歴史・沿革
三条別院は今から遡ること300年以上前、元禄3年(1690年)に三条の地に創立されました。越後の門徒たちの総力により、寺院の主要な七つの建物である「七堂伽藍(しちどうがらん)」を完備。「北陸で随一の寺院」と称されました。建物は二度の大火に見舞われて焼失しますが、その都度、越後と佐渡の門徒の力によって再建されてきました。
南は柏崎市から北は村上市に至るまで、450におよぶ寺院とその門徒の中心である三条別院。創立時から変わらず、人と地域に開かれた寺院として歩みを続けています。
西暦 | 内容 |
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1690年8月 (元禄3年) |
東本願寺三条掛所創設、浄円寺御堂が仮本堂となる |
1691年7月 (元禄4年) |
三条掛所輪番に長覚寺噫慶来任 |
1701年5月 (元禄14年) |
東本願寺三条掛所本堂の普請が始まる |
1703年8月 (元禄16年) |
東本願寺三条掛所本堂完成 入仏式、東本願寺高田掛所創設 米山以北(米北)三条掛所管理となる |
1828年11月12日 (文政11年) |
三条大地震三条掛所建物全壊そのうえ類焼し残るものなし |
1839年6月 (天保10年) |
三条掛所再建始まる |
1842年9月25日 (天保13年) |
三条掛所本堂完成上棟式 |
1842年9月 (天保13年) |
天保倹約令三条掛所鐘撞堂の金具が華美の為、撤去される |
1845年8月 (弘化2年) |
三条掛所の撞鐘を時の鐘として使用することを許される |
1866年3月21日 (慶應2年) |
越後三条御坊・宗祖600回御遠忌(~28日迄) |
1870年4月14日 (明治3年) |
現如一行・北海道への通行を柏崎県はじめ東北諸県で妨げられるも三条下向 |
1878年5月26日 (明治11年) |
越後国松山・曽根・脇之町の3支校を廃し、米北小教校へ合併する |
1878年9月21日 (明治11年) |
明治天皇北陸御巡幸三条掛所に宿泊 |
1879年5月 (明治13年) |
三条大火、三条別院内に臨時事務取扱所開設 |
1886年6月15日 (明治19年) |
全国17か所(三条も含む)に相続講事務取扱所設置を決定 |
1888年9月27日 (明治21年) |
宗制寺法を改定し、別院ならびに別格別院支院を末寺に加える。大梵鐘完成(戦争中に供出) |
1896年6月5日 (明治29年) |
真宗中学条例を定め、三条の他12カ所に真宗中学を設置。経費は本山 |
1896年8月25日 (明治29年) |
各地真宗中学名称を定め、三条は真宗米北中学となる |
1897年12月22日 (明治30年) |
三条に教務所を設置 |
1899年5月4日 (明治32年) |
真宗中学条例制定(全国の真宗中学を京都および東京真宗中学に統合) |
1900年 (明治33年) |
三条別院本堂再建起工式 |
1906年6月24日 (明治39年) |
三条別院本堂上棟式 |
1908年7月3日 (明治41年) |
三条別院落慶入仏式 |
1914年6月23日 (大正3年) |
三条別院で宗祖御遠忌勤修(~7日) |
1921年2月7日 (大正10年) |
松葉幼稚園開設 |
1923年10月25日 (大正12年) |
明治18年来の32の地方教務所を廃し、三条他8地方寺務所を新設 |
1934年 (昭和9年) |
三条教区南学場夏期講習会 昭和9年より昭和18年まで毎年開催 |
1962年11月6日 (昭和37年) |
三条別院に大谷会館完成 |
1964年4月18日 (昭和39年) |
三条別院宗祖700回御遠忌 |
1978年4月15日 (昭和53年) |
宗祖御誕生800年立教開宗750年慶讃法要 |
1988年4月 (昭和63年) |
三条別院本堂修復・教区同朋会館建設工事着工 |
1989年3月 (平成元年) |
三条別院本堂修復・教区同朋会館 完成 |
1989年11月 (平成元年) |
三条別院本堂修復・教区同朋会館 落慶法要 |
2023年7月 (令和5年) |
三条・高田教区の改編によって新たに新潟教区が誕生し、三条に新潟教務所を設置 |