どんな日も、どんな時代も、そばにある。

三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

三条別院に想う

震災と別院
東護 琢史 氏(第19組 改觀寺住職)

▲今回は、毎年雑巾講で縫った雑巾を別院のために寄付していただいている第19組改觀寺御住職から執筆いただきました。


三条別院に初めてお伺いしたのは平成11年得度考査の時であったように思う。

自坊で練習し意気揚々(?)と乗り込んでいったものの、撥の扱いを教えてもらっておらず打鏧直後に撥を鏧におさめてしまうという失態を犯したにも関わらず、無事お墨付きをいただいた。その後は、児連や青少年の活動でお邪魔することが多くなったが何よりも印象的なのは数多くの災害対策であったように思う。

始まりは平成16年7月13日に発生した、新潟・福島豪雨による災害対応だった、各地から参集したボランティアの方々が三条別院を基地として対応にあたり、私自身も掃除や片づけに参加させてもらった。

同年10月23日に起きたのが中越地震であった。

対応初期にボランティア受け入れや、支援物資の貯蔵仕分け、会議等に三条別院を活用させていただいた。

朝早くに三条別院へ集合、長岡での中継基地となっていた願興寺様まで交通規制により数時間の道程、そこから各被災地でのボランティア活動、別院に戻る頃には日はとっぷりと暮れているなんてことが幾度となくあった。

その後には、平成19年7月16日中越沖での震災、中越地震での対応が未だ続いている中での中越沖地震は自然災害に対抗する我々の無力さをまざまざと見せつけてくれたが、その時も別院は私達を支え続けてくれた。

続いた災害の余韻も過ぎ去った頃に起こったのが平成23年3月11日の東日本大震災であった。

福島原発事故によって太平洋側のルートが分断されたため、再び三条別院が支援物資輸送やボランティアの中継基地として活用された。

私自身は、この時仏青有志の会の会計担当であったため、残念ながら現地での活動ではなく、後方支援として支援物資の購入や確保にホームセンター巡りをしては、別院に物資を届ける日々を悶々と過ごしていたが、各地での支援から戻ってきた青少年活動の仲間から現地の情報をもらい、後方支援の大切さを身にしみて感じることができた。

幾度もの災害の度、三条別院は本堂を含め宗教施設というより倉庫のようなあり様となっていたが、その姿は本来の輝きを失うどころか、その輝きは普段にもまして弥陀の摂取不捨の光に満ちていたように思えてならなかった。

苦しむ人には手を差し伸べる存在が必ず現れるということ、それを支える教えがあるということ、これからもその灯は決して絶やしてはならない。その拠り所として三条別院があり続けていられるよう、微力ながら尽力していければと思う。

合 掌

東護 琢史 氏(第19組 改觀寺住職)


○次回の「三条別院に想う」は、

 草間朋哉 氏(第12組勝覚寺)

よりご執筆いただきます。

▲次回は5月21日に開催されたTERAJAMの実行委員の草間氏に執筆いただきます。

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