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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

三条別院に想う

願いの歴史
本間正紹氏(第23組善照寺)

▲教区改編に伴う教化体制の変更により、従来の青少年二部門は教区の教化体制より独立し、外郭団体として活動する事がきまりました。今回は新潟教区若者仏教会の会長に就任された本間氏より執筆していただきました。


10年ほど前、私は宗務役員として勤め始めまして、初の赴任地は熊本教務所でありました。

現在は九州教区として稼働しておりますこの地域には、大分の四日市別院、長崎の佐世保別院、鹿児島の鹿児島別院、沖縄の東本願寺沖縄別院と4つの別院があり、どれもそれぞれの地域の方々の教化の中心として様々な法要、行事が盛んに行われていたように記憶しております。

 私が赴任しました熊本教区には別院が無く、東本願寺派熊本会館という名称で本堂と、そこに繋がる教務所事務棟がある施設でした。この本堂は別院ではありませんでしたので輪番や列座はおらず、日々のお給仕は私共宗務役員が行っておりました。

 とはいえ、教区報恩講などの法要や行事の折には教区の声明に携わる方々を中心に熱心に準備や荘厳が行われ、恭しく法要が勤まり、教区における1つの中心の地であったことには変わらなかったと思います。

 実はこの熊本会館の本堂は、時期こそ失念いたしましたが(記憶では大正から昭和初期にかけての頃かと…)、「いつか別院の無い熊本に別院を」との熊本の先達方の思いから、資材を集め、建設の助力をし、先達方がご自身達のお力で建立された本堂でした。

建立当時、本山のある京都へ気軽に向かうことはできず、それでもなお真宗の教えをこの「別院」という仏法領に願われた先達方の願いが、私が赴任した当時まで伝わり続けていた、そんな施設であったことを覚えております。

ただ、この熊本会館本堂は、2016年4月に発生しました熊本地震により被災し、倒壊の恐れ有りという診断を受け、現在では完全に取り壊されました。「いつか別院に…」というその願いは、致し方ないながらも途絶える事となってしまいました。

新潟には三条、高田、新井の3つの別院があります。ようやく流行り病も落ち着き、別院へ伺う機会の増えた私は、その意味の大きさをようやく感じてきている最中であります。

別院がそこにある、というのは実は当たり前の事ではなく、その土地土地で真宗の興隆を願われた方々が紡いできたその歴史が、ここに今まさに別院として残っている、という事ではないかと思います。

ここ2年程で、報恩講や御坊市、別院こども奉仕団等々、いくつかの行事に関わらせていただいておりましたが、今後もこの別院やそこに残るご先達方のお心に思いを馳せながら、引き続き様々な形で関わらせていただければと思っております。

【仏青の活動で「煩悩射的」をする本間氏】

本間 正紹 氏(第23組善照寺)


○次回の「三条別院に想う」は、

    石山 早苗 氏

(クラブ・パープル代表、本寺小路元気プロジェクト)

よりご執筆いただきます。

▲次回は参道「本寺小路は今」をテーマに執筆いただきます。

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