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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
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高田別院報恩講参拝【報告】

10月10日(土)、11日(日)と、上越にある高田別院の報恩講がお勤まりになりました。

高田別院報恩講の詳しい日程はこちら!

今回、海岸輪番と列座4人、米山久雄氏と西村駐在の7人で計画し、11日(日)の結願日中に参拝させていただきました。

移動中のようす ※関﨑列座は自家用車で移動

8時半に三条を出発し、10時頃、高田別院到着!

高田別院の報恩講は「身動きとれぬ程のお多屋参り」と言われ、参詣者で賑いをみせた報恩講は古くから”おたや”と呼ばれ、親しまれてきたそうです(高田別院年中行事のページ)。今年は新型コロナウイルス感染症のため、残念ながら例年通りの日程ではありませんでしたが、手指消毒、マスク着用など感染対策を十分にされての厳修でありました。

その後、昼食を経て、折角上越まで来たということで、上越の聖人御旧跡をいくつかお参りさせていただきました。

午後一でお伺いしたのは、上越市国府にある真宗大谷派光源寺です。

上野山 国府 光源寺

光源寺は、親鸞聖人のお弟子の覚円坊最信が建暦元年に開いたとされるお寺です。本堂には親鸞聖人が流罪赦免の際に描いたとされる「流罪勅免御満悦御真影」が安置されており、以前は高田別院の支院として国府影堂または国府御坊と呼ばれていたそうです。その後、国府支院と光源寺を一つに併せて今日に至っておられるそうですが、一宇の中に御影堂と本堂とを併設されている様式で、全国的にも非常に珍しいお寺であります。当時の流人標札や蓮如上人直筆の浄土文類聚鈔、親鸞聖人・恵信尼公連座の名号など、聖人ゆかりの貴重な法宝物をお見せいただきました。またご住職のお話の中では、親鸞聖人には「群生海」「一乗海」など、「海」という言葉の用例が多く見られますが、それは流罪の地である越後の日本海、居多ヶ浜(こたがはま)のイメージが色濃く反映しているものであろうということでした。

続いて向かったところは居多ヶ浜記念堂です。

居多ヶ浜記念堂

こちらは「親鸞聖人座像」が安置されている八角形の見真堂です。

親鸞聖人は木浦(糸魚川市能生)から舟に乗り、居多ヶ浜に上陸されました。高台には「親鸞聖人御上陸之地」の石碑が、近くの広場には親鸞聖人と性信房・西仏房の御供二人を描いた「親鸞聖人上陸の地」のレリーフなどがあります。

「もしわれ配所におもむかずは 何によりてか辺鄙の群類を化せん これ猶師教の恩致なり」と刻まれた「親鸞聖人御上陸之地」の石碑

親鸞聖人と性信房・西仏房の御供二人を描いた「親鸞聖人上陸の地」のレリーフ

高台から奥に進むと居多ヶ浜記念堂と見真堂が建てられています。見真堂の横には、越後の七不思議のひとつとしても知られている「片葉の葦」が生息しています。

見事に片葉です!

記念堂の前には上越市出身の真宗学者・金子大榮師の書いた「念仏発祥之地」の石碑が立っていました。

続いて、居多ヶ浜からほど近いところにある、竹之内草庵に向かいました。

竹之内草庵。右の柱には「親鸞聖人御配所草庵」と書かれています。

居多ケ浜に上陸後、親鸞聖人が約1年を過ごしたのが、五智国分寺の境内地内にある竹之内草庵といわれています。 しかし、現在の国分寺は上杉謙信公が永禄5(1562)年に再興したものといわれ、親鸞聖人が配所された頃の国分寺の場所は未だ不明です。市の指定文化財である山門には天保6(1835)年作の仁王像が構え、そこを抜けると正面にまだ新しい本堂があります。本堂の右隣に立つ竹之内草庵には、内部に親鸞聖人坐像(上越市指定文化財)が安置されています。これは聖人が罪を許され関東へ旅立つ際に、別れを惜しむ門信徒のため、五智国分寺裏にある鏡ヶ池に自身の姿を映しながら彫ったものといわれているようです。

御遠忌800年記念の「親鸞聖人腰掛石」。

腰掛石を堪能!柔らかな座り心地でした。

続いて、最後に向かったところは妙高市にある新井別院です。

屋根横の大紋が美しい。

新井別院は、貞享2(1685)年、本願寺第16代一如上人により、末寺を改めて掛所に充て、上越地方末寺を管理せしめたのが濫觴であるとのことです。創設以来二度の風水害と三度の火災に遭遇しながらも、その度毎に復興を成し遂げられてきました。本堂は十八間四面ととても大きいです。

「流失した御坊の大梵鐘」

本堂外陣左手には重さ約800kgの梵鐘が置かれていました。これは延享4(1747)年8月の矢代川洪水で流失し、行方不明となっていたもので、「流失した御坊の大梵鐘」として知られているようです。平成17(2005)年に新井別院からおよそ500m程離れた土木建設現場の土中から発見され、建設会社が寄贈し、260年ぶりに新井別院へ戻されたものとのことです。また、現在ある鐘楼堂は文政4(1821)年に建立され、以降二度火災があった中で逃れた唯一の江戸期の建造物、そして梵鐘は寛政4(1792)年の鋳造で太平洋戦争に供出をまぬがれた頚南地区唯一の梵鐘だそうです。

他にも、堂内に納骨堂が併設されている食堂(元仮御堂)や御庫裡など、職員の方に丁寧に諸殿拝観していただきました。

ちなみに、新井別院の報恩講は今年は11月2日(月)、3日(火・祝)の二日間で厳修されるようです。例年は11月1日から4日までの日程でしたが、新型コロナウイルス感染症によって日程を縮小されるようです。

これから三条別院でも11月5日(木)から8日(日)までお取り越し報恩講がお勤まりになりますが、新型コロナウイルス感染症の対策のため、様々なところで例年通り行えないこともあるでしょう。しかし、どのような形であれ、親鸞聖人の御遺徳を偲び、真宗念仏の道に出遇っていこうとする人々が、各地にいるのです。蓮如上人の「毎年不闕」の御文に述べられているように、毎年欠かさず報恩講が厳修され、真宗門徒お一人おひとりの良き御縁となることが願われます。

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