴香氏(柏崎市浄敬寺)による『御伝鈔』下巻の拝読がありました。
また、7日・8日には名和正真氏による御絵伝の絵解き法話があり、親鸞聖人の生涯について丁寧にお話しされました。
報恩講実行委員会教化部会の多田修氏が撮影された写真は膨大ですので、整理に時間がかかっていますが、これから随時法要や法話の様子などをあげていく予定です。よろしくお願いします。
2017年11月20日
超難解スタンプラリー達成者に両堂湯呑が!
三条中央商店街と協力して行った超難解スタンプラリーの達成者に、本山から東本願寺の両堂湯呑(御影堂と阿弥陀堂の瓦が練りこんである湯呑)が来たので、届けてまいりました!
達成者は、すでにご紹介した大竹昌弘さんと、小学生の田崎結大くんと、同じく小学生の山口胡太郎くんです!二人とも顔出しOKということで、報告します。
小学生の二人は同級生で、商店街に緊張なしで、どしどし果敢に攻めた結果として、すべて達成しました!田崎くんは、「ホテイヤ」のクイズ(当店は創業何年?)が答えが目の前に書いてあった面白かった!と笑っていました。


来年もまたやります!今日は商店街ののぼりをすべて外しました!
























