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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
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ブログ 三条別院に想う

新潟県第一号感染者の葬儀を執行して
(『親鸞NOW』31号掲載 第21組 超願寺住職 富沢慶栄 氏)

こちらの記事は、新潟親鸞学会(令和3年2月1日)発行、『親鸞NOW』31号に掲載の、富沢慶栄氏(第21組超願寺住職)の記事を抜粋したものです。これまで別院だよりの「別院に想う」では、新型ウイルス特別編を昨年の4月から、実際にそこに暮らす人々の言葉を聞いて、何が起こっているのか判断する一つの資料になればと継続してまいりました。今回別院だより6月号の「別院に想う」にて、超願寺当院の富沢栄昌氏に執筆いただいた折に、『親鸞NOW』の該当記事について触れられており、別院としても是非広く周知したいとお話したところ快諾いただきましたので、抜粋させていただきました。


12月6日午前8時15分(仮称以下)A氏の母親が息をひきとった。享年96才だった。新潟県における新型コロナウイルス感染者の葬儀としては最初のケースなので、参考までにその経過を報告したい。
総じて言えば、今回の葬儀は予想に反し、感染者の葬儀とは思えぬほど、通常のそれとほとんど変わらぬ内容だった。というのも故人が生前に帰敬式を受けていたことによる。

11月16日ケアポート砂山で、70~90代の男女29人と施設の30代女性職員1名のクラスターが発生した。今春から入所のA氏の母親も感染した。
寺への一報は11月18日。「39度台の熱があり、かかりつけの病院に入院している」と、週に一度は寺の晨朝に参拝されるA氏から電話があった。その後、微熱に下がったと聞いて安心していたところ、11月28日の晨朝で、「医師から『高齢でECMO(エクモ)等の処置は身体がもたない』と言われ、自分としても、これ以上母を苦しませたくないので、『延命治療は不要』と伝えました。数日後には葬儀をお願いすることになります」と予告された。
これまで拙寺では2回、「あわや感染葬儀か!」というケースがあったが、PCR検査の結果陰性で免れた。今度はそうはいかない。今春、寺内で感染者の葬儀について検討はしてみたものの、結論はケースバイケースとなった。

訃報は12月6日(日)昼前。「遺体が2時過ぎには式場へくるので、枕経をお願いします」とのことだった。
のちにA氏から聞いた話では、「6日朝、病院からの呼び出しを受けて駆けつけた。病院ではガラス越しに母親と対面。遺体は看護師によって消毒のうえ納体袋に収められる。それを防護服を着た葬儀社員が迎えに来て搬送し、式場内の安置室へ仮安置した」とのこと。「最期、死顔にも会えず、火葬にも立ちあえず、お骨だけを渡された」故志村けん氏の非人道的ケースを踏まえた病院や葬儀社側の親身な配慮がうかがえる。
午後2時半に寺から役僧が枕経に伺う。安置室には喪主夫妻と担当職員だけで、故人は納体袋のままお棺に納められており、その前で枕経を執行する。その後、葬儀の日程を、7日午後8時から通夜、8日午前10時開式11時終了と打ち合わせる。そのおり喪主から亡母が20年前に帰敬式で受けた法名紙を手渡される。

「よかった!!」

感染者の葬儀について検討したとき、断念せざるを得ないと思われた所作のひとつが、おカミソリ(帰敬式)だった。さっそく私は入棺文と位牌を書き上げた。しかし、入棺文は果たして棺の中に納められるのか?棺が密封してあれば不可能だ。どこかで入れるチャンスはあるか?
なぜ入棺文(棺書)にこだわるか、それは破地獄文といわれ、故人が地獄に堕ちることの無いように、故人に持たせる言わば浄土行のパスポートだからだ。

さて、翌7日午前8時、寺のお朝事に喪主A氏が参拝に来られ、その後葬儀全般について打ち合わせる。
A氏は、「感染防止のため、お骨にしたうえで葬儀を営みたい」という。そして「青山斎場(火葬場)では本日の営業終了後、5時半から特別に火葬するとのことなので、出棺前に式場で、私達はお棺に花入れするつもりです。そのとき帰敬式で戴いた肩衣・勤行本・数珠なども入れてあげたいが、如何でしょうか?」と。
「とてもいい心がけですね!そのとき、この入棺文も枕辺に差し入れてください」案ずるより産むが易しとはこのことか。入棺文の件は杞憂におわった。
「それからお棺の蓋をしたあと、お棺全体をこの棺掛七條で覆って、そのまま火葬にして下さい」と伝えた。敬虔なA氏の、その母親の葬儀なので、寺としても特別対応をすることとした。

できれば火葬場の炉前で最期を見届け、収骨もしたかったに違いないが、主人・妻・娘ら家族たちは会社・保育園・病院と、夫々の職場の厳しい感染対策に遠慮し、一人として火葬場へ行くことはできなかった。代わって葬儀社社員が出かけ収骨もして、午後7時過ぎに遺骨が式場へ到着する。

通夜で午後7時40分、役僧と式場へ行く。入口で手指の消毒と体温チェックを受け控室へ。8時通夜開式、参列者は喪主ほか4名。喪主も正信偈を詠めるので草四句目下で勤める。
法話は、あらかじめコピーしてきた『末燈鈔』第六通目のプリントを全員に配布。話しの冒頭、春彼岸に寺内全員にマイ体温計を配り、以来、朝晩検温して記録に残し体調管理に勤めていること。ここへ来る前にも検温したので、マスクを外して読経・法話をさせてもらう旨了解をもとめ、話し始める。
今回法話の要点は二つ。第一には死の縁無量。
「みなさんはお母さんがコロナで亡くなったと思っておられるでしょう。けれども親鸞さまは『生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう』と申されている。生の種(原因)をまけば、死という結果は必然すると、お釈迦さまが詳しく説いておられるように、ウイルスは縁(複合的条件の一つ)であって原因ではない、と言われるのです」(略)
第二の要点は、「『愚痴無智のひともおわりもめでたく候え』と親鸞さまは臨終にあたって『めでたい』と申されている」(途中略)「お母様の門出にあたり、私も『極楽往生おめでとうございました』とお祝い申し上げたい」と結んだ。
身内だけの通夜で喪主の挨拶もない。通夜ふる舞いの代わりに弁当をいただいて帰寺した。
通常ならば、式場の葬儀壇前に棺がある代わりに壇上の遺影前に骨箱がある外は、なんの違いもない。
そのまま、翌日の葬儀式の式次第も、礼参も、全く通常のかたちで執行することができた。
ただ、念のため貸し出した御本尊は消毒し、葬儀に関わった私どもは、一層体調管理に努め、二週間は不要不急の外出を自粛している。
(12月20日 記)

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