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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

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2025-2026三条別院除夜の鐘・修正会

三条別院では今年も除夜の鐘・修正会を行います。新年を三条別院の鐘とお参りで迎えませんか。皆様、お誘い合わせの上お参りください、お待ちしております。

2025年12月31日(水)23時30分受付開始
23時45分、輪番による第1打。引き続き参詣者の除夜の鐘。
深夜0時(2026年1月1日)より本堂にて修正会。
深夜0時30分頃より旧御堂で勤行、輪番による年頭の挨拶。

※22時から旧御堂を待機場所として開放し、仮整理券を配布いたします。また、旧御堂にて暖かい甘酒・ココア・振る舞い酒を用意してお待ちしております。

【法語解説】

宝の山に入りて、手を空しくして帰ることなかれ (源信『往生要集』)  
浄土真宗の宗祖親鸞聖人が尊崇されていた、平安時代中頃の僧で日本浄土教の祖と言われる源信僧都の著『往生要集』の中にあるお言葉で、「宝の山」とは「人間に生まれ,仏さまの教えを聞く機会を得た」ことを示しています。蓮如上人の御文(第三帖第八通)にもこのお言葉を引用されていますが、ただ、多くの人が宝の山である人生を空しく感じ過ごさなければならないのはなぜでしょうか。人や世の中は常に移ろいやすいものです。自身の都合や思いのみで何かを求めて、それを得たとしても、また何か足りないものを感じ求め続けることに空しさを感ぜずにはおれないのではないでしょうか。まず深く自身の身を省みることで、自身が本当は無限の用き(数えきれないほどの人・物・事柄など)によって成り立っているという事実を見つめ直すところから始めてみてはどうでしょうか。そこから、代わることも代わる必要もない人生(宝の山)とあらためて出会うことができるでしょう。

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