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2018年6月4日
【新連載】廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く。
これまで毎月28日の宗祖御命日のつどいの法話の記録をしたくてもできなかったのですが、非常勤職員が2名増えましたので、そのうちの1人、【新連載】で廣河(写真下。熱心な眼差し。)に「『歎異抄』に聞く」を聞いて記録してもらうことにしました!果たしてお参りに来る方の参考になるのか?以下はそのレポートです。
5月28日(月)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、一昨年から『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は二十組光圓寺(新潟市江南区)の村手淳史氏に、『歎異抄』「第八章」を主題にご法話頂きました。
『歎異抄』「第八章」
一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々(『歎異抄』真宗大谷派宗務所出版部)
『歎異抄』「第八章」は、「非行非善」、「自力」「他力」がキーワードとなって、本願を信じる念仏者のあり方が述べられます。ご法話では、村手氏自身が専修学院で経験された出来事や座談会、視覚障碍者の田口弘氏の言葉などを切り口に「第八章」が語られました。
専修学院生時代、よくレポート面接(テーマについてレポートを書いて先生に読んでもらい、内容について面接する)をされて先生と問答していた村手氏。テーマは「親鸞の教えに私はどう照らされたか」などその時々によって様々だったそうですが、村手氏が「これだ!」と思うレポートを書いて読んでもらっても、先生からの頷きがない。何度提出しても頷きがないものだから何を書けばよいかわからず、仕舞いには「どうしたらいいですか」と先生に訴えたそうです。すると先生は、「それは一番冷たくて悲しい言葉です」と述べたというのです。「冷たくて悲しい」とはどういうことでしょうか。
我々は、「〇〇したら、〇〇となる」という思考を持ち合わせています。例えば、善いことをすれば何か善い人間になった気がしますし、努力をすれば報われる(報われたい)、念仏すれば救われるなどなど…。要するに、自分の中でこうすればこうなるという方程式が出来上がっているのです。そこには、その行為がどういうことなのか、自分にとって何を意味するのかといった問いはなく、答えがあるだけです。しかも、自分はそれを達成できるとも考えている。
しかし、自分の思い描いた方程式の頂きにたどり着いたとき、その後はどうするのでしょうか。「私」が本当に求めていることとはそんなことなのでしょうか。
ここで肝要なのは、上へ上へと登っていくあり方ではなく、自分が今どこにいるのかを確かめることだと村手氏は言います。安易に答えを求めるのではなく、問いを育てていくことの重要性。専修学院の先生の「冷たくて悲しい」という言葉は、本来自分で育てるべき問いの答えを他者に求めてしまった故の愚かさを見抜いてのことなのでしょう。
視覚障碍者の田口弘氏の話では、
目さえ見えれば、それさえかなえば、もっと幸せになれるんだと思っている限り、
目が見えるようになっても、それがかなっても、幸せにはなれない。
という言葉をたよりに、人間の持つ欲求の際限のなさが話されました。自分の欲求が満たされたとしても=幸せとはならない。それは更なる欲求の加速に繋がり、尽きることがない。つまり迷いだと。この言葉は田口氏の言葉ですが、下線部を私たちそれぞれの欲求に置き換えても同じことが言えます。他人事ではないのです。
その、迷いの中にあるということに気づかせてくれるところに、浄土真宗の大切な意義があります。自身が迷いの身を生きてある事実を引き受けられるかどうか。「それでよいのか」という問いかけを、常に頂いているように思います。
法話のほんの一端を書かせていただきましたが、すべてを記すことができないことをお許しください。次回6月28日の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第九章」をテーマに廣永寺(佐渡市相川羽田町)の大久保州氏よりお話頂きます!どうぞお誘い合わせてお参りください。
2018年6月1日
三条別院たより・教区通信 2018年6月号
別院たより2018年6月号・教区通信第130号をお届けします。
2018年5月28日
推進員別院奉仕研修!別院をキレイにしていただきました。
5月25日(金)に推進員別院奉仕研修が行われました!推進員の方々と職員総勢60名弱での、清掃活動です。25日は天気が良く、絶好の清掃日和となりました。
途中のお昼休憩では、三条市内で営業されているベジテーブルさんのお弁当を頂きました。
野菜を中心に、たけのこや新じゃがなど五月の旬の食べ物が盛りだくさんでした。
昼食の後は、三条の魅力的なお店を知ってほしいということで、三条商店街の町歩きをしました!
他にも、PIPPI(ピッピ)の名称で親しまれる羽生文具店さんや、創業90年のお菓子の老舗、むさし屋さんなど、多くのお店を巡りました。
町歩きの後は、清掃奉仕の仕上げ。皆さんテキパキと動いていただいたおかげで、予定よりも30分早く終了することができました。
2018年5月27日
カンジヤマ・マイムが三条別院にやってきた!
5月19日(土)に三条別院公開講座が開催されました!今年の講師は、カンジヤマ・マイム代表で教育演劇学博士の藤倉健雄氏で講題は「笑って楽しむマイム芸人の仏道探求物語」。
パントマイムのコツは、①止める②分解③想像する。
インドで修業したレインボーマン(阿耨多羅三藐三菩提!)にあこがれた少年時代と、パントマイム修業時代、子どもとインドに旅した話など多岐に渡ってお話しいただきました。
難病の少女を前にしたパントマイムは、人間という枠の中ではとてもできないということも話され、宗教とパントマイムについても考えさせられました。
師匠の永六輔とのであいの話(永六輔の六は「南無阿弥陀仏」の六字の六だそうです!)もあり、永六輔の俳句をパントマイムで演じたり(「寝返りをうてば土筆(つくし)は目の高さ」)、死をテーマにしたパントマイム「バイオリン弾き」など、身体表現を通して「人間が生きる」ということはどういうことなのかを考えさせる、普通の法話の枠にはまらない講義でした。
企画・運営をした三条別院教化審議会委員とスタッフで講師を囲む会もありました。
これまでの公開講座では、心と仏教ということをテーマに考えてきて、身体と仏教ということでお話しいただく予定でした。予想に反して、さらに感情や教育やそもそも人間が生きるということはどういうことなのか考えさせられる2時間30分で、仏教の可能性がさらに広がる予感がありました。
2018年5月11日
別院たより5月号・教区通信第129号
別院と教区の新聞「別院たより」2018年5月号と「教区通信」第129号をお届けします。