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三条教区・三条別院 | 浄土真宗 真宗大谷派
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越後での生活

『親鸞聖人御一代記』によれば、親鸞は親不知の難所をこえて1207年3月28日に居多ヶ浜に上陸します。35歳となっていた親鸞はこれより約7年間、この越後の地で過ごします。家族に囲まれ、民衆に溶け込みながら、出会う人一人ひとりに熱心に教えを伝えたと言われています。

流罪となった越後で親鸞は恵信尼と結婚し、自らを「愚禿釈親鸞」と名乗りました。愚(ぐ)は「おろか」、禿(とく、かむろ)は僧侶のように剃った頭でもなく俗人のように伸ばした髪でもないという意味で、「僧に非ず、俗に非ず」という親鸞の立場を表しています。越後の荒海や、信濃川、阿賀野川などの河川の氾濫、大自然に翻弄されながらもたくましく生活する越後の人々に、親鸞は何を感じたのでしょうか。

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現新潟市鳥屋野を中心に親鸞のご旧跡が数多く残っていますが、越後七不思議は、生活に身近な植物や食べ物に親鸞への謝念が結びついた形で伝えられています。越後での布教について直接史料は残っていませんが、七不思議の伝承を通じて親鸞の苦労を偲んだ多くの念仏者の思いが、約800年を経て現在の私たちにまで伝わってきたことに、驚きを隠せません。

七不思議に関しては、特に江戸時代になって二十四輩巡拝や本願寺詣りが行われた時期から盛んに巡拝されるようになったようです。念仏の道を相続していくことの大切さを、直接御旧跡を辿り、また守っておられる方々からお話をお聞きすることで、生き生きと感じとることができるでしょう。

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