2018年7月31日
【報恩講さんぽ】ご縁のある人々の温もりを感じて。〜寶國寺(長岡市)〜
みなさま、ごめんください。三条教区駐在教導の西山です。
2018年5月15日(火)、第14組寶國寺のお取越し報恩講に寄せていただきました。
「いのち」についての法話
寶國寺では、2日をかけて複数の聞法会を開いています。14日は夜7時から「夜の法話会」。15日は、午前中に「お取越し(報恩講)」、夕方4時から「おとりこしお寺の子供会」、夜には「いのちと食の集い」。法話はすべて三重県の酒井正夫さん。長年来ていただいているとのことでした。
15日午前中の「お取越し(報恩講)」に参加するため、寶國寺へ。参道から見える本堂は、「これより先は仏法領です」と語っているような佇まいでした。通る者の姿勢を改めさせるといいますか、身が引きしまるような気持ちがしました。
9時30分より最初の法話が始まりました。酒井さんのご法話では頻繁に「~のように頂かせて、いただいておる、ということが、ございます」というお言葉をお聞きしました。「いのちはいったい誰のものなのか。私のいのちにはどのような願いが託されているのかを、学ばなければなりません。」とおっしゃる酒井さん。その折々に酒井さんが聞かれた仏法のみ教えを、先程の言葉を用いてくりかえし確かめられつつ、お伝えくださいました。
皆が寄り合う本堂
お勤めの後、酒井さんより後半の法話がありました。前住さまと50年来の付き合いがあったそうで、「互いに励まし、支えられてきました」という思い出を語られていました。
二人の共通の師である信国淳師のお言葉から「『仏心の華の咲く道が すでにしてこの身に与えられている』。この言葉を、おうちに帰ってからまた味わっていただきたい。」とお話しくださいました。
お斎は庫裡に移動することなく、そのまま本堂で、机と椅子を並び替えて会場にされていました。席に座り、ふと周りを見ると、本棚にピアノなど、さまざまなものが置かれています。本堂に皆が寄り合うことが自然に行われている場所になっていることに気づきました。聞法道場としての本堂というのはこういう姿なのだなあと感じました。
本堂裏の墓地には「共命」と刻まれた石碑が。ペット供養墓だそうです。なんと、寺族とご門徒が力を合わせ、基礎から手作りとのことでした。寶國寺にご縁のあるみなさんの温かな人柄が顕われているような佇まいに、親しみを感じずにはいられませんでした。