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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派

行事報告
NEWS

2018年6月15日

最新情報

御坊市 開催!

6月23日(土)24日(日)に御坊市を開催いたします。

物品・飲食の販売だけでなく、教区内僧侶による法話コーナー「説教部屋」等々お寺ならではの企画もございます。

是非、お誘いあわせのうえお越しください。

御坊市2018フライヤー_0419

なお、フライヤー内に掲載している「子どもフリーマーケット」につきましては、出店者が集まらず中止となりましたのでご承知おきください。

2018年6月7日

お知らせ 最新情報

門柱、立つ!

三条別院駐車場等整備工事が、株式会社加賀田組施工の下、順調に進んでいます。

6月4日に株式会社吉運堂の全面寄付(施工含む)で、白御影石の新しい門柱が立ちました!今後はスライド門扉が設置され、大型バスが東門から念仏小路へと境内地を通り抜け可能となります。

6月になり、別院の職員が非常勤列座が2人増えましたので、新しい正門の前で記念撮影。

門柱を澄んだ眼差しで見上げる、新しい職員の廣河(左)と小原(右)。大きい!

旧松葉幼稚園舎跡地のアスファルト舗装がはじまりました。

冒頭の別院職員の集合写真は教務所のAMAKO(右端)が撮影。

工事はあと少し続きますが、参詣される皆様が便利に使え、また、地域の防災に有益となるように計画されております。いましばらくお待ちください。

2018年6月5日

お取り越し報恩講 最新情報

お取り越し報恩講の「お斎会議」がはじまる!

 

「野菜の天ぷらといえば、三条中央商店街だ!」

さてさて、冒頭から勝手なスローガンを掲げましたが、2018年のお取り越し報恩講のお斎では、従来より外注していた天ぷらを、昨年からお取り越し報恩講活性化プロジェクトで協力していただいている三条市本町の中央商店街のベジテーブルにお願いする計画があり、6月5日に試食会を行いました!

波乱の会議の一部を報告します。

ホウレンソウを使用したかき揚げなど、あまりであったことのないこの天ぷらは、お取り越しの新たな魅力になるはず!

本町の野菜を中心とした人気店「ベジテーブル」の白鳥さん。この不敵な笑みは、何を意味しているのか!

さつもまいも、ししとう、そしてホウレンソウと玉ねぎのかき揚げ!これは、めずらしいですね。

輪番が試食。うまい…!

教区会副議長の堀川氏も試食。うまい…!

報恩講実行委員会参拝部主査の広瀬氏と報恩講実行委員会座長・教化部会主査の安原氏も試食。様々な肩書の方々が…!

社会広報部会等で活躍する小林氏も試食。向こう側には幼稚園の調理の職員も。

思わずカメラ目線の職員。お勝手担当の方々です。

意図的にカメラ目線の列座。う、う、うまい…!

三条中央商店街との協力も2年目で、さまざまな動きがじわじわとはじまっています。

おなじみの「三条別院の辛みそ」についても、新たな展開があります。詳しくは、近日中に報告があがるかもしれません。

2018年6月4日

「『歎異抄』に聞く」を聞く 最新情報 行事報告

【新連載】廣河が「『歎異抄』に聞く」を聞く。

これまで毎月28日の宗祖御命日のつどいの法話の記録をしたくてもできなかったのですが、非常勤職員が2名増えましたので、そのうちの1人、【新連載】で廣河(写真下。熱心な眼差し。)に「『歎異抄』に聞く」を聞いて記録してもらうことにしました!果たしてお参りに来る方の参考になるのか?以下はそのレポートです。

5月28日(月)に宗祖御命日日中法要が勤められました。その後の御命日のつどいでは、一昨年から『歎異抄』をテーマに、第一章から順にご法話を頂いています。今回は二十組光圓寺(新潟市江南区)の村手淳史氏に、『歎異抄』「第八章」を主題にご法話頂きました。

法話講師の村手淳史氏。仏青の委員長にも携わっています。

 

『歎異抄』「第八章」

一 念仏は行者のために、非行非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行という。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとえに他力にして、自力をはなれたるゆえに、行者のためには非行非善なりと云々(『歎異抄』真宗大谷派宗務所出版部)

『歎異抄』「第八章」は、「非行非善」、「自力」「他力」がキーワードとなって、本願を信じる念仏者のあり方が述べられます。ご法話では、村手氏自身が専修学院で経験された出来事や座談会、視覚障碍者の田口弘氏の言葉などを切り口に「第八章」が語られました。

行にあらず、善にあらず。念仏することは「私の行」ではなく、「私の善」でもない。

専修学院生時代、よくレポート面接(テーマについてレポートを書いて先生に読んでもらい、内容について面接する)をされて先生と問答していた村手氏。テーマは「親鸞の教えに私はどう照らされたか」などその時々によって様々だったそうですが、村手氏が「これだ!」と思うレポートを書いて読んでもらっても、先生からの頷きがない。何度提出しても頷きがないものだから何を書けばよいかわからず、仕舞いには「どうしたらいいですか」と先生に訴えたそうです。すると先生は、「それは一番冷たくて悲しい言葉です」と述べたというのです。「冷たくて悲しい」とはどういうことでしょうか。

我々は、「〇〇したら、〇〇となる」という思考を持ち合わせています。例えば、善いことをすれば何か善い人間になった気がしますし、努力をすれば報われる(報われたい)、念仏すれば救われるなどなど…。要するに、自分の中でこうすればこうなるという方程式が出来上がっているのです。そこには、その行為がどういうことなのか、自分にとって何を意味するのかといった問いはなく、答えがあるだけです。しかも、自分はそれを達成できるとも考えている。

しかし、自分の思い描いた方程式の頂きにたどり着いたとき、その後はどうするのでしょうか。「私」が本当に求めていることとはそんなことなのでしょうか。

ここで肝要なのは、上へ上へと登っていくあり方ではなく、自分が今どこにいるのかを確かめることだと村手氏は言います。安易に答えを求めるのではなく、問いを育てていくことの重要性。専修学院の先生の「冷たくて悲しい」という言葉は、本来自分で育てるべき問いの答えを他者に求めてしまった故の愚かさを見抜いてのことなのでしょう。

列座も聴講。考えさせられます。

視覚障碍者の田口弘氏の話では、

目さえ見えれば、それさえかなえば、もっと幸せになれるんだと思っている限り、

目が見えるようになっても、それがかなっても、幸せにはなれない。

という言葉をたよりに、人間の持つ欲求の際限のなさが話されました。自分の欲求が満たされたとしても=幸せとはならない。それは更なる欲求の加速に繋がり、尽きることがない。つまり迷いだと。この言葉は田口氏の言葉ですが、下線部を私たちそれぞれの欲求に置き換えても同じことが言えます。他人事ではないのです。

その、迷いの中にあるということに気づかせてくれるところに、浄土真宗の大切な意義があります。自身が迷いの身を生きてある事実を引き受けられるかどうか。「それでよいのか」という問いかけを、常に頂いているように思います。

 

法話のほんの一端を書かせていただきましたが、すべてを記すことができないことをお許しください。次回6月28日の御命日のつどいでは、『歎異抄』「第九章」をテーマに廣永寺(佐渡市相川羽田町)の大久保州氏よりお話頂きます!どうぞお誘い合わせてお参りください。

2018年6月1日

お知らせ

三条別院たより・教区通信 2018年6月号

別院たより2018年6月号・教区通信第130号をお届けします。

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