2020年12月7日
2020年お取り越し報恩講報告
【報恩講って何だろう?】
三条別院の列座(職員)が自身の担当を中心に、140字程度で報恩講を振り返りました。
報恩講って何だろう?考えてみましょう。
「水に入りて垢おちず」
(『御俗姓』)
信心を得ることがなければ、報恩講にならない。風呂に入って垢が落ちていないようなものだ。ある師曰く「水に入って落ちる垢ならば罪悪深重ではない」。『御俗姓』を改めて読む。「名聞のこころをもって報謝と号す」。私はなぜ報謝しているふりを…? 7日結願逮夜後、御俗姓拝読を終えて、今考える。(斎木)
「知恩の点検」
(池田勇諦)
本年の三条別院お取り越し報恩講では、掛役と助音を務めさせていただき、久しぶりに法要中の後堂での静粛でいて心地よい空気を感じることができた。池田勇諦先生は知恩の点検が報恩講のご縁と言われている。今回は内勤めということもあり法要に臨む自身を問う時間を多く持たせていただいたが、報恩講の円成を経て自身の多くの課題に考えさせられる。(松浦)
「今日は鸞聖人の御明日として」
(『御文』3帖目9通)
何度も練習して気になっていた。命日を明日と書いている。親鸞聖人の御命日を通して何を明らかとするかという問いかけであろうか。私は何のために人として生まれ、何処へ行くのか。蓮如上人は御明日の言葉で方向転換を促している。私の明日はどっちだ。 (廣河)
「そのかごを水につけよ」
(『蓮如上人御一代記聞書』)
籠に水を入れても流れていくように、仏法に出遇っても右耳から入って左耳から出て行くのが私の心である。報恩講はその籠のような私の心を、仏法という水に浸して・・・くれたのだろうか?仏法に浸りたいとも思わない撥水加工された籠がここにいる。後片付け後、御浚えの御文を拝読して。(小原)
「Like a Rolling Stone」
(ボブ・ディラン)
あるのになかったことにしたり
前のめりですってんころりの
ライクアローリングストーン
ハウダズイットフィール?
「原点に帰って未来を開く」だ
三条別院の本堂に座って思った
(関﨑)
「師主知識の恩徳もほねをくだきても謝すべし」
(『正像末和讃』)
皆様とお勤めをしていく中で、自らも願われている身であることを自覚することが大切だと考えさせられた報恩講だった。私自身、自分の思い・はからいでどうにかなると考えている者であることを忘れず、教えの言葉を聞いていきたい。(田澤)