三条別院|報恩講

2018年10月22日

【報恩講さんぽ】響き合う、地域で暮らす人々の声。〜行通寺(柏崎市)〜

行通寺

みなさま、ごめんください。三条教区駐在教導の西山です。
2018年9月27日(木)、第10組行通寺の「報恩講引上会」に寄せていただきました。住職の佐々木惠一郎氏は、第10組の同朋の会教導であり、三条教区教化委員会にもお力添えをいただいています。

「忘恩」について、考える

本堂でまず目についたのが教区教化委員会発行の報恩講ポスター。行通寺報恩講の案内が追記されていました

本堂でまず目についたのが教区教化委員会発行の報恩講ポスター。行通寺報恩講の案内が追記されていました

本日の次第は、

という流れです。開会前には佐々木住職より挨拶があり、本日の次第の説明や案内に合わせて、教区教化委員会の取り組みである報恩講ポスターや教化委員会の「報恩講活性化」の願いなどもお話しくださいました。

「正信偈真四句目下」や「念讃五淘」が著された報恩講勤行集が受付に置かれ、同朋唱和の願いを形にされていました

「正信偈真四句目下」や「念讃五淘」が著された報恩講勤行集が受付に置かれ、同朋唱和の願いを形にされていました

この度の今泉氏のご法話で特に印象に残ったのは、「『報恩講』に参拝させていただくことから、私どもの日々の生活が『忘恩』になっていることを改めて教わることです」という言葉でした。私は一旦メモ帳に「忘恩の日々であることを教わるのが報恩講」と記しました。しかし、ふと思い直し「報恩講を勤めて、忘恩の日々であることを教わる」と書き直しました。まず、丁寧にお勤めをするから「教わる」という出来事も起こるのであって、決して教わることを目的としたお勤めではないなと感じたからです。自分の頭や耳がどう受け止めるかで、ご講師のお話はいかようにも解釈されてしまいます。今回は自分で勝手に気づいたことでしたが、本来はみんなで、お互いにどう聞いたかを語り合うことが肝要なのでしょう。蓮如上人の「寄合・談合せよ」「信心の沙汰をせよ」とのお導きの大切さを、また感じさせていただいたことでした。

今泉温資氏のご法話は、「忘恩」がテーマでした

今泉温資氏のご法話は、「忘恩」がテーマでした

その他にも、「仏法を学ぶということは、空しくない人生を教わるということです」とお教えいただきました。この報恩講の場にいさせていただく有難さにも触れられ、「報恩講を通じて、空しくない人生を賜ってきた歴史が、真宗門徒の歴史であります」との確かめをいただきました。

地域の暮らしと共にあるお寺

組内外の御縁のあるお寺から10名以上のご出仕があり、内陣を荘厳されておられました。ご門徒さんからもお勤めの声も堂内に響いていました

組内外の御縁のあるお寺から10名以上のご出仕があり、内陣を荘厳されておられました。ご門徒さんからもお勤めの声も堂内に響いていました

お勤めの後、お斎を待つ休憩の間にご門徒さんと少しお話しする時間があり、畠中光亨氏のイラストを用いた三条教区の「報恩講」ポスターについて「優しい、何かを訴えかけるイラストですね。押し付けでなく、報恩講をお知らせされているところが大変素晴らしいです」という嬉しい感想をいただきました。

壁の右側に掲示されているのが「報恩講」ポスター

壁の右側に掲示されているのが「報恩講」ポスター

本堂横が「行通寺門徒会館」となっており、そちらでお斎をいただきました。ご一緒したご門徒さんの中には30年以上毎年参拝されている方もいらっしゃり、思い出話などを聞かせていただきました。お斎も大変おいしゅうございました。ありがとうございました。

なお、行通寺様ではご門徒のお斎スタッフが編成されています。数年前の世代交代の際は、一人ひとり丁寧に協力を願われたことで、非常にうまく交代できたそうです。

お斎スタッフの皆さん。和気あいあいと楽しそうに調理されておられました

お斎スタッフの皆さん。和気あいあいと楽しそうに調理されておられました

僧侶溜りにも少しお邪魔しました。こちらも和気あいあいとお食事中でした。あるお寺さまから「この風景こそ紹介するべきですよ」と、冗談半分にお勧めをいただきましたので、写真を掲載いたします。

「本当に載せるとは思わなかった!」と怒られそうですが(笑)

「本当に載せるとは思わなかった!」と怒られそうですが(笑)

こちらは本堂脇の「門徒会館」入口。本堂と廊下でつながり、中から移動した時はお庫裡だと思っていました…

こちらは本堂脇の「門徒会館」入口。本堂と廊下でつながり、中から移動した時はお庫裡だと思っていました…

行通寺への通り

最後の写真は行通寺さまの参道から。報恩講の案内版が大通りに面して2枚掲示されていました。道の様子から、市町村合併などの影響で、本通りから離れていかれた様子が感じられました。私の自坊「西勝寺」は、20年くらい前に主要道路が完全に寺の裏側に敷かれ、なんだか背中を向けているような印象のお寺になりました。行通寺も地域の暮らしと共にあるお寺という感じがして、なんとなく親近感を覚えたことでした。