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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

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朝の人生講座・夏の御文拝読報告

三条別院では、毎年お盆明けに、本願寺第8代蓮如上人が最晩年に記した『夏の御文』拝読があり、それにあわせて朝の人生講座を開催しています。今年は台風の影響もあり、フェーン現象や温帯低気圧など例年より蒸し暑い中でしたが、8月23日(木)から26日(土)まで勤められました。今年のテーマは「老い」。

24日は細川敏祐貴氏(新潟市西区 護念寺)「老いる子供」(20代僧侶)

湯沢の温泉旅館に生まれ大学でお寺の娘と恋愛結婚して今に至るという経緯や、自身のお父さんが悪性肺気腫という闘病生活の中で自然と仏教を学んでいったこと、お参りしないと気がすまない門徒さんの大学生の話などを交えながら、「老いることが苦しいでのではなくて、昔の自分と今の自分をくらべてしまうことに悩み苦しみが生まれてくる。煩悩は消えることなく、ひとつ消えたと思うとまた新しい煩悩が生まれてくる。そんなとき、どうしたらいいのか、親鸞聖人が教えてくれている」と語られました。

25日は廣瀬清和氏(新発田市 淨念寺)「おもいどおりにならないこと」(30代僧侶)

自分はまだ30代で緊張して、普通は緊張すると聴衆を「じゃがいも」とみるが、今日は参詣者がかなり年上で自分をみまもってくれる「仏さま」に見えるといい、「昔は平井堅とか室伏広治に似ていると言われたが、今ではイタリア人に似ていると言われる」と、自身の変化と老いについても話されました。真宗では自分は罪業は深いものであると自覚し親鸞聖人が最後までまわりの人々を「御同朋」として見ていたこととを話し、「法話のあとの座談会だと本音が語ることが出来ないから、自分はお酒の席が一番好きで、皆さんも飲みすぎにはお気をつけください」とまとめられました。

26日は鷲尾祐子氏(長岡市善行寺)「「老い」にあこがれていたけれど」(40代僧侶)

自身は3人の子どもがいて、自分はささやかな夢で「自分は将来おばあちゃんになりたい」と言っていて、子どもが小さいうちはその夢について子どもたちも嬉しがっていたが、中学生ぐらいになって「お母さんは間違っている。お母さんの夢は子どもに依存している」と指摘され「自分は気軽に言っているが、この子が結婚しない場合があるし、結婚しても子どもに恵まれないこともあるし、同性を愛してしまうこともあるかもしれないし、そういうものを押し付けていた」と気づいたそうです。その他、「老い」をめぐるさまざまなお話がありました。

27日は矢島一樹氏(上越市 福正寺)「五濁悪世の中であえて生きるということ」(50代僧侶)

カンボジアで井戸を掘らないかという話で寄付し、実際に現地を訪れてカンボジアの素晴らしい絹を見た時、「糸を永続的に使うにはどうしたらいいか知っているか?」と聞かれ「何か加工をするのか?」と答えたら「糸を織るんだ。糸は織られないと一人前になれない」と聞いたそうです。中島みゆきの「糸」に言及し「男と女は縦の糸と横の糸であるし、縦の糸は仏教でもあり(スートラ)、必ず人は死ぬけれどそれでもなぜ生きるのかということを考えさせてくれる」と語られました。

本町の中央商店街のコロネットからも、新しい「抹茶クリーム」も登場し、スイカを持参してくれる御門徒などもいて、楽しい4日間になりました。

 

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