2019年10月4日
廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く -「第二章」-
うっかり投稿が遅れました。影分身の術が使いたい今日この頃なのです。
廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く、第14回目です。8月28日(水)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、『歎異抄』をテーマに、序文から順にご法話を頂いています。今回は三条教区19組明誓寺(新潟市南区庄瀬)の田澤友生氏に、『歎異抄』「第二章」を主題にご法話頂きました。
【本文】
一 おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にも、ゆゆしき学生たちおおく座せられてそうろうなれば、かのひとにもあいたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々
【私訳】
あなたがた一人一人が、はるばる長い道のりを、大切な身体と生命を危険にさらしてまで、たずね求めてこられた志は、真実の生活が実現する道理を体得したいということにある。しかし、念仏以外に真実の生活が実現する道理を知っているとか、経典等を知っているのだろうとお考えならば、根本的な間違いである。もしそういうことなら、奈良や比叡山にはすぐれた学僧たちがたくさんおられるのだから、そういう方々にでもお会いになって、真実への目覚めがどのように実現されるかをよくよくお尋ねになるがよい。この私《親鸞》においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信ずるのみである。念仏は、本当に浄土という世界へいくための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。もしかりに、法然上人にだまされて念仏して地獄に堕ちたとしても、決して後悔はしない。というのは、念仏以外のさまざまな努力を積みかさねることによって、仏になることのできる身が、念仏という行為で地獄へ堕ちたのならば、「だまされた」という後悔もあるであろう。しかし本来、どのような努力によっても、仏になることのできない身であるから、どうもがいても地獄は私の必然的な居場所なのである。弥陀の本願が真実であるならば、釈尊の教えが嘘であるはずがない。また、釈尊の教えが真実であるならば、善導の解釈も虚構であろうはずがない。また、善導の解釈が本当であるならば、法然の言葉が虚しいはずがあろうか。また、法然の言葉が本当であるならば、私《親鸞》がお話する趣旨も、また無内容ではないといえるのではなかろうか。要するに、我が信心はこのようなものである。このうえは、念仏を信じようとも、また捨てようとも、あなた方ひとりひとりが決断することである。
○今回、講師の田澤氏より『歎異抄』「第二章」の語句の意味、あらすじ、要旨などをまとめていただきました。
下記に掲載。
『歎異抄』「第二章」
・『歎異抄』の第二章は、内容を大きく三段に分けることができる。
≪一段 衆生の志願≫
「おのおの十余ヶ国のさかいをこえて~往生の要(よう)きかるべきなり。」
≪二段 ただ念仏す≫
「親鸞におきては、ただ念仏して~とても地獄は一定すみかぞかし。」
≪三段 本願念仏の伝統≫
「弥陀の本願まことにおわしまさば~面々の御はからひなりと、云々。」
【語句の意味】
〈一段 衆生の志願〉
十余ヶ国・・・関東の弟子たちが親鸞聖人を訪ねるさいに通った国々。常(ひ)陸(たち)・下総(しもうさ)・武(む)蔵(さし)・相(さが)模(み)・伊豆(いず)・駿(する)河(が)・遠(とおと)江(うみ)・三(み)河(かわ)・尾(お)張(わり)・伊勢(いせ)・近(おう)江(み)・山城(やましろ)の国々を指す。常陸から山城までは歩いて1ヶ月かかったとされている。
身命をかえりみずして・・・命がけで。命よりも大切なことがあることを示す言葉。
法文・・・経典やその注釈書。
こころにくい・・・疑わしい。どうも怪しい。
南都北嶺・・・奈良や比叡山の方々。奈良は奈良の興福寺・東大寺などを指し、北嶺は比叡山延暦寺・三井寺などを指す。
極楽・・・阿弥陀仏の本願成就の浄土。生きとし生けるすべてのものの生命を貫通する、至(し)奥(おう)の志願であるとされている。
〈二段 ただ念仏す〉
ただ念仏・・・阿弥陀仏の本願が選び取られた一切衆生平等往生の行。念仏以外の一切の行を廃して専ら念仏一行を修すること。専修念仏を指す。
よきひと・・・ここでは法然上人を表す。諸仏・善知識とも言う。諸仏とはすでに阿弥陀仏の本願に目覚め、念仏申して阿弥陀仏の不可思議なるはたらきをほめたたえている人。それによって本願のいわれを衆生に説き聞かせ、念仏の道を歩む機縁を開いてくださる方。
かぶりて・・・こうむって。受けて。よき人の教えを全身・全生活で受けたことを示す。
別の子細・・・特別な理由。
浄土・・・阿弥陀仏の本願によって建立された清浄なる国土。
地獄・・・罪悪を犯した者がそのむくいとして感ずる苦しみの最も激しい世界。三(さん)悪(まく)道(どう)の一つで餓鬼・畜生とともに迷いの世界をあらわす。
法然聖人・・・親鸞聖人の師。如来の選択本願の行としての称名念仏の一行を明らかにし、浄土宗を独立させた。
さらに・・・ず。決して・・・ではない。まったく・・・ではない。
自余の行・・・念仏以外の行。
とても・・・いずれにしても。どうしても。
一(いち)定(じょう)・・・唯一定まった。決定的な。疑いのない。
〈三段 本願念仏の伝統〉
釈尊・・・釈迦牟尼世尊の略で、釈迦族より誕生した仏陀に対する尊称。教主としての諸仏としての代表とされる仏。教主・阿弥陀仏の本願に目覚め、一切衆生が仏に成る教えを世に示した。釈尊の聖教とは、釈尊が阿弥陀仏の本願を説いた『浄土三部経』を示す。
仏説・・・釈尊の説法・説教。
善導・・・中国浄土教における称名念仏の大成者。当時中国の仏教界において、それまでの諸師による『観無量寿経』の解釈を批判して仏の真意を明らかにし、その主著『観経四(し)帖(じょう)疏(しょ)』において称名念仏一行を廃(はい)立(りゅう)し、凡夫のための仏教を明らかにした。
善導の御釈・・・『観経四帖疏』に示された二種深信を指す。
そらごと(=虚言)・・・うそ、いつわり。
栓ずるところ・・・つまるところ。結局。所詮。
愚身の信心・・・無明煩悩の身に開かれた真実の信心。
面々の御はからい・・・弟子たちに阿弥陀仏の本願と向き合い、自ら決断することを促す言葉。
【あらすじ】
『歎異抄』第二章には、親鸞聖人が念仏を信ずるに至るまでの経緯が示されている。
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
ここには、親鸞聖人が法然上人と出会ったからこそ、浄土の教えに入り、伝えることとなったと示されている。そしてそこには三つの出会いがある。
・本願の真実に生き、本願の真実を教え示している教主としての法然上人との出会い。
・法然上人を生み出し、十方の衆生の救いを誓う救い主としての阿弥陀仏との出会い。
・いずれの行も及びがたき地獄一定の、煩悩具足の凡夫としての我が身との出会い。
浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人の縁について書かれているのが『歎異抄』第二章であると言えるだろう。今こそ、伝わった御縁に感謝しつつ読んでいきたいと考える。
【要旨】
『歎異抄』第二章は、関東の地で親鸞聖人と出会った人々が京都に住んでいる親鸞聖人のもとを訪ねる物語となっています。人々は親鸞聖人と生活する中で念仏の教えを受け、そして出会ってきました。しかし浄土真宗のほかにも新しい教えが多く生み出された鎌倉時代、自分たちの出会った教えが果たして正しいものであるのかどうか苦悩します。そうした現代社会にも通じる内容となっているのが、『歎異抄』第二章ということができるでしょう。
『歎異抄』第二章は、文字通り『歎異抄』第一章の内容を受け継いだものとなっています。どのような方々も平等に救われることを説いた親鸞聖人。そのためには「ただ念仏する」ということを繰り返し説かれていました。
平安時代までの仏教は天皇や貴族が中心であり、地位が高い人を中心に伝えられた教えでした。それが鎌倉時代に入ってから、庶民にも分かりやすいさまざまな仏教の宗派が誕生することになります。当時は度重なる戦乱に巻き込まれ簡単に命を落とす庶民も多く、また天変地異などによって作物がうまく育たず、時には生まれた子供を殺してしまうなどということもあったとされています。そんな絶望の中で、何かにすがりたいと思ってしまうのは人間として当然の気持ちであると言えるでしょう。その中で生み出されたのが念仏を中心とした浄土真宗の教えです。
浄土真宗は南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば極楽浄土に行けるといった教えであり、読み書きもできず自分の名前さえ書けない庶民にとっても念仏を唱えるだけで良い。その点で親鸞聖人の教えは非常に分かりやすいものであったということが言えるでしょう。
ですが、そうした動きに厳しい目が注がれていたのも事実です。後鳥羽上皇によって法然上人・親鸞聖人ら7人が流罪となった事件がありました。南都北嶺の寺院から批判を受けていたこともあり、専修念仏の教えは苦難にさらされることとなりました。そのため親鸞聖人も、庶民の方々に眼差しを向けて教えを開いていきました。
そんな中、親鸞聖人の息子である善鸞は「私はある夜中、父から秘密の法文を授かった。これを聞かないと、絶対極楽には行けない。」と言い専修賢善の教えを説きました。一方で、「往生のため」としてあえて悪いことをするという造悪無碍の動きも出てくるようになりました。また鎌倉時代には日蓮上人を中心に、「念仏無間」といって南無阿弥陀仏と称えると地獄に落ちるという考えも存在していました。
ですから関東で親鸞聖人の教えを聞いていた人々は動揺し、どうすれば極楽に往生できるのか悩み途方に暮れていました。そんな中、京都で親鸞聖人から直に教えを聞こうという人々が出てきました。そして、徒歩で一ヶ月もかけてはるばる親鸞聖人のもとを訪ねることになります。
しかし、親鸞聖人は弟子たちに自らが伝えた念仏の教えを強制することはありませんでした。これは弟子たちを冷たく見放したわけではなく、どのようなときでも人々を受け入れていくという愛情が感じ取れます。決して他の教えと比べることもなく、念仏の教えを通じて出会った人々を互いに信頼と尊敬の念をもって「御同朋、御同行」と言って大切にされていました。
しかしその一方で、「唯除五逆 誹謗正法」という言葉も親鸞聖人は残しています。これは、「ただし、五逆を犯すものと謗法のものとは除かれる」という意味で、『仏説無量寿経』の第十八願に記されています。また、『観無量寿経』においては下品下生という言葉のもと、五逆・十悪の凡夫の十念往生との会通も行ってきました。これは、一見すると例外を設けるといった冷たい態度に見えるかもしれません。しかし、この「唯除」は人々に問いかける言葉であり、回心させて、あらゆるものを往生させようとする意味がこめられていました。なお五逆とは
- 殺(せっ)父(ぷ)。父を殺すこと。
- 殺(せつ)母(も)。母を殺すこと。
- 殺(せつ)阿(あ)羅(ら)漢(かん)。阿羅漢(聖者)を殺すこと。
- 出(しゅつ)仏(ぶつ)身(しん)血(けつ)。仏の身体を傷つけて出血させること。
- 破(は)和(わ)合(ごう)僧(そう)。教団の和合一致を破壊し、分裂させること。
の5つになります。
そして謗法とは仏の教えをそしり、正しい真理をないがしろにすることとなっています。
ですが、私たちの中で仏様の教えを謗ることなく聞くことができる方はどれだけいらっしゃるでしょうか。今回の講義の後の座談会でもそのことが議題になりました。
前述したとおり、「唯除」は決して人々を分断するような言葉ではありません。教えが本当に正しいものなのか、そう言って時には疑いのまなざしを向ける人々に親鸞聖人が投げかけた一節であるということができるでしょう。
前述した五逆・誹謗正法も、決して他人事の話ではありません。私自身、両親に反抗していた時期もありますし、浄土真宗の教えを信じたところでどんないいことがあるのか・・・。そのように思っていた時期もありました。今でこそ、真宗大谷派の僧侶として法務に携わらせていただいていますが、親鸞聖人の教えに御利益があると考えているわけではありません。
しかし、だからといって念仏や浄土真宗の教えに意味がないというのは当たらないと思います。親鸞聖人も決して自分だけで念仏の教えを開いたわけではなく、そこに至るまでには法然上人や善導大師そして阿弥陀様といった数多くの繋がりがあるということを言われていました。ですから弟子たちが教えと出会ったことも本当にありがたいことであり、かけがえのない尊い繋がりであることを親鸞聖人は言っていたように思います。その尊い繋がりを決して捨てないでほしい、親鸞聖人はそう訴えかけました。いかに優れた教えであっても、人々を結ぶはたらきがあってはじめて生きたものとなることを表しているのではないかと思います。
いつでも確かにそこにある、万人に開かれた繋がりであるのが念仏の教えであり、浄土真宗の持つ光です。それは決して高度に経済が発展した現代社会においても変わることはありません。何十億人という人々が住むこの地球。その中でここに生まれ、念仏と出会いそして繋がっている。一見厳しい内容とも取れる『歎異抄』第二章は、尊さを伝え、私たちを照らす大きな光ではないか・・・。今回のご命日の法話を通じて私はそのように感じました。
9月28日(土)の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第三章」をテーマに第20組光圓寺(新潟市江南区沢海)の村手淳史氏よりお話頂きました!鋭意執筆中です!!
その次は10月28日(月)、『歎異抄』「第三章」をテーマに第17組淨福寺(新潟市西蒲区)の八田裕治氏よりお話頂く予定です。どうぞお誘い合わせてお参りください。