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三条別院|浄土真宗 真宗大谷派
三条別院|浄土真宗 真宗大谷派

東日本大震災で750回御遠忌が大混乱

安原 晃

真宗大谷派 安淨寺

第2回

インタビュー:横田 孝優

真宗大谷派の要職を歴任してきた安原住職。宗務総長時代、宗祖親鸞聖人の750回御遠忌を約1週間後に控えた準備中に東日本大震災を経験しました。日本列島に未曾有の被害が広がる中、予定通り御遠忌を執り行うのか、それとも中止するのか。当時を振り返ります。

準備期間8年間、1秒ごとに変わる状況

―親鸞聖人の750回御遠忌の年に東日本大震災があり、宗務総長として難しい判断を迫られたと聞きました。

東日本大震災は2011年3月11日。私たちはその前日から、御遠忌の準備のために京都の本山(東本願寺)で全国教務所長会による会議をしていました。14時で終了し、所長さんたちが帰る準備をしているさなか、震災は14時46分頃に発生。かなり大きい地震だなと感じましたが、それからどんどんニュースが入ってきまして、事態の深刻さが分かってきました。それでもまだ御遠忌はやるつもりでした。

12日には御遠忌のオープニングセレモニーを開催する予定になっていました。沖縄からセレモニーに出演される演奏者も来てもらっていましたが、一晩で状況が変わってしまいました。オープニングは中止となりましたが、被災状況に心を痛めた何組かのアーティストのご厚意により、被災者の安否を気遣いながらも、旧総会所にて自主的に演奏を行っていただきました。

御遠忌は8年前の2003年から企画をし、準備を重ねてきました。3月19日からの第一期法要を待つばかりの状態です。本山に本部を作って実務もスタートしていました。そんな中で震災が発生し、北海道と東北の方たちを中心にお参りに行けなくなったという連絡が次々と入ってきました。

震災に荘厳(しょうごん)された御遠忌

―宗派の代表として、どんな判断を下したのですか?

方針転換が決定的になったのが、震災発生3日後の3月14日。鍵役(親鸞聖人の血縁者。真宗本廟<東本願寺>の両堂に奉仕し、儀式について僧侶と門徒の首位にあたる「門首」を補佐する役職)を集めて御遠忌の最終決定をする会議が昼からあったのですが、午前中に式務所の御遠忌の儀式の総責任者である近松譽一さん(大阪教区慧光寺)が来られて、涙を流されました。その時の言葉が今でも忘れられません。

「宗祖親鸞聖人750回御遠忌は、東北地方太平洋沖大地震(まだ東日本大震災と呼ばれていなかった)によって荘厳された御遠忌になりました」とおっしゃったんです。第一期法要は被災者支援の集いにしなければならない。私の心を決定的に変える一言でした。

午後の鍵役会議で説明をして、御遠忌と同じ日程で被災者支援の集いを執り行うことを決めて行動に移りました。16日の午前には本山各部署の部次長で構成される会議がありましたが、8年前から準備してきたものが無になってしまい、みんな泣き出すんですよ。騒然としたので「静かにお願いします」と話して、被災者支援の集いについて伝えました。午後、今度は宗派の最高議決機関である宗会の宗議会議員がそれぞれ所属する各会派の代表者を集めて説明をしました。御遠忌は中止という声も上がりましたが、「被災者支援の集いなら協力しましょう」とご理解をいただき、実現に至りました。

苦情の嵐も、やがて感動の声に変化

―被災者支援の集いはどのような内容だったのでしょうか?

お参りに来られた方たちの参拝後、子どもたちが書いた震災に対する作文を読み上げてもらうことにしました。被災状況についても参拝に来た方たちに伝え、被災地への思いを共有しました。

3月19日から始まったのですが、とにかく寒かった。背中にカイロを入れても足がガタガタと震えました。法要ではないので門首や鍵役といった通常は本堂の内陣でお勤めをされる方々も、参拝者と同じ外陣からお勤めをしました。お参りに来た方はその様子を見て「感動した」と話していました。

一方で、多数の苦情の電話もかかってきました。本山の応接室に8人の担当者と4台の電話を置いて対応。御遠忌の内容を被災者支援の集いに変更したことに対する怒りの電話が来るわけです。23日くらいまでは続いたんですが、それ以降は不思議と収まりました。4台の電話も1台だけ残して撤去しました。

なぜなら、大阪の難波別院が発行する南御堂新聞の臨時号で被災者支援の集いの様子が写真付きで掲載されたそうなんです。苦情はその日を境に「お参りをすればよかった」という声に変わりました。以降は粛々とお勤めをすることができました。

京都宗教記者クラブの記者たちからは「対応が速かった」「見事だった」とお褒めの言葉をいただきました。「安原は地震に強いんだ(新潟県中越地震を経験しているため)」と皮肉も言われましたけどね。

第一期法要が御遠忌として法要ができなかったこと、第二〜三期法要も8年間準備していたことができなかったこと。これらについてはずっと生涯をかけてお詫びをしていきたいと思っています。

「大震災によって荘厳された御遠忌」。そうおっしゃった近松さんは、その年の8月にお亡くなりになりました。被災者支援の集いを勤め上げて逝かれましたね。仏事はすべてが荘厳。この悲しみをともにしながら、これから進むべき道に向かって手を取り合っていきたい。この気持ちをどうやって表すかという時に、近松さんの言葉が導いてくれました。

(続きます)

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