2020年12月7日
2020年お取り越し報恩講報告
【富沢慶栄氏(第21組超願寺住職)法話】
こちらの動画は11月7日の結願逮夜前に、富沢慶栄氏(三条教区第21組 超願寺住職)にお話いただいたものです。是非ご覧ください。また、以下に法話要旨を掲載しています。
※要旨の抜粋は事務局で行いました。
三月の「新潟日報」で新潟市の神社で悪霊退散の祈祷が行われ、新型ウイルスの早期収束を願ったという記事を見て、まるで千年前にタイムスリップしたかのような違和感を覚える。加持祈祷でコロナウイルスを撲滅できるわけはない。しかし恥ずかしながら、「こんな時こそ南無阿弥陀仏だ」と言い切れない自身がいた。親鸞聖人であればこんな時、どのように言われるか改めて考えてみた。蓮如上人は『御文』四帖目第九通にある「疫癘の御文」を記しているが、親鸞聖人は「疫癘」や「はやり病」という言葉を使用されていない。参考になるのは『末燈鈔』の第六通、文応元(一二六〇)年十一月十三日善信八十八歳とある、親鸞聖人最晩年の御消息である。(『真宗聖典』六〇三頁)
「なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候らんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。まず、善信が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。さればこそ、愚痴無智のひともおわりもめでたく候え」
全国で人が飢饉でばたばた亡くなる時代、正嘉の飢饉によって元号が正元にかわるも収束せず、文応に変わる。朝廷は全国の寺院に現世利益のための『金光明経』を読誦するように命じている。また、延暦寺の宗徒たちが慈恵大師の姿(角大師)を一万部木版刷りにして悪霊退散を願ったという記録がある。慈恵大師は源信僧都の師匠で自らも悪魔の形となって悪魔を退散させるという修業をされた方と伝わる。
最晩年の親鸞聖人は、そんな中で、生死無常であるので、生まれたら死ぬことはおどろくことではない。「信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。さればこそ、愚痴無智のひともおわりもめでたく候え」といわれる。このたびこの御消息をあらためて拝読し、私は大変、大きな発見をいただいた。親鸞聖人はご臨終を「めでたい」とおっしゃっている。他にも御消息集には明法房(山伏弁円)が、往生された様子を「かえすがえすうれしうそうろう」「御よろこびにてそうろう」と記し、「ひらつかの入道」の往生を「めでたさ、もうしつくすべくもそうらわず」(『真宗聖典』五六〇頁)という表現されている。
実は私はこの四~五年葬儀・通夜の法話で「おめでとう」ということに挑戦している。新潟親鸞学会会長の廣澤憲隆先生が「通夜は人生学校の卒業式」だとおっしゃっている。ご卒業おめでとうございます、これまでお疲れさまでしたとお伝えしたい。本当に辛い、悲しい、苦しい葬儀においては「めでたいとは何ごとだ」とおしかりを受ける時もある。例えば就職先が決まっていないが卒業式を迎えてしまった時、つらい気持ちがする。つらい卒業式とうきうきした卒業式の違いはどこにあるのか? これは皆さんにぜひお考えいただきたい。その分かれ目は、これから卒業したあとに、光あふれる形が開かれている実感があるかどうか。葬儀では死んだ先の「校長先生」が、お壇の上の真ん中にいらっしゃる。極楽浄土に入学してもらうための式なのだ。昔はお年寄りから、そういう生活あるいは考えを聞いたものであるが、今は無くなってしまった。明治政府の政策以来、学校では宗教の話を説くことができなくなっている。
これは実は感染症にもからんだ話である。十四世紀にヨーロッパをペストが襲い、人口の三分の一から四分の一が亡くなっていく。この時にキリスト教会は人々のいのちを助けることができなかったために一挙に力を失ってしまった。その後、キリスト教以前のギリシア・ローマの人間を中心とする文化を復興しようという「ルネッサンス」の運動が起こってくる。人間中心主義はそういう中で、産業革命と結びつき、近代国家が成立する。その西洋列強と対抗するため、明治政府以来、極楽浄土という世界観を封じ込め、否定しつつ、靖国という考え方を植えつけてきた。その中で改めて、今、極楽浄土を回復していくことが、私にとって緊急の課題ではないか。少し昔までは、人は最期を迎える直前に、住職が呼ばれて説法があり、安心して亡くなっていった。「ご卒業おめでとう。葬儀はお浄土に、光あふれるステージに故人がいかれる式なのだ」とお伝えしたい。自分自身の帰る行方を考えるきっかけをいただくのが、報恩講の大事な意味合いでもあるのでしょう。