どんな日も、どんな時代も、そばにある。

三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

ブログ

2008年度 教区女性研修会

2008年度 教区女性研修会報告
 3月16日(月)、三条教区同朋会館に於いて、講師に高山教区、不遠寺住職の四衢亮(よつつじあきら)氏を迎え、講題「御遠忌を迎えるこころ~宗祖としての親鸞聖人に遇う」でお話いただきました。
 『「宗祖」の宗(ムネ)は、中心、要、といった意味を持ち、漢字が日本にきて、体の中心を「胸」、家の中心を「棟」、そして、もう一つ別のムネ、「道を以って宗と為す」という「宗」があった。それは、人が人として歩く道をあらわしていた。
 つまり、「宗祖」とは、ただ浄土真宗を開かれた人というだけでなく、人として生まれ、人として生きる意味を問い尋ねて生きた人である。このことに於いて人たりえるということを、答えでなく、問い続けられた人として、仰がれ、親しまれた。そして、我々に問いかけて、残してくれた。
 年に一度の報恩講は、日常の忙しさにかまけている中、あらためて、かろうじて、自分自身に向きあい、確かめ、その恩に問い尋ねる機会なのだ。年忌は、50年に一度。つまり、一生に一度、人生をあげて問い聞くのが、御遠忌なのだ。今、ここに生きている。私にうなずき、生きていく。
 750回御遠忌。飢饉の年も、戦争の年も、報恩講、御遠忌を営まれてきた。』
 四衢氏のお話を聞き、参加された方は、それぞれ、宗祖親鸞聖人に遇い、本当に自分を生きていきたいという願いに気づき、道を歩まれることでしょう。
750回御遠忌が、ひとり、ひとりが、宗祖親鸞聖人に出遇われる御遠忌となることをねがいます。
 四衢先生、遠路ありがとうございました。

トップへ戻る